| 大衆的社会主義政党へ6議席を獲得 かけはし2003.7.28号より |
五月一日に行われたスコットランド議会選挙で、トロツキストをはじめとする革命派を軸にして形成された社会主義政党であるSSP(スコットランド社会党)が、六議席を獲得するという大躍進をかちとった。労働党から独立し、資本主義の打倒と社会主義革命をかかげた労働者政党がこのような位置についたことは、スコットランドの政治史でかつてなかったことである。SSPは、次の飛躍へ挑戦する決意を固めている。
スコットランド社会党(SSP)は、二〇〇三年五月一日に行われたスコットランド議会選挙の結果、一九九九年の一議席から六議席へと議席を拡大した。この選挙の後、主要メディアは、グラスゴーで新たに選出されたSSPの議員であるロージー・ケーンの言動を連日報道した。彼女は、ハリーロード(スコットランド議会所在地)に「無作法」を持ち込むと公約していたが、しぶしぶ行った女王への宣誓では、ジーンズを着用し「私の宣誓は人民に対するものである」と書かれた手のひらを掲げて宣誓を行った。
この四年間、メディアはSSPをワンマン団体、トミー・シェリダンの党と性格付けてきたが、それは明確に終わった。スコットランド議会はいまや正式に六党による議会となり、SSPはすべての委員会に代表を送る資格を得た。
これはスコットランド議会にとって一七〇七年(スコットランド併合)以来二回目の選挙であった。一九九七年の住民投票によって新しい議会の創出が認められ、英国政府から一定の権力が委譲された。スコットランド議会は保健、教育、地方政府、運輸、警察および環境に対する支配権を持つが、英国政府は経済、国防および外交政策に対する支配権を維持している。また、スコットランド議会に関する規則を支配し、承認という手段や独自の税率引き上げを認めないことによって支出を制限することもできる。
一九九九年の選挙は比例代表制によって行われた。その結果、労働党が多すぎる議席を獲得したが、それでも絶対多数を獲得できなかった。労働党は自由民主党との連立を余儀なくされ、この四年間政府を維持した。一九九九年の選挙では、スコットランド社会党と緑の党は百二十九議席の中のそれぞれ一議席を獲得した。
このスコットランド政府は、スコットランドにおける社会的簒奪の過程の逆転が始まることを期待した人々を落胆させた。労働党に率いられた政府は、少数の例外を除いて、連合王国政府の政策に追随した。特に公共サービスの民営化に関してそうであった。労働党の目下のパートナーである自由民主党も、政策に関しては労働党と区別がつかなかった。
野党第一党のスコットランド国民党は、この間たえず右に移行し、「企業文化」を支持し企業減税を追及している。同党は依然として親独立的であるが、EUおよびユーロの枠内でのことであり、したがって要求というより希望の表明に過ぎない。最後の公式政党である保守党は、しばしば労働党が保守党の政策を盗んだと文句を言っているような始末である。
選挙の前段では、主要四政党はすべて親企業的であり、選挙綱領はほとんどの主要政策に関して同じであった。
スコットランド社会党(SSP)は、一九九九年選挙の前段にスコットランド社会主義連盟から結成された。同党は共通プログラムにもとづいて極左派勢力の大部分を急速に結集し、一九九九年選挙でグラスゴーで一議席を獲得した。
トミー・シェリダンの議席獲得は、人頭税への反対でトミーが有名であったことや他の労働者階級の闘争のおかげであるだけでなく、SSP自身の力によるものであった。一九九九年にはSSPの党員数は約四百人で、全体で四万六千六百票、二%の得票を得た。幸いにも、そのうちの一万八千六百票がグラスゴーに集中していた。これはグラスゴーの投票の七・二五%に相当した。
一九九九年の成功の後、SSPは急速に党員を拡大し、運動を強化した。スコットランド議会議員を持っていることは党の存在を目立たせた。特に@約四万の貧困世帯を苦しめている懲罰的政策である担保売却(債務者世帯の家財を公然と没収して競売に付する野蛮な法律的処置)の廃止に賛成する超党派の多数派を構築したことA学校給食費用徴収を廃止する法案を提出したこと――によって目立った存在となった。
