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沈黙……表現に対するじゅうりん            かけはし2009.11.9号

イ・ミョンバク政府のもとで
再び跳梁し始めた警察国家



 韓国の為政者たちが金科玉条としてあがめたてる「自由国家」米国は修正憲法第1条に基づいている。米国憲法の中でも「権利の章典」の対象を別途、集めた修正憲法は1条で「表現の自由」をまず保障する。表現の自由が一切の権利、ひいてはすべての民主主義体制の根本だ、という意味だ。
 「議会(congress)は……表現(speech)、出版(press)、結社(assemble)、そして満足のいかないことを政府に請願(petition)する自由を奪ったり禁止する法を作らない」。
 よくよく見ると、ただ表現の自由を保障するという原則的宣言ではなく、為政者たちが表現の自由を侵害してはならないと念を押している態度だ。
 そのすぐ後ろに出てくる修正憲法2条は「武装の自由」を規定している。
 「自由国家の安全を守るために……武器を所持する人民の権利は侵害されない」。
 この条項のおかげで今日の米国は「銃器犯罪国家」へと転落したけれども、少なくとも初めに憲法を作った米国人の論理構造はかなり不穏なほどに堂々としていた。「国家の名によって表現の自由を侵害するな。国家の誤りに抗議する人民の権利も侵害するな。自由を守るのはわれわれだ。そしてわれわれは常々武装している!」。自由の価値を守護するために武装した人民の前に、国家は常に畏敬心を抱かなければならない、という剛毅あふれる命令というわけだ。

「否認・無視」の3段階

 韓国で「表現の自由」が侵害されている様相は米国修正憲法1条と2条が目指していることの正反対に向かっている。国家が表現の自由を奪っている。国民は自由を守る武装を自ら解除している。
 10月12日に訪韓したフランク・ラルィ国連特別報告官は〈ハンギョレ21〉との独占インタビューで「国民の一人一人が表現の自由を最大限に享受できるように保障することが政府の責務」だと語った。また「人権侵害に対して(人々が)、鈍感になっている」とも指摘した。
 10月14日、人権団体連席会議、参与連帯、民主労総、国際民主連帯など市民・社会団体が特別ワークショップを行った。韓国で繰り広げられている「表現の自由」に対する侵害の事例を発表した。イ・ミョンバク政府の発足以降の主だったケースを集めただけでも、表現の自由がすべての領域において余すところなく崩壊していることを切実なほどに立証した。この席でノマ・ガン・ムイッコ・アムネスティ・インターナショナル調査官は「韓国は警察国家に見える」と語った。
 「私が知っていることを彼らは知らないのだろうか? なぜ彼らは何事もないかのように行動するのだろうか?」。世界的社会学者であるスタンリー・コーオン・ロンドン経済大(LSE)名誉教授の質問は、今日の韓国人にとって一層、新鮮だ。彼は人権社会学の新たな地平を準備した〈残忍な国家、無視する大衆〉(チャンビ社)で、「人権侵害が続けられているのは国家と大衆がその事実を認めず、引き続き否認、無視しているため」だと指摘した。
 「否認・無視の3つのカテゴリー」または「3段階」のうちの1番目は、事実を否認するものだ。10月13日、ソウル地方警察庁に対する国会の国政監査の現場で警察無線の内容が流れ出てきた。「残党を掃討せよ」。「見えるもののすべてを検挙せよ」。「歩道にいたとしても攻撃的に検挙せよ」。今年5月、キャンドル集会の際、チュ・サンヨン・ソウル警察庁長が現場の警察官に指示した内容だった。これに対するチュ庁長の最初の反応は? 「記憶にない」「(声の主人公は)私ではない」。
 コーオン教授はこれを「文字的否認」と呼ぶ。事実自体を否認するのだ。ここには「知らないふりをする場合、本当に知らない場合、無知がゆえに明白な事実が見えない場合、自身の世界観のゆえに事実が見えても問題を認識できない場合」などがあると指摘した。
 チョン・ヨンジュ元韓国放送社長を追い出すために国税庁、監査院、検察などが乗り出した時、政府は標的捜査や放送掌握の意図とは何の関係もない、と解明した。国情院(国軍機務司令部)、検察、警察などが民間人を相手に盗・監聴および査察を繰り広げているという報道が出てくるたびに、当局は「そうではない」と答弁した。

