国際金融機関が支える王政
の攻撃に学生が果敢な抵抗 |
遠く離れた日本では、極めて反動的な王制国家とのイメージが刻印されたモロッコだが、新自由主義的グローバリゼーションが、この地域にも独特の矛盾を深化させている。第四インターナショナルの支部が活動を進展させているこの国から、近年活力を再生させた学生運動の状況について「インターナショナル・ビューポイント」に報告が届いているので以下に紹介する。なお、モロッコ政府による学生への弾圧に対しては、国際学生連合が、逮捕学生の釈放を要求する声明を発している。(「かけはし」編集部)
革命的学生潮流の発展
モロッコの公立大学並びに学校システムは現在、公的で良質かつ無料の教育に対するモロッコの普通の人びとの権利に関する、絶えることのない攻撃を受け続けている。この攻撃は、「教育並びに訓練のための国民憲章」と名付けられた文書によって具体化されている。そしてこの文書は、世界銀行の指示にしたがい一九九九年にモロッコ国家によって承認を受け、二〇〇〇年三月、王の下にある議会によって是認された。
この憲章は、二〇〇九―二〇一〇年の学年始めから動き始めたもう一つの文書によって支援されている。それこそ「緊急計画」だ。新自由主義的な世界銀行の論理にしたがった多くの諸国で起きているものと同様に、この攻撃は、資本の掌握の下で、その論理と要求に従って、選ばれた者たちのエリート大学に必要な基礎を打ち固め、その他の大衆を的として、モロッコの大学がもつ自由、知識、また公的な性格に打撃を与えるためにある。
この攻撃に対して、学生組織、モロッコ学生組合(NUSM)内部の学生運動は、果敢かつ感銘を呼ぶ闘争を組織してきた。この闘争の中で、革命的左翼の諸潮流は近年指導的な役割を果たしたが、またこの闘争は、モロッコの体制による暴虐な抑圧を経験してきた。こうしてこの二年、ファズ、タザ、メクネス、ウジュダ、タンジール、マラケシュ、アガディールで、何十人もの戦闘的な活動家が逮捕され、起訴された。
ストライキと試験ボイコット
この年アガディール大学は、「緊急計画全面反対」というスローガンの下での連続的な闘争を経験した。そのスローガンに込められたものは、学生の学習並びに生活に関わる諸条件、つまり、移動手段の欠落、奨学金支給の遅れ、大学校内の軍事化、学内居住者向け食堂の不在、教員の不足、超過密、まったく信用のおけない試験がもたらした大混乱の成績、大学管理における愚行、などに対する反対だ。それはある種大混乱の状況であり、大学教授の労働組合すらもが強く非難したものだった。そして彼らは、学生との連帯を宣言し、二日間のストライキで闘った。闘争は、二月には大学レベルでの大衆的様相に達し、三月には、試験期にあった学生にとって不公正であったいくつかの科目の試験廃止を要求するまでに至った。それは、履修記憶が確認できる講義時間に関しては、その期間に得た得点すべてを合算し、全員を合格とする権利の要求などだ。大学の全学部で起きたこれらの闘争は、報告と運営の形で学生の実体ある参加を保証するための民主的な闘争の自己統治を基礎とした、広範な大衆的参加を特徴とした。それらはまた、重要な要素として、女性の学生の参加によっても明確になっている。実際、法学部と科学部においては、闘争は二人の女性によって率いられた。彼女たちの断固さに助けられたことで学生たちは、特に法学部においては、彼らの要求の重要な部分を達成できた。
こうした駆動力が、大学当局と警察の憎悪をかき立て、大学周辺を公然非公然さまざまな抑圧勢力のキャンプへと変えるよう彼らを向かわせた。しかしそれよりもこの駆動力は、学生大衆の中に闘争の実行可能性に対する自信を、また大学内のNUSMの戦闘的活動家に対する信用を復活させた。
こうして、法学部における休み明け直後、あたかも学生に対する報復であるかのように、大学当局は二〇一〇年六月二日の試験実施を公表した。対して学生は、学生が十分な準備ができるよう六月十四日までの試験延期を強制するために、五月後半十日間以上も闘った。この闘争は六月七日への延期にまで当局を強制した。しかし学生たちはこの延期を不十分と見、五月二十二日、主体的な条件が活用できるとの条件付きで、六月七日の試験ボイコットを決定した。先の条件とはすなわち、学生多数が納得した場合ということだ。その後彼らは、警察の包囲作戦に対する抗議のため、大学周辺を通り抜ける行進を組織した。この行進は、抑圧勢力との石を投げ合う衝突へと発展した。試験ボイコットに向けた動員と学生の意向確認は一週間続いた。
