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                          かけはし2003.8.11号より

私たちは革命とその目的をどのように考えているか


 
 「かけはし」紙面でお答え頂けたらと思い、投稿させていただきます。第四インターで言う革命とは、どのようなものなのでしょうか。その方法はやはり武力を用いたものなのでしょうか。革命を起こした後にどのように世界が代わるのか、それは本当に実現できるのか、具体的な説明をお願いします。
 M・N(東京・学生)

 私たちの考える革命の一つの理念型は、数百万、数千万人の嵐のような大衆闘争の中で、労働者人民自身の大衆的で民主主義的な自治的機関が形成され、崩壊した既成の政治支配システムに代わってその大衆的自治機関が権力を掌握し、最大限の利潤追求を目的にした資本主義社会に代わる社会をめざす変革に取り組むというものです。
 既成の政治支配システムがどのような契機で崩壊、あるいは崩壊的危機に陥るかは、経済的破局をきっかけにしたり、議会選挙の結果をきっかけにしたり、さまざまな政治課題や経済的課題をめぐる大衆闘争やゼネストの爆発をきっかけにしたり、あるいは戦争をきっかけにしたりなど、さまざまな場合が考えられます。
 そのような「政治危機」状況の中で、圧倒的多数の労働者人民が、自らの具体的経験を通して「もう一つの世界は可能だ」と実感し、自分たちの力で「もう一つの世界」を作り出そうとすること、これが私たちの考える革命です。
 それを可能とするための闘いは、帝国主義のグローバル戦争に反対する闘いや、多国籍企業の横暴に反対する反WTO闘争、あるいは世界社会フォーラム運動が示すように、国境を超えて連帯した闘いとして押し進められます。私たちはそれを「平和、人権、公正、民主主義のグローバル化をめざす闘い」と表現しています。
 私たちは「暴力革命」という立場をいまも堅持しています。「暴力革命」の本質は、「暴力で革命を行う」ということではありません。「革命をめざす大衆的闘いを押しつぶそうとする権力の暴力装置である軍隊や警察を政治的に解体し、労働者人民の側に獲得すること」です。
 一九一七年のロシア革命で、トロツキーが兵士ソビエトを駆けめぐって炎のようなアジテーションを行い、ブルジョア臨時政府を支持していた兵士ソビエトを次々にボルシェビキの側に獲得していった闘いこそ、「暴力革命」の見本です。そのためペトログラードでは事実上、ほとんど無血で革命が成立したのです。
 今日の発達したメディアを担っているのも労働者です。嵐のような大衆闘争のなかで、メディアを労働者が握り、それとインターネットなどの通信手段が連動して、闘いの力は飛躍的に広がります。そのなかで、権力の暴力装置を中立化し、自壊させ、大規模な軍事的衝突なしに民衆の側に獲得する可能性はますます大きくなっています。
 腐敗した軍事独裁政権が流血の弾圧を行っているような場合は、武装闘争が革命運動の決定的柱の一つになることもあり得ます。しかし少なくとも、議会制民主主義が成立し、言論や結社の自由、表現の自由がそれなりに保障されているような社会では、武装闘争が革命を主導するなどということを考えることはできません。
 ブントや中核派など日本新左翼の重大な誤りは、「暴力革命」を「暴力で革命をやることだ」と誤解したことにあります。そこから、連合赤軍の悲劇や「暴力」をもてあそぶ腐敗した陰謀的な極左冒険主義の数々が引き起こされ、それが陰惨な内ゲバ主義と一体となって、左翼運動からの大衆的離反と絶望をもたらし、人々が「もう一つの世界」を作ろうとする闘いに結集することを妨げてきたのです。
 もちろん「もう一つの世界」をめざす闘いは、二十万人がサミット会場を包囲した一昨年のジェノバ・サミット反対闘争が、ベルルスコーニ政権の設定する立入禁止区域に入ることを事実上の共通認識としたように、あるいはジョゼ・ボベが投獄を恐れず、遺伝子組み換え作物の苗を実力で引き抜いたように、「順法精神」とは無縁です。大衆的実力闘争を内包した闘いでなければ、権力の暴力装置を政治的に解体することなど不可能です。
 しかしそのような闘いは、社会的に形成された集団的抵抗の意識と結びついています。日本では、内ゲバ主義を最大の主体的要因として、大衆的な集団的抵抗の歴史的連続性が失われてしまうという、極めて困難な状況があります。
 社会的影響力のあるストライキが消えて久しい日本では、権力や資本の攻撃に対して集団的に団結して抵抗し、自らの要求を実現することができるという自信や確信を、労働者人民がほとんど失っています。したがって私たちは、集団的抵抗の意識を運動経験を通じて再建する闘いから始めなければなりません。ワールド・ピース・ナウの運動を中心に、ほとんど三十年ぶりに何万人もの人々が自分の意志で街頭に繰り出したイラク反戦闘争は、そのささやかな一歩でした。
 私たちが批判する「議会主義平和革命」とは、議会での多数獲得を自己目的化し、権力の暴力装置にも手をかけることなく、できあいの国家機構をそのまま受け取る路線を言います。激しく広範な大衆闘争が支配体制を揺るがし、支配権力を存亡の危機に追いつめている時、「議会主義平和革命路線」は反革命軍事クーデターを呼び込み、深刻な流血の敗北をもたらします。その典型的例の一つが、一九七三年の「チリの悲劇」でした。

