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『中国現代化の落とし穴』何清漣著、草思社刊――1900円によせて                              かけはし2003.7.28号より

官僚による国有財産略奪で進行した全面的資本主義化(3)


原始蓄積完了を示す三つの変化


 中国の資本主義の本格的な復活は、前述のように市場経済と官僚腐敗のアマルガムのなかで達成された。「第五章 現代中国の資本の原始的蓄積」では、「現代中国の原始的な資本蓄積のプロセスは九〇年代前半に完成した」と断言する。「誰が豊かになったのか」という問いには「社会資源の管理者」(国土局、計画局、金融機関などの官僚)や「一部国有企業の管理者」や「権力を金銭に変える能力を持った仲介者」や「一部の個人資本所有者」などが原始蓄積の中で最大の利益を得た集団であるとする。著者は具体的なデータをもちいて原始蓄積が完成しているという事実をあげる。
 第一の根拠は、金融資産が少数者に集中していることである。九四年時点で、都市・農村住民の金融資産総額は一兆八五四七万元で、全世帯の七%を占める豊かな世帯が金融資産総額の三〇・二%を所有し、逆に世帯総数の三八%の貧困世帯は金融資産総額の一一・九パーセントしか所有していない。そして「この格差は年一〇パーセントのスピードで拡大」している。九九年の都市住民に対するサンプリング調査にもとづく推計では、貯蓄高は五兆八〇〇〇億元、三%の富裕人口が貯蓄預金総額の四七%を占めている。
 二つ目の根拠は、所得分布の構成である。九四年の所得分布は、下位二〇パーセントの貧困世帯は国民所得全体の四・二七パーセントを占めるに過ぎず、上位二〇パーセントの豊かな世帯は国民所得全体の五〇・二四パーセントを占めていた。貯蓄額と同様にその格差は拡大している。九八年には所得の最も高い一〇%の人口は総収入の三八・四%を占めており、所得の最も低い二〇%の人口は国民所得のわずか五・五%しか占めていなかった。「総じて言えば、現段階の中国では一五パーセントの人間が八五パーセントの富を所有し、他の八五パーセントの人間は全体のわずか一五パーセントを所有するにすぎない」。
 こうした結果、「第七章 拡大する貧富の格差」で紹介されているように、「社会的財産の分配に権力が関与する汚職・腐敗行為がひろく存在するため、貧富の格差は驚くべきスピードで拡大しつつつある」。その特徴は「労働という手段を経ずに富を築いた者が高所得者層の主体に大量に加わったこと」「国有企業の従業員が都市部の貧困人口の主体になったこと」「極端な所得格差という状況が八〇年代より明らかに顕著になった」ことである。
 二〇〇一年のデータでは、収入二百元(三千円)前後の都市貧困層は都市人口の八%(三千七百万人)に達している。その一方で、莫大な資産を有するブルジョアジーが登場してきた。国内メディアの「新財冨」誌が発表した長者番付では、四百人のブルジョアジーの総資産の合計が、貴州省のGDPの三倍に匹敵し、上位百人の平均資産は十六億八千万元に達する。資産保有トップの中信泰富(インフラ・貿易業)の栄智健は、六十一億元の資産を有している。これら「四百家族」がどのように富を築いてきたのかは不明だが、四百人のうち五人が親の資産を引き継ぎ、のこり三百九十五人は「裸一貫で富を築いた」とされている。しかし本書で紹介されてきた状況とは全く無関係に、ピューリタン的に、あるいは儒教的精神によって富を築いてきたと考える読者はいないだろう。
 三つ目の根拠として、「所有制構造の変化」をあげる。「一九九三年十二月から九五年十二月までの二年間に、全国の非公有制企業〔私営、外資系などの民間企業。引用者〕の工業総生産額が全国の工業生産額に占める割合は一〇・五パーセントから二〇パーセントに増え、九九年上半期にはそれが三六・四パーセントにまで上昇した」。これには郷鎮企業の工業生産額は含まれていない。
 郷鎮企業とは、日本の町や村にあたる行政区分である「郷」と「鎮」による企業体である。九〇年代中ごろまでは、「改革・開放」政策の寵児としてもてはやされたが、ごく一部の企業は海外との取引をおこなうほどに成長したが、大半は低効率、劣悪な労働条件の企業である。郷鎮企業は九〇年代いっぱいまでは「中国の特色ある社会主義」の寵児としてもてはやされた。たしかにそれまでの閉塞した農村経済を内側から突破して、驚異的な勢いで発展した。それまで制度的に抑圧されていた農村経済の力学を解放した、という点には注目する必要はあるが、それは社会主義に向けた発展とは何の関係もないものである。
 一言でいえば農村における資本主義復活である。人民公社やコルホーズなど、暴力を伴った極左冒険主義的集団化を行わないのであれば、過渡期社会における農村での資本主義の発展は不可避である。郷鎮企業の発展はそのように考えなければならない。
 ごく最近まで非常に広範囲に「郷鎮企業神話」がまかり通っていたが、最近やっとその実態が明らかになってきたようである。というよりも郷鎮企業も、資本主義的無政府市場競争のなかでの競争をへることによって淘汰が進んでいる。競争に勝ち抜いた企業は社会主義的企業ではなく、資本主義的企業への純化を歩み始めている。今後はこの傾向が一層はっきりとするだろう。
 著者は、郷鎮企業を「郷、村、鎮、街道〔それぞれ中国の行政区分単位。引用者〕の一級企業のうち約七割が『赤い帽子』〔公有制〕をかぶった」資本主義企業であると分析する。先ほどの非公有制企業の工業生産額に占める割合に、これら郷鎮企業を加えると、非公有制企業のしめる割合はおそらく五〇パーセントを超えることは想像に難くない。
 国有資産からの略奪によって富を得た人々は、さまざまな手段を通じて外国の株式や債券を購入したり、海外の銀行に預金したりしている。二〇〇一年一月現在、四千人あまりの汚職容疑者が五十億元あまりの公金を持って海外に逃亡・潜伏している。また不正な手段で入手した金銭をマネーロンダリングのために海外に投資するなどの形で海外流出した額は、二〇〇〇年には四百八十億ドルに達した。この額はその年の対中投資額四百七億ドルをはるかに上回る額である。
 著者は「全般的な状況からみると、現代中国の原始的蓄積のプロセスは農村経済システムのなかではなく、都市経済システムのなかで発生し」、「その出発点は〔公有制企業の〕経営請負責任制の推進にあった。この措置は国有資産流出のゲートを開けることに他ならない。以後、中国は国有資産の萎縮、個人資本膨張のプロセスを歩みだした」と述べる。またこのプロセスが「制度的な腐敗の社会全体への浸透でありワイロ文化の氾濫であり、特権経済の横行であり、金権政治のほしいままのふるまいであり、基層政権〔地方政府〕のゴロツキ化にともなう中国社会の急速な黒社会化である」と手厳しく批判する。

