気候変動に関するコチャバンバ民衆サミット最終宣言の意義と批判
かけはし2010.7.5号 |
資本主義体制の根本的拒否と現行資本主義変革の分岐点に
ダニエル・タヌロ、サンドラ・アンベルニッチ |
日本の主流メディアはほとんど無視したが、四月中旬、ボリビアのコチャバンバで、気候変動に関するコチャバンバ民衆サミットが開催された(本紙5月17日号付参照)。コペンハーゲンCOP15は必要な合意に失敗し、代わりに先進大国の利己的利害が貫かれた密室の政治合意なるものが世界に強要されようとした。コチャバンバサミットはこれに対抗して、ベネズエラのチャベス大統領と共にこの合意の受け入れを拒否したボリビア大統領、エボ・モラレスが全世界の民衆に呼びかけ招集した。前記本紙記事にあるようにこのサミットは大成功し、活発な議論を通して極めて急進的かつ画期的宣言を採択した。以下に紹介する論考は、この宣言を基本的に支持する立場に立ちつつ、友好的、建設的討論として、今後の闘いの発展を図る上での宣言が抱えるいくつかの問題点を指摘し論じている。気候変動との闘いの発展に向けた議論の糧として検討していただきたい。「かけはし」編集部
環境をめぐる闘争の重要な前進
ボリビアのエボ・モラレス大統領の招請によって四月二十日から二十二日までコチャバンバ(ボリビア)で開催された「気候と『母なる大地』の権利に関する民衆サミット」は、大きな成功を収めた。三万人の参加者が気候の危機のさまざまな側面について数日間にわたって討論し、断固とした反資本主義的立場に立った一連の非常に興味深い文書を採択した。
サミットの最終宣言(原注1)は、この作業をまとめたもので、反生産力主義的、国際主義的立場から社会的および環境的闘争を集約する上で重要な前進となるものである。われわれは、エコソシアリストとして支持を表明するものである。同時に、文書の一部の欠点に関して友好的な論争を始めることが必要であると考える。これらの欠陥は、将来この種の会議がふたたび開催される機会に克服される必要がある。
昨年十二月のコペンハーゲン国連サミットにおけるエボ・モラレスとウーゴ・チャベスの宣言に続いて、会議の最終宣言は、起こりつつある気候変動の資本主義的起源を明確に指摘した。気候変動を単なる気温の問題として、その社会経済的責任の問題に踏み込まなくても解決できるかのように議論している諸国政府を糾弾した。競争の論理に、したがって無制限の成長の論理に基づいたモデルと、生態系の限界と生態系のリズムを尊重することの差し迫った必要性が、まったく両立し得ないことを強調した。
「資本主義体制はわれわれに競争の論理、無制限の成長の論理を押しつけた。この生産と消費の様式は、人類を自然から切り離すことによって、自然に対する支配の論理を確立することによって、あらゆるものを商品に変えることによって、無制限の利潤を追求する。水、土地、人間の遺伝子、先祖伝来の文化、生物多様性、正義、倫理、人間の権利、死と生そのものまでも商品に変える」。
天然資源と人間の商品への変換を非難した後、宣言は帝国主義的植民地化を糾弾し、「人類とわが母なる大地の世話と保護を市場の手にゆだねることは無責任である」と論理的に結論付けた。この戦略的立場は、続いてエコロジー的要求と社会的要求を結びつける一連の具体的要求へと展開された。
すなわち、炭素市場反対、REDD(森林減少・劣化による温室効果ガス排出量の削減)メカニズム(REDD+およびREDD++を含む)反対(原注2)、バイオ燃料反対、GMO(遺伝子組み換え生物)反対、生物に対する知的財産権法反対、自由貿易協定反対、また適応のための世界基金およびクリーンな技術のための基金の要求、水を基本的人権として認めさせる要求、先住民の権利を尊重する要求、零細農民の農業支援の要求、などである。
次の数十年の間に「気候難民」が一億人に達する可能性があるにもかかわらず、何もしようとしていない各国政府の冷笑主義を暴露しながら、宣言文書は西側諸国の制限的抑圧的移民政策の廃止を要求し、軍事予算に割り当てられている資金を気候の保護に投資することを要求する。また、技術移転をよそおって実際には北の大企業が汚染物質排出を続けることを目的とし、しかも炭素市場で超過利潤を得ようとする、柔軟メカニズムを糾弾する。この新しい形態の植民地搾取に対して、宣言は「知識は普遍的なものであり、いかなる場合も私的財産や私的利用の対象とすることはできない」と断言する。したがって「よく生きる」ためのサービスの技術の共有と開発を主張する。
最後に、宣言文書は、独立した国際的法的枠組みの設置を具体的に提案する。これは世界の住民によって公平に運営され、その目的は、資源の乱用、環境的無責任、および移住民の非人道的取り扱いに関する逸脱を終わらせることである。
エネルギー部門と削減目標に?
