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 フランス                       かけはし2009.3.23号

LCRが解散 反資本主義新党(NPA)を結成



解題

LCRからNPA結成まで
伝統的左翼の流れとは違う新自由主義と対決する潮流


機関紙「ルージュ」
も今号で終止符

 二〇〇九年二月初旬、LCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル・フランス支部)は、全国大会を開き、LCRを発展解消し、NPA(反資本主義新党)に結集するとの決議を採択した。その翌日から開催されたNPAの結成大会は、大衆的な革命党を目指してNPAの結成を確認した。ここに、LCRは、一九六八年五月以降の四十年以上にわたるその歴史に終止符を打った。本号では、『ルージュ』紙最終号(LCRのこの全国紙もLCRとともに、その歴史的使命を終えることになった)にもとづいて、このLCRの最後の大会とNPA結成大会について報告する。
 今後、LCRの三千二百人の党員は、すでに九千人以上の党員が結集しつつあるNPAに合流して闘うことになった。社会党と共産党の伝統的左翼の左に位置する全国的で大衆的な反資本主義的政治潮流の結成のための新たな段階が、ここに始まった。
 新党NPAは、単なるLCRの同心円的拡大ではない。それは、ベルリンの壁の崩壊、新自由主義的グローバリゼーションの全面的展開、9・11、地球規模の環境危機、金融危機の端を発した資本主義世界体制の根本的危機、という新しい時代、新しい局面の中で、従来の歴史的な政治的分化を超えた新しい大衆的な反資本主義政党の結成を目指すものである。
 にもかかわらず、この新党を準備する上で、LCRが決定的な役割を果たしたということもまた否定し得ない事実であり、LCRの同志たちがこの新党の中で今後もきわめて重要な役割を果たし続けることも明らかである。LCRは、一九六八年五月以降、伝統的な左翼である社会党と共産党の左に位置する潮流の全国的主流派として、政府による二度の組織解散の弾圧にも屈せず一貫して闘い抜いてきた。六八年五月をJCR(革命的共産主義青年同盟)として闘ったひとつの世代の活動家「チーム」が、LCRの中枢を担い、それ以降も一貫して闘い抜き、一九七五年から一九九五年の最も困難なトンネルの時期を潜り抜け、困難の中でも日本新左翼の内ゲバ主義に代表されるようなセクト主義にけっして陥ることなく、右翼=資本主義政党に抗して全国的大衆運動の利害を防衛し、労働者運動の統一を目指し、社会党と共産党の左に位置する大衆的な全国左派潮流の形成のために首尾一貫して闘い続けてきた。その闘いのひとつの歴史的結晶がNPAなのである。

1995年に
社会運動の転機

 長い困難なトンネルの時期を経て、一九九五年にフランスの社会運動に転機が訪れた。この年、新自由主義の攻勢に何らなすすべもなく後退し続ける伝統的な政党と労働組合に代わって、人々は自らの新しい社会運動組織を形成し、社会の連帯を自らの手で再組織し始めたのである。労働組合運動におけるSUD系組合の誕生をはじめとして、失業者の運動(AC!)、ホームレスの運動(DAL)、フランス農民連盟などのさまざまな社会運動の結成とその急速な発展が始まった。
 社会運動の「再生」をはっきりと示したものこそ一九九五年の公共部門のストライキ闘争であった。最初の本格的な新自由主義的改革の導入を目論んだジュペ計画は、労働者と社会の運動の連帯の力によって挫折させられた。ここに人びとは、新自由主義がけっして永遠の真理で抵抗しえないものなどではなく、社会の連帯による闘いによって打ち破ることが可能であると初めて実感するに至ったのである。
 この闘いで明らかになったもうひとつの重要な事実は、新自由主義路線に屈服する社会党やCFDT(フランス第二位のナショナルセンター・社会党系)の指導部が闘いに反対したにもかかわらず、闘いが打ち抜かれ勝利したということである。言い換えれば、ここからすでに社会運動レベルでは、新自由主義に反対する急進的な流れが、社会党やCFDTの伝統的流れを圧倒するという新たな力関係が成立ししたのである。

