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被爆65年 広島・長崎で反核平和集会          かけはし2010.8.23号

民衆の連帯と行動で核廃絶を

謝罪なき米大使の式典参加と「オバマジョリティー」論を批判
8・6平和へのつどい2010
核と安保をけっとばせ
爆心地からの想像力を


問われる日本の
侵略戦争責任

 8・6ヒロシマ平和のつどい2010実行委は、原爆投下日の前日五日に「8・6平和へのつどい2010」と当日六日に「8・6 NO NUKES PEACE WALK」を行った。今年は潘基文国連事務総長や原爆投下国米国、核保有国イギリス、フランスの大使などが平和祈念式典に初めて参加したが、秋葉広島市長が作り出そうとしている「オバマジョリティー」なる騒ぎに強い批判が寄せられた。
 「平和へのつどい」は、午後六時から広島市まちづくり市民交流プラザで「核と安保をけっとばせ―爆心地からの想像力を―」と題して開かれ約百八十人が参加した。
 集会の最初に「ヒロシマから」として発言した被爆者二世でもある「原発はごめんだヒロシマ市民の会」代表の木原省治さんは「被爆二世に意識的に二世として生きるものと自然的二世とも言う人がいるが、意識的二世として生きる人が増えるよう頑張る」と決意を述べた。続いて「ナガサキから」の発言を行った「長崎ピースウィーク実行委員会」の舟越耿一さんは「(日米開戦の)パールハーバーでは長崎の三菱兵器製作所大橋工場で作られた航空機魚雷が使われた。パールハーバーがあって8・6、8・9があった。『ノーモア・ヒロシマ、ノーモアナガサキ』は日本ではなくアメリカが、『リメンバー・パールハーバー』はアメリカではなく日本が言うべきなだ」と指摘し「非核、反核といいながら、長崎三菱造船所ではイージス艦あたごが造られ、大村からはアフガンに出兵している。すでに戦前に帰っている現実を克服する反核運動が求められている」と訴えた。
 岩国市議の田村順玄さんは「岩国では、海兵隊基地の強化があり、沖縄、横須賀からの基地機能の移転、原子力空母ジョージ・ワシントンの艦載機59機の移駐などが進められているが、『国民が等しく背負うべきもの』として岩国に押しつけられている。二本目の滑走路建設は、新基地建設そのものだ」と発言した。
 ブラジル在住の被爆者の盆子原国彦さんは、「アモイ、ダナン、シンガポールなど回ってきたが、『日本は原爆のことを言うがアジア太平洋戦争のことを謝っていないのではないか』と指摘された。仲良くしていくためには謝罪が必要だ。日本政府は原発、兵器を外国に売り込んでいるがみなさんも反対を」と訴えた。

沖縄の人々と共に
基地・安保なくせ

 沖縄から初参加したヘリ基地反対協の安次冨浩さんは、直前にあった「普天間爆音、飛行差し止め訴訟」の福岡高裁那覇支部判決にふれ「司法は爆音を止めることから逃げたのだ」と本質を指摘、低周波被害を認め賠償額を二倍にしたことについても「評価してはいけない。その賠償金は日本政府が払うのだ。こうした構造がある限り米軍は出て行かない」と指摘し、十一月の沖縄県知事選にふれ「現知事はなんだかんだ言ってもアセスを承認したのだ。現知事を落選させ、普天間の辺野古移転を拒否する知事を誕生させるために、全国からの協力を」と訴えた。この発言を受けて、前の参議院選で惜しくも落選した平和運動センター事務局長の山城博治さんが「アメリカ国会でも沖縄海兵隊はいらないという声が起こっている。安次冨さんは遠慮したのか知事選の候補名を言わなかったが、候補者は伊波洋一宜野湾市長だ。伊波さんを立てて勝利する」と発言し、ヒロシマ、長崎の反核運動と沖縄の反基地運動の連携を訴えた。
 関西共同行動の中北龍太郎さんは、「安保五十年、基地強化が進んでいる。核兵器は人類への脅威であり絶対悪だ。核も安保もなくすために草の根の運動の連携・強化を」と決意表明した。
 前の実行委員会代表で今はピースデポ代表の湯浅一郎さんは、北東アジアの軍事的緊張」の問題に触れ、「それは安全保障のドツボである。軍事力によらない共通の安全保障が必要だ。北東アジアの非核地帯の形成が求められている。それは6カ国協議の枠組みで十分可能だ」とした。
 最後に発言した実行委員会の代表で広島平和研究所の田中利幸さんは秋葉市長の「オバマジョリティー」を批判し、木原さんと同じく「オバマジョリティー音頭」のCDを恥ずかしいと表現した。田中さんは、「オバマの下で核兵器問題は逆行している。謝罪しない米大使の式典参加は何のためだ。会場門前で止めるべき事態だ。菅政権は核抑止力の嘘が判っていない。自民党より悪質だ」と発言した。
 集会は最後に、「市民による平和宣言2010」を採択し、翌日六日早朝から平和公園各入り口での配布を確認した。    (H)



