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K・Sさんの投書(本紙前号) に答えて          かけはし2005.5.2号

中国民衆の「愛国主義」と大国派官僚の思惑


反日行動が私たちに提起するもの
日中両政府の妥協的決着を超える労働者民衆の国際主義を

 K・Sさん、投書拝読しました。「中国の反日行動の性格については、もう少し、積極的に評価すべきではないか」とのご意見についてですが、香港の劉宇凡同志からも「この運動に対する規定は慎重さが求められるだろう」という意見をもらっています。その上で、劉同志は「この運動を高く評価することはできないが、民衆の素朴な怒りと、『巨大な後進資本主義国家』としての大国派官僚の思惑を分けて考える必要がある」と主張しています。「早野同志の提起は誤解を与えるかもしれない」ということです。
 K・Sさんをはじめとする読者の方々にあらぬ誤解を与えたかもしれないことについて、以下、私の力点の置き所を説明したいと思います。

五四運動と中国革命


 劉同志の「中国の平和的興隆から考える」論文の全体を貫く思想は、中国は「経済的に見れば帝国主義に従属的な発展を脱しきれないが、中国は他の第三世界諸国にはない強力で集中した国家機構をもっている」という分析に立った上で、そのなかで強国派官僚といわれる集団が資本主義の発展を通じて力を持ってきていること、そして多くの青年や左派インテリまでもが、中国の政治経済体制をさらに発展させることで、帝国主義日本に対抗することができる、というイデオロギーに絡めとられていることを強調したものでした。
 私たちは東アジアにおける第四インターナショナル支持グループとして、この地域における社会主義革命を目指す運動を再構築する責任を負っています。東アジアにおける社会革命にとって決定的に重要な位置に浮上するであろう中国の階級闘争の火花をどこから、どのように作り出すのかということについて真剣に議論を重ねなければならないと考えています。
 K・Sさんは「中国のプロレタリアートのたたかいは、帝国主義に対する愛国的要素を包摂しながら、次第に現在の『官僚とブルジョアジーの政府』に対するたたかいへと不可避に発展するのではないでしょうか?」とも述べられています。私もそうなってほしい、という願望がないわけではありません。
 また中核派はその機関紙のなかで「『五・四運動』がそうであったように、今日の抗日闘争の爆発は同時に、帝国主義から資本と技術を導入しつつ労働者人民に貧困や抑圧を強制する中国の残存スターリン主義体制への闘いにも発展していくことは不可避である。」(『前進』二一九五号)と主張しています。
 歴史をふりかえると中国における最初の、そしてその後の中国における社会革命にとって大きな意義を残した革命的愛国主義運動である一九一九年の五四運動は、まさに「抵制日貨」(日本製品ボイコット)という反日運動でした。そしてレーニンをはじめとする第三インターナショナルの先達たちは、この愛国主義、民族主義に徹底して連帯を表明することで、ロシア革命の熱気を植民地諸国に拡大させようとしました。
 それをアナロジーさせ「反日デモ断固支持」と主張することは、反動的言説が社会全体を覆い尽くそうとしている日本においては、ある意味で革命的左翼の任務なのかもしれません。
 しかし私はいくつかの保留をつけなければならないだろうと思っています。それこそが東アジアにおける誠実な左翼に課せられた最初の課題だと思います。
 いうまでもなく、一九一九年の五四運動の時代は、ロシア革命の息吹が熱気を持って世界に拡大していた時期であり、反植民地闘争が大きく盛り上がりつつあった時代でもありました。そしてその主役であるプロレタリアートの階級闘争も植民地諸国に拡大していった時代でした。
 ソ連邦と植民地諸国の民族解放闘争の結びつきこそが帝国主義を打倒する近道であり、そのために帝国主義諸国の労働者政党が断固たる決意で反植民地闘争に連帯することが求められたのです。