大統領選で共産
党の2倍も獲得

 しかし、社会運動=大衆運動のレベルでのこの新しい力関係は、政治レベルでの革命派潮流と社会党、共産党の伝統的左翼の流れとの間の力関係とはイコールではない。前者と後者の間には巨大な壁が存在する。それ以降、この政治的壁を突破する困難な闘いが始まった。
 この闘いの中で、大きな結節点をなすのが、二〇〇五年の欧州憲法条約の国民投票をめぐるキャンペーンであった。新自由主義の精神に貫かれたこの憲法条約に、社会党や緑の党の指導部の多数派も賛成していたので、当初はこの国民投票ではすんなりと賛成派が圧勝するとみなされていた。ところが、新自由主義に反対する左派勢力のキャンペーンが次第に人びとの支持を獲得し、最後には社会党や緑の党の支持者の過半数も反対に回り、この憲法条約は否決されたのである。社会運動レベルでの力関係が、この時点からついに政治レベルにも徐々に浸透し始めたのである。
 国民投票のキャンペーンに参加した人々は、国民投票の勝利を受けて、社会党の左に位置する統一大統領候補を二〇〇七年に擁立する全国運動を形成した。統一候補擁立のこの試みは、最終段階での共産党の脱落とセクト主義によって挫折したが、実際の大統領選挙戦では、社会党指導部から政治的に独立した全国政治潮流を形成するという闘いを引き継いだLCRの大統領候補、ブザンスノーが「旋風」を巻き起こした。ブザンスノーの得票は、「労働者の闘争派」などの他の急進派潮流を圧倒的に引き離しただけでなく、共産党の二倍であり、共産党との力関係も急激に変わろうとしていることを示したのであった。以上のような闘いを引き継ぐ形でNPA結成の闘いが目指されたのである。

右翼と社会党の
政治に大きな風穴

 このようにして結成されたNPAは、結成時点で九千人、四百七十支部であったが、今日の資本主義体制の深刻きわまりない危機の中でその党員は増え続け、一万人に達しつつあると言われている。こうしたNPAの前進は、オリビエ・ブザンスノーの世論調査における人気と分かち難く結びついている。最近の世論調査でも、サルコジに対抗する候補者では、ブザンスノーが、社会党や共産党をはるかに抜いて五カ月連続、第一位であり続けており、二三%の人々がブザンスノーを支持すると回答している。
 もちろん、われわれはこの数字に過大な幻想を抱いているわけではない。ブルジョア議会選挙制度は、投票が近づくにつれて有権者は「有効」票を投じるべきだ、「よりましな悪」に投票する方が現実的だなどと体制側がマスコミを動員して誘導するがゆえに、このような高い支持率(これはブザンスノーの発言を聞いた人々の率直な実感を反映しているのだが)が選挙の場でそのまま実現されるわけではないからである。
 しかし、ブザンスノーとNPAの主張が今日、社会党を揺るがすような大きな反響を得ていることは事実である。それは、この主張が資本主義の重大な体制的危機の中で打たれた一月末の大規模なストライキに立ち上がった人々の気分を代弁しているからである。ブザンスノー旋風、それは、この危機の中で政治に目覚めた若い世代の息吹きを代弁しているからであり、右翼、左翼を問わずENA(国立行政学院)出身のエリートのプロの政治家が幅をきかせている既存の政治の中にあって、現場の若き郵便労働者のブザンスノーが新鮮な政治勢力の代表として登場しているからであり、政治運動と社会運動とが両立し得ることを自身が体現しているからであり、長年、動かなかった右翼と社会党の政治に大きな風穴を開ける存在となっているためである。

最初のテストは
欧州議会選挙

 NPAの反資本主義とは何を意味するのだろうか。この場合、左翼の政治勢力の再編と言っても、言葉の上でただ左翼を自称している勢力を無原則に結集するというものではないことは自明であろう。新自由主義に屈服し、民営化に賛成する勢力とは、NPAははっきりと一線を画している。さまざまな具体的な闘いの課題において、社会党との統一戦線、共闘は絶対に必要であり、これからもそれは追求され続けるであろう。しかし、政治潮流の形成はそれとは異なる。この新党は、いかなる意味でも、地方自治体政府や政府レベルでの社会党との連立を拒否している。
 この点において、この党は、共産党や社会党左派(左翼党など)や緑の党と根本的に立場を異にする。しかし、新党は、新自由主義に反対するだけでなく、資本主義体制そのものにも手をつけようとするものである。それは、資本主義の「行きすぎ」や「逸脱」を「緩和」したり、「手直し」しようとするものではない。今日の危機は、体制そのものの危機であるからである。それは、所有関係の根本的な変革を、世界の私有化に反対して人類の共有資産の擁護を、私的利益に立つカネ勘定に反対して社会の連帯を、差別に対して平等を実現して社会を根本的に変革しようとするのである。
 NPAの最初のテストは、来るべき欧州議会選挙である。それは、この選挙戦の中で、社会党や左翼戦線(共産党と左翼党のブロック)と競い合いながら、この党こそがサルコジと対決する真の左翼勢力であることを示そうとするであろう。    (本紙編集部)