二〇〇一年には、スコットランドのSWP(社会主義労働者党。トニー・クリフ派トロツキスト)メンバーがSSPに加入し、党の内部構造と構成を党の成長を反映したものにする再編成が開始された。二〇〇一年の英国総選挙では、SSPは七万二千五百票、三・一%を獲得した。
新SSP体制では、全国執行委員会および常任委員会が年次大会で選出される。これより構成人員の多い、主として支部代表で構成される全国委員会が、大会間の政策を決定する。ほとんどの機関および公共選挙候補者の男女比率五〇/五〇を保証する選挙制度が採用された。二〇〇二年末には、SSPは約七十支部、党員数二千五百となった。
二〇〇二年の世論調査でのSSP支持率は、スコットランド議会選挙第一回投票については約四%、決定的な第二回比例投票では六%を超えていた。SSPは引き続きスコットランド全土であらゆる運動に参加した。特に目立ったのは、消防士の争議であった。二〇〇三年初めには、かなりの数の消防士がSSPに加入した。SSPは国際的運動への関与も続け、ヨーロッパ左翼再編成に向けての動きにも参加している。SSPの国際問題担当役員で新スコットランド議会議員でもあるフランス・カランが、第四インターナショナル世界大会にオブザーバーとして参加した。
9・11以後、SSPは「戦争ではなく正義を」連合を設立し、イラク戦争反対の先頭に立った。あらゆるコミュニティでグループが設立され、学校生徒はストライキに突入した。緑の党も戦争に反対したが、スコットランド全体でメンバー数は約百五十人しかいなかった。
戦争反対の規模が明らかになり、グラスゴーでは十万人のデモが行われると、主要政党は立場を変え始めた。スコットランド国民党(SNP)は戦争無条件反対の立場に近づき、SNP指導者は集会の壇上で実際に態度を変えた。自由民主党も同様であった。労働党と保守党だけが、議会で戦争に反対することを拒否した。世論調査での労働党支持率は崩壊し、選挙があれば敗北する数字を示した。SSPの支持率はピーク時には一〇%、緑の党は八%に達した。
労働党にとって幸運だったことは、選挙の三週間前にバグダッドが陥落したことであった。世論調査の労働党支持率は回復した。
戦争のために、スコットランド選挙に関する新聞報道は直前三週間に限られた。しかも、その期間中でさえ、一九九九年に比べて規模が限られていた。
グラスゴーとエジンバラでは、一般選挙運動ではSSPはどの党よりも目立っていた。全体としてSSPは最も良く組織されたキャンペーンを展開した。四万枚のビラが配布され、二万枚は各戸配布された。党政策に関する高水準のビデオが二本制作され、三つのTVチャンネルで放映された。選挙運動をまかなうのに十分な資金が集められた。
SSPの重要な当面の政策は、次のようなものであった。戦争反対、逆進的地方税の廃止と累進所得税への置き換え、公共部門の最低賃金七・三二ポンドと週三十五時間労働。SSPのメイン・スローガンは、独立した社会主義スコットランド、である。
世論調査の気まぐれな数字で、バグダッド陥落後SSP支持率は六%に落ちた後、九%に戻った。特異な投票制度のために、SSPが何議席を獲得するかは不鮮明であった。実際の選挙結果は、すべての評論家を驚かせるものとなった。
大幅に議席を減らしたのは労働党とスコットランド国民党で、それぞれ六議席と八議席を失った。重要なことは、投票総数が百九十万で、一九九九年より約四十五万票も少なかったことである。SSPの得票は十二万八千票(六・八%)に達した。さらに、SSPの票は議席のための二回の投票に関して確固としていた。第二回比例リスト投票の票が他に流れることはほとんど予想されなかった。世論調査によれば、SSPに投票するつもりであるという人の二%だけが、独立派(得票率九%)に投票したと考えられる。
グラスゴーでは、SSPは三万一千票(得票率一六%)を獲得した。この結果を歴史的に見れば、スコットランド全土でのSSPの得票は、一九一八年以降、一九三五年の独立労働党の得票を抜いて、スコットランドでどの自称社会主義政党の票よりも多かったのである。