原爆ドーム前でダイイン
核廃絶・上関原発反対訴えてピースウォーク

 八月六日七時三十分、平和公園各入り口で式典参加者に「市民による平和宣言2010」と憲法改悪反対を訴える意見広告「私にとって憲法9条は」(この日、読売新聞、毎日新聞などに掲載)のコーピーを配布してきた人たちが原爆ドーム前に集まってきた。前に到着し、準備していた人たちと合流して早速集会が開かれる。
 長崎ピースウィーク実行委員会の舟越さんは「子どもたちに、なぜ広島・長崎に原爆が落とされたのか、戦争での日本の加害、その戦争で果たした広島、長崎の問題を理解してもらわなければならない」と訴えた。沖縄から参加したヘリ基地反対協の安次冨さんは「沖縄戦での悲惨、広島・長崎の原爆投下には天皇の戦争終結の判断の遅れが大きく関係している。平和のためには日米安保を無くすることが大切」と発言した。生活クラブ生協・神奈川の子どもたちは、手話を交えて「原爆許すまじ」の歌を披露した。
 ピースサイクルの新田さんはこの日の中心的課題の上関原発建設反対を訴え、愛媛県・伊方原発のプルサーマル問題を報告した。六十五年前の八月六日、広島の路面電車で被爆した米沢鐡志さんは「被爆した電車の乗客でただ一人の生き残りになった。広島の問題と、長崎、沖縄、辺野古の問題を一つの問題として取り組んでいく」と語った。関西共同行動の星川さんは「取り組みに参加して、核廃絶のためには、戦争の被害を受けた中国、朝鮮などアジアの人びとの理解と連帯が必要だと思った。核廃絶のためにも、韓国・朝鮮人、沖縄の人びとがたくさん住む大阪でこれまで以上につながりを造っていきたい」と語った。
 東京の反安保実の梶野さんは、核抑止力に裏打ちされた日米安保体制を、皆さんと連帯しながら、問題にしていくと発言した。
 遠くから法華経の太鼓の音と蝉の声が聞こえる中でダイインが行われ、終了後上関原発建設を強行する中国電力本社前まで、NO NUKES PEACE WALKが行われた。先頭は竹馬に乗った背高おんなたち。道行く人に原発反対、核兵器反対、戦争反対を訴えた。
 中国電力前では原発はごめんだヒロシマ市民の会の木原さんの司会で座り込み集会が行われた。集会では、上関原発に反対している祝島の人をはじめ、原発各地の反対運動を担う団体やたんぽぽ舎などが発言し、最後にシュプレヒコールで締めくくり、今後の運動の強化、連帯を確認した。
 ヒロシマ平和へのつどい実行委員会では、被爆関係地をはじめ旧軍事施設を船で回るスタディーツアーや岩国基地のフィールドワークなど盛りだくさんの企画に取り組んだ。六日の午後四時からは核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の主催で「8・6広島国際対話集会ー反核の夕べ」も持たれ、ジョセフ・ガーソンさんらを迎えて核兵器廃絶のための国際的意志一致がめざされた。       (H)