 私たちが社会主義革命を通じて作り出そうとしているものについては、エルネスト・マンデルの『マルクス主義と現代革命』(柘植書房新社)第四章「世界革命と社会主義」の最後の部分、「われわれがめざす社会主義」の結語を引用して、とりあえずの説明に代えたいと思います。
 「われわれの社会主義の『モデル』は、マルクス主義の敵対者の多くが主張するところとは反対に、地上の楽園を約束するものでもなければ、至福千年王国を約束するものでもありません。われわれは、『対立なき社会』や『歴史の終わり』について、いかなる幻想も持ちません。……われわれがやりたいと思っているのは、人類の技術的、科学的能力と、私的利潤追求の生産体制の不調和から生じてくる六つか七つの問題を解決することですべてなのです。その問題とは何であるかについてはいかなる秘密もありません。飢え、肉体的苦痛、社会的・経済的不平等、戦争、男女間・民族間・人種間の不平等、他人の労働の搾取、政治的抑圧、社会的に組織された暴力。人間的人格の自己実現化に対するこうした障害のすべては、既存の生産諸関係とこれを支える政治的構造を打倒することによって、なくすことができます。その他の無数の諸問題、必ずや生じてくるに違いない将来の諸問題のすべてを解決するとは約束しません。しかしこの六つか七つの問題が、何世紀にもわたって何億もの人民の命を犠牲にし、さらに何億もの人民の生活を言語に絶する悲惨のうちに置いてきたのでした。社会主義をめざす闘争の勝利は、人類の発展に対する画期的貢献となるでしょう。それゆえにこそ、こうした諸目標をめざす闘いは、いかにつつましやかなものであれ、われわれの時代の最も重要な人間的努力なのです」。
 世界で何億人もが失業し、働きたくても働けないでいる一方で、「最も豊かな社会」の一つであるはずの日本では、働かされ過ぎて過労死する人が年間一万人も出ています。コンピューター化の飛躍的発展で生産性が高まれば高まるほど、労働時間が短縮されるどころか逆に延長され、ストレスに耐え切れないほど労働密度は高まり、労働者は職場だけでなく家庭にまで延長された過酷な労働過程に支配されるようになっています。
 世界で何億人もが飢餓状態に苦しみ、衛生的な水を得ることもできない状態に置かれている一方で、日本やアメリカではダイエット産業と飽食の社会が広がり、同時にその「最も豊かな社会」のなかに、野宿を余儀なくされる人々が増え続けています。そして「最も豊かな社会」の代表であるアメリカが理不尽な「石油のための戦争」を強行し、湾岸戦争後の経済制裁で苦しめられた貧しい民衆をさらに苦しめています。
 これらが、マンデルの言う「人類の技術的、科学的能力と私的利潤追求の生産体制との不調和から生じてくる六つか七つの問題」の一部であることは、極めてわかりやすいことだと思います。こんな問題さえ解決できないとすれば、人類には未来はないと言っていいでしょう。「平和、人権、公正、民主主義のグローバル化」をめざして、ともに闘いましょう。人々に希望を持つ能力が残っている限り、「もう一つの世界」は可能なのです。
(8月1日 高島義一)