警察の大学包囲と逮捕
六月七日朝、通常とは異なる警察の包囲の下で、学生は大衆集会を開催し、民主的なやり方で、試験ボイコット実行を決定、午前十時に一斉に学部を後にした。このように事実は、警察、大学当局、さらに彼らの同類がでっち上げる、ボイコットは何人かの「紛争屋」学生が力で強要した、との主張とは正反対のものだ。
午後、学生がボイコットの決定を継続するパネルディスカッションの開催に取りかかっていた間に、警察の弾圧部隊は、法学部学部長の要請を手に大学校内を襲撃した。この部隊は大衆討論を組織した学生たちと衝突し、この衝突は、学部周辺で夜七時半まで続いた。弾圧部隊は、当局のスタッフや教員の目の前で、学部のホールやテラスにいたごく少数の学生の受験を勝手に予約し、脅迫、侮辱、また殴打によって彼らの意に反する試験合格を余儀なくさせた。このような四時間の間に、三〇人以上の学生が逮捕され、真夜中頃解放されたが、内五人はまだ留めおかれている。警察はさらに芸術学部を襲撃し、この襲撃は学生、ファティマ・マギーの二階からの転落を引き起こした。彼女は重い骨折を負った。
弾圧と包囲というこの雰囲気の中で、学生大衆から闘争の中心部を隔離することによって、弾圧がボイコット闘争をくじいた。学生の追跡、彼らの部屋の襲撃と彼らの逮捕は続いた。法学部のカマル・ボウトバグァ、ムハムマド・チェウィス、ハッサン・ベン・ツウィン(失業者)、ムバレク・ルカディ(法学部で学習を続けている小学校教員)は逮捕、そしてアブデル・アジズ・アーディブは六月八日朝に、控訴裁判所最前列にいた。六月十日には十人の拘留者に対して、重い非難で一杯になった綴じ込みの形で、多くの罪状が付けられた。いわゆる、「公的当局に対する侵犯と侮辱、彼らに対する暴力行使、暴力と反乱という手段による公的権威をもつスタッフに対する抵抗、他人の財産に対する損傷、公共の利益に向けられた物事に対することさらなあら探し」といったものだ。それらの法廷は先の四人に対して、一時保釈の場合の監視を宣告した。一方他の人びとはイネツガネ刑務所に投獄された。裁判は六月十四日と二十一日に延期された。
しかしムハムマド・チェウィスとアブデル・アジズは釈放されなかった。彼らが、二〇一〇年三月と四月に起きた、「民主的基本方向(DBD)―アガディール」と「アマジー文化運動―アガディラ」との間の暴力事件に関連した、もう一つの綴じ込みでも告発されているからだ。二〇〇三年以降、ある種恒常的な衝突が存在してきた。そしてこれらの衝突は、多くの拘留者と身体の障がいを、またDBDの二人の暗殺を生み出した。
試験ボイコットと学園防衛の闘争を理由とするアガディールの逮捕学生リストは、法学部学部長が警察に差し出した不平と中傷のせいで作成されていると見られている。そこには、十人の学生を逮捕するようにとのあからさまな要求が含まれている。内四人は六月七日と八日に逮捕された。一方で警察は、残りを逮捕するために今も戦闘的活動家たちを追跡している。実際に六月十四日には、大学校内で二人が逮捕され、六月十六日には、一時的釈放という形で裁判に引き出されるだろう。告発を受けたものの数はこれまで、女性三人、男性九人の学生だ。
学生・労働組合活動家への弾圧
モロッコの体制は、モロッコのすべての大学における学生の抵抗に対して、高まる憎悪を明らかにし続けている。六月十四日警察は、マラケシュ大学襲撃後ヨウネス・エッサルミとムハムメド・エララビを逮捕しその後一時釈放した。六月十二日には、戦闘的活動家、アブドル・エラー・アリルベトが五カ月の拘留の後タンジール大学で釈放された。その一方で、おのおの二〇〇八年と二〇一〇年の学生闘争に参加したことへの仕打ちとして、マラケシュ大学の二人とウジュダ大学の四人の戦闘的学生は依然として獄中にある。