愛国は反政府へ向かうか

 あの時代の民族解放闘争を担った活動家の最良の部分や労働運動全体が、社会主義へと進んだのは時代的な必然があったのです。しかしいまはどうでしょうか。
 スターリニズムの犯罪や階級的裏切りは、多くの青年や労働者の希望を打ち砕いてきました。「社会主義」の理念は徹底して歪曲され、堕落させられました。それは時代遅れで非民主的なものというレッテルが社会的に貼られています。そして東欧・ソ連邦の崩壊、天安門事件によってそれは一層説得力のあるものになりました。
 労働運動だけでなく左翼運動においても社会主義の旗を降ろすことが進歩的であると考えられるようになっています。その一方で、拡大する新自由主義的グローバリゼーションのなかで、支配層自身が自らの権益を守るために、そしてその目的のために政治的、経済的、そして軍事的に民衆を動員するために愛国主義や民族主義を通じた統合を進めてきました。九・一一以降それが急速に拡大しましたが、このことはそれ以前からはじまっていたことでした。
 中国においては体制の危機であった天安門事件をくぐりぬけ、九二年の小平による「南巡講話」とよばれる全面的な経済的開放の大号令によって本格的に資本主義を受け入れる一方、それによって解体される社会主義というこれまで中国民衆を束ねてきたものにかわる新たなイデオロギーを同じく愛国主義に求めたのでした。
 一方で、天安門事件における民衆への弾圧と、その後の資本主義の全面展開によってゆらぐ中国共産党の支配の正統性は、民族の危機であった日本帝国主義の侵略を跳ね返し、腐敗した蒋介石軍事政権を打倒し、中華民族を救ったのは他でもない中国共産党である、というロジックによって再定義されました。
 中国共産党なくして今の中国はない、共産党を愛することは国を愛することだ、というイデオロギーはこの十年で完全に定着したといえるでしょう。資本主義と愛国主義、これこそがスターリン主義と一国社会主義理論の帰結といえるでしょう。
 ここからも分かるように、中国における愛国主義や民族主義は、五四運動の頃とはその階級的基盤を大いに異にしています。当時の愛国主義は非常に進歩的でした。政権打倒を掲げていたからです。しかしいま中国で台頭しつつある愛国主義は、きわめて支配者にとって有利なイデオロギーであるといえるでしょう。
 もちろんその扱いを間違えると非常に危険なものになるといえますが、それは愛国主義自体が持つ危険性(われわれにとっての進歩性)ではなく、「資本主義の新中国」の発展の中で避けることのできなかった多国籍資本への依存と社会的分裂という、客観的な情勢から生み出されるものです。
 反日デモに参加した中国民衆の「愛国主義」が政府によって弾圧されることになれば、愛国主義は反政府運動へと向かう可能性もなくはないかもしれません。しかしその運動が進歩的な運動に発展するという希望的観測は一九一九年とは比べ物にならないほど可能性の低いものとならざるを得ないでしょう。

