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三月地方選挙後のフランス情勢             かけはし2010.5.24号

可能な限り統一した強力な左翼
の共同の動員が求められている


 以下は、三月の地方選を経たフランス情勢についての、NPAで活動する同志の評価だ。この選挙でサルコジ政権は大きな打撃を受けた。政治の機能不全化はフランスでも明確に進んだ。イギリス、ドイツを含めヨーロッパ一円で進む支配階級の政策遂行能力の弱体化にギリシャ危機が追い討ちをかけている。この危機に立ち向かう民衆の闘いの中で、フランスの行方は重要な意味をもつと思われる。その点も合わせ、今後を考える素材としていただきたい。(「かはけし」編集部)


サルコジへの広範な拒否

 危機が深まりつつある情勢の中で二〇一〇年三月十四日と二十一日に行われたフランス地方選挙の主要な教訓は、以下のようなものであった。すなわち、大量の棄権、政府にとって真の選挙敗北、国民戦線の復活、そしてNPA(反資本主義新党)の残念な結果である。
 地方選挙の主要な面は、サルコジと彼の政策に対する広範な拒否である。拒否はさまざまな形で表現された。権力の座にあるUMP(国民運動連合)は大きな敗北をこうむった。右翼が得た得票は第一回投票の約二六%、第二回投票の三五・五%(有権者の15%にすぎない)であった。ほとんどすべての地区で社会党(PS)の後塵を拝した。地方選に立候補した八人の閣僚は、他のUMP候補者よりひどくはないにしても、同じ程度の敗北をこうむった。政府の政策が全体として拒否されたことは明白である。それは大株主と最富裕階級の利益に奉仕するものであり、民衆の大多数に危機のつけを払わせるものであり、公共サービスと社会的獲得物を破壊する政策である。現政権を選挙で罰するという意味では、これらの選挙は目覚しいものであった。地方選挙がそれ以前の選挙結果に対する矯正を表現するという点では、新しいことは何もない。たとえば、一九八三年には左翼に対してそれは起こった。しかし、一般に矯正は起こったが、このような規模の現象はほとんど例がない。
 大量の棄権があったことが、今回の選挙の別の重大な側面である。棄権は第一回投票では五三%、第二回投票では有権者全体の四九%であったが、若い世代では棄権は七〇%に近かった。民衆階級の三分の二が棄権し、民衆地域の住民のわずか三〇%が投票したにすぎなかった。このような規模の棄権は体制内政党への拒否を示しているが、同時に選挙政治からの民衆の一部の疎外をも示している。社会的排除が政治的排除をもたらしている。
 国民戦線(FN)は息を吹き返した。得票と第二回投票立候補可能性(第一回投票で10%以上得票した候補者リストしか立候補できない)においては二〇〇四年より低かったが、FNは危機を乗り越えつつある。FNは、サルコジ主義の危機と、サルコジのキャンペーンの中で始まったナショナル・アイデンティティをめぐる吐き気を催すような論争を全面的に利用した。相手よりどちらがいっそう人種主義的な演説をするかという競争が繰り広げられた。
 しかし同時に、FNは民衆層を含む抗議の票もひきつけた。PSとその同盟者たちの明確な勝利を可能にし、二〇〇四年以来PSが支配してきた地区で新自由主義的政策を適用してきたことの罰をまぬがれさせたのは、右翼に対する広範な拒否であった。第二回投票においては、左翼の候補者リストの得票は第一回投票より良かった。このような結果は一九八〇年代初頭以来見られなかったことである。左翼の連合のリスト、特にPSは、「サルコジ以外ならだれでもよい」という雰囲気の中で利益を得たが、これらのリストは一部の有権者にとって右翼の敵対者として信頼でき能力があるように見えたと思われる。それにもかかわらず、この選挙の成功がPSとその同盟者たちが従っている政策の承認を表していると言うことはできない。実際、PSの結果は、第二回投票が三者の争いになった場合にはあまり良くない。
 たとえばリムーザン地区(NPAがNPA・左翼戦線リストによって2人の地方議員を得た)では、このリストが得た結果は、左翼の側にPS対UMPの伝統的対決のほかに社会党から独立した第三の選択肢がある場合、第三のリストの得票が第一回投票より良くなることを示している。三月十四日の得票率は一三・一三%であったが、一週間後には一九・一%を獲得した(2千票の増加)。第二回投票でPSにヨーロッパ・エコロジー候補者リストが対抗したブリタニー地区でも、同じ状況が見られた。
 PSは最強の地位にあったが、その理由は同党のみが政府の重心として右翼に取って代わることができると見られたからである。ヨーロッパ・エコロジーは、二〇〇九年六月の欧州議会選挙ほどには成功しなかったが、約一二%の得票を獲得し、選挙では左翼の第二勢力としての地位を確立しつつある。この成功の理由は多面的である。グリーンとその同盟者たちの綱領はいかなる意味でも「反体制」党を表現するものではないが、この結果を説明するのは民衆の間に存在する強力なエコロジー的願望である。同時に、ヨーロッパ・エコロジーへの投票は、この政治潮流の主要な指導者の大部分がさまざまなレベルでPSとの連立政府に参加してきたにもかかわらず、PSに対する不信の表現でもある。
 この文脈の中では、左翼戦線の結果はむしろ良いものであった。左翼戦線は、欧州議会選挙での得票率が六・四五%であったのに比べて、平均六・九五%を獲得したが、ばらつきが大きく、共産党(PCF)の伝統的牙城であった地域で高い得票であった。左翼戦線の存続と得票の維持は、依然として社会自由主義に従属的であるとしても社会自由主義とは異なる、反自由主義的改良主義的左翼の政治的舞台における確立を示すものである。この勢力は、フランス政治の急進的領域でわれわれと競い合い続けるだろう。これら二つの選挙で左翼党との連合を選択したことにより、PCFは一九八〇年代に始まる選挙における連続的な衰退を食い止めた。
 ただし、下降曲線を逆転するほどの明確な活力を獲得できたわけではない。PCFの議員数は二〇〇四年に比べると半分に減った。今回の二回の投票の間に、われわれは左翼戦線を構成する政党の指導部との基本的不一致を確認することができた。ほとんどすべての地区で、PSとの綱領的融合が発生した。PCFはPSが支配する執行部に参加することを決定した。左翼戦線の指導部は矛盾を抱えているが、二〇一二年選挙では左翼連合の新しいバージョンに参加する用意ができていることを示している。