多様な角度から被爆の意味を問う
被爆体験を継承しつつ戦争責任と現在の核戦略を撃つ運動を

なぜ原爆は日本に
投下されたのか

 八月七日夜、長崎入り。まず、長崎大学教育学部の一角で、舟越耿一さん(長崎大学教授)らが主宰する研究会に参加。この日の講師は、木村朗(鹿児島大学教授)さん。被爆者の森口貢さんら十数人の会。
 テーマは、「なぜ、原爆は日本に投下されたのか」。木村さんの講演要旨は以下である。
 「原爆投下が戦争を早期終結させたのではなく、原爆投下があったために戦争終結が遅れたのだ。一九四四年の米英ハイド・パーク協定で、日本への投下を決定。日本側によるソ連仲介終戦工作を米は把握。天皇制政府をポツダム宣言拒否に追い込んだ。
 東京湾事前原爆投下による警告という科学者提案を米指導部は無視。ソ連の対日参戦というヤルタ会談での合意の有効性。天皇制政府はソ連参戦で降伏を決定した。ソ連参戦後に躊躇なく長崎(小倉)に投下したのは、原爆投下で降伏させたとの印象を作り出すため。最初から二発の違うタイプの原爆を使用するまで降伏させないとの意図が米政府にはあった。事実上の人体実験が目的。ゆえに、最後まで天皇制護持のために降伏しなかった日本指導部と、何が何でも人体実験をしたかった米指導部の`日米合作aが原爆投下であった。このことの冷静な認識から、核兵器禁止・廃棄に向う運動の構築を」。

忘れてはなら
ない歴史の証言

 八月八日朝からフィールドワークを行い、夕方、教育会館にある市民運動ネットワークの事務所に挨拶に行く。そして、被爆二世教職員の会、高校生一万人署名活動実行委員会、24thピースウィーク2010実行委員会主催の「被爆体験を語り継ぐ会―忘れてはならない歴史の証言―」に参加する。
 司会は、被爆二世教職員の会の方。最初に被爆証言を李一守(イ・イルス、女性)さんが行った。広島で被爆。その後韓国で暮らす。韓国原爆被爆者協会の釜山支部会員として、被爆者のために活動する。
 「私は、昭和五年(1932年)に生まれた。広島の青崎の学校に通った。六年生を卒業してから、ずっと働かされた。学徒動員。東洋工場。削岩機をつくる工場。卒業しても軍需工場で働く。その日は、工場に行かずに作業に行く日で、途中で被害を受けた。ピカとなった。まっかな空。ものすごい雲で真っ暗になった」と、その後の原爆被害の凄まじさを語った。
 「解放後の十一月に帰国。ご飯が食べられると思っていたら、朝鮮戦争が起こった。戦争は、ない方がよい。核兵器のない世界になってほしい」と結んだ。
 次にゲストが紹介された。在ブラジル被爆者教会の盆子原国彦さん。広島の被爆二世教職員の会の中谷悦子さん。在韓被爆者運動の先頭で奮闘してきた郭貴勲(カク・キフン)さん。
 次に、高校生一万人署名活動実行委員会メンバーによる訪韓報告。五人の高校生が発言した。
 「釜山駅の署名活動で、年配の方にシーシーと言われたが、若い人に暖かく言われて、嬉しかった」「日本の植民地支配のことがあるから、高校生も嫌われるかなと思ったが、温かく迎えられた」「被爆者福祉会館の方との交流で、一人のおばあさんに、私は先が長くないから、あなたたちが頑張ってほしいと言われて、がんばろうと思った」「プレゼントに対するありがとうと返してくれた。その言葉は、日本の植民地支配が強制したものではないのかと思った」という感想を日本の高校生と韓国・釜山の高校一年生が発言した。最後に、フィリピンの高校生、韓国原爆被害者二世会の李太宰(イ・テジェ)さん他が紹介されて集会は終了した。参加者数は百五十人。
 集会後、全国交流会。北海道、関西、広島、長崎。長崎市議(社民党)の池田章子さんの来年の統一地方選、二期目の挑戦を全国で支えることを確認した。昨年は、衆院選・関西の服部さんと辻元さん応援の話で盛り上がったが、今年は、当然、辻元批判のボルテージが上がったのは言うまでもない。