この反資本主義的立場は目覚しいものである。しかしわれわれは、一定の欠点を批判しなければならない。
最も驚くべき点は、石油、天然ガス、石炭の独占企業が、エネルギー部門の巨大多国籍企業とともに、気候変動に対して圧倒的な責任があるにもかかわらず何も告発されていないどころか、言及すらされていないことである。宣言文書は気候変動に対する農業企業の有害な役割については詳細に立ち入っているが、「石油」という言葉は宣言文の中で一回しか出現せず、それも森林と先住民の人々の権利の保護の名の下に森林地帯に所在する埋蔵量を採掘しないことを要求する枠組みの中で現れるにすぎない(この要求は正しく、正統であるが、まったく不十分な要求である)。
「石炭」および「天然ガス」という言葉は、まったく言及すらされていない。「再生可能エネルギー」という表現もない。さらに、この文書には、原子力の拒否も、二酸化炭素の地層貯留の考えられるリスクに対して慎重であるべきだという意見も含まれていない。
これらを考え合わせると、この宣言が、資本家のエネルギー圧力団体やその関連部門(自動車、石油化学、造船、航空宇宙産業、輸送、など)に対する闘いを見過ごしているという印象を持たざるを得ない。しかし、これは気候安定化の反資本主義的戦略の枠組みの中では明らかに重要な問題である。
また、宣言におけるこのような欠落は、宣言が唱導する温室効果ガス削減目標の急進的性格と驚くべき対照をなしていることを見ることができる。宣言は、エネルギー資源の選択の問題に触れることなく、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の最も急進的なシナリオよりはるかに大幅な削減目標、すなわち二酸化炭素換算濃度三〇〇ppm、産業革命前の時代の気温に比べて摂氏一度未満の温度上昇を約束することを提案している。
しかし、このレベルの気候安定化に到達するには、迂回できない一連の段階を経ることが必要であり、これらの段階は主要にエネルギー部門と資源問題に関連する。すなわち、短期間に化石エネルギーを放棄することが義務となる。
▲再生可能エネルギーによる化石エネルギーの置き換え計画が必要である。
▲この置き換えを現実に可能にするには、全体的な生産と輸送の削減が必要である。
▲生活必需品を欠いている三十億の人類の正統な必要性を満たすことを妨げるリスクを念頭において、上述のすべてを行わなければならない。
▲この問題を人道的に解決するには、エネルギーを共有財産にすることが必要であり、焦眉の急である。そうすれば、投資を必要性にしたがって、費用とは独立に、社会的対立なしに行うことができる。
▲最後に、エネルギーの転換に不可欠の資源を動員するために、エネルギーを社会的所有の下に置くことと富の再分配が結び付けられなければならない。
これらのすべてについて、宣言は何も言っていない。しかし、これらの急進的処置なしには、可能な最善のレベルで気候を安定化させることはまったく不可能であり、民衆の必要性に重点を置いた開発に関する南の正統な権利を満たすことができないことは言うまでもない。
もたらされる被害に何の責任もない民衆にとって気候変動の不公平性を最大限限定するという目的をもって、二酸化炭素換算濃度三〇〇ppmという超急進的な目標を掲げることは理解できる。しかし残念ながら、気温の上昇を一度未満に抑えるという目標はもはや達成不可能であるというのが真実であることをわれわれは言わざるを得ない。すなわち、一八五〇年以降、気温は〇・八度上昇し、これに加えて〇・六度の上昇が「パイプラインの中からもうすぐ出てくる」(海洋の熱慣性によって遅れて上昇)。大気中の二酸化炭素濃度は毎年二〜三ppm上昇している。実際、おそらく二度の温度上昇をもはや避けることはできない。
大気中の温室効果ガス濃度(すべての温室効果ガス)は、現在二酸化炭素換算で四六〇ppmを超えている。IPCCの第四次報告書に言及されている最も急進的な安定化シナリオの推定は、二〇五〇年の温室効果ガス濃度を四四五〜四九〇ppmにとどめ、これによって温度上昇を二・〇〜二・四度にとどめ、海水面上昇を最終的に〇・四〜一・四メートルにとどめる、というものである。われわれはいつの日か宣言が要求しているような三〇〇ppmに戻り、産業革命前に比べて一度の温度上昇に戻ることができるかもしれないが、今世紀中ではないことは確かである。これには非常に長期の努力が必要である。
