| 辺野古住民の闘いを支援しよう
かけはし2006.1.23号 |
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「負担軽減」の看板で沖縄にこれ以上基地を押しつけるな |
辺野古基地建設計画は60年代から米国の構想
【大阪】沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会主催の学習会が十二月十七日、エルおおさかで開かれた。代表の太田隆徳弁護士が挨拶をし、真喜志好一さん(SACO合意を究明する県民会議代表・建築家)が講演した。
意見広告・県民
大会・県民投票
SACO(日米特別行動委員会)は、一九九五年の米兵による沖縄少女暴行事件を糾弾する県民大会の直後、九五年十一月末に発足した。そしてその翌年四月に中間報告、十二月最終報告がでた。一部訓練施設の本土移転や牧港補給基地・那覇軍港・普天間基地の返還などが約束された。いかにも沖縄の負担軽減のためのように言っているが、実は六〇年代にすでに計画されていた内容である。基地移設は、実は新基地建設のことだ。象の檻など古い施設は更新し、長期計画によって基地を建設、さらにオスプレイなどの訓練場を建設するということだ。
新基地建設というと県民の反対にあうから、基地返還の代替施設という位置づけで発表する。辺野古基地建設はそのようにして発表されたが、米軍による六五年の新空港建設地調査によって候補地にあげられ二カ所の一つに辺野古があがっていた。牧港補給基地・那覇軍港の返還の代替施設といわれている浦添の新軍港建設案なども、七〇年の沖縄復帰特別対策室文書にはっきり書かれている。
辺野古沖の基地建設に対しては、〇三年九月米国でジュゴン訴訟が提起された。米国は、辺野古基地建設は日米地位協定に従い日本政府が行うもので、米国政府に責任はないと言っているが、それは違う。米国は長期計画に基づいて三十五年前と同じ内容のことを今行おうとしているだけだ。米国の国家歴史遺産保護法によれば、米国は海外のいかなる文化遺産も米軍は犯してはならないとなっている。
辺野古沿岸案について日本のマスコミは、日本政府のキャンプシュワブ内の陸上案と米国の海上案が対立し沿岸案でまとまったように報道している。しかし陸上案の地域は高低差が五十メートルもあるところで、はじめから問題にならなかった。
滑走路ははじめ千五百メートルだったが、土壇場で千八百メートルになった。それは、滑走路の延長三百メートルの所にCALA(戦闘機装弾場)をつくるためだとみていい。CALAも米国にとってははじめから計画に入っていたものだ。
さらに、滑走路のCALAと反対側が大浦湾に大きく出ている。これは軍港建設のためだ。実はこの軍港建設も六五年頃にすでに計画されていたものであり、SACO合意後の米国防総省報告によると、大浦湾あたりに辺野古基地建設のための作業ヤードを建設し、基地建設後は海上自衛隊の軍港にするとなっている。
オスプレイを米軍は三百六十機購入し、そのうちの三十六機を沖縄に配備すると言っている。オスプレイは、翼が折りたためる大型ヘリで、よく墜落するが、海外で配備されるのは沖縄だけだ。この辺野古崎には二〇〇〇年前の遺物が散在している地域でもある。
反対運動の側は一月十五日沖縄の二大新聞に、県民投票・県民大会のための意見広告を出す準備をしている。プエルトリコのビエケスでは〇一年、住民投票を前にした市民投票で七五%の住民が基地の即時撤去に賛成した。そのため米国は住民投票を延期させたが、米軍の演習は停止している。
講演はプレゼンテーションを使って行われ、非常にわかりやすかった。終了後質疑応答が行われた。@沿岸案なら非暴力直接行動は困難になるのではないかA一月の名護市長選について何かできることはないかB米軍再編は全自治体首長が反対している。それでも政府はごり押しするのだろうかC沖縄県民の自衛隊に対する考え、などについて質問がでて、それについての応答があった。
この後、白保に空港をつくらせない大阪の会、しないさせない戦争協力関西ネットからアピールがあった。二月下旬から三月上旬にかけて滋賀県饗庭野で日米合同演習が予定されていて、兵庫県伊丹に司令部がある第三師団と米軍沖縄海兵隊が参加すること、饗庭(あいば)野にはすでに都市型ゲリラ訓練施設が建設されていることが報告された。(T・T)