日中首脳会談の意味

 さて、劉同志のいう「民衆の素朴な怒り」も「大国派官僚の思惑」も、それをはるかに凌駕する両国支配層の共通した利害的妥協が急速にはじまっています。
 四月十七日に上海で発生した大規模な反日デモでは、上海領事館への投石や日本料理店への襲撃が発生し、それに対する「謝罪と補償」コールが日本中を覆い尽くしました。その一方で、現地に進出している日本企業をはじめとする経済的領域では、この反日デモが今後も発展することへの懸念も拡大しました。しかしすでに中国に対する莫大な投資を一斉に引き上げることは不可能です。また中国当局もそれを望んではいないことから、両国政府の面子をたもちつつ関係回復へと舵を切りました。
 四月十九日には、中国共産党中央宣伝部、政府機関、人民解放軍などが、北京の人民大会堂大ホールにそれぞれの幹部三千五百人を集め、日中関係に関する緊急報告会を共催し、この報告会で李肇星外相が対日関係の重要性を説明し「無許可のデモなどの活動に参加せず、社会の安定に影響を与えない」ように呼びかけています。そしてこの報告会の模様は、繰り返し中国のテレビで放映されました。
 二十日には、公安部が次のような談話を発表して、デモを厳しく取り締まることを全人民に呼びかけました。「多数の民衆や学生は理性的だが、きわめて少数の者が公共物や私有物を破壊し、社会秩序を乱すなどの違法行為を行い、中国のイメージを損なった。これは法律では許されないことだ。 ……目的や方法、スローガン、開始・終了時間、場所、ルートを公安部門が許可しない場合、または公衆の安全を脅かし、社会秩序を著しく損なう場合は、はいずれも違法行為に当たる。……民衆と学生が法律に従って物事を進め、未認可のデモに参加せず、デモを扇動するような情報をインターネットやショートメッセージで広めないよう望む。機に乗じて破壊行動などの違法行為を行う者を、公安部門は法により断固として調査、処罰する」。これは、インターネットを含むあらゆる空間での反日デモ関連の情報を統制する、という強い意志表示です。
 二十三日、インドネシアのジャカルタで行われたアジア・アフリカ会議に参加した小泉首相と胡錦濤国家主席の首脳会談実現もこの流れの上で用意されたものでした。また、両国の経済的利害が衝突していた「東シナ海」(中国では「東海」)の天然ガス開発問題においても、対象海域を東シナ海全体とする中国側の提案する共同開発の協議に応じる方針を固めました。
 すでに、撤退や関係遮断が不可能なまでに深く中国経済に進出した日本資本の思惑が、それまで対中強硬路線をとってきた小泉首相をして「敵対関係をあおるよりも、友好関係を発展させることが両国にとっていかに重要かを話し合えば意味がある」(四月二十一日)と言わせました。
 今後、当面の日中関係はこれが基調になるでしょうが、それが日本の反動右翼政治家の反中国的言動を一層強めることにもなるでしょう。

日本共産党の中国経済論


 もうひとつ、中国問題に取り組むにあたっての力点の置き所は、中国における社会革命の主体の問題という点です。簡単に言えば、革命の主体としての労働者階級の成長にとって民族主義や愛国主義はプラスの作用をもたらさないだろう、ということです。
 それは資本主義がもたらした愛国主義が支配的イデオロギーとして重視されている中国において、(イデオロギー)闘争の対象となることはあっても、社会革命を担う労働者階級の主体的形成に何らかのプラスの影響を及ぼすことはないだろう、と考えるからです。
 日系企業などで過酷な搾取を受ける労働者階級は、なによりもそれら多国籍資本を導入したのが他でもない中国共産党であり、労働者階級は民族企業における搾取が多国籍企業のそれと変わらないどころか、市場原理の押し付ける競争の中で一層過酷な搾取を行わざるを得ない、ということに気が付くだろうし、またすでに気が付いています。
 労働者階級は階級的利害を実現するために共産党や民族主義から徹底的に自立した闘いをつらぬかなければならないのです。そのような状況において、台頭する民族主義や愛国主義は(イデオロギー)闘争の対象としてとらえなければならないと考えています。
 今の中国を正しく評価することは非常に困難でありますが、日本共産党のように中国政府の新自由主義的政策を賛美するというような、中国労働者階級の闘いにとって妨害にしかならないような主張をすることは避けるべきだと思います。日本共産党のこの誤りは、小泉政権の反動的な中国批判に次ぐ犯罪であり、中国労働者階級に対する裏切りといえます。
 昨年発行された『経済』十一月号の特集「中国経済と日本経済」に掲載された巻頭論文「中国経済の発展と現段階をどうみるか」という大木一訓・日本福祉大学教授による中国賛美(実は不破路線賛美論文なのですが)論文は、この党が直面している理論的な荒廃と現実への屈服を如実に表したものです。この論文をはじめとする中国経済賛美の主張に対する批判を現在準備中ですので、詳細はそちらに譲りますが、一言で言えば「今日の時代状況のなかでは、多国籍企業に対する適切な社会的規制と誘導を通じて、かつてない規模と迅速さで社会主義市場経済を構築していく可能性があることを、中国経済は示唆している」(同誌五十頁)というとんでもない論文です。