議会を基礎としない政党の試練

 はっきり言おう。これら地方選挙でNPAが得た結果は良くなかった。われわれが立候補した二十一の地区の平均は、得票率三・四%であった。すなわち、明確な後退を示している(左翼戦線と連合して立候補した三つの地区を別にして)。十八の地区のどこでも、五%の壁を越えることはできなかった。バス・ノルマンディー地区ではわずか数十票足りず四・九九%であった。左翼戦線との共同候補者リストで立った三つの地区では、結果は少し良かった。特にリムーザン地区でそうである。他方、ペイ・ドゥ・ラロワール地区では、やはり数十票差で五%の壁に届かず、欧州選挙の得票にはるかに及ばなかった。
 五三・六%に達した棄権率が、やはり特に民衆地域に影響を与えた。多くの町で選挙に行った人は三〇%を超えず、もっと少ない場合もあった。
 基本的には、われわれは、欧州議会選挙のときよりもっと激しい程度において、われわれの考えにもっとも近い有権者の大部分の、選挙過程に対する嫌悪の影響をこうむった。われわれはこの現象の影響を他の政党より大きくこうむった。これは、中間しきい値の存在から当然出てくることである。PSやヨーロッパ・エコロジーや地区レベルでの左翼戦線とさえ異なり、われわれの考えに対する人々の支持の気持ちとは別の問題として、われわれに対する投票は右翼を罰する信頼できる方法とは思えなかったのである。このことは困難な問題を提起している。議会内活動を基礎とし議員のまわりに組織を作ることを望まない政党、むしろ社会的動員に基づいた直接的政治行動を基礎とする政党、若者、労働者、職場や近隣の人民階層の組織化を基礎とする政党をどのように建設するのか。
 この基礎の上では、議会でのわれわれの存在の有用性は、この行動の延長としてのみ信頼できるものになる。行動に根付き、広範な支持を得ることが必要である。NPAはこのような支持を特定の場所では得ているが、全国的規模では得ていない。また、われわれが提出する社会的要求に政治的オルタナティブの一貫性を与えることが必要である。これは特に、雇用、賃金、社会的保護に関する要求を越えて進むことを意味し、労働者のために社会の編成のオルタナティブの代表として登場できることを意味する。したがって、特定の選挙において特にオリビエ・ブザンスノーのような人物のまわりに有権者をひきつけることができ、あるいはわれわれへの投票が政治的メッセージを表現する信頼できる方法であると思えたときには有権者をひきつけることができる。
 しかし、われわれはいまだ、広範な一貫した選挙における支持を得ることができるほど十分確固として根付いてはいない。しかし全体として、PSより左の得票はすべて落胆させるものであり、一般に極左の得票は特にそうであった。もちろん、昨年秋の社会的動員の弱さがこの結果に重くのしかかっていた。基本的には、悲惨な危機に直面し、サルコジ政府の暴力的政策に直面しながら、われわれに投票することが有益であることをわれわれは示せなかったのである。