辺野古実集会・安次富浩さんが報告
海上基地建設案を打ちくだいた住民のパワー
十二月十八日、東京の文京シビックセンターで「辺野古沖ボーリング調査を阻止したぞ!米軍再編・辺野古岬案も許さないぞ!12・18集会」が開催された。主催は辺野古への海上新基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会(辺野古実)で百二十人が参加した。
海上阻止行動のビデオを上映した後、辺野古実の和田さんが主催者あいさつを行った。和田さんは、辺野古実は〇四年六月から辺野古現地の行動と連帯して毎週月曜日に防衛庁前での抗議・申し入れ行動を続けるとともに、現地の海上阻止行動へのカンパにも取り組みつづけ、一年半の闘いによって海上建設案阻止をともに勝ち取ったと述べ、米軍再編と自民党新憲法草案の不可分な関係を見据え、沖縄での米軍基地の再編・強化と横田、座間、岩国など「本土」の闘いを緊密に結合して闘おうと訴えた。
現地からはヘリ基地反対協・共同代表の安次富浩さんが報告した。
安次富さんは、「アメリカは自国でできないことを沖縄でやろうとしてきたが、われわれは悪知恵を働かすことができる連中に勝てた。国策が住民運動に敗れた。それは環境と平和の問題を結びつけた住民の側に大義があったからだ」と切り出した。そして「この勝利に対する敵の側からの挑戦状が辺野古岬案だ。小泉首相は、沖縄の米軍基地は『平和の対価』だとして受け入れを迫っている。この発言は差別意識の表現そのものだ。米軍再編は沖縄だけの問題ではない。座間で反対運動に立ち上がっている人びとなどとも相談し、闘いを全国化する必要がある」と語った。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの吉田さんは、外務省との交渉の中で「日米協議では普天間基地代替施設の県外移設という沖縄側の要求については念頭にあったが、アメリカへの要求としては出していない」ことが明らかにされたことを報告し、口先では「沖縄の基地負担軽減」と語りながら、沖縄側の要求を一顧だにしない日本政府を厳しく批判した。 (K) 投書
小田急高架線訴訟逆転勝利
最高裁で原告適格勝ち取る
結城 守保(元小田急電鉄社員)
十二月七日、小田急高架線訴訟の最高裁大法廷判決がありました。原告四十人中三十七人を認めほぼ百%の勝利でした。
斉藤驍弁護士は「公共事業で住民が争えることができる、画期的な判決である」と言った。またダム、道路、静岡空港など多くの環境裁判にも影響を与えるだろうと言った。
小田急高架線訴訟は小田急線喜多見〜梅ケ丘約六・四キロを複々線にして高架化する事業を、国が一九九四年に認可。騒音などを理由に取消訴訟を住民が起こした。一審東京地裁は認可違法を二〇〇一年に出した。二審東京高裁は側道事業の地権者は原告適格がないとした。
住民側逆転敗訴の不当判決だった。一、二審とも、地権者以外の周辺住民には一切原告適格性を認めなかった。
そして今回最高裁大法廷判決は、地権者以外にも訴えの資格を認めた前進の判決であった。
よろこびの声を
あげる原告たち
「せめて原告適格を認めてほしい。行政を監視する裁判になった」と言うのは山田キヌさんである(毎日新聞、12月8日)。「高架用地にまたがる形で自宅兼賃貸用マンションを所有していたが、収用すると迫られ、一審の審理中にやむなく用地内の部分を取り壊し、その土地も手放した。転居先は線路南側の高架線沿い。ドアを開けると目の前に高架がある。しかし一、二審の結論は原告適格なし」だった(同紙より)。
私が山田さんにお会いしたのは九〇年代の初頭だった。家の中に入れと言うので中に入って驚いた。昼間なのに真っ暗だった。電気を付けてもらい、テレビも音量を最大にしなければ聞こえない。電話もダメ。窓からゴミが入ってくるのでたえず掃除しなければならない。自宅は二階、すぐ横を電車が通るのです。朝五時から翌朝一時まで休む間もありません。
また東京新聞(12月8日)には原告小林千香子さんの発言が載っています。「十五年間にわたって反対運動を続けてきましたが、胸に去来するのは運動にかかわり、亡くなられた人たちのこと。がんばれと言い残して亡くなった。彼らに報告したい」と。