新しい階級的主体形成

 話がずれてしまいました。以上が私が中国問題に取り組むスタンスです。これは香港の同志などとの討論の中で構築されたものですが、それは香港や日本の同志たち全体の共通認識ではないこともまた事実です。それは意見が分裂しているということではなく、この問題についての議論がまだまだ少なすぎるということです。
 では肝心の中国労働者階級の主体形成の闘いをどう考えればよいのでしょうか。最後に四月二十一日付で「かけはし」編集部に送った私の意見を紹介します。もちろん以下のような考えも絶対的なものではなく、さまざまな討論を通じて、また実際の中国労働者階級の闘いの進展によって変化するものだと思っています。

「かけはし」編集部へ

 いまの中国の階級闘争が、極めて困難な状況からしか出発できない、という考えを持っています。今回の反日デモでは、労働者の独自のデモは事前に規制され、中止に追い込まれています。今日の東京新聞では、反日デモに参加して違法行為をした参加者にたいして、学生は取り調べだけで帰しているが、労働者には厳しい処置をしている、という報道がされています。これは天安門事件の時とおなじです。
 世界的な階級闘争の後退のなかで、全面的に進められた新自由主義政策によって中国の労働者階級は、困難な状況に追いやられました。争議件数はうなぎ上りですが、それは階級闘争の盛り上がり、と素直に喜べるものではありません。また強大な暴力装置の存在が、階級闘争の持続を困難なものにさせています。今回の反日騒動のなかで、確認された労働者の闘いは、わずか一件のみ、しかもすぐに弾圧されました。
 ……とはいえ、徹底的に階級闘争が弾圧・殲滅させられたわけではなく、経済発展の中で一定程度、労働者の権利を保障しなければならないという流れがあり、また各地では(おもに国有企業ですが)経済要求をかちとってきていることも事実です。一般的な資本主義国であればこのような個別の戦いの勝利は、その後の大きな勝利につながっていくと考えてもよいのですが、中国はそのような小さな勝利をはるかに凌駕するかたちで新自由主義が勝利しています。
 九〇年代に入り資本主義へ向けて巨大な舵を切ったことによる労働者階級の社会的・経済的地位の低下が、階級闘争を圧倒的に困難にさせています。また出稼ぎ労働者の労働条件は、20年前の中国では考えられないほど低いものであり、そのような水準から闘いをスターとさせなければならない(しかも団結権はない)という状況です。厳しければ厳しいほど闘争は激化する、という評価もあるかもしれませんが、物事はそう単純ではないでしょう。
 共産党の愛国主義は一国社会主義の成れの果てであり、また大国化へ向けた資本主義中国の新たなイデオロギーだと思います。中国共産党は、反日デモ鎮静化の動きの中で、党機構を使い、また「中国も日本もともに世界で勝者になる」ために連携すべきだ、という旨の主張をしています。たたかいの機軸はここにあると思います。反資本主義、反グローバリゼーションです。

 この通信を送った直後、中国・深 の日系企業、ユニデン深 工場の労働者一万六千人が労組結成と待遇改善を求めてストライキに突入した、という情報が飛び込んできました。状況全般は非常に困難であり「反日デモから労働運動に火の手が広がった」と単純に評価することはできません。しかし、すくなくとも、ユニデン労働者の闘いと同じく無数の労働者達が自らの権利を求め待遇改善を要求する闘いを持続(ユニデンの場合は、昨年末に一度ストライキに突入している)しており、これらの抵抗運動が大衆性(一万六千人!)を持ち、政治的動向に敏感に反応していること、そして経済闘争だけでなく労組結成の闘いまで果敢に取り組んでいることは、その闘いの多くが厳しい局面にあるなかで、小さいながらも希望を持つことのできる兆候だと思います。
 あらゆるチャンスを通じて中国労働者階級の闘いにつながることが日本の階級闘争に求められています。ともに国際主義の鎌とハンマーで階級闘争における万里の長城を叩き続けましょう。
(05年4月23日 早野 一)