今号掲載
 NPAの結成大会報告
 綱領―「21世紀の社会主義」
 規約―民主的な党のために
 一般政治決議―政治路線
 党の名称と欧州議会選挙
 解題―LCRからNPAへ
次号掲載予定
 LCR 1969〜2009
 LCR解散大会報告
 第四インターナショナルとの関係に
 ついて
 大会での連帯のあいさつ
 大会に出席したフランスの国内組織

NPA結成大会
資本主義に対するオルタナティブな展望と持続的運動

ピエール・フランソワ・グロン


 反資本主義新党(NPA)が、綱領、暫定規約、名称、政策のガイドラインを採択し、新指導部を選出して、二〇〇九年二月六から八日にかけての大会で結成された。それは、十八カ月前に開始された反資本主義的、革命的勢力を結集するという過程とその発展力学の帰結である。この過程は、LCRが新党に道を譲ることになることを意味する。今や、NPAが新しい政治的現実である。われわれは、新党を作り上げることができたが、それで満足することなくさらに、責任の重大さとわれわれの論争を支配した情勢の深刻さを深く自覚している。
 実際、NPAの結成は、政治的現実とは無縁の出来事ではない。NPAの結成は、全面的な危機のなかで行われているのであり、またそのような危機によって説明できるのである。資本主義は、重大な歴史的な危機に入っているのであって、このことは全世界の多くの指導者によってももはや否定されてはいない。それは、金融危機だけに、そしてまた資本主義システムに対する新自由主義的調整の破綻だけに還元し得るものではなくて、むしろ、経営者たちの利潤への渇望を満たすために市場を全般化するシステムの破綻を表している。
 このシステムで中心的役割を果たしたものたち(銀行、金融権力、資本主義の諸機関)がこの危機に主要な責任があるのだが、すべての民衆と労働者がこの危機のツケを支払わされようとしている。大量解雇、生活費の上昇、公共サービスの組織的な破壊はそのことを証明する最初のものであり、それに抵抗する最初の大衆動員を引き起こしている。同時に、環境の危機や食糧危機は人々の生活条件の中心的部分に影響を及ぼしている。この資本主義文明の危機との関係では、われわれは、社会を革命的に変革し、経済の私的所有を問題にする根本的に民主的な社会主義的展望を再建することを擁護する勢力を建設したいと望んでいるのだ。
 最初の大衆動員が巻き起こっている。グアドループとマルチニックの人々が、高い生活費と不正義と差別に抗議して決起した。一月二十九日には、本国フランスで数百万の人々がストライキとデモに参加し、次の新たな行動日が三月十九日に計画されている。十二月の高校生に続いて、大学研究者や学生が、社会的破壊の計画をまったく断念していない政府を屈服させるために街頭に登場した。自由を侵害しようとする権力の計画を見直させることに焦点を当てたアピールが出された。われわれは、闘いの結集を可能にするすべてのことを、政府とその政策に反対するすべての人がともに結集する運動の方向へと大衆動員を向かわせようとするすべてのイニシアチブを支持する。それが、サルコジを打倒する新たな六八年五月だ。
 まさしく、このような理由からして、NPAは今後、大衆動員とストライキとデモの中心を担うことになり、闘争を支持する社会的、政治的左翼の勢力の統一した結集を一貫して提案することになるだろう。われわれが解雇問題の領域でそう提案したように、われわれは、三月十九日の新たなデモとストの行動日のために、あるいは、自動車産業の労働者の闘いを支援するために、そうした提案を行っていくだろう。
 社会的、政治的緊張が高まっている今日の時期において、われわれは、緊急の計画を、労働者や民衆のための危機脱出計画を擁護したいと考えている。それは、政権側が行っているような、そして社会党もまた提案しているような、資本主義と同調し、危機を生み出した責任者たちに資金を提供するような政策と手を切った具体的な政策から成る計画である。
 われわれは、すべての人に三百ユーロの正味の賃上げを望むし、千五百ユーロ以下の所得は認められない。われわれが望んでいるのは、主要生活必需品を手始めに消費税を削減することであり、家賃を凍結し引下げることであり、消費者に背を向け自作農を圧殺している郊外型大型スーパーマーケットに対して闘うことである。公共部門だけでなく民間部門の大企業や中小企業での解雇禁止をわれわれは擁護する。公共部門でも、職務の削減は民間部門に劣らず深刻である。
 われわれは、医療の営利化と民営化を目指すバシュロー法を拒否し、それに反対して闘う。われわれは、ペクレス法に反対する大学人と学生の側に立つ。われわれは、右翼によってであろうと左翼によってであろうとなされた昨日と今日の民営化を退け、銀行と金融会社の没収と人民によって管理された公共銀行サービスを要求して闘う。
 反資本主義の綱領と社会党指導部││それは体制の管理の枠内にとどまっている││から独立した展望のもとに最大限広範な勢力の結集したいと願っている。闘争においても、選挙においてもである。それは、危機の打撃を受け、もはや政府や経営者の傲慢(ごうまん)さに耐えることができない人々に対してオルタナティブな展望を提供する持続的な運動である。それは、欧州議会選挙でも地方選挙でも、フランスでもヨーロッパでも、闘争と選挙で同一の政策を擁護する一貫した同盟である。
(『ルージュ』(2286号、09年2月12日)