石井武さんを偲ぶ(3)

34年間、三里塚の闘いの現場に姿の見えないときはなかった

                          加 瀬 勉

大木よね強制代執行阻止戦

 その日、大木よね宅強制代執行の現場責任者の川上紀一副知事は記者会見で「大木よねさんに対する強制代執行は諸般情勢により中止する」と発表した。夕方大木よねさんの家の下で、戸村委員長の代執行阻止の決意演説があり、反対同盟と各支援団体は散会した。
 その夜、大木よねさん宅には石井武さん、西君(長崎)、松本(北海道)それと私だけになった。そこに天神峰の加藤さん(新宅)が印旛沼から取ってきた鯉を持ってきた。「鯉を食って精をつけて代執行を阻止しよう」と鯉こく、鯉のあらいを作ってくれた。代執行の緊張感も忘れて楽しい夜の食事であった。みんなそれぞれ帰っていった。大木よねさんと私が家に残った。
 明日は稲の脱穀作業である。早朝、石井武さんも手伝いに来てくれて発動機、脱穀機の備えつけをしてくれた。この稲の脱穀作業は代執行に対抗するために石井さんと私が計画したものであった。多くの支援、政治団体は、大木よね宅を三里塚闘争一番の砦にしようとした。私と石井さんは大木よね宅砦化に反対した。大木よねさんの家が代執行されるのではなく砦を壊す、大木よねさんが自らのために戦うのでなく、党派と機動隊の代理戦争の場に大木よねさん宅をするわけにはいかない。
 私は、芝山農協から肥料を買い求めて、大木よね耕作の水田五畝(せ)を耕し本格的に栽培した。闘争においては生産を整えることが第一、生産と生活を武器にしないで砦にすることを戦術として扱うことは反対しなければならない。田を整え生産を整え、そして生活を整えた。垣根も井戸端も庭と土手の草も綺麗に取った。何よりも生産と生活を大事にする所から戦いは始まるのである。
 大木よねさんがぼろ筵(むしろ)に収穫した少しの小豆を干して、石井さんが発動機を始動した。ふっと前方の工事現場の高台を見ると機動隊、代執行職員、代執行作業者とバックホの重機が高台の坂を下って侵入してくるのではないか。「来たな」と石井さんとお互いに顔を見合わせ、にっこりと笑って腹を決めた。
 よね婆さんを真ん中に入れて石井さんと私が「大丈夫、大丈夫」と声をかけて励ましつづけた。代執行令書が入口のはるか遠い所で読み上げられた。私も石井さんも持っていた藁束を振り上げて激しく抵抗した。大木よね婆さんは機動隊の楯の水平打ちを口に受けて前歯を二本折られて倒された。
 私は倒れた大木よね婆さんの上に覆い被さって「婆さんしっかりしろだいじょうぶか」と声をかけた。口から血が噴き出していて白髪はみだれ、機動隊を睨み付けた婆さんの怨念の目にさすがの機動隊も立ちすくんだ。大木よね婆さん将(まさ)に人間の世を呪う鬼の形相であった。石井さんも、私も、よね婆さんも機動隊に拉致されてその後どうなったか解らない。ドラム缶が連打され反対同盟と支援団体が駆けつけたときには代執行は終わっていたのである。
 大木よね婆さんは「俺は反対同盟に義理を欠いたことはない。だが反対同盟は俺を屋根に登らせて梯子をはずした」と言った。この中にあって反対同盟では唯一人石井武さんが戦っただけであった。石井さん曰く「やらないといってやる。これが戦争の常識、川上副知事という敵の記者会見を信用した反対同盟が修行が足らないということ」。川上副知事はニッタンの深石社長に「私が知事に就任したらあらゆる便宜をはかります」の念書を書き、六千万円の選挙資金を受け取り知事に就任した。いわゆる六千万円事件である。それが強制代執行の現場責任者なのだ。
 大木よね婆さんの家は極貧で、婆さんは七歳の時地主のもとに子守り奉公に出てその後死ぬまで親妹に会っていない。点々と流浪の生涯であった。日常生活といえばその日食うために、東峰部落や近所の農家の畑仕事を手伝い、イナゴを食べ、芹を食べ、ザリガニを食べ生きてきた。
 「風邪を引いたらどうする」と尋ねたことがあった。「庭をはって井戸端にいって釣瓶から水をのみ、また庭をはってきて寝る」。大木よね婆さんの日常性とは「風邪を引いても」死ぬ状況にあったのである。政治とは闘争とは大木よね婆さんが安心して生活できる条件をつくるために存在する。それを国家権力は代執行をかけたのである。

