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遺稿                          かけはし2010.3.8号

「共産主義の力」――われわれ
が断固として継承すべきもの

純然たる思想でも独断的モデルでもない

   ダニエル・ベンサイド

 ここに掲載するのは、おそらくダニエル・ベンサイドの絶筆とも言うべき論文である。ダニエルが三人の編集委員のうちの一人になっている雑誌『コントルタン』の最新号に掲載されたものである。これは、一月二十二日と二十三日に掲載された「共産主義の意味」と題したシンポジウムの一環として準備されたものであり、共産主義の意味に関して集められた一連のエッセイの一部をなすものである。ダニエルはこのシンポジウムを楽しみにしていたのだった。ベンサイドは、この中で、
 一、スターリニズムの悪しき経験にもかかわらず、マルクス、エンゲルスの共産主義思想をけっして否定することなく、われわれが断固として継承すべきものがあること。
 二、そうであるとすれば、その継承すべき基本的思想とな何か。
 三、体制としてのスターリニズムの崩壊を経て、今日の資本主義の未曾有の危機の中で、継承すべき解放の思想としての共産主義思想には、今日どのような基本的に要素が盛り込まれなければならないのか。
 四、解放を目指すべき運動は、現実の闘いを通じて思想のレベルでどのような水準に到達しているのか。
を明らかにしている。迫り来る死と必死に闘いながら、おそらく彼は最後の力をふりしぼってこれを書いたのであろう。これは、現に闘っている人々に向けて、そしてまたこれらから闘いに加わるであろう若い世代の人々に向けて、解放の思想として共産主義の今日的意義について、これだけは絶対に伝えておきたいといういわば彼の遺言であろう。短いエッセイであるが、ベンサイドの思いがひしひしと伝わってくる遺稿である。(「かけはし」編集部)

傷ついた言葉
「共産主義」の修復

 一八四三年の『大陸における社会改革の進展』と題する論文の中で、若きエンゲルス(まだ23歳にもなっていなかった)は、共産主義を、「近代文明の全般的諸条件から導き出さざるを得ない必然的結論」であるとみなした。これは、要するに、一八三〇年の七月革命によって作り出された論理的必然としての共産主義ということである。七月革命では、労働者は(フランス)「大革命の生きた源泉とそれに関する研究を参照し、バブーフの共産主義を必死に自分のものにした」。
 それに反して、若きマルクスにとって、この共産主義はいまだに「教条的な抽象」であり、「人間主義の原則の原初的な宣言」にすぎなかった。生まれつつあるプロレタリアートは、「解放の空論家、すなわち、社会主義セクトの創始者たちの腕の中に身を投じていた」し、「階級関係の想像上の廃止」を表すものとして「人間主義の立場で普遍的な友愛の千年王国について」の空論を語るような混乱した意識のもとにおかれていた。一八四八年以前には、明確な綱領をもたないこの妖怪としての共産主義はまだ、平等主義を求めるセクトやイカロスの夢想という「荒削りの形」でこの時代の空気の中を徘徊していた。
 しかしながら、すでに、抽象的な無神論を克服するということは、共産主義にほかならない新しい社会的唯物論を伴うことになるのであった。「神の否定としての無神論が理論上の人間主義の発展であるのと同様に、私有財産の否定としての共産主義は、真の人間主義の要求なのである。この共産主義は、いかなる種類の俗流反教権主義とはほど遠いものであって、「実践的人間主義の発展」であり、「それにとっては、宗教的疎外と闘うだけでなくて、宗教の必要を生み出す現実の社会の貧困と闘うことが問題となる」のであった。
 一九四八年の創成期の経験からコミューンの経験に至るまでの間に、既存の秩序の廃絶へと向かう「現実の運動」は、具体的形を取り、力を増し、「セクトの片寄った固定観念」を一掃し、「科学的にまったく確実だとする断定的な言い方」を嘲笑するようになった。言いかえれば、共産主義は、まず最初には、意識の状態、あるいは「哲学的共産主義」であったのだが、ひとつの政治的形態を見出したのであった。四半世紀経つと、それは、最初の哲学的、空想的な出現の様式から、ついに発見された解放の政治的形態へとその脱皮を成し遂げたのだ。

1、解放に関係するさまざまな言葉は前世紀の苦悩から無傷のままでは出て来れなかった。それについては、ラフォンテーヌの寓話の中の動物のように、すべてが死んでしまったわけではないが、すべてが重大な打撃を受けたと言うことができる。しかしながら、社会主義、革命、そしてアナーキーさえも共産主義に比べてよほどましだとはあまり言えない。社会主義は、カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの虐殺に、植民地戦争に、広がれば広がるほどその内容が失われていくようになるような連立政府に、加担してきた。その組織的なイデオロギー的キャンペーンは、多くの人々の目には革命を暴力やテロと同一に映らせるような地点にまで達している。だが、偉大な約束や夢を届けた過去のすべての言葉の中で、共産主義という言葉は、官僚的国是に取り込まれてしまい、全体主義的な試みに隷属してしまったために、最も大きなダメージを被った。しかしながら、いぜんとして今なお残り続けている問題は、傷ついたすべての言葉のうちで、共産主義という言葉が修復し再起動させるに値するものかどうかということである。