2番目の段階「事実の歪曲」

 2番目の段階は事件の常識的意味を否認するものだ。同じ場でチュ庁長は「韓国でなぜ集会・デモ、それも過激なデモが多いと思うか」との質問に、「(不法集会に対する)法の執行が公正にできないからだ」と答えた。集会参加者を厳重処断しないことが問題だ、という意味だった。弱者が集会を開く。集会・デモが多いのは疎外された人々の声がキチンと伝えられていないからだ。このような因果関係を否認し、「実際にはそうではない」という態度を取ることを「解釈的否認」という。
 文化放送〈PD手帖〉への捜査、ネッティズンの「ミネルバ」拘束、パク・ウォン スン希望制作所理事長に対する国情院の告発などには共通点がある。政府、官僚などの名誉が損なわれたという論理によって当局は対応している。政府批判を「名誉棄損」へとねじ曲げているのだ。
 フランク・ラルィ特別報告官は〈ハンギョレ21〉とのインタビューで「公職者に対する批判は名誉棄損とはなりえない」と語った。「公職者が自身に対する批判を減らすために法を動員することは検閲にほかならない」とも語った。表現の自由に対する明白な検閲が韓国では名誉棄損かどうかを争う法的訴訟の対象となっている。

最も巧妙な論理のすり替え

 「解釈的否認」と似ているが、もっと巧妙なのが3番目の「含蓄的否認」だ。事実自体は認めるけれども、「こういうやり方で見なければならない」として観点を移動させる方式だ。やはり同じ席でチュ庁長はこの1月に発生した龍山の惨事の原因はなにか、との質問を受けた。「全撤連(全国撤去民連合)がいつも望楼(見張り台)を建てて過激な暴力デモをやったからだ。ナム・ギョンナム全撤連議長がいなかったならば、(龍山ナミイルダンの建物屋上に)望楼も建てなかっただろう」。チュ庁長は警察の鎮圧によって撤去民が死亡した事実自体は否認しない。ただしその理由が「ナム・ギョンナム全撤連議長」にある、と主張する。
 イ・ミョンバク政府が様々な集団ならびに結社を弾圧する時に使う「否認の論理」もここにある。6月、時局宣言に署名したという理由で現職教師23人が解任・罷免された。表現の自由に対する明白な侵害だという教師たちの抗議に対して教育科学技術部(省)は「公務員法に違反したために懲戒した」と「否認」した。公務員法上の政治活動の禁止は、特定の政党に対する支持・反対活動に適用される条項だ。教師時局宣言の主たる内容は「民主主義を守ろう」というものだった。表現の自由は当局によって「政治的偏向活動」へと変質した。
 このような政府の態度は市民にも伝染する。コーオン教授は「政府が事件を色づけし、真相をねじ曲げ、くみしやすい被害者だけを選んで関心をよせながら人権侵害を『否認』すれば、このような態度は全社会に枝を広げ、すべての大衆が『集団的否認』に陥る」と指摘した。
 「もはや知りたくない」「知ってはいるが何も感じない」「不幸な事ではあるが、私にできる事はない」などの社会心理の中で、人権侵害が日常化されるというのだ。結局、何らかの形の人権侵害を減らしても、それ以上、問題意識を感じられない「社会的マヒ」状態が来るとコーオン教授は警告する。自由がなくとも、自由がないことを知らなくなる、ということだ。
 「落下傘社長」に反対しているとの理由でYTN記者6人が解雇されてから1年が過ぎた。1975年〈東亜日報〉〈朝鮮日報〉の記者解雇と変わらない。それでも人々の脳裏からYTN解雇記者たちは忘れられている。昨年のミネルバ事件以降、ポータル掲示板の意見欄は当局の検閲によって瞬時にして削除されている。
 韓国人たちは今やこのようなことを当然視する。自ら検閲し、従順な文章だけを載せる。昨年のキャンドル集会参加者のうち1184人が起訴された。このうち844人は依然として法的闘争を展開している。これらの人々に今日まで賦課された罰金だけで10億ウォンに達する。だがその罰金を分かち合おうとする市民は見いだしがたい。チョ・ヒョジェ聖公大教授は「現実を否認する権力と共に、人権侵害に対する一般大衆の傍観と否認も甚だしくなっている」と指摘した。
 明白な事実を否認し、事件の常識的意味を否認し、自身の責任を否認する階段を経つつ、権力と市民は人権侵害を「存在しないもののように」考えて生きていく。人権侵害の強度は一層、強いものとなり、その範囲はさらに広がる。コーオン教授は「政府は国民を従順にさせなければならない状況よりは、大衆が適当に無関心な方をより好む」と指摘した。「否認のらせん構造」によって韓国の人々は表現の自由に対する日常的侵害に適当に無関心になっている。
 そのような渦中で放送人キム・ジェドン氏(35)が放送社の外で行った「個人的発言」が口実とされ、公営放送社から退出を余儀なくされた。それが表現の自由に対する根本的侵害だという事実を当局も否認し、国民も知らぬ存ぜぬですごす。

