| 読書案内『思想は空から降ってはこない 新訳・唯物史観概説』アントニオ・ラブリオーラ著 小原耕一/渡辺實 訳 同時代社刊 3000円+税 かけはし2010.7.19号 |
トロツキーとラブリオーラ
イタリアの傑出したマルクス主義者アントニオ・ラブリオーラは、一八四三年に生まれ、一九〇四年に六十歳で亡くなった。晩年のエンゲルスとの書簡交換などを経て、彼がヘーゲル主義者からマルクス主義者へと飛躍を遂げたのは五十歳を過ぎてからのことである。
トロツキーは彼の有名な自伝で、二十歳前後の監獄の中でのラブリオーラの著書との出会いについて書いている。
「あるとき、老ヘーゲリアンにしてマルクス主義者であるイタリア人アントニオ・ラブリオーラの二つの有名な論文のフランス語訳が監房に届けられた。私はこの二つの論文を独房の中で有頂天になって読んだ。ラテン系の著述家にはめずらしく、ラブリオーラは弁証法的唯物論をわがものとしていた――ただし彼がまったく疎かった政治の分野においてではなく、歴史哲学の分野において。その叙述のきらびやかなディレッタンティズムの下には、実際には、真の深みが隠されていた……」。「彼の試論を読んでから三〇年の月日が流れたが、彼の思想の全般的な筋道は繰り返し出てくる『思想は空から降ってはこない』というリフレインとともに、私の記憶にしっかりと刻み込まれている」。(岩波文庫版『わが生涯』[上])p246)。
若きトロツキーのマルクス主義者としての思想形成に大きな役割を果たしたアントニオ・ラブリオーラの名前を、私は学生時代に『わが生涯』を読んで初めて知った。
バラバーノワの回想から
次に私がラブリオーラの名前と遭遇したのは、これもロシア人革命家でイタリアの大学で学び、イタリア社会党に入党し、その後コミンテルンの初代書記になったアンジェリカ・バラバーノフ(バラバーノワ)の回想録を読んだ時だった(『わが反逆の生涯 インターナショナルの死と再生』、風媒社刊)。
彼女は書いている。
「私がマルクス主義の研究を始めて以来、ますます親しみのあるものとなってゆく名前があった。それはアントニオ・ラブリオーラである……。アントニオ・ラブリオーラはローマのサピエンツァ大学の教授であった。私の通ったどの大学でも、社会党員の学生が集まって討論すると、いつも、ほとんど必ず彼のことが引用されるのであった。当時、本気で革命運動にたずさわっていた学生なら、誰でも一度は彼のところで勉強したくなってみただろう。マルクス主義の中で、私にもっとも関心のあったことは、その哲学方法であり、プレハーノフと同様、アントニオ・ラブリオーラはその方法を身につけていた」。
彼女は実際にイタリアに行き、ローマの大学に入ってラブリオーラの授業を受けることになった。
「ラブリオーラは私の期待を裏切らなかった。深く鋭い批判精神を備えていた彼は、疑いもなく同世代のもっとも際立った教師の一人だった。実際、私は、今でも彼のことを現代におけるもっともすばらしい人間の一人だと考えている。学者生活の初期に、彼はナポリ大学の哲学教授だったことがあり、そこで学問研究しているうちにマルクスの著作にふれたのであった」。
「ラブリオーラの方法は科学的、かつ創造的であった。彼は社会党員ではあったが、けっして学生たちに社会主義者としての信念を押しつけようとはしなかった。彼は、歴史と哲学を通じて、過去と現在を通して、われわれを指導した。彼は事実を明らかにし、われわれにその結論を導かせるのだった。われわれが研究方法だとか、社会理論、芸術、科学に対して批判的態度を発展させることを学びとるため、彼は疑うことを教えた」。
その上で彼は、学期の終わりに授業の締めくくりの言葉として、次のように言うことも忘れなかったという。「今年度、諸君に行ってきた四十回の講義で、私は、社会が被搾取者と搾取者に分かれていることを示してきました。諸君のうちで、搾取者にたいして、被搾取者とともに戦うことを選ぶ人は、高潔な素晴らしい仕事をすることになるでしょう。倫理と哲学の教授として私はこれをいいます。では、終わりましょう」(『わが反逆の生涯』p35〜37)。
