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再び放送を政権に捧げるのか―労働組合が不退転の決意  かけはし2010.3.15号

92年ストスローガン再現の
文化放送┃強腕政権にも難関


 1961年5月16日未明にクーデターをひき起こした軍人たちが漢江を越えて真っ先に向かった所は当時、国営放送だった韓国放送だった。パク・チョンヒ少将の指示を受けた軍人たちは未明に1人勤務をしていたパク・ジョンセ・アナウンサーを脅し、軍事クーデターが成功したことを告げるラジオ放送を行うようにした。
 そして49年が過ぎた2010年、今度はイ・ミョンバク政府の息が荒くなっている。一瞬たりとも休むことなく「放送社接収」の道をひた走りに走ってきたせいだ。タンクや軍靴の音は聞かれないものの、検察、警察、監査院、放送通信委員会など国家機関の一潟千里に駆ける音が聞こえる。
 就任後2年余にしてYTNや韓国放送を掌中にした政府は今や文化放送の接収を目前にしている、と彼らは考えているだろう。2月8日、無理やりその場を追われるようになったオム・ギヨン社長の後任に政権親和形の人物を座らせればよい。反面、文化放送労働組合は2月18日、組合員らから「ゼネスト同意書」を受け取り、その執行の日付を待つばかりとなっている。政権との一戦を辞さず、という労組の意志は決然たるものがある。2月18日、ソウル・汝矣島の文化放送ロビーで籠城中だったイ・グネン文化放送労組委員長は〈ハンギョレ21〉と会い、「ゼネストへとつながる手続きは避けがたい」と語った。

政権への批判報道を排除

 先立った2つの放送社の暴力的な接収過程を見てなお、彼らはなぜ政権に抵抗しようとするのだろうか? 真実を歪曲し国民を欺いていたかつての放送へと舞い戻ることはできないという切迫さのためだ。
 文化放送の人々は彼らの歴史を1992年以前とその後とに区分する。その年、文化放送労組は9月2日から50日間、ありとあらゆる放送のジグザクにもかかわらず「政権の手から、国民のふところへ」というスローガンを掲げて公正報道と制作の自律性確保のために闘った。それまでは文化放送をはじめとする公営放送の各社はありとあらゆる事実の歪曲をためらうことはなかったし、これをけん制しようとする労組は日常的に無視された。当時のゼネストに積極的に参加していたあるPDは〈ハンギョレ21〉との通話で「ストを前後して文化放送が権力に屈従しない不退転の精神を持つことになった」と語った。
 けれどもオム・ギヨン社長が去った場に放送文化振興会(以下、放文振)が指名する新社長が安着する瞬間、文化放送は20余年前の記憶をデジャビュ(既視感)させるだろう。その瞬間、イ・ミョンバク政府の「放送社接収」は終止符を打つこととなる。文化放送の「不退転の精神」は政権に向けた屈従へと立ち戻りかねない。古い例を見るまでもない。
 韓国放送を見ればよい。イ・ビョンスン社長に続き、イ・ミョンバク大統領候補の特補(特別補佐官)出身のキム・インギュ社長が支配している韓国放送において政権に批判的な報道に接しなくなってから久しい。国家的財源の浪費や環境破壊への憂慮を指摘されている4大河川事業(注1)や国土均衡発展の原則を捨て去った世宗市修正案問題(注2)も時たま「論難」として取り扱われるだけで、問題点を集中的にえぐり出す報道は目を皿のようにして見ても探し出すことはできない。批判報道の代わりに「政権の顔たち」がTV画面を満たしている。
 最近、韓国放送労組はチョン・ドゥオン(与党)ハンナラ党議員が昨年11月21日〈愛のリクエスト〉に出演したのに続き、1月31日には〈コンサート7080〉に出て歌を歌うなど70日余りの間に実に4回も韓国放送の番組に出演したことを明らかにするとともに、これを批判する声明を出した。労組は声明で「(韓国放送)の内外では韓国放送が地方選挙を前にして、地方選挙企画委員長を担当したチョン議員に対して広報と美化を試み、ハンナラ党の地方選挙を側面援助しているとの疑惑まで提起されている」と発表した。韓国放送労組(委員長カン・ドング)は最近作られた全国言論労組韓国放送本部(本部長オム・キョンチョル)とは違って、会社親和形という批判を受けた労組だという点において、彼らが提起した事態の深刻性はとりわけ目立つ。チョン議員は昨年10月3日〈芸能人中継〉にも出演したことがある。2008年7月に「韓国放送の社長は政府傘下の機関長として新政府の国政の哲学と基調を積極的に具現しようとする意志があって然るべきだ」と語っていたパク・ジェワン青瓦台(大統領府)国政企画首席の言葉はこのように現実となってきている。