全体としての政治情勢は、モハムマド六世に対する権力移行を示すわずかばかりの緊張緩和の後、抑圧の絞りをさらにきつくしようとしている。それらすべては、全政党からなる王の諸党の賛美を伴って起きつつある。これらの諸党には、「リベラル野党」が含まれ、それらはすべて、国際金融諸機関の勧告の下に王制が策定した極端な自由主義政策を実行するための、中継機器へと移行した。それらの政策はまた、労働組合指導者の引率を通しても、「社会平和」の廊下と「社会対話」の迷宮へと移され、そしてそれは、萌芽的かつたがをはめられていない民衆的なまた労働者の抵抗の全形態の破壊を追求し、社会的獲得物と士気を破壊するものとなる。六月一カ月だけで、フーリブガの十三人のりん鉱山労働者が告発され、四カ月投獄の刑を受けた。また、失業者の戦闘的活動家と労働組合活動家四人が逮捕された。そのうちフィギグの二人は、六月二十九日に職場放棄の罪状で告発されるだろう。加えて、ミスールにおけるアクリーの人びとに対する流血の弾圧がある。むしり取られた土地を取り戻すために闘っている十一人の市民に対する逮捕と告発だ。
対立と分断を乗り越えて
モロッコの大学に起きている闘争は、学生が示した果敢さにもかかわらず、その地方的、部分的、さらに分断された性格を理由として今も非常に控えめだ。この状況はまた、モロッコの学生組合の装置、NUSMに対する八〇年代の警察の弾圧による破壊、学生運動の草の根における民主的伝統の腐食、全国的な時には地方的にでもNUSMの各部分間の共同の実地活動の伝統が途絶えたこと、これらの結果でもある。しかしそれは危険な水準にまで到達している。そしてそれは、政治的相違を厳しい手段を使って解決することを理由として、警察ならびに識見などまるでない者たちを喜ばせるだけだ。
しかしながら学生運動はこの年、このようなNUSMの民主主義と戦闘性の破壊を克服する上で重要な歩みを記した。この年、NUSMの四つの傾向が、三月二十三日マラケシュで、分派間の暴力、政治的逮捕、学生の抵抗の団結に向けた展望という諸課題を討論するための、全国的かつ公開のシンポジウムを機に会合したのだ。暴力の問題に関する進歩的な立場はこの会議の結果だ。それは、すべての学生左翼に対して、暴力を決して引き入れない行動であり、それを引き継ぐ全国的な委員会の形成だ。それは、強化されるべき、かつ他の戦闘的左翼潮流を含めるようその範囲の拡張を追求することで前進させられるべき、質的な一歩だ。その拡張は、先のセミナーに参加しなかった部分であれ、あるいはこれまで孤立主義的立場を取ってきた部分、さらに、学生運動の利益を何よりも真に図ろうとする戦闘的な立場からは正当化されない敵対的立場にあってさえ、含められるべきだ。
全国的な学生左翼組織の討論の側面における、また学生の戦闘的闘争の側面におけるこの推進力は、アガディール、マラケシュ、さらにモロッコのほかの大学のNUSMに対する今の逆上したキャンペーンの背後にある重要な要素の一つだ。
抑圧と専制と従属の体制は、この推進力を流血の海、逮捕、弾圧の中に投げ捨てる活動にいそしんでいる。戦闘的なNUSM諸傾向の責任は、儀礼的ではなく先入観のない責任のある同志的な討論のかけはしを強化するてこへと、この状況を変えることだ。それは、運営と報告における学生の民主的な権利を確実にする民主的かつ戦闘的な基盤に立って、学生の全国的な闘争を急進化するためだ。そして、この推進力の、労働者と民衆の諸闘争とのもっとも広範な統合を追求するためだ。特に労働組合と政治的自由の防衛という分野、また教育、雇用、組織の権利という分野における闘争が重要だ。この推進力は、モロッコと海外の闘争勢力の肩に重い荷を置いてもいる。それは、モロッコにおける政治的抑圧のすべての犠牲者に対する、また前線にあるウジュダ、マラケシュ、アガディールの学生運動の拘留者に対する広範な連帯キャンペーンを、全国的にも国際的にも組織する責任だ。
アガディール、マラケシュの学生大衆に対する抑圧を停止せよ!
全政治的拘留者、非告発者を釈放せよ!
モロッコの普通の人びととその子どもたちの闘争に勝利を!
学生運動に勝利を!全政治的拘留者、フーリブガ、フィギグ、ミスール、ウジュダ、マラケシュ、アガディールで告発された人びとに自由を!
二〇一〇年六月十六日
▼革命的学生潮流は、NUSM内部の一潮流であり、アル・ムナディール(第四インターナショナルモロッコ支部)と行動を共にしている。彼らの中の四人は告発を受け、内一人はすでに投獄され、残りの三人は警察から手配されている。
(「インターナショナルビューポイント」六月号)
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