緑の党はあまり選挙運動を行わなかったが、SSPよりわずかに少ない得票で七議席を獲得し、勝利者となった。SSPは強力な環境政策を持っているが、緑の党に投票した多くの人はSSPの社会主義的政策の一部を拒否することが予想されていた。緑の党のスコットランド議会議員の多くは社会主義者なので、われわれは多くの問題で協調できると期待している。
戦争の期間中および選挙前の期間に、SSPは数百人の新しいメンバーを獲得した。これらのメンバーを強化し、党内の教育プログラムを用意することは重要な任務である。
議会内にチームを得たことで、SSPは事務所や人員のための資金にアクセスできるようになり、これによってスコットランド全土で党の存在感を高めることになるだろう。さらに重要なことは、スコットランド議会議員は、スコットランド全体の貧困者や恵まれない人々に影響を与える問題を取り上げることができることである。
幸いにも、SSPの当選した六名(女性四、男性二)の議員には、労働組合、環境問題、政治運動の経験豊富な人々がそろっている。議会的行動だけで社会を変革できると考えるのは幻想である。しかし、SSPはコミュニティ活動や直接行動を議会活動と有効に組み合わせてきた。これを闘争と共同行動のより高いレベルに高めることが挑戦課題である。
SSPは、スコットランドの労働組合運動内の基盤を強化し、多数の左翼労働組合指導者が選挙運動中にSSPを支持した。今後、われわれは労働党の政策への労働組合の従属を打ち破り、労働党への直接資金提供を打ち破ることを目指して行く。
SSP指導部は、成長や支持拡大がいつも続くと考えることの危険を十分承知している。これまでは、われわれは既成の権威や資本主義に対する脅威であるとは見られていなかった。したがって相応な挑戦を受けたことがなかった。いまやすでに、われわれはメディアの中傷キャンペーンを経験しており、これらは今後強化されるだろう。
これらの攻撃は支持のゆるんだ部分には影響を与えるかもしれないが、主要な防衛策は党の運動、広範なコミュニティとの結びつき、メンバーの内部教育を強化することである。これらとともに、スコットランドおよびヨーロッパにおける資本主義の作用についてのわれわれの研究と分析を改善する必要がある。スコットランド議会議員に認められた資源を持つことの利点の一つは、この過程を進める研究グループを設定できることである。
スコットランド全体での支持率を七%からグラスゴーで現実のものとなっている一五%へ上げ、資本主義政党に直接挑戦するという課題は、手ごわいがわくわくする挑戦課題である。その途上では明らかに後退のリスクも存在するが、いままでのところ、SSPは依然として資本主義の打倒を公約した社会主義組織である。社会主義革命を約束し続ける党を保証するためにどのように組織することが最善か、あるいは、そもそもそのような組織の必要があるのか、に関する公開討論が、SSP内のマルクス主義者の間で夏に行われる予定である。
SSPが直面している挑戦課題は、イタリアの共産主義再建党やヨーロッパの他のグループが直面しているものと共通している。われわれは国際的な社会主義の達成を目指して彼らとの協力を続けていくつもりである。
SSPの新聞の編集者であるアラン・マコームズは、この状況を次のように要約している。「われわれは未だ若い党であり、何世紀にもわたる伝統や偏見に挑戦している。われわれは躍進したが、われわれが自由にできるのは主流政党が自由にできる資源のほんのかけらに過ぎない。しかし、われわれの側の士気は高い。われわれは自分たちがどこに行こうとしているかを知っている。そこに到達する方法の詳細は未だ解明できていないが」。
「旅の道のりは長い。しかし少なくとも、われわれは旅を開始したのだ」。(『インターナショナル・ビューポイント』6月号)
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