傍観したすべてが共犯

 西欧には人権侵害の事実を否認する行為自体を犯罪とみなす国がある。ドイツ、オーストリア、フランス、カナダなどは反人道的犯罪や人権侵害の犯罪を公開的に否認したり縮小・歪曲したり、これを承認したり正当化する人を刑法によって処罰する。他人の人権がむやみにはく奪されていることに目をつぶっている人々は民主主義の名によって罪を問わなければならない、という意味だ。問わなければナチを傍観していた「全社会的人権不感症」が再現するだろうという歴史的教訓から始まったことだ。
 過去史において人権侵害の事例を求めることによって問うてみようとすれば、韓国も例外となりえない。けれども、あの人々はその記憶を法として作り繰り返して考え、われわれはたちまちにして忘れてしまったという違いがある。したがって2009年に韓国で繰り広げられている表現の自由に対するじゅうりんについて、ともすればわれわれすべてが共犯なのかも知れない。(「ハンギョレ21」第782号、09年10月26日付、アン・スチャン記者、チョン・イヌアン記者)

【訂正】前号(11月2日号)8面「韓国はいま」9段右から8行「存在している」を「存在していない」に訂正します。



アムネスティ・インターナショナル調査官
「国連人権理事国で、どう
してこんなことが……」


先進国から人権
後進国へと急転

 アムネスティ・インターナショナルのノマ・ガン・ムイッコは昨年のキャンドル集会以降、韓国を訪問することが頻繁になった。韓国で繰り広げられている人権侵害の実態を国際社会に伝えている。
 昨年10月12日、解雇1年を迎えたYTNの記者たちと面談するために再び韓国を訪れた。人権分野の「グローバル・スタンダード」を承知し、韓国の状況もよく分かっている彼は、ついに韓国を「世界的人権侵害国家」と比較し始めた。韓国が人権先進国から人権後進国へと急転直下しているとの憂慮を明らかにした。彼の視線は「否認のらせん構造」にはまらなかった。今年10月14日、「表現の自由に関するワーク・ショップ」で彼は討論に参加した。彼の発表を要約する。
 「スーダン、ビルマ(ミャンマー)、アフガニスタン、北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)とは違った理由で韓国に対して憂慮している。韓国は1987年以降、めざましい民主化をなしとげた。経済開発協力機構(OECD)加盟国であり、国連人権理事会理事国だ。かつて反政府の人士であって、アムネスティ・インターナショナルが指定した良心囚であった人が大統領に当選した。その人の後継者は人権弁護士出身だった。そういった点で韓国は過ぐる10年間、アジアの民主化の役割におけるモデルだった。
キャンドルデモと
警察の不法行為

 しかし、昨年のキャンドル・デモの時から心配は始まった。現政府の下で、一体どんなことが繰り広げられたのか。キャンドル・デモの当時に訪韓して60人余りにインタビューを行った。そのすべてが不法逮捕や暴行などの人権侵害を被った人々だった。私が把握した状況は、それこそ『劇的』だった。当局は当時のデモによって警察官5百余人が負傷したと発表したけれども、被害市民に対する統計は全くなかった。
 表現の自由は集会・結社の自由と緊密に結びついている。状況は、それ以降さらに悪くなり続けている。デモに参加していた市民たちはゾロゾロ起訴されたものの、不法行為についての数多くの証拠があるにもかかわらず警察はたった一人も処罰されなかった。
 当局は、不法集会であり反政府集会であるがゆえに取り締まりは避けられない、と語る。だが街頭集会の中で、政府を批判しない集会などあるだろうか。国連の人権基準によれば、たとい不法集会への参加者だとしても、権利が保護されなければならない。

街頭での記者会見
無法デモと見なす

 2009年の状況を見よう。都心のど真ん中に戦闘警察(機動隊)や警察の車両が絶えることなく増えている。外国人にとっては韓国がまるで『警察国家』だと見えるだろう。今年5月2日、キャンドル集会1周年集会が行われる明洞に直接、行ってみた。デモ隊は多く見積もってもせいぜい20人余りだった。それにもかかわらず警察は無差別逮捕作戦を展開した。警察は不必要なまでに刺激的だった。当時、日本人観光客一人も不法逮捕されたが、警察の暴行によって肋骨を損傷したと伝えられる。
 街頭で記者会見をしてもデモとみなし、無条件逮捕している。こうして逮捕されれば48時間の間の拘禁の後、やっと釈放される。そこここで数百人のデモ隊を無条件逮捕する。恣意的逮捕は明らかに不法だ。これはただただデモ隊を苦しめ、いじめるためにやっている行動だ。
 状況は悪くなり続けている。当局は市民らの無関心と恐怖、疲労の累積を望んでいるようだ。このような状況は民主主義の最大の危機だ。血と汗とによって実現した民主主義だ。市民運動家、労働運動家、人権運動家を含め誰にも不可侵の権利があるのであって、これを侵害するのは不法だ。これがあなた方の国、あなた方の現実だ。デモだけが解法ではないだろう。何としてでも『表現』しなければならない」。(「ハンギョレ21」第782号、09年10月26日付)


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