ピースウィーク
2010市民集会

 八月九日七時半、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会。今年もかなりの人であった。二百五十人。一分間の沈黙の後、朝鮮総連長崎県本部の代表者が国交の無い朝鮮人被爆者支援を訴えた。韓国原爆被害者協会名誉会長の郭貴勲さんは、強制連行の中、被爆させられた無名の同胞の死に追悼の言葉を述べた。被爆二世の李太宰さんは、参加した高校生を紹介し、朝鮮の民族楽器であるテピリで「アリラン」を奏でた。
 『軍艦島(原題「からす」)』の著者・韓水山(ハン・スサン)さんは、この碑を、名もなき朝鮮人のために建てた牧師、故・岡正治氏への感謝の思い出を語った。長崎市長、県知事のメッセージ紹介の後、集会メッセージを長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表の高實康稔さんが読み上げた。
 十時からの爆心地公園での「ピースウィーク2010市民集会」に参加。司会が葛西さん。主催者挨拶を舟越さん。
 「ここにある『原爆落下中心碑』の落下って何ですか?原爆は落下してきたのですか? 十五年戦争があり、パール・ハーバー先制攻撃があり、戦争の中での原爆投下。魚雷を昔も今もこの地元の三菱で製造している。それを問い続けてきたし、これかも安保と共に問い続けていく」。
 次に広島から。僕が挨拶。広島での集会を紹介した後、広島市によるルース駐日大使の招待を批判し、原爆投下を米政府が謝罪するよう要求し、行動したことを報告し、世界の人々に対する核による恐怖政治=核抑止力を六十五年間維持している米政府を糾弾した。続いてピースサイクル。
 三多摩の平田一郎さんらが発言。ピースデポの湯浅一郎さんは、成果がなかったNPT再検討会議での三点での前進点を確認した。関西共同行動の六人が自己紹介し、父親が被爆者の星川さんは父親の長崎での被爆地点が確認できたことを報告した。星座保育園園児による手話を交えた「青い空」合唱、木村朗さん、週刊金曜日の成澤さん、演劇集団「モケレンベンベ・プロジェクト」の藤沢さん、藤田祐幸さんと続いた。
 十一時二分になり、一分間の沈黙。その後、本島等元市長。本島さんは死者三百十万のうち、最後の一年間の戦争で九割が亡くなったことを糾弾し、日本の侵略戦争を問わない広島・長崎の行事を中止しようと訴えた。「ピースウィーク2010市民平和宣言」の読み上げがあり、拍手での採択となった。
 三菱長船労組の西村卓司さんに会った。三年ぶりくらいである。がっちり握手をした。「西村さん、仙谷由人の選挙のとき檄文を全国に出して、左派は応援すべきだと言いましたよね。いま、その責任を取ってください」と半分冗談、半分本気で言うと、豪快にあの笑顔で返された。お顔は一回りは小さくなりました。西村さん。来年八十歳だそうです。
 集会終了後、皆で昼食を近くの中華料理屋でとり、ピースバスに向う人々を見送って長崎をあとにした。僕は、一九九四年から長崎に意識的に出かけることにしている。多くの人が長崎への原爆投下の重い意味を位置づけなおして、その地に出かけてもらいたいと思っている。
(8・6ヒロシマ平和へのつどい2010実行委員会事務局 久野成章)


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