社長交替、記者・PD馴致

 どのように馴らすのか、その過程も韓国放送がよく示している。懲戒・解雇という強力な手段が動員される。キム・ヒョンソク元記者協会長は罷免の後、停職へと懲戒のレベルを下げ春川総局へと送ってしまい、その後のバトンを引き継いだミン・ピルギュ元協会長にも警告の懲戒をした。最近では、キム・インギュ社長が5共(第5共和国、チョン・ドゥファン政権)時代に民政党を称揚する報道をした内容を集めて公開したという理由で、キム・ジヌ記者協会長に減俸2カ月の懲戒を下した。「誠実の義務違反」と「コンテンツ流失」という理由でだった。全国言論労組韓国放送本部は2月16日に声明を出し、「イ・ミョンバク政権の発足以降、KBSでは三代にわたる記者協会長や2代にわたるPD協会長(ヤン・スンドン、キム・ドクチェ)がいずれも官制社長や特補社長から懲戒されるという記録がうち立てられた」と批難した。
 このように批判的記者やPDらを懲戒・解雇するのはパク・チョンヒ軍事政権の初期から始まり1975年の〈東亜日報〉〈朝鮮日報〉での記者の大量解職という事態を経て、1980年のチョン・ドゥファン新軍部政権の執権の時も継続されてきたありようだけれども、イ・ミョンバク政府の発足後はいささか異なった特徴を示している。
 該当する放送社の社長たちをまず立ちゆかなくなるようにふるまって追い出したり解任した後、官制社長をその座につかせるという過程が先行する。各放送社の理事会がそのお先棒を担ぐのも一緒だ。YTN理事会や韓国放送理事会に続き、今度は文化放送の放文振がその役目を担っている。放文振は2月20日までに文化放送の新社長についての公募を終えて26日に最終内定した後、その日の株式総会で選任手続きを仕上げる計画だ。
 文化放送内部でも新社長が来たらどんなことが繰り広げられるのかをよく分かっている。〈PD手帳〉チームのあるPDは「新たに来る社長は硬派のPDらを他の部署に転出させるなど、飼い馴らしの手法を試みるだろう」し、「(新任の)ユン・ヒョク制作本部長も〈PD手帳〉を制御するためにやってきた人物だと思う」と語った。オム・ギヨン前社長の反対にもかかわらず、放文振が任命を強行したユン本部長とファン・ヒマン報道本部長は今なお労組の出勤阻止行動によってその座につけずにいる。
 オム前社長の残余の任期1年を埋める候補として挙げられている人物たちは、イ大統領と同じ高麗大出身であったり、ハンナラ党傾向の人々だ。大邱文化放送社長を担った金・ジョンオ京仁TV常任顧問とク・ヨンフエ文化放送美術センター社長は高麗大出身であり、キム・ジェチョル清州文化放送社長もイ大統領と親密な関係であることが知られている。現在、社長職務代行を担っているキム・ジョングク文化放送企画調整室長も候補に挙げられる。彼は2月10日、社員たちに送った文章で「社員たちは合法的枠の中で意見を表示するとの原則を守ることを望みたい」「誰であれ、この原則に反するならばそれ相応の責任をとらなければならないし、また責任をとるようにする」と語った。ゼネストに対する警告だ。
 文化放送労組は誰が社長に選任されたとしても、現在の放文振が選任する限り受け入れることはできない、との断固たる態度だ。どのみち「落下傘社長」だ、というのだ。イ・グネン委員長は「現在のように放文振が文化放送の首のリードを握り、刀を振りかざしている状況では、どんな人物が社長として来るとしても、公正な放送を守り批判の機能を維持することはできない」のであって「人物論は無意味だ」と釘をさした。彼は「1992年の闘争が公正放送死守という内部の問題であったとするなら、今は権力に立ち向かう言論の独立の問題だという側面において、状況ははるかに深刻だ」と語った。
 放文振の後任社長選任を前にして文化放送内部は緊張感が高まる中で、労組を中心とした政権との闘いが不可避だ、との「主戦論」が大勢を形づくっている。入社10年内外のある記者は「我々がKOされたり、タオルを投げることはできないし、最後までリング上で踏ん張らなければならないのではないだろうか」と報道局の雰囲気を伝えた。