トロツキーやバラバーノワのような批判的精神に富んだ革命家によって、このような絶賛の評価が与えられている人物は、そうたくさんいるものではない。ラブリオーラから大きな影響を受けた革命家として挙げる必要があるのは言うまでもなく同じイタリア人のアントニオ・グラムシであるが、グラムシについては門外漢に近い私はもっぱらトロツキーとバラバーノワを経てラブリオーラという人物の存在を知ったわけである。
しかし、肝心のラブリオーラの著作は八十年以上前の一九二三年に邦訳が出ただけで、戦後は日本語で彼の著書は刊行されていなかった。今回、実に八十数年の空白を経てラブリオーラの主著(原題:『唯物史観概説』)が小原耕一と渡辺實の努力でイタリア語版原典から翻訳され、日本語読者にも読めるようになったことは、私としても長年の期待がかなったこととして大いに喜びたい。
「困難性についての知覚」
本著は二つの独立した論文から構成されている。第一論考は「共産主義者のマニフェストを記念して」(1895年)。マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」の意義について述べたものである。第二論考は「史的唯物論について――予備的考察」(1896年)。表題通り、「史的唯物論」の構造を労働者階級の自己解放の運動との関連で、決して図式的ではなく、多面的かつダイナミックに解き明かそうとしたものである。
まず「共産主義者のマニフェスト」(いわゆる「共産党宣言」)を、「批判的共産主義」の言説として整理したラブリオーラは、批判的共産主義は「革命を製造しないし、蜂起を準備しないし、暴動を武装しない。批判的共産主義はプロレタリア運動と一つに融合するが、この運動が社会生活のすべての諸関係とのあいだで持っているし、また持つことができるし、持たなければならない関連についての完全な理解のもとに、この運動を見つめ、支えるものである。要するに、批判的共産主義は、プロレタリア革命の隊長たちの参謀本部が作られる演習室ではない。それはただこのプロレタリア革命の知覚、とりわけ、一定の状況のもとでは、この革命の困難性についての知覚であるにすぎないのである」(p51)と喝破する。
「困難性についての知覚」という言葉は、あらゆる幻想、主観主義やセクト主義、そして清算主義と決別した上で、歴史的運動としてのプロレタリア革命の諸条件を「科学的」に考察しようとする彼の立場を際立たせるものであろう。
彼はまた、さまざまな「理想社会」の青写真を出来合いの公式として提示しようとする「俗流社会主義」に対して、「生産手段の社会化」が「労働する権利と労働する義務とが万人のための労働という共通の宿命性の中で渾然一体となっている、商品も賃労働もない経済形態にすすまざるを得ない」(p37)という形で、開かれた「未来」の構想を突き出している。
史的唯物論の適用方法
第二論考の「史的唯物論については、単純な「経済決定論」的唯物論理解に対する先鋭な批判が、注目に値する。
「経済的下部構造は、それ以外のものを規定するからといって、自動的、機械的な効果を直にあらわすような装いで、数々の制度、法律、慣習、思想、感情、イデオロギーがそこから飛び出てくるような単純なメカニズムではない。下部構造からそれ以外のものにいたるまで、その発生の由来と媒介の過程は、きわめて複雑なものであり、しばしば繊細で入り組んでおり、かならずしもつねに解読できるものではない」。「今も昔も、社会には《知性》の、そして《感情》や《思考》の位階制のようなものが存在する。人間は、つねにどんな場合でも、自分の置かれている状態や自分のやるべきことについておおよそ明確な意識をもっているなどと仮定するのは、実は、ありそうにもないこと、根も葉もないことを仮定するに等しい」(p163)。