官僚的専制体制
に歪められた歴史

2、そのためには二十世紀において共産主義にどのような事態が生じたのかを考察する必要がある。この言葉とその言葉が表現するものは、その時代ならびにそれらが受けなければならなかった試練と切り離して把えることはできない。自由市場を促進する中国の強権的国家を指し示すために共産主義というレッテルが大々的に使われるという事態は、大部分の人々の目には、共産主義の理論的、実験的仮説の再生のかすかな萌芽に比べると、はるかに重くてずっと長期間にわたってのしかかる重圧として映っている。それを歴史的、批判的に総括することを避けたいとするその誘惑は、共産主義思想を、あたかもその思想が資本主義時代の解放の特殊な形態ではなくて、公正と解放のあいまいな思想の同義語であるかのように、時代を超えた「不変のもの」に切り縮めることになっている。その結果、この言葉は、それが倫理と哲学の面での拡張を通じて獲得したものを政治的な明確さという面で失っているのである。決定的な問題のひとつはいぜんとして、官僚的専制体制が十月革命の正当な継承であるのか、それとも裁判と粛清と大規模な流刑によってだけでなくソヴィエト国家の社会と機構の一九三〇年代における激変によっても立証されているような官僚的反革命の結果なのか、ということである。

3、命令によって新しい用語集を作り出すことはできない。語彙(ごい)というのは時間をかけて使用を経験を通じて形成されていく。共産主義とスターリニスト的独裁体制とを同一視する誘惑に身を委ねてしまうことは、一時的な勝利者の前に膝を屈することであり、革命と官僚的反革命とを混同することであり、そうすることによって途上にある分岐点において希望に通じる道を予め閉じてしまうことになろう。さらに、そうすることは、熱情を抱いて共産主義思想のために生き、この思想をまがい物にし偽造しようとする試みに反対してこの思想に息吹きを吹き込んできた、無名の人々もそうでない人々も含むすべての敗者に対して取り返しのつかない不正義を犯すことになるだろう。スターリニストであることを辞めたときに共産主義者であることを辞めた者たち、そして自分たちがスターリニストである間だけ共産主義者であった者たち、こうした人たちは恥を知るべきである。

4、下劣な資本主義に代わって必要とされる可能な「もうひとつの世界」についてのいっさいの命名方法の中で、共産主義という言葉は、最大の歴史的な意味と最大の爆発力を秘めた綱領的責任を保持する言葉である。それは、分かち合いと平等の共同性、共同の権力行使、利己主義的な計算や全面的な競争に対置される連帯、人間と自然と文化の共有資産の防衛、全般化された略奪と世界の民営化に対抗するサービスの無料化(非商品化)の領域の生活必需品への拡大、を最もよく思い起こさせる言葉なのである。

5、それはまた、価値法則、商品の価値評価の尺度とは異なるもうひとつの社会的富の尺度についての名称でもある。「自由で歪められていない競争」は、「他人の労働時間の盗み」に依拠している。それは、数量化しえないものを数量化し、人間とその自然的再生産条件との間の比較し得ない関係を抽象的労働時間による惨めな共通尺度に切り縮めようとする。共産主義は、数量的な成長のコースとは質的に異なるエコロジー的な富と発展というもうひとつの基準の名称なのである。資本蓄積の論理は、利潤のための生産を要求するだけではなく、社会的必要ではなくて、「新しい消費の生産」をも、すなわち、「新しい必要の創出」や「新しい使用価値の創出」を通じた消費サイクルの不断の拡大をも要求する。ここから、「自然全体に対する搾取」、「地球に対する全面的な搾取」が起こる。資本がもたらすこの行き過ぎた荒廃は、根本的で急進的なエコ共産主義の今日的意義と根拠を提供している。