34年間常に戦塵にまみれて

 駒井野地下道戦では泥だらけになって穴から出てきたり、砦では放水を浴びて全身濡れねずみになったり横堀要塞では声を嗄らして叱咤激励して戦った。三十四年間闘いの現場に石井さんの姿が見えなかったときはなかった。闘争は極度の緊張の持続を必要とする。「心配ばかりしていたってしようがないだろう。全力で戦ってみてその結果はまた考えればよい、なるようにしかならない。転んだら砂をつかんでおきればいい」。達観したように何の苦もなく明るく話す。石井さんが話すとホッとして心が和む。笑いのうちに闘争をやろうみたいな雰囲気が出てくるから不思議である。
 石井さんに対して一つだけ理解できないことがある。石井さんは苦労人である。生活の中で白刃を何度も潜り抜けてきた。その都度腹を決め、腹をくくり試練を乗り越えて生きてきた。小さい決心決意を積み重ねてきたことによって自然に試され訓練され大きい問題に直面しても動じない自分になっていたのである。試練の積み重ねの中から滲み出る人間的明るさである。
 三里塚円卓会議やシンポについて「加瀬あんちゃん。少し若い者がやるのを黙って見守ってやろうや」と言っていた。「シンポが戦略となり、話し合いですべてを解決する方向にいったのはまずかった」。これが石井さんのシンポに対する評価であった。
 「闘争が盛んなときは三里塚、三里塚、石井さん、石井さんといっていたが、いまは知らぬが仏、世間は薄情なもの、いまはハガキ一枚電話一本よこさない」と支援を批判していた。木の根の私の所有地に対して「加瀬あんちゃんに持っててもらって安心だ。よかった」との言葉も頂いている。
 政府・公団は、三里塚空港民営化、羽田空港国際便の増発などの矛盾の中で、シンポの「二千五百メートル滑走路の建設は住民の話し合いで解決する」という合意を破って建設を進めてきた。ワールドカップ開催を世論に暫定的に滑走路の供用を開始した。東峰部落の東峰神社の御神木を突如伐採し盗木したのである。「政府もわれわれに謝罪した。運輸大臣も現地に来て土下座して謝罪した。東峰部落の産土神を破壊するとはなにごとか」。石井さんの怒りは心頭に発した。「俺はもう二〜三カ月で死ぬと医者に宣告されているが死ぬわけにはいかぬ」「闘争は俺を長生きさせてくれる。地獄の閻魔様も迎えにきても行くわけには行かない」と私の所を訪ねてきた。
 東峰神社は私の部落の寺田増之助氏が東峰部落住民に土地ごと寄贈したものである。東峰という部落名も寺田増之助氏が名づけたものである。寺田氏のことを部落では「台湾巡査」と通称呼んでいる。警視であった。戦後引き揚げてきて農業会の組合長を村でやり、それを辞して三里塚に開拓に入ったのである。
 いまは娘さんが跡を継いでいる。新宅もある。私はお付き合いしていただいてるので、石井さんを連れて寺田さん宅に案内した。裁判の資料の収集のためであった。「謝りつつ既成事実をつくる」「謝罪しつつ神社を破壊する」。政府の態度は何も変わってはいない。最後まで徹底的に戦ってやる。これが石井さんの口癖となっていった。
 石井さんが原稿草案を私の所に持ってきた。扇国土交通相に対する公開討論の申し入れ書であった。「天下に白日の下に政府の非をさらけ出してやる」と意気込んでいた。この草稿が石井さんの絶筆となった。
 「加瀬兄ちゃん、平和で何事もないということは幸せだと思っている人が大勢いる。何事もないということは、われわれが政府と戦っていないということである。飼い慣らされた犬が三度の食事にありつくために、飼い主に尻尾を振る。これが何事もないということだ。政府に従順な飼い犬には決してならない」。
 石井さんのこの言葉も心に染みている。この度の石井さんの死去で想えば、戸村一作委員長、柳川茂副委員長、木内武副委員長、菅沢一利老人行動隊長、小川明治副委員長、小川源副委員長、秋葉哲救対部長、大木よね婆さん、岩沢吉井老人行動隊顧問、文男君、東山君、原君、新山君と三里塚闘争に生涯を捧げた人は、墓碑銘は大勢いる。「泥土放光」の光を汚さないようお誓いしたい。「安らかにお眠り下さい」。深い祈りを捧げても三里塚には政府・公団と墓掘人がいる。日夜死体を食らって空港建設を進めている百鬼夜行がいる。これと戦わずして三里塚の祖霊の鎮まりはない。さらなる闘いをお誓いしたい。 (7月12日)


