「赤シャツ」への弾圧をただちにやめろ
暗殺をやめろ アピシットは辞任せよ! |
兵隊たちは五日間にわたって、タイにおける新たな「黒い五月」を組織してきた。アピシット・ヴェイジャジヴァ政権は非武装のデモ隊に実弾を撃つために軍を送りこみ、「サエ・ダン将軍」(訳注:「赤シャツ」側につき、狙撃されて死亡したカティヤ陸軍少将)のケースのように、政敵を待ち伏せ襲撃で暗殺する狙撃者を認可した。
政権は正当化できないことを正当化するために、デモ隊の一部を「テロリスト」だと非難し、ラチャプラソン地区への恥ずべき封鎖を行った。水や電気は使えなくなった。デモ隊への生活物資は届けられなくなっている。この地域へのラジオやTV放送は止まっている。政府がいう「テロリスト」たちとは、タイの支配階級たちの「正義」に反対し、民主主義を再建するために闘っている幾千・幾万もの男女、子ども、一般の人々のことである。かれらの合言葉はこうだ。「アピシットは退陣せよ。二〇〇八年十二月に議会内連合が変わった時、軍によって政権につけられたアピシットには正統性がない」。
アピシットに正統性があるのだとしたならば、彼は「投票による審判を尊重せよ」という「赤シャツ」の要求に同意したに違いない。彼はそのようにするのではなく、自らの政治的弱点を示している。彼は検閲と弾圧によって異論を沈黙させようとしている。彼が権力にとどまる唯一のチャンスは、赤シャツ運動を暴力と弾圧によって解体する軍の能力にかかっている。四月初め以来、六十五人以上が殺され、暴力はなお続いている。
アピシットはただちに辞任し、彼に第一の責任がある死亡事件に関して裁判にかけられなければならない。議会の解散とできるだけ早期の総選挙のために、赤シャツの代表との交渉を開始しなければならない。
数週間におよぶ見事な闘いを行い、いまや軍の攻撃にさらされている赤シャツの勇気に、第四インターナショナルは敬意を表明する。われわれは断固としてかれらの側にたつ。
第四インターナショナル執行ビューロー
二〇一〇年五月十七日
フランスも郵便局を民営化
ツケはやはり市民と労働者に
K・Y(在フランス)
「民営化では
ない」民営化
フランスの郵便局ラ・ポストが民営化されました。
昨年十月に、労働組合、ATTAC―Franceをはじめとした様々なアソシエーション、政党などが集まってできた全国評議会で行った市民投票で、九〇%以上が民営化ノンという意思表示をしたにもかかわらず、法案が通過し、あっという間の三月一日からラ・ポストは、国が一〇〇%所有の株式会社ラ・ポストとなりました。
政府はラ・ポストの株は市場には出さないと言っていますが、来年の一月にはこの資本の一部を、la Caisse des Depots
et Consignation(預金供託公庫)が所有することが決まっています。そして市場に株を公開するべく利益を上げるために、二〇一〇年から二〇一五年までに五万人を雇用削減をする計画を立てています。
政府が今回の株式会社への変更を、「これは民営化ではない」としきりに言ってきたのは、「民営化(私有化)」という言葉を使うのを避けて、市民を刺激しないようにし、でも着実に民営化を進める卑怯で巧妙な方法をとっているからですが、実際、ラ・ポストが民営化されたと意識している市民は少ないでしょう。労働組合やATTACフランスなどの社会運動団体は、もちろんこれは民営化(私有化)だと反対してきましたが、多くのメディアも政府と同じく「民営化(私有化)」とは明言しません。「郵政民営化をすれば、経済が活性化されて、サービスも向上する」と、しきりに宣伝して、民営化を推し進めた日本の前小泉政権とは、まったく違う方法をとっています。
しかし、サービスは日本以上に低下していると言えるかもしれません。全国に一万七千あった郵便局は、十年前からどんどん廃局・統合され、約一万二千局となりました。地方ではどんどん郵便局がなくなり、そこでは市役所や商店が、切手・書留・小包を取り扱っています。また二〇〇二年から現在までの八年間で、既に五万人の雇用が削減されています。更にラ・ポストには、ポストバンク、クロノポスト、メディアポストをはじめ約二百の子会社が存在し、小包配達は下請けされています。
ヨーロッパを
ねらう資本主義
地位を変更して株式会社ラ・ポストは、さっそく郵便料金の値上げを発表しました。ユニバーサルサービスを確保するための資金調達のためと言いながら、大口顧客には優遇措置をとり、個人利用者にその分をかぶせるという二重構造に加えて、郵便労働者の大幅削減がセットです。結局ここでも「つけを払わされるのは市民と労働者」なのです。 資本主義がヨーロッパを標的にしている今、フランスでも政府は、国の格付けが暴落する心配があると人々に迫り、この危機を口実に、緊縮政策を押しつけようとしています。そうなればますます労働条件は悪化し、社会的サービスは後退していきます。再び剥ぎ取られるまえに「彼らの危機のつけを払うのは市民・労働者じゃない!緊縮政策ではなく富の分配を!」と、ギリシャ・スペイン・ポルトガルの人々と連帯してヨーロッパの市民・労働者が団結する時だと、五月二十七日日に年金改革反対ストとデモが呼びかけられています。
