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石丸次郎さんの講演から                かけはし2004.11.15号

北朝鮮--隣人が苦しいときこそ手をさしのべて(上)

国交正常化は食糧難と人権迫害に苦しむ人々の利益になってこそ

摘発が強化されている脱北者の「難民」認定をかちとろう

 『北朝鮮難民』(講談社現代新書)の著者でありアジアプレス大阪事務所代表の石丸次郎さんを講師に招いた連続講座第10回「北朝鮮はどうなっているのか? 民衆の苦難を考える」(主催・`拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集いa実行委員会)が十月十七日に東京で開かれた。
 十年以上に及ぶ中朝国境地帯での北朝鮮難民(脱北者)取材を通した石丸さんのレポートはこれまで断片的で危うい情報にしか接することができなかった北朝鮮難民、北朝鮮食糧危機の諸相を実証性をもって私たちに伝えてきた。石丸さんは今回の講演でも、日朝国交正常化は何よりも北朝鮮の人々にとって利益(食糧・人権など)になるものでなければならないことを明確にし、隣人が苦しいときにこそ手をさしのべてこれからの良い関係が築けるとして、日本政府による経済制裁に反対し、旧来の経済システム(食糧配給)崩壊の中で市場経済化へと激変する北朝鮮社会の中での人々の意識変化の中に、これからの北朝鮮を探る大きな手がかりがあることについて注意を喚起した。以下の講演要旨は編集部の責任でまとめた(見出しを含めて)。

石丸次郎さんの講演

93年の初取材で受けたショック

国境地域に一カ月間取材に行ったが当時はまだそういうジャーナリストは少なかった。中国の朝鮮族の人たちから北朝鮮についての話を聞いたが誰もが北朝鮮のことをボロクソに言う。「あ〜んな食べ物のない所へ行ってどうするんだ?」と。
 その中で当時は数少なかった北朝鮮から逃れてきたという人からも話を聞く機会があった。その人は、北朝鮮での配給制度の麻痺状態、飢餓の一歩手前という食糧事情について話し、生活苦の不満を口にするだけで捕まり、密告制度によって夫婦間でさえ信用できないとこぼし、一九八八年のソウルオリンピックの成功を中国に来て初めて知ることができたと語った。
 私はそうした話を聞いてショックを受け、帰国後に専門家の所に行ってこの話を伝えたが信用してもらえなかった。「経済状況が悪くても飢えるようなことはない」と。だから私も、たまたま現地取材であった人たちが例外的な人たちではなかったのかと思ったが、もっと踏み込んだ検証取材の必要性を痛感しそれが今日までの私の北朝鮮取材に至っている。

飢餓の原因は自然災害ではない


 北朝鮮の食糧事情悪化について早くから知っていたのは、在日朝鮮人の人たちだ。お金や生活必需品を懇願する北朝鮮への帰国者からの便りを通して早くから知っていたが、日本人には話さなかったし朝鮮総連も真相を隠蔽していた。
 飢餓状況が露わになったのは九五年頃からで、九六〜九八年にかけて広範囲に拡大し九九年までに餓死者が大量に出たと思われる。そうした情報を耳にしながら九五年に観光ツアーに紛れ込んでピョンヤンに行って観察してみたが、ピョンヤン市民には配給が最優先されていたこともあり食糧危機の兆候はみじんも感じられなかった。外部世界に北朝鮮の飢餓状況について伝えたのは脱北者だった。
 それまでは北朝鮮の食糧危機が餓死者が出るほどのものなのか、一時的な局面なのかは誰にも分からなかった。九七年の中朝国境地帯取材で数人の脱北者に取材し、北部から東部(日本海側)そしてピョンヤンへと至る配給システムの崩壊・飢餓の拡大を知らされた。
 飢餓の原因を豪雨や干ばつという自然災害によるものと主張する人がいるが、それは食糧危機が人災によるものであるという真相を見誤らせるものだ。九五〜九六年にかけて天災を知らされた国際機関から食糧支援が入っているが、餓死者が大量に出たのは九七年だった。九五〜九七年に餓死者が相次ぎ九八〜九九年にかけて大量の難民が発生した。

「脱北者」とはどういう人たちか


 この時期に中国へ逃れた難民(越境者)は延べ二百万人に達するとみられる。その後、家族のいる北朝鮮に戻ったが、全体の約五%(10万人)の戻れなくなった人たち、戻らない決心をした人たちが脱北者と呼ばれる人たちだ。私はこうした脱北者約五百人に会ってこれまで取材してきた。脱北者増がピークに達したのは二〇〇〇〜〇一年にかけてで、当時は朝鮮族自治区の延辺空港にまで韓国からの観光客目当てにコッチェビと呼ばれる脱北した子どもたち多数が物乞いに駆けつけていた。そして〇二年五月の瀋陽の日本領事館へのハンミちゃん一家駆け込み事件を契機に、中国での外国公館への脱北者駆け込み亡命が一気に拡大した。
 最近の脱北者大量駆け込み亡命事件の多発が北朝鮮からの脱北者急増とイコールで伝えられているが、それは事実ではない。〇一年以降脱北者は激減している。中朝国境に至る経路での警備が格段に強化され、北朝鮮側では中朝国境近辺に近づくことさえ困難になっているといわれている。また北朝鮮国内の食糧事情が、国際的な人道支援で最悪期を脱し飢餓状況が緩和されたということもある。とりわけ韓国からの肥料支援が食糧事情安定にプラスになっているという証言が多い。最近の駆け込み亡命している脱北者は、一九九九〜二〇〇〇年にかけて脱北し中国国内に滞留していた人たちだ。