自らを組織する綱領を採択
「21世紀の社会主義」をめざして

フレデリック・ボラス

 三回にわたる討論のやり取り、数千の修正によって、確かに諸問題の全部をひととおり検討できたわけではないが、社会の革命的変革のために活動することを望むすべての人々の結集にとって強固な基礎をなす内容の充実した最終バージョンに到達することができた。
 四部から成るこの文書は、過去からの教訓を引き出すと同時に、今日の時代の本質的問題に取り組んでいる。資本主義世界の現状分析について語ったうえで、今日、未曾有の経済的、社会的、エコロジー的危機が発展しているがゆえに、世界を瀬戸際にまで追いやっているこの体制とこれまで以上に今日においては訣別する必要があると結論づけている。
 そこから次に、われわれが建設を望んでいる社会の輪郭を言い表す必要があるということになる。それは、民主主義が歴史上かつてないほど新たな発展水準にまで到達した社会である。それは、あらゆる分野でその土台が平等であり、環境の保全がなされている社会である。過去の経験がひどく否定的な形で重くのしかかっており、多様な形を取った多くの搾取や抑圧、さらには恐怖政治が共産主義と社会主義の名のもとでなされたので、大会は、この事業に新しい名前を与えるのに苦労した。選出された数千人の大会参加者は、社会主義かエコ社会主義かを選択しなければならなかった。しかし、もうひとつ別の提案が再浮上した。それは、この事業を「二十一世紀の社会主義」と呼ぶという提案であった。意見が分かれたので、委員会はそれを大会での採決に委ねるしかなかったが、大会は僅差でこの最後の提案を支持するとの判断を示した。それは、ボリビアの過程を歓迎するというよりもむしろ、過去二世紀にわたった体制と対決してきた人々から過去の最良の伝統を引き受けながら将来に向かう必要を表明するものである。
 第三部は、戦略の全般的諸要素を示すものである。NPAは毅然(きぜん)としてその方法を主張する。それは、既得権や社会的権利の破壊の攻撃に抵抗するために、われわれが望む社会の輪郭を描きつつ、生活状態の悪化に直面する民衆の具体的願望に応える反資本主義的政策の綱領を防衛するために、闘いを組織することである。われわれは、いかなる闘いの領域も無視しない。すべての人への文化の享受、開かれた教育の機会の提供、アグロビジネスと手を切った農民の農業の防衛などの重要テーマについては、手直し委員会の作業をによって、議案の内容が手直しされ豊かにされた。エコロジー問題は、草案のすべての部分で頻繁に登場する。このことは、この決定的関心事をNPAの関心の中心に据えたいとする全員一致の願望に対応するものである。
 党とはまず何にもまして綱領である。綱領とは、党に加わる人々がそれを擁護して自らを組織することを正当化するものである。しかし、党は、その組織原則にもとづいて、自らの擁護する目的に従わなければならない。大会の最後の第四部は、この問題に当てられた。NPAは、民主的で、日常生活にも有効であり、企業と地区に根を下ろした党になることを望んでいる。党は、選挙に立候補するが、選挙への立候補を議会主義と混同してはいない。議会主義は、根本的な変革が投票箱からしか生まれて来ないとする幻想である。党は、選挙での当選を望むが、体制と非妥協な党の議員は、いついかなる時でも自らが保持する理想に忠実であり続ける。党は、一定期間かけて影響力を及ぼすために忍耐をもって粘り強く活動する能力を持っているが、同時に、最後まで体制と闘おうしている人々の側に立って、階級闘争のテンポに対応して活動する。
 大会の代議員は、このようにして修正された綱領を圧倒的多数で採択することによって、党を決定的に一歩前進させることができたことを実感した。この綱領的枠組みは上から降って来たわけではなかった。NPAの党員自身がそれらに深く関与してわがものにしたのである。この種のいまだかつてない実践にはつきものの不完全さを乗り越えて、討論は集中した豊かなものであった。