第三世界主義的手法の二分法
この問題は、先進国と世界の他の部分の間の努力の配分に関係する。周知のように、国連気候変動枠組み条約(UNFCC)は、地球温暖化の責任は共通のものであるが差があるという事実を考慮することを主張している。この原則の尊重は南の諸国にとって明らかに決定的に重要であるが、矛盾は、気候安定化の目標が劇的に高くなるほど、発展途上国が取るべき必要な努力が大きくなることである。したがって、IPCCの最も急進的なシナリオは、先進国は二〇五〇年までに排出量を八〇〜九五%削減(二〇二〇年までに二五〜四〇%削減)することを意味する。これは大雑把に言って、四十年間の間に化石燃料による最終エネルギー消費量を半分に減らすことを意味する。
念のために言っておくが、北の諸国が二〇二〇年までに四〇%以上、二〇五〇年までに九五%以上排出量を削減すること(炭素クレジットの購入を計算に入れずに)を要求することは、論理的で正しいことである。しかし、二つの点を指摘する必要がある。(1)このシナリオにおいては、南の諸国の排出量は基準シナリオに比べて一五〜三〇%削減される必要があり、南の諸国の努力は無視できない。(2)さらに、北の諸国は、クリーン石炭技術、バイオ燃料や原子力のような危険で社会的に疑わしい技術に頼る必要があり、しかもそれで十分であるとは確実には言えない。
したがって、北の諸国に対してIPCCの最も急進的なシナリオよりも厳しい要求を突きつけるだけでなく、努力しなければならないのは北の諸国だけであるとする宣言には、非現実的な面がある。細かい数字が提案されている。すなわち、二〇一七年までの先進資本主義諸国の削減量は五〇%である。これらの諸国の政府に対する宣言の怒りをわれわれは理解し共有するけれども、このシナリオの誇張された性格について、われわれは黙っていることはできない。
このシナリオが現実的になるためには、反生産力主義的社会主義革命が明日勝利することが実際に必要である。しかも、すべての先進資本主義諸国で同時にそれが起こることが必要である。この可能性は、残念ながらとてもありそうにない。したがって問題は、われわれがどのように北の労働者階級に対処し、気候を救うために彼らの決定的な責任をどのようにして自覚させるのか、ということである。
この問題に対して、宣言は説得的な答を示していない。この理由は、宣言が、搾取する北と搾取される南という二分論をとっており、したがって「先進国」と「発展途上国」の搾取されている人々の闘いの統一の緊急性を把握していないことにある。南に関して言えば、責任は共通であるが差があるという原則を具体化した宣言の提案は、たとえばブラジル、中国、ベネズエラのような大きな産油国の特定の支配階級の生産力主義的開発戦略の批判を無視する傾向がある。問題に取り組む上でのこのような「第三世界主義」的方法は、経済危機のために失業の恐怖に脅かされているかすでに失業している北の搾取されている人々の拒絶反応を挑発する恐れがある。しかし、すべての国の搾取されている人々が統一して闘わなければ、気候のための闘いは前進しないであろう。
反資本主義的気候戦略への一歩
二〇一七年までに五〇%削減という非常に非現実的な数字を突きつけるよりも、気候を安定化させるために南の諸国が必要なほとんど最大限の努力を行うことを約束しているのに、北の諸国の努力は割り当てられた目標の半分も満たしていないことを指摘するほうが、統一を促進できるであろう。
実際、IPCCによれば、発展途上国は二〇二〇年の排出量を、「通常通りの活動」の場合の予測を一五〜三〇%下回る排出量にする措置をとる必要がある。しかし、コペンハーゲン協定の枠組みの中でUNFCC事務局に伝達された百二十の気候計画を見ると、南の諸国の約束は平均二五%の削減に相当する(つまり最大限に近い)ことが分かる。これに対して先進国が伝達した気候計画は、IPCCが二五〜四〇%削減を提案しているにもかかわらず、一九九〇年の排出量からの一五%の削減にほとんど到達していない。