「問題は、まるで歴史はその背後に秘密の真実を隠した外観にすぎないかのように、歴史を社会学に置き換えることではなく、歴史を直覚的な顕現において全体として把握し、歴史を経済社会学の力をかりて理解すること、これである。だから問題は、実体から偶有性を、実在から外観を、内在的な核心から現象を切り離すことではなく、……どちらかといえばむしろ、絡み合う複雑な関係をまさしく絡み合う複雑な関係のままに説明することなのである。問題は社会的基盤だけをまず発見し決定しておいてその後で人間たちをもはや神の摂理ではなく経済的なカテゴリーによってその糸が握られ動かされている操り人形のようにその社会的基盤の上に登場させることではないのだ」(p239)。
「脈絡と複雑さをその深部の関連と外面的な現れにおいて理解すること、表面から根底へと下降してから今度は根底から表面へと上昇して再構築すること、その最も近いものから最も遠いものにいたるまで、情熱と意図をそのよってきたる動因において解明し、ついでそれらの熱情や意思や動因についてのデータから特定の経済状況の最も遠い要因を再び導き出すこと、これこそ唯物論的考え方が手本を示さなければならない術である」(p241)。
こうしたラブリオーラの史的唯物論の現実的適用問題についての説明は、あらゆるドグマ主義や観念論を超えた総体性・具体性と、現実の運動における諸要因の相互作用への柔軟なアプローチに道を開くものである。
トロツキーは獄中でラブリオーラの弁証法的唯物論に大きな感銘を受けたと書いた後、フリーメーソンの歴史についての解明に全力を費やし、史的唯物論の方法をほぼ独力で体得していったことを紹介している。
トロツキーの哲学的方法の大きな特徴として「過程の弁証法」を指摘したのは中野徹三の「トロツキーの哲学」(『トロツキー研究』6号、8号)である。中野は「彼(トロツキー)の弁証法的視座がけっして事物の『内的矛盾』に限定されることなく、常に『内的矛盾』と外的諸条件との構造的把握を志向している」と評価し「したがってある段階から次の段階への移行そのものの分析に際してもそれにかかわる多元的諸要因の構造的で動的な相関が問われる」と述べている。
こうしたトロツキーの弁証法には、若き日のラブリオーラの学習の成果が反映している、と考えてもいいのではないか。
この「難物」に挑戦しよう
ラブリオーラを引用しつついろいろと書いてはきたが、本書は、そうたやすくスラスラと読める本ではない。はっきり言ってむずかしい。もっと正確に言えば、おもに電車の中で読書している私にとって、一頁のうちに何カ所も止まってしまい、元に戻らなければ先に進めない箇所と、快調に頭の中に入っていく箇所が入れ替わり立ち替わり現れる本書は、かなりの難物だった。
しかし、こうした「難物」に挑戦することも避けることはできない。訳者の一人であるグラムシ研究者の小原耕一は力作の本書「解題」の中で、「学問的にひじょうに厳格さを尊ぶ学者」であろうラブリオーラの文章が「翻訳者泣かせ」であり、「途中で翻訳を投げ出したくなったことも何度かあった」と告白している。
しかし小原は今日の資本主義の危機の中で「一六〇年前に発表された『共産党宣言』の根本を貫く新しい歴史観、唯物論的歴史観を『実践の哲学』の精髄としてしっかりと吟味し再認識することが切実に求められているように思う。その意味で死にかけたかに見える『史的唯物論』の概念もやがて息を吹き返すであろうことを私たちは確信している」と訴えている。ぜひこの訳者の思いに応えることが必要である。
なおグラムシ「獄中ノート」とラブリオーラの関係については、本書「解題」、ならびに新刊の『トロツキー研究』56号に掲載された小原耕一「マルクス・ラブリオーラ・グラムシの『再吸収』言説の謎」、松田博「グラムシのラブリオーラ論に関する覚書」を参照していただきたい。
(平井純一)
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