『中国現代化の落とし穴』何清漣著、草思社刊――1900円によせて

官僚による国有財産略奪で進行した全面的資本主義化(5)

「もうひとつの東アジア」のために

 中国における資本主義復活については、社会革命のプロセスが一様ではないように、社会反革命のプロセスも一様ではないという一言につきる。資本主義の復活、労働者の反資本主義闘争、決起した労働者に対する弾圧、ソ連・東欧スターリニスト国家の崩壊、国際的資本主義市場のへコミット、世界的な階級闘争の後退などが時代的制約の中で国内外で前後して発生した。しかしこの時代的制約はまた、中国労働者階級と世界的な反グローバリゼーション運動とを結びつけようとしている。
 本書「訳者あとがき」では、「西側研究者の中国社会に対する理解はじっさいより五年ないし十年遅れている」と著者の印象を紹介している。これは研究者だけに限ったことではないだろう。九七年に香港の同志が来日した際に、「いまだ中国は堕落した労働者国家であると考えている」という日本のある同志の発言に対して「それは多分時差のせいでしょう」と半ば冗談的に答えていた香港の同志の言葉を思い出す。あのときから五年以上がたった今、もういちど香港の同志たちがあのときにどのように中国の政治経済をとらえていたのかを振り返ってみるのも悪くないだろう。驚くほど現在の日本における中国情勢の認識(われわれを含む)と一致していることに気づかされるだろう。
 中国の労働者を取り巻く国内外の状況は依然として厳しいが、決して展望のないものではない。「もうひとつの東アジア」を展望する上で、「中国プロレタリアートの生きた力」を知り、そことつながることは決定的に重要である。
 本書(『中国 現代化の落とし穴』)を読まれた読者は、中国における社会的道徳観の崩壊や腐敗官僚への手厳しい批判を著者が展開していることを容易に感じ取ることができるだろう。しかしその一方で労働者、農民へのまなざしについては訳者が言うような「弱いもの、貧しいものへの共感」(「訳者あとがき」)を感じ取ることは容易ではない。
 本書には労働者、農民の抵抗があまりに「粗暴」であることからの反発からか、これまで「かけはし」紙上で紹介してきた労働者や農民の抵抗を正面から紹介したものはほとんどない。国有企業経営者の汚職や、地方官僚の横暴を丹念に紹介するのとは対照的に、労働者農民の闘いについてはほとんど触れていない。出稼ぎ労働者の厳しい境遇を紹介したかとおもえば、逆に「深 には外地からやってきた大量の労務者(ママ)がいるが、ここ数年、治安情勢は悪化の一途をたどっている」となどいう記述が多々見られたりする。
 もちろん著者も、「出稼ぎ農民は故郷をあとにしてから、香港、台湾、韓国が投資する労働集約型の三資企業〔外資〕や郷鎮企業、私営企業などで働くことが多い。こうした企業は仕事がきつくて残業が多く、低賃金で福祉や安全対策が立ち遅れているという特徴があり、労働争議と事故が多発している」とか、合法的な証明書がなく、合法的な住所がなく、固定した仕事がない流動人口である出稼ぎ労働者が「犯罪に走るのは、必ずしも道徳に原因があるのではなく、ひとえに職がないということに尽きる」など、労働者農民の境遇を紹介してはいる。しかし中国の知識人に広く信じられている「農民は(文化、教育、労働などの)資質が低い」という呪縛からは、著者も逃れてはいない。
 そしてこの呪縛は、共産党独裁体制の大義名分のひとつにもなっている。「農民の資質は低い。中国で日本のように民主的選挙をやったら混乱する」というもっともらしい意見が、「資質」の高い中国の知識人から聞かれることはまれではない。著者は言う。「ただ、かれらは資質が低いため、いったん生存が危うくなり、犯罪を犯して金を奪おうという誘惑に駆られたとき、道徳やモラルの束縛を受けることがないのである」。