攻撃を阻止し得る動員に向け

 この地方選挙で、サルコジを頭とする政府がそれまで持っていた正当性をすべて失い、政治的危機の幕が開けられた。結果が発表される前から右翼の分裂が始まり、今やサルコジ再選は不確かであると思われている。サルコジには、さらに右へかじを切ることで自らの陣営を統一する以外に道はない。今後数カ月間、年金改革が中心問題になるだろう。年金改革は表面的には主として定年を六十二歳または六十三歳に延長することであるが、サルコジにとってこの改革の成功は、彼だけが国を「近代化」できることを自らの陣営に対して証明することになる。サルコジに対して、PSを指導部とする左翼のオルタナティブ政府プロジェクトがふたたび出現しようとしている。
 このプロジェクトに関与する三つの勢力のそれぞれは、二〇〇七年に経験した危機をある程度克服しなければならない。PSはマルチーヌ・オブリーを中心にして一時的に再統一している。緑の党はヨーロッパ・エコロジーに参加することにより、彼らの運動が陥っていた行き詰まりの解決策を見出した。そしてジャンリュック・メランションが新しい活力を注入することにより、PCFの衰退傾向に歯止めをかけた。左翼連合の新しいバージョンはすでに準備されているが、三つの極のそれぞれの内部の矛盾は依然として強力で、プロジェクトの中身も異なり、重要な内部対立が存在する。
 危機の現在の局面はギリシャ情勢に象徴されている。スペインやポルトガルで繰り返されるというシナリオが浮かんでいるが、程度の違いはあってもヨーロッパのどの国もこの危機をまぬがれないだろう。銀行救済のために公共負債が契約され、金融機関が新たな投機の対象となり、政府はつけを大多数の民衆にまわしている(賃金凍結、年金や社会的保護の削減、公共部門の雇用消失)。加速されている経済危機とエコロジー的危機が抵抗を呼び起こしている。抵抗は強力ではあるが、現段階では攻撃が新たなレベルに高まっている諸国において資本家の攻勢を阻止するには不十分である。
 深い不満が社会全体で表現されており、選挙ゲームをひっくり返すことも政府と大きな労働組合連合指導部が組織した包囲網に打ち勝つこともできなかったが、最近の選挙の中でも不満は表現された。これらの矛盾がどのように作用するか、予言することは不可能である。一段と深刻な経済情勢と政治的危機の要素の組み合わせが、政府を困難な状況に追い込んでいる。しかし、特に経済情勢は、可能な限り統一した強力な闘う左翼が社会的抵抗の挑戦にこたえ、統一した動員を構築し、反資本主義的オルタナティブを提起することができたときにのみ利用することができる。
 したがって、NPAは結成から一年を経て選挙の敗北をこうむり、このことがある程度困難な状況をつくり出しているが、今回の選挙の敗北はわれわれの本来のプロジェクトを無効にするものではない。これまでにもまして、大衆的反資本主義政党、動員を増幅することができる党、「社会の革命的変革」のための党を建設することは、体制の全面的な危機、経済的、社会的、エコロジー的危機の時期には、必要であるだけでなく、真に、ただちに可能である。

▲ サンドラ・デマルクは、反資本主義新党(NPA)の執行委員会のメンバーで、第四インターナショナルの指導部のメンバーである。

コラム
求人難と「日本語の壁」


 ある植木屋さんとの会話。
 「この不況で仕事が減っているのではありませんか」。
 「いや仕事はいっぱいあります。不況で仕事がないなんてウソですよ。私の所でもマンションの植栽の管理を四百棟やっています。人手不足で困っていますよ」。
 「街路樹なども定期的に剪定していますが、ああした仕事もしているのですか」。
 「いや、あれは単価が安いのでとても割りにあわず受けていません。人手が足りずに募集をかけるのですが、若者の応募はなく外国人ばかりです。やはり三K(汚い、きついなど)職場ですから。外国人でももちろんできる仕事ですが、問題はお客さんに話しかけられると、つっけんどうな返答をするということで嫌がられるということがあります。誰か若い人紹介してもらえないでしょうか」。
 江東自主夜中に通う四十代のSさんは再就職が決まらず困っている。Sさんは二〇〇二年に来日した。最初に勤めたのは、精肉工場で冷凍肉を切り分ける時給九百円のアルバイト。それから職を転々としケガもした。日本語の壁が大きく立ちはだかった。独学で日本語を覚えようとがんばったが限界があった。そして二〇〇四年、江東自主夜中にたどりつき日本語の勉強をしている。
 Sさんは「技術を身につけないとダメだ」と、職業訓練学校に通い溶接の免許をとり、二〇〇八年溶接会社に正社員として雇われた。しかし、この鉄工所も不況の波をもろに受け、昨年春に解雇を言い渡された。Sさんは「確かに仕事はなく暇だったが、解雇に不満は言わないと誓約書を書くように言われた。そのことがなんのことかよく分からなかった。日頃からよく扱われず、今回の解雇には中国人差別があったと思う」と話していた。その後、Sさんは自動車運転免許も取り、さらに職業訓練学校に通い、オフセット印刷のコースを学び今年三月に卒業した。
 それから、毎日のように職安に通って仕事を探している。ところが印刷の募集はほとんどない。なんでもよいからと清掃の仕事に応募すると十倍の求職者が殺到しているという。ここでも「日本語の壁」が不採用の理由になっているようだ。
 中島隆信さん(慶応義塾大教授)は、「生活難の人たちへの所得保障は必要だ。しかし、より重要なのはそもそも社会に弱者をつくらないことだ」という。b社会的弱者の生活保障には巨額のコストがかかる。b弱者の多くは「経済」から排除されている。b仕事を与えれば社会全体の効率性が高まる、として「社会的弱者に雇用の場を」と提案している(「日経」、5月10日)。
 植木屋さんの人手不足とSさんの就職を結びつける、社会的システムが必要だと私も思う。(滝)


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