規約
2日半、10時間の討論と3度の手直し
民主的な党のために

ピエール・フランソワ・グロン


 規約についての作業委員会には約百人が参加した。委員会は、全国準備集会を経て、代議員総会によって提案された修正案を考慮に入れて、三度目の手直しを行った。二日半の十時間近くの会議の間、われわれは地区代議員総会の多数派の修正案の全部を検討した。
 中心的なものとして登場した七つの問題は、委員会でも意見が分かれたこともあり、また大会だけが決着をつけることができる問題のように思われたこともあって、総会で採決する必要があった。われわれの活動の必要な集権化と地区の自治とを両立させること、委員会横断的な意見の交換がそのうちの第一のものであった。それをめぐって三つの対立する案が採択にかけられた。
 指導部の輪番制と党内の代表制の実施方式をめぐる意見もまた投票にかけられた。また、党内における青年の役割、全国政治評議会の会合のテンポ、大きな対立が生じた場合における意見を公然と表明し、別個に行動する権利(分派の権利)、新しい政治的潮流を党へと統合するやり方、をめぐっても意見が対立し、代議員の投票に付された。
 NPA内で引き続き継続して議論されるべき問題と論争は残された。なぜなら、これらの暫定的規約は、実践される中でテストされてより豊かになるだろうし、十二カ月後から十八カ月後の間に予定されている次回大会で、最終的に採択されるからである。
 この規約で定められている調停委員会が選出された。この委員会が現在の規約案を適用し、おそらくそれを検討し、その修正に加わる任務を果たすだろう。NPA内で継続されるべき論争を推進し、組織するのはやはりNPAの責任なのである。
(2009年2月22日)

一般政治決議を採択
新たな活動のための闘う指針

ミリアム・マルタン

 「一般政治決議」は、次の大会までの路線をNPAに与えることを目的とするものである。

 少なくとも百人の代議員が二月六日にユーロシトの「ベネルクス」の部屋に集まった。そこには、出席者が討論の中でその進行をフォローし発言することができるようにするためのすべての設備が準備されていた。ビデオ・プロジェクターや大スクリーンなどが備え付けられ、スクリーン上には地区委員会が書いた修正提案が次々と映し出された。「一般政治決議」案についての作業を行った委員会は、十二月に送られ、地区の代議員総会で討論され採択された修正案のうちの八百を検討した。もちろん、そのうちの多くは互いに一致するものであった。つまり、同一であったのである。会議を主催した同志たちも、大会参加者も、運営方法の説明の後、最初は少し骨の折れたが、最後には順調な進行ペースに乗ることができた。とても豊かな発言や論争のおかげで、草案は、綿密に検討され、作業はよい雰囲気のうちに二十時間後に仕上がった。草案は、翌日夜の総会で多数の賛成(投票者のうちの七六%の支持)で採択された。
 採択された決議案は、全部で三つの大きな章を含んでいる。その三つの章それぞれが大幅に修正された。第一部「危機にある世界」の主導原理は、「危機に責任のある連中、資本家、に危機のツケを支払わせることであり」、政権の座にあって資本家の利益のために統治している連中に反対することである。これに対して、社会的、エコロジー的、民主的な緊急計画が必要であり、この計画は、LCRの委員会やコミッション(女性書記局)やNPAの「エコロジー委員会」や「医療」委員会、LGBTI(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・インターセクシュアル)委員会によって大幅に強化された。また、戦争や民族抑圧に対する必要な反撃、パレスチナ人民との連帯やそれへの支援の問題も盛り込まれた。パレスチナ人民との連帯は、草案の他の箇所と同様にこの章でも大きな割合を占めている。
 第二部では、まず政治情勢の分析がなされており、その本質的要素は、右翼とサルコジの粗暴な攻撃であり、それに対して制度化された左翼が信頼を失い、無力であるが、一月二十九日の行動日が刻印したように実勢の抵抗は続いている、ということである。その分析を踏まえて、結論としてはすべての闘いをひとつに結集させ、「みんないっしょに」という広範な統一を築き上げる必要があるとの結論が示されている。
 最後に、第三部では、NPAの役割が明らかにされている。それは、闘争のための党であり、資本主義に対するオルタナティブを持つ党である。さらに、そこでは来るべき数週間と数ヶ月間の、雇用、公共サービス、庶民地域のための政治キャンペーン、そしてNATOの戦争に反対する政治キャンペーンについての党の役割が示されている。政治決議は、修正作業を行った後、「豊かに」なったが、それは代議員の意欲を反映しており、日常生活においても闘争の中でも効果的な役割を果たすものである。