「官僚」に関するマンデルの見解

 私は資本主義復活に関する著者の分析にはほぼ賛同する立場である。九〇年代、中国経済があらたな発展を見せたが、それは明らかに官僚支配体制には不可能な社会主義的経済改革を通じてではなく、資本主義的改革を通じて達成されたものである。
 「官僚は階級ではない」という主張に誤りがあったわけではない。官僚階層は階級ではないし、官僚支配体制特有の生産様式を生み出せはしない。
 中国は五〇年代中ごろから本格的に社会主義的経済にむけた転換を開始した。しかし過渡期体制における持続した経済成長にとって決定的に重要な要素のひとつであるソビエト民主主義が、四九年の建国当初から(さらにいえば革命以前の長期間においても)ほぼ皆無であった。その結果、国有化を中心とした官僚指令経済による経済的成長は達成されたものの、政治的ジグザグ路線により、経済は大躍進期の反動として絶対人口の減少をともなった五八年から六二年の経済的危機、文革開始直後の混乱が招いた六七年から六八年にかけての経済的後退、七六年の四人組追放の混乱期におけるマイナス成長などが引き起こされてきた。
 とはいえ、それ以外の時期はすべてプラス成長であり、五三年から八三年までの三十一年間の平均実質成長率は六・二パーセントを記録している。政治的ジグザグ路線と国際的包囲網下での一国社会主義建設路線にもかかわらず成長を持続してきた理由は、統一市場と計画経済、そして強制供出を中心とした農村からの収奪に基づくものである。そしてその後、農村改革、経済特区の設立などを通じた統制経済の放棄と大量の外資導入による「改革・開放」政策が中国経済の成長を支えた。
 この事実は、官僚支配体制による持続した経済成長が可能であることを、言い換えれば官僚指令経済による一国での社会主義建設が可能であるということを示しているのだろうか。決してそうではない。「改革・開放」による経済改革は、世界資本主義体制の一環としての中国資本主義経済体制に道を譲ったことによって経済成長を持続させてきたのである。
 「官僚は階級ではない」というテーゼは、官僚支配体制が独自の生産様式を実現することはできない、プロレタリアートあるいはブルジョアジーに奉仕する階層であるという意味で理解すべきことであり、個々の官僚がいずれかの階級に身を置くことを否定したものではない。官僚がプロレタリアートの側に身を置くということは社会主義社会への転換を意味し、ブルジョアジーの側に身を置くということは資本主義の復活を意味する。
 われわれは労働者国家における官僚支配体制の基礎がプロレタリアートにあることを主張してきただけでなく、官僚内部の不均一性にも留意してきた。二〇世紀後半の第四インターナショナルの理論的指導者であるエルネスト・マンデルは次のように語っている。
 「官僚内部には、とりわけその『経営者』派内部には、社会的地位や収入、特権の確保を目指す強い衝動を、所与の企業ないし企業群との永久的な関係と結合させようとする疑う余地のない傾向が存在します」「こうした諸傾向のすべてが全面的に展開していけば、それはおそらく段階的な中央計画化の消滅、外国貿易の国家独占の後退と解体、計画経済による鉄の統制から解放された多数のソビエト企業と帝国主義諸国の相手企業との間の共生的関係の登場などを見ることになります」「管理者たちが監督者の権限の拡大について語るとき、彼らが目指しているのは、市場からの要請に従って労働者を解雇し、価格を設定し、生産スケジュールを変更する権利なのです。こうしたたぐいの要求が計画経済の論理とは矛盾し、私有財産の復活に向かう道への過渡的局面以外の何ものでもないことは、きわめて明瞭だと思います」(『マルクス主義と現代革命』柘植書房新社)。ここで指摘された現象は、既に中国では現実のものとなっている。
 マンデルはまた次のようにも語っている。「根本的な問題は次の点にあります。不当に得た利益を彼らは何に使っているでしょうか。……官僚がその金をただより多くの消費財や特権、例えば乗用車やテレビ受像装置、海外旅行その他に使うのと、他人の労働力の搾取にもとづいて収入を生み出す財産を入手するのに使うのとでは、問題はまったく異なります。この後者の場合かれらは、資本の原始的蓄積を行うための手段として、国家機構内部における自らの地位を利用しているのです」。『中国現代化の落とし穴』では、まさにこのマンデルの見解が具体的な実例をもって紹介されているのだ。
(つづく)(早野 一)



