もどる

韓国-プアン郡ウィ島を核のゴミ捨て場にするな!     かけはし2003.12.8号

「私たちは武器を手に警察の暴力と闘っている」-燃え広がる反核闘争



 本紙「韓国は、いま」(第一七九三号)で紹介された韓国全羅北道扶安(プアン)郡蝟(ウィ)島の核廃棄物処分場建設計画をめぐって「八〇年五月の光州を思い浮かび上がらせる」ような地域住民の反対闘争が激しく展開されている。韓国では、七月十五日を期限として放射性廃棄物の処分場候補地の公募が行われていたが、唯一手を挙げたのがプアン郡であった。政府による敷地選定委員会は六回の会議で立地評価作業が行われ、政府・産業資源部は同月二十四日、プアン郡ウィ島を核廃棄物処分場に最終確定してしまった。政府は一年間、精密地質調査と環境性の検討などを行い、〇六年に着工、〇八年までに完工する予定としている。
 ノーニュークス・アジアフォーラム(NNAF)ジャパンや韓国・環境運動連合などの市民メディア、マスコミ情報などを整理して現在までの状況をまとめてみた。
                           (11月30日 斉藤浩二)

勝利した二つの闘いを経て

 韓国では、七八年のコリ(古里)原発の運転開始以来、昨年末までに十八基の原発が運転開始、二基が建設中。設備容量ではイギリスを追い抜き、世界第六位。総発電の約四割を占めている。使用済み核燃料は再処理せず、いわゆる中間貯蔵を方針としている。新たな中間貯蔵施設は設置せず、各原発敷地内に保管できるとしていた。使用済み核燃料は高レベルであり、プアン郡に計画する処分場は`中・低レベルaを処分対象とする、としていた。
 これに対し、核廃棄場撤回全プアン郡住民対策委員会は、「政府は、核廃棄場が手袋と服などの保管施設であり、陽性子加速器をすごい先端施設のように広報してきた。しかし、産業資源部の計画書には、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)貯蔵施設が含まれており、世界的に放棄されている使用済み核燃料の再処理施設まで構想されている。これはプアンを死の核団地に造成しようとする原子力産業界のち密な意図が込められているのである」と指摘する。
 韓国の核廃棄物処分場建設は過去二度、住民の闘いで阻まれてきた。忠清南道安眠(アンミョン)島計画では九〇年十一月から二年半の闘いで住民十三人が拘束されて百人余の住民が負傷。京畿道グルッブ島計画では九四年十二月から一年間の闘いで市民一人が死亡し、七人の拘束者だったという。プアン郡での負傷者はすでに五百人を超えている。

郡守による処分場誘致策動

 金宗奎(キム・ジョンギュ)プアン郡守は七月十一日、「原子力発電所の放射性廃棄物管理センターと陽性子加速器を誘致することが、プアンと全羅北道、引いては韓国の発展のための代案だという確信を持つようになった」とし、「二つの施設の誘致申請を最終的に決心した」と記者会見をした。また、「内陸ではなく、ウィ島にこの施設を設置することにより、住民の不安感を解消し、国家的難題を解決する。また、セマングム地区に環境に優しい未来エネルギーの研究および産業団地を造成するなど、地域経済の活性化をもたらすことになるだろう」とも述べている。
 そして金郡守は、誘致申請の前提条件として、@特別支援金を三千億ウォンから六千億ウォンに増やすこと、A約束した韓国水力原子力株式会社の本社移転を〇六年までに完了すること、Bウィ島の沖合いに海の牧場(養殖場)をつくること、Cピョンサン(辺山)半島国立公園区域を設けること、D管理施設の住民監視委員会を構成することを政府に要求した。
 七月二十九日、プアン郡に支局を置く韓国大手メディアの記者団十人が六ヶ所村の核燃料サイクル施設などを視察。古川健治六ヶ所村長は「安全を第一に、村の雄大な自然と核燃料サイクルを共存共栄させるのが基本的な立場」と村のスタンスを強調したという。
 「世界十大の原子力発電国家のうち、処理場のないのは韓国しかない」との社説を掲げた朝鮮日報は、六ヶ所村では「九〇年には百八十六万円に過ぎなかった一人当りの住民所得は、十年間で三百二十万円と百四十万円も増え、同期間の国民所得増加二十一万円をはるかに上回っている」と誘致のメリットを喧伝している。
 韓国政府は十一月二〜四日、スウェーデン、フランスの関係者、そして日本からは土田浩元六ヶ所村長を招待し、「核廃棄物処分場の安全性」を強調する国際フォーラムを開いている。