高い投票率、やや低い賛成率

 同時に今回の闘いが容易ではないだろうとの危機感も見てとれる。イ・ミョンバク政府がYTNや韓国放送を接収する過程で見せた「腕力」が余りにも激しかったせいだ。チョン・ヨンジュン前韓国放送社長とノ・ジョンミョン前YTN労組委員長解任事件のように、後で裁判になって敗訴しようがどうしようが、理屈も屁理屈もあらばこそ、ブルドーザーのようにともかく押しつけるという場面を見守りながら生じた「学習効果」だ。
 文化放送労組が2月17日に完了したゼネストへの賛否投票で96・7%(組合員1911人中1847人が投票)という高い投票率と共に、期待よりもやや低い75・9%(1402人の賛成)の賛成率が出てきたのも、このような複雑な状況認識が投影された結果だと見られる。
 外部の条件も、おいそれとはいかない。文化放送労組のゼネストにはせ参じることのできる勢力はそれほど多くはない。1992年のゼネストの際は韓国放送労組が部分的ではありながらも連帯ストに参加する一方、市民の声援がわき起こったが、今回はいささか不確実だ。
 昨年、展開されたメディア法反対闘争は文化放送1つだけではなく他の放送社はもちろん新聞の側まで連係した課題であった上に、国会を相手に繰り広げられたものだから大きな注目を浴びることができた。キム・ユジン民主言論市民連合事務処長は「まずはMBCの内部構成員らが闘い始める以外にない」し、「そうなる時、市民・社会団体や国民が力を寄せ合うことができるだろう」と語った。
 ともあれ文化放送労組としても選択できるカードは多くはない。ある時事教養PDは「我々が妥協できる部分が描けない闘いなので心配だ」と語った。さし迫って2月26日に新社長が選任されれば、労組は翌日から出勤阻止に乗り出さざるをえない。そのような状況が続けられれば、社長の出勤のために警察力が投入される手順の中で労組はゼネストを宣言し、「政権の力対文化放送プラス市民社会の力」がぶつかり合う公算が大きい。「不法スト」の論難の中で労組執行部をはじめとする組合員らの大量検挙の事態も充分に予見できる。文化放送の内外で「ある程度の犠牲は避けられない」という話が流れ続けている理由だ。
 「文化放送掌握」に成功すればイ・ミョンバク政府はわが国のすべてのTVやラジオのアンテナを青瓦台に向けて立てるという効果を見るだろう。だが高い期待利益には多くの危険が伴うこともまた事実だ。新社長が早い期間に正常な出勤に成功し、後任の人事を通して組織を掌握できない状態で6月の地方選挙を迎えることになるなら、ハンナラ党は逆風を迎えかねない。
 文化放送の民営化も遠ざかってしまい、極右新聞らが進出を狙っている総合編成チャンネルの事業者選定も遅れ、韓国放送の受信料引き上げを通じて7千億〜8千億ウォンほどの広告財源を総編チャンネルに払ってやるという計画にもつまずきが生じることは避けられない。
 1992年のゼネスト闘争が終わった後、アン・ソンイル元文化放送労組委員長は、このような言葉を残した。「放送という職業は我々が創造したものではない。それは我々に託されたものだ。それは多くの不特定多数の権利を委任されたものであり、公共の財産を委託管理しているものであり、時間を扱うものであり、約束によって存在するものだ」。

「放送は約束によって存在」

 文化放送は18年ぶりに、この言葉が本心なのが立証することを求められる状況に至った。あるラジオPDは「闘いを仕掛けた側はMBCを接収する過程での破裂音が大したものではないだろうと考えたかも知れない。彼らが見積もりを誤ったということを立証する責任が労組や市民社会の側にある」と語った。(「ハンギョレ21」第799号、10年3月1日付、チョン・ジョンフィ記者)

注1 漢江、洛東江など韓国の主要河川を運河で連結し、内陸交通の発展を図るというイ・ミョンバク構想だったが、激しい世論の反発にいったんは頓挫したものの、再び策動が始まっている。
注2 ソウルへの極度の一極集中を是正するために前政権時に法令を制定し主たる政府機能をソウルの南方、忠清道に移転する計画。すでに14工事が始まっているが、イ・ミョンバク政府はこれを覆し、移転は小規模にしようとしている。


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