欧州議会選挙についての決議
政治勢力の持続的統一の追求

サンドラ・デマルク


 地区委員会での数多くの修正案が提案され、「欧州議会選挙決議」についてその形式と内容が改善された。われわれの要求は今や、とりわけエコロジーとフェミニズムの面でより正確に、より豊かになった。最終決議は当然のことながら、われわれがもうひとつのヨーロッパを望んでいるという点を確認している。それは、民主的、社会的、エコロジー的、フェミニスト的、連帯の上に立ったヨーロッパであり、軍事侵略に反対し、ヨーロッパ規模での反資本主義の結集を支持するものである。われわれの大会以外の外部世界について最も多くが論じられているのは当然にも、議案の最後の部分、「欧州議会選挙へのわれわれの参加」である。この部分については、三つの提案が作業委員会に提出された。一番目の提案は、いくつかの地区委員会から出されたもので、この問題の討論を大会で選出される全国政治評議会の第一回会議に差し戻すというものであった。この提案は圧倒的多数で退けられた。
 その結果、論争は残された二つの提案をめぐって展開された。そのうちの最初のものは、いわゆるマルセイユ、モンペリエ、ガール、ピレネー・オリエンタルの提案であり、政治勢力の持続的統一のために活動する必要性を確認しようとするものである。それが提案する左翼勢力の統一とは、反資本主義的内容を中心とした統一、「選挙の一撃」だけに限定することなく、社会党に対して全面的に独立した立場に立って、少なくとも地域選挙まで存続する、闘争の地平と選挙の両面を統一するというものであった。第二の提案は、いわゆるクレルモン・フェランの修正案で手直しされたものであり、共産党と左翼党によって提案されている「左翼戦線」の枠内で、選挙を社会闘争へのステップにすることを支持するものであり、この選挙での同盟をその後の選挙とは公式には結びつけない、とするものであった。この選挙同盟は、三つの中心的要求から出発しており、欧州憲法条約を引き続き拒否する中で、リスボン条約を批判し、欧州中央銀行の独立性とNATOへの従属とを見直すというものであった。
 委員会での討論によって、六十二人の代議員は、各人の意見を尊重しながら自らの意見を表明することができた。大会での採択は、提案された路線のそれぞれを支持する三人の発言がなされた後の二月八日の朝に行われた。いわゆるマルセイユ、モンペリエ、ガール、ピレネー・オリエンタルの提案は、七六%の票を獲得し、クレルモン・フェランの修正案で手直しされたものは一六・七%の票であった。こうしてNPAの代議員たちは前者の統一案を支持したのである。それは、まず最初に急進的左派の結集をはかることを目指すものである。

名前はNPA!

 委員会の広範な調査がなされた後に、党の名称をめぐる論争が大会でなされた。綿密な調査の後、NPAが二百七十二ポイントで他の名称を引き離した。それに四つの名称候補が、四十二ポイントから六十七ポイントまでの間で続いた。この五つの名称が代議員の投票にかけられた。二回目の投票で、NPAという提案が三百十六票を獲得し、革命的反資本主義党(PAR)が二百六十四票を得た。


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