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                           かけはし2004.0405号

釣魚諸島(尖閣諸島)は中国領である

新自由主義グローバル化と対決する国際連帯のために「領土問題」の認識が問われている

「常識」を打ち破る闘いを

  三月二十四日、もともと中国領であり日本が不法に略奪した釣魚諸島(日本名・尖閣諸島)に上陸した中国人活動家七人を、沖縄県警が不当逮捕した。小泉政権は七人の上陸について、中国の武大偉駐日大使を外務省に呼びつけて抗議し、小泉自身も逮捕について「異例のことだが、法令に従って対処するのは法治国家として当然だ」と述べた。
これに対して武大偉駐日大使は同日夜、外務省を訪れ「憤慨と抗議の意」を伝えた。また中国外務省は、釣魚諸島の領有権問題について同日、「中国政府は交渉を通じた解決を主張している」と述べた。中国国内では、日本大使館前で「日の丸」を焼くなどの抗議行動やデモが続いている。小泉政権は二十六日夜、不当逮捕した七人を中国東方航空機で上海に向けて強制送還した。
 日本政府もマスコミも「尖閣諸島は日本固有の領土」ということが、あたかも自明の理であるかのように主張している。「北方領土」や「竹島」と同様、自民党から共産党まで、帝国主義的領土要求における「挙国一致」が、この問題についても成立している。この「常識」を打ち破らなければならない。

釣魚諸島は歴史的に中国領

 「尖閣諸島」という名前そのものが、「日本固有の領土」論のデタラメさを表現している。一八九五年一月十四日に「尖閣諸島」の日本領有が閣議決定された。ところが、この名前がつけられたのは閣議決定から五年も経った一九〇〇年なのである。
 しかもそれは当時の日本海軍の模範であった英国海軍が、海図で釣魚島の東側にある岩礁群につけた「PINNACLE│ISLADS」(ピナクル・アイランズ。尖塔あるいはとがった岩峰の群島)という名称の、翻訳なのである。「尖塔」をやや重々しく「尖閣」に言い換えたにすぎない。
これに対して中国側からすれば、釣魚諸島は明の時代から中国領として、釣魚台あるいは釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正島)などの名で知られており、当時中国の沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、沿海防衛のための地図にも記載されていた。
 日本政府やマスコミが主張する国際法上の「無主地先占の法理」からすれば、釣魚諸島を最初に発見し、命名した中国に領有権が生ずる。しかも明政府はこれらの諸島を海上防衛の区域に定めていた。たとえ無人島であったとしても、今日の言葉で言えば「実行支配」が成立していたのである。
 中国には釣魚諸島に関する多数の歴史的文献があるが、明治維新以前の日本には釣魚諸島に関する日本の文献は、江戸幕府に対して国防の重要性を訴えた『海国兵談』で有名な林子平の『三国通覧図説』ただ一つしかない。しかもそれは、中国の冊封副使・徐葆光の『中山傳信録』の図に依拠したものであり、日本の国防の重要性を訴える観点から書かれているにもかかわらず、釣魚諸島をはっきりと中国領に区分しているのである。
 また、これらの諸島に関する琉球の文献も、いずれも中国の文献に依拠したものであり、島の名前を中国名で記し、中国領としている。当時の琉球や日本の知識人にとって、釣魚諸島が「無主地」ではなく、中国領であることは動かしがたい事実であった。