ここで私は『住民運動三〇年の記録』の故筧勇一さんを紹介したい。筧さんは下北駅逆一踏切前に住んでいたお菓子屋さんの社長です。本書は九九年発行です。序文を引用します。
「私は歳九〇歳になりました。小田急地下化運動(全線)も成城地区と下北沢地区を地下化し、残る祖師ケ谷大蔵〜梅ケ丘間は高架(最初の予定通り)、但し、成城と下北沢は平面複々線の計画だった。われわれの地下化運動の主旨、理念は沿線の生活環境をより良くするために地下化が望ましい、と言うことである。
しかし小田急の企業打算により、現在高架工事が進捗しています。……地下著名十何万名、会合すること何百回、全線チラシ配布、駅前街頭宣伝等々三〇年の歳月は長くもあり、短くも感じ、感無量であります。この間、志を同じくして頑張ってこられた方々に感謝します」。
筧さんはこの勝利を見ないで亡くなった。
住民たちの要求は
あくまで地下化
斉藤弁護士らはあくまでも地下化要求です。現在は下北沢駅の工事に入っています。弁護団が言う@高架が安いのはウソAこの事業は不透明である、と言う主張には利があると私も思います。勝利するまで闘おう。
(12月16日)
コラム
右島一朗が残したつながり
一昨年亡くなった右島編集長が私に大事なつながりを残してくれた。そのひとつが『労働情報』である。右島君はカメラを下げ取材を行い、そんな中で他の新聞や雑誌の編集者仲間の付き合いも多かった。私はもっぱら機関紙の制作の方で、他の編集者と仲良くなることはなかった。
ところが、右島君が亡くなって残された新時代社メンバーはだれもが取材記者となった。そんな中で、『労働情報』の浅井真由美さんには、なにかと貴重な助言をもらえるようになった。私はそれまで『労働情報』も事務所に交換できているものをたまには目を通すことはあってもキチンと読んでいなかった。
昨年四月、JR尼崎事故が起こると浅井さんたちはただちに特別体制を組み、尼崎に人を派遣して、通常号の他に『労働情報』特別号を出した。国鉄民営分割後の最大の犠牲者を出した事故がなぜ起こったのかを鋭く問うた。民営分割に反対し解雇された国鉄闘争を闘う労働者に、闘いの確信と勇気を与えた。
昨年十月の右島一朗著作集出版会を期に、千葉の仲間とともに私は『労働情報』の有料読者となった。それ以後毎回、ほんどの記事を読むことにしている。なかでも、新年号の「ルポ『実習生』―岐阜の縫製工場で組合結成―業界全体で横行する人権無視の労働条件」には驚かされた。現代の奴隷工場がいま目の前にあるではないか。
途上国に先端技術を伝えるという国の『外国人研修・技能制度』によって働く中国人女性実習生の「奴隷的」状態を暴露するものだった。
「一カ月の基本給は五万五千円。そのうち四万円は強制的に貯金させられ、基本給は一万五千円である。加えて、残業手当は時間給にして三百円。連日十二時間労働は当たり前、週末の休みも満足に与えられず、年間休日はわずか十五日間のみだった」。
「しかも、パスポートも貯金通帳も取り上げられているため、逃げ出すこともできない。……さらに、問題なのはこれが特定の企業だけに限定されたものではなく、岐阜県の縫製業界全体で横行している事実である」(『労働情報』06年1月1・15号)。
中国人実習生からの訴えによって、全統一労組が縫製工場に乗り込み、組合結成の通告と未払い残業代の支給と労働条件の改善を求めた。企業主は労基法のイロハも知らず、労働者の権利など知らぬふり。まともな労働条件で雇ったら、会社はつぶれるとうそぶく。そんな行動をルポルタージュしたものだ。
私も参加している江東自主夜間中学の自主講座にも、最近中国やインドなどから「派遣・研修生」のような形で日本にやってきた労働者が日本語を勉強したいと訪れる。きっとこうした労働者の中にも、岐阜県で起こっているような例もあるかもしれない。
『労働情報』(350円)は月二回発行の雑誌であり、ルポルタージュやさまざな労働現場で闘っている人々へのインタビューなどで問題を深く掘り下げている。「かけはし」にはできない取材をきちんと行っている。ぜひとも購読をお願いしたい。FAX03―3837―2544 (滝)
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