(筆者の了解を得てATTACジャパンのMLより転載、なお文章の末尾にある5月27日のスト・デモにはフランス全土で100万人が参加した――本紙編集部)
映画紹介
川口浩史監督作品
「トロッコ」
国境を越えた家族のきずなを描く
異国の亡父の故郷
では母と子は…
川口浩史監督の「トロッコ」。トロッコといえば誰でも思い出すのが、芥川龍之介の小説「トロッコ」だ。映画の「トロッコ」は、日本人の若い母親が幼い男の子二人を連れて死んだ夫の故郷である台湾に遺骨を持って帰り、夏休みを台湾の実家で過ごす物語である。小説「トロッコ」のようなシーンがこの映画のクライマックスになっている。哀愁を帯び余韻の残る川井郁子の音楽も映画の雰囲気を盛り上げている。
母親の夕美子役は、河瀬直美監督の「萌の朱雀」で主演デビューを果たした尾野真知子が好演している。また、子役の二人がうまい。映画に登場する日本人はこの三人で、その他の配役はすべて台湾の人たち。特に祖父役のホン・リウの演技が光る。映画の舞台になったのは、台湾の花蓮から内陸に入った山村だ。以前、台湾が日本の植民地であったとき、ここに台湾檜を伐採して運び出すトロッコの軌道があって、その作業に従事していた労働者や職員の家があった。実際、ロケーションは林務局管轄の保護区で今は廃屋になっている日本の民家風の建物が使用されたそうである。
日本の裏切りと
日本への片思い
母親に反抗的な兄敦と甘えん坊の弟凱。敦は父が亡くなる前に形見としてもらった一枚の写真を持っていた。トロッコを押している少年のスナップ写真だった。敦は写っているその少年が死んだ父だと思っていたのだが、実際は祖父が若い頃の写真で、写っているのは祖父でもなかった。祖父に連れられて写真の場所を探しに出かけるが、その場所はもうトロッコの軌道ではなくなっていて、そこがどこなのかは分からなかった。祖父が村の老人たちと話をしているとき敦は、その近くで偶然、村のおじいさんに押されて帰ってくるトロッコを見つけたのだった。昔、父もトロッコに乗り、遅くなって帰ってきたことがあったらしい。少年の心に、父とのつながりのあるあのトロッコに乗りたいという思いが募っていく。
祖父は「子どもの頃、このトロッコは日本につながっていると思っていた」と日本語で敦に話し、このトロッコで運び出された台湾檜で靖国神社の鳥居や明治神宮が造られた、日本人はしっかりした物をつくるといって日本へのあこがれを語るのだった。父の弟と母夕美子との会話の中でもそのことが語られる。戦後、父はそのような意識の祖父に反発した。でも父は日本の大学に進学し、卒業後は郷里に帰らず日本人の女性と結婚した。あのときぐらい祖父のうれしそうな顔を見たことがないと話すのだった。
このように、映画は皇民化政策がもたらしたものが、台湾の人たちの日常生活の中に消えずに残っているありさまをさりげなく描いていく。少年たちをトロッコにのせる青年も、自分は日本の大学にいき林業を学びたいと彼らに話すのである。映画を見ている方の私たち日本人としては、何か後ろめたい気になってくる。でも、映画が語っている状況は、現在の台湾の実態の一面ではあるかもしれない。
祖父に日本から郵便物が届いた。祖父が出していた軍人恩給の申請を日本政府が却下したという返事だった。一九四五年までは日本人だったが、敗戦後日本は自分たちを日本から切り捨てた。しかも悪かったという一言の言葉もない。祖父は強い語調で吐き捨てるように言う。でも、祖父の書斎の壁には富士山の写真が飾ってあるのだった。しかし二人の子どもたちはそのことに立ち入らないし、夕美子も、そのことに応えたりはしない。
三代それぞ
れのきずな
映画が描いている基調は家族のきずなである。そのきずなが、二つの国の国境を越えて描かれていることが映画の奥行きをつくっている。電灯の明かりに照らされ、大きな食卓を囲んで大勢で食事をする家族の姿。それはつい最近まで日本の農村でも見かけられた懐かしい風景だ。映画の設定では、父の弟夫婦は台北に住んでいて、老いた両親を引き取るといった現代社会の問題も語られる。母親の夕美子は姑と話しをしているときに、育児も仕事もどちらも中途半端にしかできていないと心情を吐露する。姑が、母親一人で育てるのは大変だ、敦にしわ寄せがいっているようだから、敦だけでもあずかろうかと聞くと、夕美子は泣き崩れる。その会話をこっそり敦が立ち聞きしている。