中国政府は強制送還をやめろ


 中国の警察に捕まって北朝鮮へ送還され、再び脱北する人も多い。当初は受け入れていた中国の朝鮮族もあまりに脱北者数が増えたため手に負えなくなった。私が取材で世話になっている朝鮮族の一家の所には七〜八年間で約千人が来ている。また九七〜九八年頃は中国警察も食べ物を与えて帰すことさえあったが、〇〇年以降は朝鮮族居住地へのローラー作戦で摘発・送還態勢を強化している。送還される人があまりにも多いこともあり、北朝鮮で全員が無条件に政治犯収容所に入れられるわけではない。
 送還された人は、まず北朝鮮の秘密警察(保衛部)で人定調査(住所氏名や脱北の理由)を受けた後に政治犯・刑事犯・単純越境者の三つに分類される。脱北して韓国人や教会関係者と接触したり人身売買に関わったとみられる人が政治犯・刑事犯に分類されるが、それは全体の約一割で、九割は単純越境者として鍛錬隊(コッパック)と呼ばれる所に送られて、長くて二〜三カ月間農作業などに従事しながら金日成・金正日父子を崇拝する思想再教育を受けることになる。劣悪な環境のためにここで死ぬケースもあり、病人・けが人も出るし、中国で妊娠した女性は強制堕胎させられる。その後に集結所という所に移されて出身地への送還を待つことになるが迎えがなかなか来なくて何カ月間も待たされたあげくに亡くなる年輩者も多いといわれる。
 そしてやっと出身地に戻ってみても元の家はなくなっていたり、当局に没収されていたりで、親類や知り合いの家に世話になることになるが長くはいられない。また中国での豊富な食糧事情、情報量、行動の自由の体験が絶対に忘れられない。こうして多くの人が再脱北を試み成功率は二〜三割といわれる。北朝鮮に強制送還された人たちは間違いなく迫害を受けており、「迫害を受けるおそれのある人は送還してはならない」という難民条約の該当者だ。
 だから中国は難民である脱北者を「不法越境者」として強制送還するのをやめ彼ら彼女らを難民として認定するべきだ。(つづく)



投稿

家族から被害の実状を聞いて
中越地震――被災者生活再建支援法の即時改善を


住む家を失い、
働く場も奪われて

 新潟県中越地震の住宅被害額(被害にあった住宅を修理するためにかかる費用)が、二百五十億円以上になることが、県の試算で明らかになった。これは現段階での数字であり、未だ調査が済んでいない地区があること、それらが被害が深刻な地域であることを考えると、今後の調査が進むにつれ被害額がさらに増えていくことは間違いないだろう。
 今回の地震の被害世帯には、一九九五年の阪神・淡路大震災をきっかけに制定された被災者生活再建支援法によって支援金が給付される。支援法は「十世帯以上の住宅が全壊する被害が発生した市町村」や、「百世帯以上の住宅が全壊する被害が発生した都道府県」における自然災害に適用されるもので、住家が全壊した世帯に対しては最高三百万円、大規模半壊した世帯に対しては最高百万円を給付するというものだ。この支援金は都道府県が拠出した基金をもとに、国は基金が支給した金額の二分の一を負担する。
 しかし、支給条件に世帯の年収や年齢などの厳しい制限があるために、支援金支給を受けるのは被災者のごく一部であり、支給される額も少額になることが多い。大規模半壊した世帯とは解体を余儀なくされるほどの被害を受けた世帯を指し、実際は全壊と被害はほとんど変わらないが、給付額は全壊世帯の三分の一になってしまう。
 新潟労働局によると、震源地に近い市町村を管轄する三つの労働基準監督署に寄せられた事業者からの相談は先月二十九日までに十九件に上るという。現地では全員解雇を決めた企業も出始めている。労働基準法は、解雇の少なくとも三十日前に従業員に予告することを義務づけているが、天災などやむを得ない場合にはこの限りではないとしている。長年勤務し、解雇された社員は「働きたいが、この状況ではどうしようもない」と半ば、再就職をあきらめているという。
 住む家を失い、職を失い、そこで百万円が支給されたところでその後の生活の再建にどれだけの助けになるだろう。政府は被害の度合いや、年齢、収入、に関わらず、すべての被災者に対して責任を持って生活再建が可能な支援を行うべきである。