福島康真さん(在ケープタウン) に聞く――(上)

アパルトヘイト体制崩壊から11年―南アフリカの現在

 南アフリカのケープタウン在住で、現地の社会運動とも関わりを持っている福島康真さんが今年の三月に五年ぶりに一時帰国した。本紙編集委員会は、ネルソン・マンデラが大統領となってアパルトヘイト体制が終焉してから十一年後の南アフリカの政治・経済情勢について福島さんから話を聞いた。ANC(アフリカ民族会議)政権の南アフリカは「アフリカの大国」として地域への政治的・経済的影響力を強める一方で、その新自由主義路線によって国内では貧富の差が拡大し、労働者・民衆の不満が拡大している。

継続する経済的アパルトヘイト


 南アフリカでは一九九四年に、今まで選挙権がなかった人にも選挙権が与えられて初めての総選挙が行われ、ネルソン・マンデラが大統領に選ばれてアパルトヘイトという政治制度は終わりました。去年は民主化十年でいろんなことが行われました。しかし一言で現状を言えば、「政治的アパルトヘイトは終わったが、経済的アパルトヘイトは続いている」ということが一般的に語られています。政治的アパルトヘイトとは、肌の色によって差別的政策を取ることですが、経済的アパルトヘイトとは貧富の差であり、経済的格差が依然として残っているだけではなくどんどん拡大しているということです。
 そういう意味で、不満はいろんなところで高まっているのだけれども「アパルトヘイトが終わってまだ十年。白人支配は三百五十年続いてきた。十年で変わるわけがない、もっと時間がかかる」とよく言われます。それは半面事実だと思いますが、どういう文脈で使うのかによって意味が違ってきます。もちろん今の南アフリカ政府は、頑張っているんだけれど経済的格差があり不満がある、と言っています。
 しかし問題は、この不満に対して政府がどういう対応をしているかということです。

選挙でのANC圧
勝が意味するもの

 十一年前の一九九四年に選挙が行われて以後、その時をふくめてこれまで三回の総選挙が行われました。南アフリカでは五年に一回、選挙が行われます。一回目が一九九四年、二回目が一九九九年、三回目が去年、二〇〇四年でした。一回目の総選挙では、アパルトヘイトに反対してきたANC(アフリカ民族会議)が六三%で、憲法改正に必要な三分の二にちょっと足りない数でした。一九九九年の二回目の選挙では、ちょうど三分の二の六六・六六%でした。そこに弱小政党がANCと協力することになって取り敢えず三分の二を超えました。そしてついに去年行われた三回目の選挙ではANC単独で七〇%を超えたのです。
 これはちょっと予想外だったのてすが、その裏には政治離れが起きていて若者たちは選挙登録をしなかったり(南アでは登録しないと選挙に行けない)、選挙に行かないということがあったと思います。しかしいずれにせよ、ANCは議席の七〇%を占めた。一方で不満が高まっているにもかかわらず議席が増えた。投票した人たちの多くは不満を持っている人です。たとえば黒人居住区にいまだに住んでいて貧しい生活をしている人たちです。
 ANCが七〇%をとった議会が去年成立した後、また一つ大きな出来事がありました。アパルトヘイト政権の政権党の後継者であるNNP(新国民党)が、議席数をどんどん減らして、一時は都市部中心の白人ブルジョア政党のDP(民主党)と合流してDA(民主同盟)を作っていたのですが、DAに参加せずにNNPとして残った人々は昨年の選挙の後で、自分たちはANCに参加すると宣言したんです。
 伝統的にNNPの強いケープタウンのある西ケープ州では、以前からANCとNNPの連立政府が成立していたのですが、それが全国レベルに広がったわけです。とはいっても、NNPは西ケープ州以外ではほとんど影響力はないのですが。まず最初に指導部がANCに参加を宣言しました。南アでは、議員が政党を替わると議席を失うので次の選挙までは政党名は残るのですが。しかしたとえ七議席のNNPであったにせよ、彼らが合流することでANCは国会内で圧倒的議席を持つことになります。第一野党のDAは、五十議席です。