このような事情の中で、祖母が倒れて入院する。夕美子は、ちゃんと留守番しているように子どもたちに言いつけて病院に駆けつける。そのような展開の中で、敦は「俺らはお母さんに捨てられるんだ」と弟の凱を連れて家を飛び出し、トロッコのある場所に走るのだ。この後は、小説「トロッコ」の場面である。小説では二人の工夫が、土砂崩れで両親を亡くしおじいさんに育てられた青年になっているのと、一人の少年が二人の兄弟になっているのが違うだけだ。
最初はトロッコに乗ってはしゃいでいた弟も、当たりがだんだん暗くなってくると不安になり、帰りたいと走り出すが、疲れてくるし草履の鼻緒が切れてしゃがみ込んで泣き出してしまう。それを、それまで偉そうに振る舞っていた兄がなだめながら、どうにかこうにか家の灯が見えるところまで帰ってきた。それまで泣いていた弟は急に泣き止んで走り出し、母の胸に飛び込む。母は、弟を優しく抱きながら、お前は何をしていたのかと兄を強く叱責する。母の胸で泣きじゃくる弟をじっと見つめている兄。そして、お母さんは僕が要らないのだろう、と恨めしそうに母に語る。月並みだが、小説に劣らず感動的だ。
トロッコの帰り道や、家に着いてからの場面での敦の兄としての成長ぶり、わがままで甘えん坊の弟の描写は見事だ。
夕美子は老いた舅を前に、日本に帰らずここに住んで役に立ちたいと申し出るが、帰ってきて孫の顔を見せてくれただけで十分だと祖父は断る。その翌日、夕美子たちは父の弟の車で駅に向かって帰っていく。その車を祖父が見送る。少しずつ曲がっていく村の道、そこに立つ祖父の姿が次第に小さくなっていく。農村に残る老夫婦と都市で生活する子ども世代の抱える問題を象徴しているようにもとれるラストシーンである。 (津山)
コラム
受粉とミツバチ
三月下旬、定年退職を機に母親の介護もあり田舎に帰ることにした友人の引っ越しを手伝いに出掛けた。しかし今時の引っ越しは作業のほとんどを業者がやるので、早々に退去し近くにあるかたくりの群落地へ。「カタコの里」は高尾山から南東に延びる山稜の一角にあり、下ると津久井湖が広がる。訪ねるのは今回が二度目、群落地といっても多くは個人の敷地内であり、家主が営々と守ってきたということが一見して分かる。
早春、かたくりは福寿草の次に花を咲かせる。周りの木々が葉を伸ばす前、太陽の光が直接地面に降り注ぐ時期に陽光を一人占めするように二葉の間から紅紫色の小さな花びらを見せる。この時、地上の温度は十七〜八度に達し受粉に必要な蝶など昆虫が飛び始める。可憐な中にも生命をつなぐための緻密な計算がなされている。紅紫色の花びらも蝶を引きつけるための道具だというからびっくり。残念なことに今年の春は寒かったせいで満開にはほど遠かった。
その後バスをパスして一時間半程畑中を歩く。道のあちこちに「ミツバチの盗難が横行……すぐに連絡を!」の看板が目立つ。ハウスは点在しているが、果樹の産地だということを耳にしたことはない。ミツバチ泥棒がこんな所にまで出没しているとは。
この数年、ミツバチの大量死は果樹農家を直撃し、桜前線のように南から北へと移動する養蜂家をも商売にならないと嘆かせている。専門家によるとこの大きな原因は、一九九〇年代から使用され始めた「ネオニコチノイド系農薬」だと指摘する。従来の有期リン系農薬に比べ毒性が低いとされ当初は水田のカメムシ防除などの限定的使用であったが、二〇〇〇年代になると松枯れ防止、園芸用、床下のシロアリ駆除剤など用途は急激に広がった。これに比例してミツバチへの被害も増大した。
この農薬は昆虫を興奮状態にして方向感覚を麻痺させ、筋肉を収縮させて殺すというように中枢神経に作用する。低毒性とされながらも昆虫にとっては従来のものとは全く違った「ききめ」を持っている。だが農薬メーカーも厚労省も「健康に影響のない残留基準値を厳しく設定している」と答えるばかり。しかし国内の残留基準値は欧米に比べて数十〜数百倍も緩いのが現状であり、この農薬とミツバチの被害が疑われた時、「蜂蜜大国・フランス」では政府が即時使用禁止を打ち出し原因調査を始めている。毒の性質を無視して「低毒系」を強弁する日本とはえらい違いである。今被害が拡大している家畜伝染病・口蹄疫に対する政府の対応の立ち遅れがダブって見える。
ミツバチのリース代は開花時期のシーズンだと一箱(約1万匹)五万円であるが、それが今年は六〜七万円に上昇した。蜂蜜の代金も含めるとミツバチ一箱で五十万円も稼ぐことになる。ミツバチは名札を付けてはいないことを利用し、悪どく儲けている者の仕業であることは明白。 (武)
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