住民の圧倒的多数が反対だ

 韓国『ネイル新聞』は八月二十日、全羅北道民を対象にした世論調査を発表。「全羅北道民のほとんどが、プアン郡ウィ島に核廃棄物処理施設が建設され、政府の財政支援が行われれば、失うものより得るものの方が大きいだろうと考えていることが明らかになった。 ウィ島の候補地指定に対する議論が分かれている今の状況を打開するために`指定が決まった以上、安全性を確保し関連施設を建設aすることが望ましいと思っていることが分かった。
 しかし今回の調査で、プアン郡を除いた道民の69・2%が核廃棄物処理施設の候補地指定を肯定的に受け止めている反面、プアン郡民の59・7%が`指定を白紙化すべきaと答え、大きな認識の差を伺わせた」と報道している。
 他方で『東亜日報』は十一月二十二日にプアン郡民を対象にアンケート調査を行い、「核廃棄場建設をめぐり政府と住民たちが対立している全北プアン郡で年内に住民投票が実施されれば、88・3%の住民が反対の方に投票されることが調査で判明した。これは本報取材チームが満十六才以上プアン地域住民百十一人を直接訪問して調査した結果として極限対置状況以後初めて行われた客観的な調査だ」と報じている。また、「住民たちは今回の事態に対して一番非難を浴びなければならない人物または団体は金郡守(48・6%)、盧大統領(22・5%)、韓国水力原子力(5・4%)、 警察(0・9%)などの順序であった」と同時に報じている。
 こうした住民の怒りを背景に、九月八日、プアン郡民数十人が金郡守に集団で暴行を加え、金郡守に`重傷を負わせたaという`事件aも発生している。『朝鮮日報』は次のように報じた。「金郡守がネソ(来蘇)寺を訪問するという噂を聞き、ネソ寺の境内と進入路に集結」「駆け付けた住民四百余人に制止された。住民らは金郡守が放射性廃棄物処理場を誘致する所信を明らかにする発言をし続けると、瞬く間に詰め寄っては顔や胸などを殴り、金郡守は血まみれになった。周囲にいた私服警察や対策委員らが止めに入ったが、役不足だった。また、興奮した住民らは、郡守が乗ってきた自動車をひっくり返して火をつけた」。この`事件aをきっかけに弾圧がエスカレートされた。だが事実は、誘致表明以来雲隠れしていた郡守に対し住民は取り囲み詰め寄り、生卵を投げつけたというが、顔や胸を殴ったのは金郡守の顔を知らない警官であったといわれる。

連続集会、同盟休校、海上デモ

 七月二十二日、現地で一万人規模の郡民総決起集会・デモが合わせて八時間続き、警察の過剰鎮圧で約二百人が負傷する事態となった。ある住民は「核廃棄場御破算のための大会が開かれたプアン水産協同組合前には、プアン郡民七万人の中で一万人以上が参加してその光景は本当に感動的でした。各商店たちは一斉に門を閉めたし、小学生たちまでも通りに出たし、女性たちはお互いに腕組みにして郡庁で突撃しました」と当日の様子を伝えている。
 七月二十五日にはプアン水産協同組合前でロウソク集会がはじまり、十一月二十九日までに百二十七日間毎晩続けられている。七月三十一日にはキョッポ(格浦)沖合いで二百五十隻の漁船による海上デモが行われ、放射性廃棄物を模したドラム缶を海中に捨てるパフォーマンスを行い、八月二十日にも海上デモが行われた。ウィ島はキョッポ沖合、約十四キロに位置する。
 八月二十五日には、小・中・高校で登校拒否運動を開始、十月五日まで四十一日間の同盟休校が行われた。「小学校の場合、二十六校の平均欠席率が71・3%におよび」とプアン郡教育庁は同盟休校一カ月目に発表している。
 同盟休校中の九月四日には五百人の子どもたちがソウルに上京、「大統領、今プアン郡がどうなのか分かりますか」と登校拒否の理由や願いをこめた数百通の手紙を大統領府に伝えている。子どもたちは「友達とともに学校で勉強したいが、こんな状況では行きたくないです。いま学校に戻ったら勉強は出来ても故郷は守れなくなると思います」「教科書では核はクリーンなエネルギーだと習ったが、今回改めて核のことを勉強してその問題点が分かったのです」と記者らに語っている。

