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中国 ホンダのストライキに関する二つの評価(下)    かけはし2010.8.23号

始まったばかりの闘争の中で左翼の役割は

長期的視野と今目前の課題の弁証法的統一を
劉 宇凡(先駆社)




勝ち取ったものはささいなのか

 続いて、一部の急進左翼の友人によるホンダストライキに関する論評を論じてみたい。呉燦澤による「ホンダストライキと現代中国労働者の闘争路線――大規模な労働運動の高まりの前夜における若干の論考」(以下「若干の論考」)では、労働者階級の独立性を防衛すること、そして共産主義路線を堅持するを強調している。中国資本主義が新たな繁栄を謳歌し、知識分子は労働者人民の苦境を忘れ去りつつあるなかで、「若干の論考」のような主張には自ずと価値がある。しかし、他の多くの同様の論文と同じく、長期的な展望に固執するあまり、現在の戦術を軽視し、ひいては事実さえもおろそかにしてしまっている。

 「若干の論考」はホンダ労働者による闘争が重要な勝利を収めたことを認めようとしていない。正規労働者は三割の賃上げ、実習生は七割の賃上げを勝ち取り、闘争全体を通じて大きなダメージを受けることもなく、闘争収拾においても一致団結していた。この勝利はまた他の労働者を鼓舞し、その模範になった。労働組合の改選という要求は達成されなかったが、広範な討論を巻き起こした。これらは近年まれに見る勝利である。
 だが、「若干の論考」では「初歩的な勝利を勝ち取った」と述べるにとどまり、つづけざまに労働者代表を手厳しく批判している。つまり、選挙で選ばれた労働者代表が「会社の経営陣と対話を通じて協議を行い、客観的に見て、自らの警戒心を解除するだけでなく、自らの階級的兄弟姉妹たち(ひいては全国の労働者)の警戒心を解除させてしまった」というのである。

 「若干の論考」は、曽社長〔ホンダの合弁相手である広州自動車の経営トップ:訳注〕と協議するとした労働者代表の決定は間違いであると責め立てている。しかし彼は次の事実を無視している。その当時、労働者の八割を占める実習生らはすでに仕事に戻っており、残りの正規労働者たちにはすでにストライキを堅持するだけの力は残っていなかった。じつは「若干の論考」は、この争議の実態を十分に把握できておらず、事実関係においても間違いがある。
 さらに、労働者代表を批判したインターネット上の匿名の書き込みに依拠して労働者代表を論評していることも公正さに欠ける。匿名者のリスクはほとんどないが、労働者代表は極めて高いリスクを覚悟で活動しているからである。インターネット上の書き込み情報は、時にはその真偽の判断が難しいことから、それに依拠して論評する場合にはそもそも一定の余地を残しておくことが好ましい。

 また、「若干の論考」は、具体的な事実関係の提示を欠いた状況で、労働者が提起していた「労働組合の改選」要求をあっさりと否定してしまっている。「若干の論考」はこう詰問する。「何を根拠に労働組合を改選するのか。労働者自身の主導的中核から乖離して労働組合の改選ができるだろうか」と。しかし何を根拠に、労働者代表が提起した労働組合の改選が必ず「労働者自身の主導的中核から乖離」した改選になるというのか。この要求の妥当性については当然議論してもいいだろうし、それに関する考えも私はすでに述べている。しかし、(「若干の論考」のように)この要求をばっさりと切って捨てる前に、一つでも多くの実証を提起すべきではないのか。一歩譲って、この要求が間違いだとするなら、それに代わる妙計があるのかを教えていただきたいものだ。
 「若干の論考」は、労働者代表に対する消極的な評価とともに、かれらが事実上の勝利をおさめたことを認めようとしない。これはおそらく偶然ではなく、この論文で言われているところの「共産主義理論」に関係があるようだ。

共産主義労働運動と経済闘争

 「若干の論考」はこう述べている。「共産主義労働運動は当然にも左翼改良主義労働運動と同様に具体的な労働者の闘争への介入方法を考える。しかし主要な目的は、各種の労働者の権利の保障を勝ち取り、大衆の信望を集め、自らの影響力を拡大することではなく(これら一つ一つは間違いでないが、すべて最重要の目的に従属する)、具体的な労働者の闘争における立場と実践を通じて、階級意識を啓発し、階級的独立の道筋の基点を開き、防衛し、発展させることなのである」。

 だが、われわれが理解する経済闘争と政治闘争に関する共産主義労働運動の答えは、このようなものではない。共産主義者が一般的な経済闘争に介入する主要な目的はまさに「各種の労働者の権利の保障を勝ち取り、大衆の信望を集め、自らの影響力を拡大すること」なのである。この活動をしっかりと行うことで初めて「階級意識を啓発し、階級的独立の道筋の基点を開き、防衛し、発展させること」ができるのである。

 彼は「共産主義労働運動」の高みから今回の経済闘争を論評している。しかし、彼は共産主義運動の最良の伝統を吸収していない。つまり経済闘争と政治闘争をしっかりと区別するということである。左翼は当然にも、いかに経済闘争を政治闘争に発展させるのかを重視するが、まずこれらをしっかりと区別して初めて、前者から後者への発展について議論することができるのである。