日清戦争のドサクサにまぎれて

一八六八年の明治維新で権力を握った天皇制政府は、直ちに琉球、朝鮮、台湾へ侵略の歩を進めた。早くも一八七四年に台湾出兵を行った天皇制日本政府は、台湾侵略の足がかりとして釣魚諸島の略奪をねらっていた。
 一八八五年、日本政府は海産物業者であった古賀辰四郎による「開拓願い」を受ける形で、沖縄県庁に対してこれらの諸島に対する調査を「内命」した。命令を受けた沖縄県は、同年九月二十二日付の沖縄県令西村捨三の上申書で、これらの島々は中国領であるようだから実地調査して直ちに国標を立てるわけには行かないだろうという主旨を、政府に伝えている。
このような沖縄からの上申を受けたにもかかわらず、内務卿・山県有朋は同年十月九日、「たとえ『中山傳信録』に記された島々であったとしても」、すなわち中国領であっても、「宮古や八重山に近い無人島なのだから日本のものにしてしまっても構わないだろう」と主張して、外務卿・井上馨に打診した。
 これに対して井上は十月二十一日付の親書で、「清国では、日本が台湾に近い島々を占領しようとしているということを新聞でも書き立てるなどの状態になって、日本への警戒が高まっているから、いま国標を建てるべきではなく、調査した事実も新聞などに載って知られてしまわないよう注意すべきだ」と返答している。その上で山県と井上は連名で沖縄県に対して、直ちに国標を建設する必要はないと指令している。戦争の準備が整わないうちに、清国との国際紛争が激化してしまうのを恐れたのである。
日清戦争で日本の勝利が確実になった一八九四年末になって、内務省は外務省に秘密文書(十二月二十七日付け)で、釣魚諸島を沖縄県所轄として国標を建てることについて閣議決定することを申し入れ、翌一八九五年一月十四日に閣議決定が行われた。
 この閣議決定は非公開で、公開されたのは五十年以上も後の一九五〇年になってからであった。

国際法的に無効な違法占領


台湾と澎湖諸島は下関条約第二条によって日本が略奪した。ところが釣魚諸島は、どんな条約にもよらず、戦争に勝利したドサクサまぎれに盗み取ったものである。日清戦争後の講話交渉で清国側がこの問題で異議を申し立てなかったことを、日本の領有の正当性の根拠とする主張がある。しかしこのような主張は成立しない。
 一八九五年の閣議決定は公表されなかったし、釣魚諸島を日本領に編入するという公示が出されたわけでもなかったし、標杭が建てられたわけでもなかったし、講和条約の議題として日本が持ち出したわけでもなかった。日本から台湾と遼東半島の割譲や巨額の賠償金の支払いを要求されていた清国が、自分の知らないところで秘密裏に行われた釣魚諸島強奪に抗議することなど、できるはずがなかったのである。
天皇制日本帝国主義は、降伏後の領土問題について「カイロ宣言の条項は実行される」と明記したポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。カイロ宣言は、満州、台湾、澎湖諸島など、日本が中国から奪ったすべての地域を返還すると規定している。
たとえ日本の敗戦後、琉球列島とともに中国領である釣魚諸島をアメリカ帝国主義が軍事占領し、五一年のサンフランシスコ講和条約締結後も軍事占領を継続し、四九年に勝利した中国革命に敵対するための射爆場として使用し続けたとしても、釣魚諸島が返還されるべき中国領である事実にはいささかも変わりはない。また、サンフランシスコ講和会議には中国代表は招請されてさえおらず、したがって講和条約は中国を拘束せず、中国と日本の領土問題はその後も積み残されたのである。
秘密裏に盗み取ったため、釣魚諸島がいつから沖縄県の管轄になったのかも不明のままである。日本側は一八九五年の閣議決定を経て、翌年四月一日の勅令第十三号で日本領となったと主張している。
 しかしこれもデタラメである。沖縄県の編成について記されたその勅令には、久米島や慶良間諸島や鳥島や大東島や宮古諸島や八重山諸島については書かれていても、「魚釣島(釣魚島の日本名)」も「久場島(黄尾嶼の日本名)」も全く出てこないし、もちろん「尖閣列島」などという名も出てこない。そもそも「尖閣列島」なる英語から直訳された名が付けられたのが一九〇〇年なのだから、書かれているはずもないのだ。
釣魚諸島が中国の領土であるということは、歴史的にも国際法的にも動かしがたい事実なのである。