流血の大弾圧に激烈な抵抗

 十一月十九日、プアン郡民第二回総決起集会とデモなどが行われた。住民と政府は、住民投票の実施をめぐって話し合いを重ねてきていた。十六日、住民はあらためて年内実施を要求、政府はこれに応じない方針であることが明らかとなった。「盧大統領は自らの信任投票は二カ月で実施するのに、住民投票は半年経っても実施されないのか」、住民の怒りは膨れ上がった。
 十七日のロウソク集会後、激しい闘いと警察過剰鎭圧で発生した幾多の負傷と拘束者たちでプアン民心は沸き立った。警察はプアン核廃棄場反対集会に備えるために四千人余りの戦闘部隊をプアンに追加配置していた。十九日当日は、ソウルでは全国農民大会が、地域では民主労総全羅北道本部の第三次ゼネスト闘争が全州、益山、群山でそれぞれ開かれたが、プアンへの部隊配置を優先したという。
 午後二時過ぎ、プアン水産協同組合前反核民主広場には一万人の住民が集まり核廃棄場白紙撤回の総決起集会が開催された。午後四時すぎ、住民たちは反核旗を持って西海岸高速道路に向けて行進、高速道路で座り込み、「私たちが再び西海岸高速道路を占拠した」「プアン郡民の意志で核廃棄場必ず止めよう」というコールをあげた。
 六時前、住民たちは高速道路占拠を解いて解散した。午後七時が少し過ぎて始まった百十七日目のロウソク集会は、昼間の総決起集会の熱気を引きつぎ、政府を糾弾して闘いの意志を集め進行された。参加者たちは「盧政府は対話の姿勢がなっていない欺満的な政府、暴力警察を先に立たせた`殺人a政府」と口をそろえて糾弾した。
 午後九時半頃、ロウソク集会が終わって住民たちはプアン郡庁前まで行進をした。戦闘警察が道をふさいだが行進過程での摩擦はなかった。郡庁の前には武装した機動隊たちが配置されていた。七百人余が郡庁前に到着し、一部先鋒にたった五十人余りの住民たちが鉄パイプと木棒を持ち、別の隊列は宣伝カーから「核廃棄場白紙撤回まで力強く闘おう」と掛け声を放送した。先鋒隊たちは機動隊と対峙した。激しい摩擦があり、警察の過剰鎭圧で十七人の住民が頭と手などが重傷を負って病院に移送された。`摩擦aは一部でエスカレート。戦闘警察による暴力鎮圧を阻むため、プロパンガスボンベに火をつけた抵抗も行われた。
 住民らの調査では、七月以来の負傷者は五百人以上と考えられ、三百五十人が病院を訪ねたと推計されている。うち病名記録の残された二百四十五人のうち半数以上が脳震蕩と顔面部挫傷などで、顔と頭をなぐられて傷がついたことが明らかとなっている。

私たちは武器を手に闘っている

 十一月十八日にNNAFジャパン事務局に届いたメールを次に紹介する。
 昨夜(数時間前)から厳しい運動が始まりました。なぜなら韓国政府がプアン郡との交渉を事実上打ち切ったからです。そのためプアン住民は、つるはしや鎌や火炎ビンを握って、警察の暴力に対抗しています。ここ四カ月で三百人が警察から負傷させられていますが、住民が武器をとることはありませんでした。
 しかし、今はすべてを手にしています。
 先週金曜日、仲介者は今年中の住民投票を提案しました。
 プアン住民は住民投票に同意しませんでした。なぜなら間違いをおかしたのは政府であって、だからこの問題は住民投票の課題ではなく、解決法は、白紙に戻すことだけだと思っているからです。
 しかし、彼らは、三日三晩の議論をし、受け入れることを決断しました。
 にもかかわらず、政府は時期を口実に事実上それを拒否しました。彼らは、周知させる作業に時間が必要であり、総選挙を避け、(国会で保留になっているこの)法律が施行された後に住民投票を延期することを主張しました。少なくとも六カ月遅らせることを要求しました。彼らにはやる気はありません。
 政府は、今年の上半期で、広報だけに一千万米ドルを使っているにもかかわらず、もっと広報が必要だと言っています。彼らは、プルトニウム239を食べても、核廃棄物ドラム缶と一緒に寝ても大丈夫だと言い続けています。世界でも核廃棄物での事故はない、と。中低レベル廃棄物貯蔵場は安全なので問題ない、と。韓国以外では核廃棄物貯蔵施設の建設に反対が起こったところはない、と。核廃棄物貯蔵施設を造った後、住民は安全性を確信し、地域は発展した、と。
 十一月二十五〜二十七日、プアン郡で韓国反核国民行動(円仏教天地報恩会、環境運動連合など四十以上の団体が参加)主催の核廃棄物処分場フォーラムが開催された。欧米、日本、台湾の活動家が参加し、「プアン核廃棄場反対闘争の経験紹介」「韓国でまちがって知られている世界の核廃棄物処分場の実態」「斜陽化した原子力産業の現況」「核廃棄物処分場問題解決のための対案」について明らかにすることを目的としている。
 日本からもNNAFジャパン事務局が窓口となり、六ヶ所村の住民をはじめ多数が参加した。毎夕、ロウソク集会に参加し、最終日には記者会見などが行われた。二十五日には他の海外参加者とともに警察に一時拘束される事態もあったという。
 二十九日午後、十七日以来警察によって占拠されていた水産協同組合前の反核民主広場を会場に、七万プアン郡民決起大会が開かれた。ハンスト十七日目となるムン・ギュヒョンさん、原子力資料情報室の澤井さんらが発言した。民主労総、農民会、民主労働党など民衆連帯会員たちが各地から集まり、二万人規模となった。
 夜には百二十六日目のロウソク集会がキョッポ初等学校のサムルノリではじまった。制服で登壇したプアン女子高の学生は「一部マスコミはプアン住民を暴徒だ地域エゴだと追い詰め、政府と警察は舞台を撤去してロウソク集会を阻んだが、私たちが故郷を愛しながらこのプアンの地を守ろうとする住民たちの抱いたロウソクを奪うことはできない」と発言、プアン小学校管弦楽団による演奏なども行われた。このように水産協同組合前広場は十日ぶりに一万三千余りものロウソクが灯された。
 百二十七日目の三十日には一転して警察が反核民主広場をバス六台で占拠、戦闘警察二千名余りが周辺の路地を固め、無差別の連行を行っている。十二月六日には二十九日続く総決起集会が、そして十三日には汎国民大会が計画されている。
 ロウソク集会は凍てつく冬に向け、白紙撤回まで続けられるだろう。予断を許さない時期となっている。