したがって、宣言から想像するかもしれないような、南の諸国が努力を続ける必要がないような状況にはない。反対に、南の諸国は努力の正しい分担分以上の努力を行おうとしており、歴史的に責任があるのは北の諸国であるにもかかわらず、北の諸国は何もしようとしていない状況にある。この現実は、先進資本主義国の排出量の劇的な削減の必要性を正当化する確固とした根拠を提供している。さらに、この事実は、南の人々をいけにえにして北の諸国の危機の犠牲者たちを煽りたてようとするあらゆるデマゴーグの足元をすくうことである。
このサミットがとったアプローチを支持する進歩的な人々の一部は、母なる大地の権利に基づいた気候の正義へのアプローチに対して留保を表明した。しかし、宣言を読めば、われわれはあらゆる生命とその生命が調和的に存在する権利の源としての「母なる大地」という概念が「健全な環境の中で生きる権利」へのまったく新しい興味深いアプローチであることを認めなければならない。ラテンアメリカの先住民民衆がパチャママに対して持っている霊的あるいは神秘的概念に必ずしも固執することなく、文化的基準の差異を超えて、この宣言がまったく異なる文化を共通の目標の周りに結集させることを可能にする、自然の商品化と略奪に関する国際的政策を発展させるものであることを明確に認めることができる。
共通の目標とは、安定した気候条件の中で人々が生活する権利を危険にさらす利潤と搾取の論理を押し返すことである。環境の危機に関して言えば、自然を全体として考え、物質とエネルギーが絶えず自然の中を循環するという概念に基づいた先住民の人々の宇宙論的ビジョンは貴重な貢献をなしており、その真の価値を評価しなければならないことを否定することはできない。
しかし、これらが有効であったとしても、人間と自然の相互関係のダイナミックなビジョンによって、エネルギー部門を始めとする独占企業の完全な没収のような具体的な要求の代わりにすることはできない。実際、このような没収なしにはエネルギーと生産の根本的な国際的に公平な変換を実施することは不可能であるという単純な理由によって、生物圏のリズムとサイクルの尊重は幻想にとどまるであろう。このような観点から見ると、この宣言は、資本主義体制の根本的革命的拒否と、一見した印象以上にあいまいな「現在の資本主義体制に対して行わなければならない変革」に賛成する立場の間で、分岐点に立っている。
繰り返すと、民衆サミットはその名にふさわしい気候戦略、すなわち反資本主義的気候戦略に向かう目覚しい一歩であった。世界のすべての搾取されている人々および抑圧されている人々は、選挙で当選した大統領を通じてこの会議を主催したボリビア人民に恩義を受けたというべきである。特に、人間と自然の間の別の関係が可能であり必要であることを示すことにより主導的役割を演じた先住民の人々に恩義を受けた。建設的な論争に寄与したいというわれわれの希望は、このような積極的な評価に基づいたものである。
▲ダニエル・タヌロは、認められた農業化学者でエコソシアリスト的環境保護主義者であり、『ラ・ゴーシュ』(LCR―SAP[第四インターナショナル・ベルギー支部]の月刊誌)の執筆者である。
▲サンドラ・アンベルニッチは、LCR―SAPのメンバーで、気候正義運動の活動家である。
(原注1) 気候変動と母なる大地の権利に関する世界人民会議で採択された「人民協定」を参照
(://www.europe-solidaire.org/spip.php?article17130)。
(原注2) 発展途上国における森林減少・劣化による温室効果ガス排出量の削減に関する国連の計画(UN―REDD)は、森林の炭素貯留容量に基づいて森林に財政的価値を割り当てることにより排出量数値を削減することをねらいとしたものである。(インターナショナル・ビューポイント」10年6月号)
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