 また都市国有企業労働者の境遇についても、「かれらは中学時代、文化大革命に遭遇し、ほとんど学ぶことができなかった。この転職難の時代に国有企業から遺棄される中年の従業員がいる。腐敗を放置したため、国有企業の改革は汚職官吏が富を蓄積する格好のルートとなり、その結果、企業がつぎつぎと倒産し、数千万の従業員が社会に放り出された。……かれらは現代化の過程で放りだされたグループであり、その数は膨大である」と、労働者の直面する苦境を紹介してはいる。
 しかしその直後に失業労働者による犯罪に関する調査書を紹介し「かれらが特殊な犯罪グループとなる可能性があり、社会がとくに注意を払う必要があると指摘している」ことを紹介しているのである。このような姿勢から導き出される著者の中国改革の道筋は「上から下への秩序ある方式のみが、中国社会において大きな動揺なしに社会転換をすすめられる唯一のチャンス」というものにしかならない。著者にとって労働者や農民は哀れみの対象でこそあれ、腐敗と堕落の極限にたどり着いた官僚専制支配体制を根本的に作り直す社会変革の主体には映らないのである。
 しかし著者のいうような「チャンス」はほとんどないことは、本書を読めば明らかである。このような中国の知識階層に多く見られる労働者、農民への蔑視ともいえるまなざしは、裏を返せば労働者、農民の社会的力、すなわち革命主体としての階級性への恐れからくるものである。この階級は、巨大な力で日本帝国主義と蒋介石独裁政権を駆逐し、政治的指導部のジグザグ路線にもかかわらず中国の工業化に多大な貢献を果たした。一方で、指導部の日和見路線と極左路線の犠牲にさらされ、ほとんど労働者民主主義の経験を経ることはなかった。
 しかし腐敗した官僚とブルジョアジーの専制支配を根本的に転換する中国の変革(われわれはそれを社会革命とよぶ)は労働者、農民の闘いを通じてしか展望を見出せないだろう。いま中国全土で展開されている労働者、農民の個別の闘いすべてが、官僚とブルジョアジーの専制支配への異議申し立てとなっている。国有企業労働者は官僚の腐敗を糾弾し、農村では暴虐の限りを尽くす地方官僚への不満と反撃が全国的に散発し、その農村からの出稼ぎ労働者は劣悪な労働条件に異議を申し立てている。
 このような闘いに関心を持ち、どのような形であれつながっていくこと、そして「もうひとつの世界は可能だ!」と叫ぶ全世界の闘いの一環として中国の問題をとらえることが重要である。中国の労働者、農民の闘いは、「国有企業と公共サービスは売り物ではない!」「日中農業の連帯は可能だ!」「独立労組の結成は可能だ!」「中国と台湾の民衆運動の統一は可能だ!」「東アジアFTAに抵抗する民衆連帯は可能だ!」「アメリカ軍基地のない東アジアは可能だ!」という国際的なスローガンの中で新たなステージを迎えるだろう。日本の社会運動は沖縄、香港、台湾、韓国の社会運動と緊密に連携し、「もうひとつの東アジア」が可能であることを中国の民衆に訴え続けなければならないだろう。本書は全体を通じて、社会変革の主体を見出せないことからくる絶望感が漂うが、われわれは何らそれに同調する理由はない。
 本稿では主要には国有企業改革からみた中国社会の根本的転換に焦点をあてて紹介したが、本書はさらに貧富の格差の拡大、農村社会の崩壊、跋扈する暴力団、階層の変化など、多方面にわたって詳細な資料を駆使しながら中国の変化を論じている。ぜひ一読することをすすめる。(5月4日)(おわり)(早野 一)


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