 7月から始まった連続闘争日誌

7月9日 土砂降りのなか、核廃棄場反対扶安郡民決起大会に一千人が参加。
7月14日 扶安(プアン)郡、放射性廃棄物処理場の誘致申請。
7月21日 プアン郡議会は、誘致をした郡長に対する辞任勧告決議案を賛成八票、反対四票で可決。
7月22日 一万人規模の抗議集会・デモ、警察とプアン郡庁前で衝突し暴力と過剰鎭圧により約二百人余が負傷。
7月25日 プアン水産協同組合前でロウソク集会始まる。
7月29日 プアン郡に支局を置く韓国大手メディアの記者団十人が六ヶ所村の核燃料サイクル施設などを視察。村役場を訪問。
7月30日 ソウル上京闘争を展開(〜31日)。プアン住民たちが青瓦台の前で`核廃棄場撤回及び暴力鎭圧プアン軍民上京記者会見aを開き、女性七人が集団で剃髪式。
7月31日 格浦(キョッポ)沖で二百五十余隻の漁船海上デモ。さらに、高速道路での徐行デモ(8月13日、17日)、第二回海上船舶デモ(8月20日)と続く。
8月13日 環境運動連合など四十二の団体が、核廃棄場撤回を求める共同声明を発表。
8月19日 全羅北道地域の対策委員会で百万人署名運動はじまる。
8月25日 小・中・高校の登校拒否運動を開始。
8月30日 高建(コ・ゴン)首相の主宰で国政懸案政策調整会議を行い、政府と地元住民間の対話機構を構成することを決定。
9月4日 プアン郡の子どもたち五百人が上京し、登校拒否の理由や願いをこめた数百通の手紙を大統領府に伝える。
9月8日 郡民らが金宗奎(キム・ジョンギュ)郡守`暴行a事件。
9月9日 韓国政府、事態への強硬対処方針を発表。
10月5日 政府と「核反対プアン郡民対策委員会」が対話を開始したことにより、プアン郡学校運営委員会の代表は、小・中・高校生の子供の登校拒否闘争を四十一日目で中断。
10月24日〜 政府と「プアン対策委員会」を中心にした関係者による四度に渡る交渉、意見の幅を縮めることができなかった。
11月16日 プアン対策委員会は年内に住民投票を行うよう政府に要求。
11月17日 政府は「住民投票自体には同意するが今年中の実施は受け入れることができない」とする。プアン住民千人余が警察と衝突し、六十人余が負傷。
11月18日 「核廃棄物処理施設の白紙化のための汎プアン郡民対策委員会」が、政府の「年内住民投票の不可方針」に反対して対話の中断を宣言。
11月19日 プアン郡民第二回総決起集会。
11月24日 文化芸術、学界、言論、労動、農民など各界から署名された「プアン住民投票促求二千人宣言」が記者会見で金芝河によって読み上げられる。


もどる

Back