労働者の要求は完全に正当だ

 「プロレタリアの利害が一切に優先する」。この考えはもちろん正しい。しかし、プロレタリアの利害は、直近の経済利害と歴史的な利害(労働者階級の解放)に分けられ、後者のみというわけではないのである。そして、直近の経済的利害(団結権を含む)のために労働者が立ち上がり闘う時には、共産主義者はこれらの経済的利害を勝ち取るために労働者をできる限り支援しなければならない。そしてこれが勝利または敗北の指標となる。それは唯一の指標ではないにしても、やはり重要な要素である。
 ホンダ労働者の意識は「若干の論考」のようには高くはない。彼らは全国の労働者がこうむる悲惨な搾取への関心を表明した。しかし、その大多数は、いま現在、全ブルジョアジーに対して死を決する闘いを挑む力量もなく、そんなことを考えたこともないだろう。彼らは先ず自分自身の境遇を改善したかったのである。そしてこのような自らの境遇を改善したいという労働者の要求は完全に正当なものであり、真の共産主義者は最前線でこれらの労働者を支持しなければならない。これらの経済闘争に対して冷淡な態度をとったり、条件が備わっていないにもかかわらず急進的な行動を扇動する共産主義者はすべて、経済的利害のための闘争に対する労働者の確信を失わせるだけでなく(労働者があなたの主張を聞くとすればだが)、共産主義に対して労働者の反感をも増幅させてしまうだろう。小規模な経済ストさえも上手く組織できない人間が、はるか彼方の理想社会について説教を垂れたとしても、いったい誰がそれを信じるというのか。

 経済闘争に参加した普通の労働者が階級意識を獲得するのは、往々にしてまず抽象的な階級教育を通じてではなく、具体的な闘争、特に成功した闘争を通じてである。それゆえ、真の共産主義者が貢献するとすれば、抽象的な政治的遠景の宣伝に留まるのではなく、具体的な闘争に対する効果的な戦術の提起、あるいは少なくとも、広範な読者に対してなぜこのストライキを支持する必要があるのかを説明することである。つまり、その際にいかに具体的に労働者を支持するのかを十分に考慮しなければならない。だが残念なことに、彼の論文は、現在の戦術と思想的遠景の関係を上手く処理できていない。

 常日頃から労働者の支持を集めるようとするのであれば、その前提条件は「各種の労働者の権利の保障を勝ち取り、大衆の信望を集め、自らの影響力を拡大すること」を最優先の任務としなければならない。とりわけ経済闘争の兆しが出はじめた時には、なおのことである。経済的利害の獲得は政治教育活動の二の次でいいという主張は、我々が理解する共産主義労働運動の理論ではない。

今、重視されるべきは実務

 大きな流れの中では、経済闘争と政治教育は、相矛盾するものではなく、どちらかに明確な順序があるというわけではない。大多数の労働者は往々にしてまず労働組合意識の向上を経験したのちに、社会的関心の意識を徐々に高めていくが、最初から政治的オルタナティブを模索する少数の進歩的分子も必ず存在している。原則的には、その両者どちらにも対応する必要があり、それぞれの対象に応じた教育を行わなければならない。それは、功をあせって誤った方法で無理強いするのではなく、だからといって進歩的分子を無理に低い水準に留め置くことでもない。それゆえ、労働組合教育と社会主義教育の両者は当然にも弁証法的で、互いに連動し、後先を明確に分離することは困難である。
 しかし現在の中国では、すべてがまだ始まったばかりで、左翼には全く力量がなく、ややもすれば孤軍奮闘という状況にある。そうしたなかで労働者との結合を模索するのであれば、なお一層の実務に励む精神が必要となる。実際の闘争において可能な限りの成果を獲得できるという能力を示すことで初めて階級的教育は効果を持つのである。

 重大な経済闘争は当然にも政治的な意義を有している。だが現在これらの経済闘争は一つの工場に限定されており、そもそも規模は小さく、どれだけ盛り上がったとしても、当局の対応があまりに愚かでない限りは、政治的な事件に発展することは難しいだろう。この数年来、労働者の経済ストライキに対しては地方政府も学習してきた。普通の労使紛争の範囲内であればストライキも恐れる必要はないと認識し、過去に比べて容認する姿勢を見せている。
 今回のホンダストライキでは、当局はせいぜい地方総工会の看板で労働者に弾圧を加えたくらいで、それが上手くいかないと分かったらすぐに対応を変更した。それがストライキ労働者たちを有利な立場に立たせ、目覚しい勝利に導くことにもなった。そして勝利した労働者は比較的満足したことから争議は収拾した。だから、そもそもこの争議を必要以上に過大評価することは不適切であり、何らかの蜂起の発端であるかのように考えるのは現実から乖離したものの見方である。このような乖離は自分自身と労働者にとって不必要な面倒をもたらすだろう。

 とはいえ、「若干の論考」に見られるような欠点は、個人の問題というよりも、中国大陸の運動水準を反映したものである。共産主義を目標とする極少数の活動家は大衆に接近する能力にやや欠けているし、数多くの実務的活動家は長期的展望を持たず容易に流れのなかに埋没している。

 真の左翼が自らの有用性を証明しようとするのであれば、労働者解放という頂天立地の原則と実務的活動の作風をどのようにして弁証法的に結合させるのかを思考しなければならない。(了)
二〇一〇年六月三十日

先駆社のウェブサイト「労働民主網」より


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