事態は鎮静化するだろうか


日中の政府当局者はいずれも、事態の鎮静化に躍起になっている。グローバリゼーションの急激な進行のなかで、日本資本主義も中国資本主義も生産基地として市場として互いを必要としており、この問題で対立が深まることを望んではいないからである。
 とりわけ胡錦濤政権はこの間、言論統制や治安弾圧体制を強化しつつ新自由主義的「構造改革」を押し進める一方で、対日経済関係強化の妨げになりかねない「歴史問題」「靖国問題」を後景化させる「対日新思考」路線を押し進めてきていた。
 そして貧富の差を拡大する新自由主義政策への不満や怒りは、とりわけ青年・学生層のなかで、昨年のチチハル市旧日本軍遺棄毒ガス死傷事件や西安日本人留学生寸劇事件などを契機にした「反日」を一つの回路として表現されてきた。その意味でこの「反日」は「反政府」でもあった(本紙03年11月10日号「中国・西安日本人留学生寸劇事件と反日デモの背景」)。今回の釣魚諸島への活動家上陸もこのような流れのなかにある。
 日本帝国主義に不法に奪われた領土の問題で、中国政府は譲歩するわけにはいかないし、譲歩する道義的必要性もない。もちろん小泉政権の側も、釣魚諸島が歴史的に中国領であったことを認めるわけにはいかない。新自由主義「小泉改革」で分裂を深める社会を国家主義的に再統合し、「戦争国家体制」を強化するために、民族排外主義を最も強くあおりたてることができる「領土問題」で譲歩することなどできるはずがないからである。
 したがって、台湾と石垣島のちょうど中間にあるこの小さな無人島は、ことあるごとに日中間の政治焦点として浮かび上がることになる。

労働者人民の国際連帯のために

多国籍資本の新自由主義グローバリゼーションと対決する労働者人民の闘いにとって、ブルジョア民族主義は極めて有害である。国境を超えて自由に支配し、搾取し、収奪する多国籍資本と有効に闘うためには、労働者人民こそ国境を超えてインターナショナルな連帯を作り出さなければならない。日本と中国の多国籍資本も、国境を超えて日中の労働者を支配し、「底辺への競争」に駆り立てている。民族主義的対立は、多国籍資本とその政治体制を利するだけである。
 だからこそ、ブルジョア民族主義は反動的だという理由で、この釣魚諸島をめぐる対立に超然としていることはできない。侵略した側である日本の労働者人民が、日本帝国主義の侵略と不法な占領をあたかも当然であるかのように認めているようでは、侵略された側である中国労働者人民とのインターナショナルな連帯など作れるはずがないからだ。そのような態度は、中国労働者人民をますますブルジョア民族主義の側に追いやるだろう。
 胡錦濤政権も、バブル的経済成長が破綻して政治的危機が深まれば、「対日新思考」をかなぐり捨てて「反日民族主義」をあおりたてるだろう。釣魚諸島問題は、その焦点の一つとして何度も浮上するだろう。その時、日本の労働者人民の側の歴史認識が問われることになる。
 「尖閣諸島」「北方領土」「竹島」などの「領土問題」は、日本軍「慰安婦」問題をはじめとする戦後補償問題と同様、あるいは小泉の靖国参拝と同様、日本帝国主義がかつての侵略戦争を一切反省しようとしていないことを露骨に表現するものである。
 小泉政権は、憲法を踏みにじって自衛隊を戦火の続くイラクに派兵してブッシュ政権の無法な侵略戦争に全面的に加担し、「戦争する国家」への道をひた走っている。憲法改悪も遂に日程にあげられようとしている。このような反動の流れと闘い抜くためにも、釣魚諸島問題をはじめとする「領土問題」ではっきりした態度を打ち出さなければならない。釣魚諸島は中国領である。
(本紙03年1月27日号に掲載した文章を、新しい事態に合わせて部分的に書き直したものである。歴史的文献と資料は第三書館発行・井上清著『尖閣列島−釣魚諸島の史的解明』から)。
(04年3月28日 高島義一)


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