GEARの下で
拡大する貧富の差

 今のANC政権は選挙の得票数で見ると、圧倒的支持を受けているけれども、ものすごい不満があって貧富の差はどんどん拡大しています。それはどうしてなのかという分析が、今の南アフリカの状況を明らかにすることになるでしょう。
 たとえば不満、貧困の問題について数字で見ると、南アフリカの人口は二〇〇一年の国勢調査で四四八〇万人ですが、全人口のうち四八%、すなわち約半分が一日二ドルの貧困ライン以下の生活を送っています。失業率は政府統計で約三〇%、実質的には四〇%を超えているでしょう。地方や黒人居住区、カラード人居住区に行くと失業率はもっと高くなり、五〇%から六〇%に達します。そういう状況があるのに、その中で住んでいる人たちがANCに投票しているのです。
 それでは南ア・ANC政権の経済政策はどういうものかといえば、新自由主義的なマクロ経済政策です。現大統領のムベキが副大統領だった一九九六年当時から採用している政策はGEAR(Growth, Employment And Redistribution 成長・雇用・再分配)と呼ばれています。それによって民営化が進行するとともに、債務の問題があります。南アはIMF・世界銀行の債務はそれほどでもないのですが、アパルトヘイト時代の債務が国内・対外債務とも残っています。あと一九九三年にIMFから融資を受けて、それを一九九七年から五年かけて償還したのですが、返済の一年前からGEARが始まったわけですね。
 これは南アでは自主的構造調整政策と言われています。その中で高金利が続き、輸出主導型の経済政策や中産階級の育成に力を入れることになりました。その結果、公共企業体労働者のリストラが進みました。
 その政策に対する審判は一九九九年と二〇〇四年の総選挙で下されることになったのですが、先程述べたように九九年には三分の二、二〇〇四年には七〇%の支持を獲得しました。じゃあ、なんでみんなANCに投票しているのかということになるわけですが、ANCに替わる新しい政治勢力がいまだ明確に登場していないことが一番大きいんじゃないかと思います。
 たとえば二〇〇四年の選挙に向かう過程で二〇〇二年十二月にANCの大会があったのですが、大統領でANC議長のムベキは、移行期で頑張っているANCの足を引っ張ろうとしているとして「極左派」叩きを行いました。「極左派」とは、ANC左派で民営化に反対しているCOSATU(南ア労働組合会議)左派や、またANC内部勢力ではないのですがそれなりに拡大している反グローバリゼーション運動を展開している反民営化フォーラムなどを指しています。そういう形でANCを引き締めようとしたわけです。
 南アフリカでは、ANCとCOSATUと南ア共産党が「政治的三者同盟」を結んでいるのですが、その中でCOSATU左派が分裂しないように叩き、マクロ経済政策をとることでウイングを右に伸ばしてANCをまとめようとしたわけですね。そこで左派が決断できず、独立的政治勢力になれなかったことがANCの七〇%という得票率をもたらしたのではないかと思います。
 さっき述べたようにその結果、ずっと右の勢力だった新国民党が、選挙後に自分たちのやっていることはANCと同じだとしてANCに合流するような事態が作りだされたわけです。 (つづく)


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