声明

姚福信と肖雲良を釈放せよ
中国労働者の民主的権利と労働者としての諸権利を防衛しよう

 中国の労働者活動家で、労働者の権利のために行われた二〇〇二年三月の遼陽のデモの指導者・姚福信と肖雲良は一年間以上におよぶ未決拘留の後に、「破壊活動」の罪状でそれぞれ懲役七年、四年の判決を受けた(訳注:遼陽のデモについては本紙02年4月1日号早野一「レイオフされた国有企業の労働者が大規模な抗議行動」参照)。
 法廷の判決は、弁護士が欠席のまま行われた。SARSの感染を抑えるための制限措置がその理由である。その二十四時間前、中華人民共和国政府はSARSに対する新たな経済措置を発表し、国営企業が「雇用情勢を安定させるために意のままに従業員を解雇」することを禁止した。
 遼陽は、中国東北部・遼寧省の主要都市であり、かつては中国労働者階級の誇り高き産業的中心だったが、いまや中国政府の親資本主義的政策によって破産した時代遅れの国営企業の、さびついたベルト地帯である。遼陽市の労働者の六〇%以上が失業者であり、あらゆる社会的保護の不在のために貧困にあえいでいる。一九九八年以来、中国のWTO加盟と結びついたリストラ過程の中で、全国で二千五百万人以上の国営企業労働者がレイオフされている。
 労働者の抵抗は、六〇年代には毛沢東派の工業化のモデルだった大慶油田で二〇〇二年三月一日に始まった。数万人の労働者が給与支払い、年金、労働権を求めてデモ行進し、自らの独自の労組代表を選出した。この模範は、ただちに遼陽鉄合金工場のレイオフされた労働者に受け継がれた。この工場では姚福信と肖雲良が雇用されていた。
 二〇〇二年三月十一日、五千人以上の労働者が市役所の前に結集し、彼らに支払われるべき二年間以上の失業給付金の即時支払いを要求し、「年金生活者のカネを盗むのは犯罪だ」と書いた横断幕を掲げて、工場経営者と地方行政当局による汚職と横領を非難した。
 代表が選出され、運動は市全域に広がった。二〇〇二年三月十八日、二十の工場の三万人の労働者が、前日の夕方に秘密警察によって拘禁された姚福信と肖雲良の釈放を求めて再びデモを行った。この抗議行動は、三月二十八日までほとんど毎日のように続いた。三月二十八日、地方行政当局は労働者とのあらゆる対話を拒否し、占拠された建物からの退去を命じ、他の三人の代表を逮捕し、市内に武装警察と兵士が配備された。このような状況においても、三月二十八日に六百人の労働者が市役所に戻り、彼らの代表たちの釈放を求めた。
 姚福信と肖雲良はその時以来、拘留されてきた。彼らの裁判は一月に行われ、二人は暴動教唆の罪に問われた。判決は延期され、彼らは遼陽市拘置所に拘留され続けたが、同拘置所での彼らの健康状態は、家族や友人たちの深刻な憂慮を引き起こす問題となった。劣悪な条件と残酷な取り扱いによる病気のために、肖雲良は出血しはじめた。二〇〇三年三月二十日、肖雲良の妻・蘇安華と労働者代表二十人は、肖の健康と法的状態について抗議するために地方当局と会合を持とうと試みた。彼女・彼らは、遼陽市役所の中に入ることができなかった。公式の回答は、五月九日の判決という形で行われた。
 これが、いわゆる「人民共和国」において、親資本主義的中国政府が労働者活動家を扱うやり方なのである! 事実は自ずから明らかである。姚福信と肖雲良の即時釈放を要求する! われわれは中国当局が彼らの健康と安全に責任を持っていると考える!
 われわれは、グローバルな公正を求める運動と国際的労働組合運動が、彼ら中国の労働者活動家と中国労働者階級の民主主義的権利、労働者としての諸権利のために連帯を表明することを呼びかける。5月14日(「IV」03年6月号) 


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