生産・交換手段の
私的所有の廃止

6、『共産党宣言』において、共産主義の問題はまず何よりも所有の問題である。共産主義者は、自らの理論を、生産・交換手段の「私的所有の廃止というひと言にまとめることができる――これを個人的使用目的のための個人的所有と混同してはならない」。「これらすべての運動において、共産主義者は、所有の問題を、それがどの程度発展した形態をとっていようとも、運動の根本問題として前面に出す」。『宣言』第二章の結びにある十の方策のうちの七つは所有形態に関するものである。土地所有の収奪、地代を国家の経費にあてること、強度の累進課税の実施、生産・交換手段の相続権の廃止、すべての亡命者および反逆者の財産の没収、ひとつの公立銀行の管轄への信用の集中、交通手段の社会化と万人のための無償の公立教育、国営工場の設立、生産用具の増加、荒廃地の開墾が、それである。
 これらのそれぞれ方策はすべて、経済に対する政治的民主主義の統制、利己的利害に対する共有資産の優位、私的空間に対する公共的空間の優位、の確立を目指すものであった。すべての所有形態の廃止が問題ではなくて、「今日の私的所有、ブルジョア的所有」を、他の個人による一個人に対する搾取にもとづく取得様式だけを、廃止することが必要なのである。

7、共有財産を自分のものへと横領する権利と持たざる者のたちの生存の権利という二つの権利の間で、「裁断を下すのは力である」とマルクスは言った。ドイツ農民戦争からイギリスとフランスの革命を経て前世紀の社会革命に至る階級闘争の全近代史は、この対立の歴史である。対立は、支配者の合法性に対抗することのできる正当性の出現によって解決される。
 「ついに発見された解放の政治的形態」として、「国家権力の廃絶としての、社会共和国の完成されたものとしての」コミューンは、この新しい正当性の出現を立証した。その経験は、革命的危機の中で出現する民衆の自主的な組織化や自主管理の形態、すなわち、労働者評議会、ソヴィエト、民兵委員会、産業コルドン、地区組織、農業コミューンの形態を鼓舞した。これらの形態は、政治の脱専門家化を、社会的分業の変更を、別個の官僚機関としての国家の死滅のための条件の創出を目指すものである。

8、資本の支配のもとでは、表面に現れるすべての進歩には退歩や破壊という正反対のものを伴うことになる。それは「隷属の形態の不断の変化にすぎない」。共産主義は、生産性と通貨という形をとった収益性の思想や基準とは異なるもうひとつの思想と基準を要求する。まず手始めに、拘束労働時間の劇的な削減と労働の概念そのものの変革が必要である。労働者が職場で疎外され損なわれているかぎり、余暇や自由時間で個人が発展して開花することはあり得ないだろう。共産主義の展望はまた、男女間の関係の根本的な変革をも要求する。ジェンダー相互間の経験は他性の最初の経験である。そして、この抑圧関係が存続しているかぎり、文化、肌色、性的嗜好を異にする人は誰であろうと、さまざまな形の差別と抑圧の犠牲者となるだろう。真の前進は、独特に結びつくことによって、それぞれの男女を独自の存在にするような要求の発展と差異化の中に見出すことができる。独自の存在の個性が人間を豊かにすることに貢献するのである。

既存の体制を廃絶
しようとする運動

9、『宣言』は共産主義を、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるようなひとつの協同社会(アソシアシオン)である、とみなしている。したがって、共産主義は個人の自由な開花の行動指針として現れるのであって、これを宣伝広告の順応主義に隷属した個性なき個人主義と混同しても、さらには兵営社会主義のお粗末な平等主義的とも混同してはならない。各人に固有の要求や能力の発展は、人類の全般的な発展に貢献する。逆もまた正しい。各人の自由の発展は、万人の自由の発展を意味する。なぜなら、解放はたったひとりだけの楽しみではないからである。

10、共産主義は純然たる思想でも、社会についての独断的なモデルでもない。それは、国家体制の名前ではないし、新しい生産様式の名称でもない。それは、既存の体制をたえず乗り越え―廃絶しようとする運動についての名前である。だが、それは同時に、目的でもある。この目的は、この運動から生まれて来るものであって、運動を導き、原則なき政治や一貫性なき行動やその日その日の場当たり的な対応に反対して、われわれをよりいっそう目的に近づけるものが何であり、目的からわれわれを遠ざけるものが何であるかの判断をわれわれが下せるようにするものでもある。したがって、それは、最悪の事態への最短の道となるであろう「よりましな悪」との妥協とは距離をおくと同時に、目的と手段に関する科学的知識ではなくて、むしろ調整される戦略的仮説である。それは、公正と平等と連帯のもうひとつの世界に関する不屈の夢を、資本主義の時代において既存の体制の打倒を目指す永続的運動を、所有関係と権力関係の根本的変革へとこの運動を導く仮説を、揺るぎない形で形容している。

11、資本主義が陥っている社会的、経済的、エコロジー的、モラル的危機は、人類と地球の両方を脅かしながら、いっそう高まる停滞と不条理という代償を払ってしかもはやそれ自身の限界を押し戻すことができない。この危機は「急進的な共産主義の今日的意義」を再び日程にのせているのであって、これは、ベンヤミンが両大戦間の脅威の高まりに直面する中で心から望んだものである。
二〇一〇年一月十二日


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