目の前で橋桁が折
れトンネルが崩壊

 私の家族や友人たちも、新潟県中越地方で生活を送っている。地震が起きてから数日目にやっとつながった電話口で現地の生々しい被害状況を直接聞き、私は大変なショックを受けた。
 震度7を記録した川口町で地震にあった弟は、足もとのアスファルトがひび割れ、液状化現象で泥水があふれ出して身動きがとれなくなり、目の前で電柱が倒れ、橋桁が折れ、トンネルが崩落する恐怖を味わった。
 孤立した地帯に取り残された人々は、飲める水すらない状況で自衛隊のヘリコプターが救助に来るのを待つだけであった。その後の避難生活でも、被害の大きな地域では避難所自体が余震で倒壊する危険があるということで、被災者は屋外での生活を余儀なくされた。被災者の多くは精神的に深いダメージを負い、夜は眠ることも出来ず、深夜にも連続して起きる余震の度に身を寄せ合って励ましあっていたのだという。
 過酷な避難生活のなかで命を落とす人が何人も出ている。これから新潟は雪の季節になるが、中越地方は新潟のなかでも特に豪雪地帯と言われる地域である。寒さ対策と、住居の確保、交通手段の確保なども緊急の課題だ。これ以上の被害は人災である。小泉は自衛隊派遣や米軍のために国家予算を使っている場合ではない。被災者生活再建支援法の一刻も早い改善を現地の人々とともに訴えていこう。     (A・E)


声明
アキヒト・米長の「園遊会」発言を許すな!
                       反天皇制運動連絡会

 十月二十八日に開かれた秋の「園遊会」において、天皇アキヒトと東京都教育委員・米長邦雄とのあいだで、「日の丸・君が代」をめぐって、次のようなやりとりがあった。
 米長「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させるのが私の仕事であります。頑張っております」
 アキヒト「あれですね、強制になるということでないことが望ましいと思います」
 米長「もちろんそうです。すばらしいお言葉ありがとうございます」
 このやりとりは、醜悪の極みというべきものである。なりふりかまわぬ強権的な態度で「日の丸・君が代」を学校現場に強制し、その押しつけに抵抗する教職員に処分を加える東京都教育委員会。その一員としての米長は、東京という地域では足りずに、日本中の学校に「国旗国歌」を強制しようというのだ。そして、それを受けたアキヒトの発言も、直後に出された宮内庁や文科相の「解説」を待つまでもなく、「強制」という手法に「疑念」を示しているにすぎない。アキヒトの発言内容は、「喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりする」ことが「望ましい」ということに尽きる。あらためて確認するまでもなく、「日の丸・君が代」は天皇制国家日本を象徴する旗であり歌である。それはかつて侵略と戦争のシンボルであっただけでなく、現在に至るまで、国家や右翼勢力によってもたらされる強権と暴力、テロのシンボルとしてたち現れてきたのだ。天皇制の存在こそが、「日の丸・君が代」強制の原動力である。そうしたこととまるで無縁のような顔をして、「日の丸・君が代」の強制を「懸念」してみせる。それはきわめて欺瞞的であり、「内面支配」の完成を要求している点でも、米長とは別個の、悪質な政治的機能を果たす発言である。
 このやりとりを、都教委の強圧的な姿勢を天皇が「たしなめた」という文脈で理解し、アキヒトの発言を賛美する言説が出てきている。とくに、「日の丸・君が代」の強制に心を痛める人たちの中から、このアキヒトの発言を使って都教委批判ができないかとする意見が、ごく一部であれ出てきたことを見過ごすことはできない。「使えるものは使う」という「戦術」であれなんであれ、天皇の「権威」を前提とする発想を、私たちは認めるわけにはいかない。
 そもそも、天皇の政治的関与については憲法上許されていないはずだが、それはつねになし崩しにされてきた。「皇室外交」や国体など天皇行事への出席といった儀礼的な側面の拡大にとどまらず、このかん、きわめて生々しい政治的な発言を、「私的」な顔を見せつつ繰り返し発しているのである。
 アキヒトは一九八九年、「国民とともに日本国憲法を守り」という「護憲宣言」を発して天皇の地位についた。当時、改憲派や右派勢力はこの発言に「ショック」をうけ、それまで天皇制に批判的だった人びとの間で、少なからず好意的な反応が示された。だが、現実はどうか。今年、来日中のチェイニー米副大統領に対して、アキヒトが「自衛隊は人道復興援助のためにイラクに行っている」と語って、小泉の「平和」を掲げた戦争政策を追認し支持してみせたように、「護憲」「平和」というアキヒトの演出は、戦争国家の現実を覆い隠し、改憲へ向かってはずみをつける方向にしか機能していないではないか。言うまでもなく、こうした政治的発言自体が、天皇の政治的権能を拡大していくものにほかならない。
 われわれは、天皇制と「日の丸・君が代」それ自体に反対していく立場から、今回のアキヒト・米長の発言を弾劾する。 
04年11月4日


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