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天安艦再調査、今からでも遅くない            かけはし2010.8.2号

ロシアは座礁の可能性を提起
安保理はあいまいな議長声明

中・ソと米・韓に別れる

 2010年代の韓(朝鮮)半島をめぐる東北アジアの秩序は天安艦沈没事故を起点として気流が変わった。「ビフォア天安艦」と「アフター天安艦」が明確に分かれた。
 2010年3月26日、韓国の1200トン級哨戒艦が沈没した。韓国の中小都市・天安の名をとって付けられたこの船に乗っていた将兵46人が亡くなった。韓国は沈没事故の原因を求めるために民軍合同調査団(以下、合調団)を構成して調査作業を繰り広げた末に、事故発生2カ月余りにして北韓の素行と結論づけた。
 西海(黄海)上で韓米合同軍事訓練が進められている中で、北韓のヨノ級潜水艦が公海上に迂回浸透して爆発装薬250キログラムの重魚雷1発を発射し、その爆発によるバブル・ジェット現象によって天安艦が沈没したというのが合調団の結論だった。合調団は同年5月20日、調査結果を発表するとともに、これを裏付ける決定的な証拠として事故付近から引きあげられた魚雷推進体を公開した。その当時まで、バブル・ジェットの魚雷技術を持った国は米国を含め指折り数える程度だったのであり、実戦で動いている船をバブル・ジェット魚雷で沈没させたケースは以前にはなかった。
 調査結果の発表以後、韓半島の緊張は最高潮に達した。韓国のイ・ミョンバク大統領は合調団の結論に基づいて懲らしめと報復に言及した。イ・ミョンバク政府になって冷え切った南北関係は最悪へとかけ上がった。保守を標ぼうする極右メディアは戦争も辞さず論を煽り立てた。
 韓国の結論を支持する米国や日本、支持しない中国とロシアへと組分けされた。これはそれから数十年前に形成された冷戦時代の構図と正確に一致した。自主的調査団を派遣したロシアは北韓魚雷の攻撃による沈没の証拠を見つけられない、との調査報告書を出した。中国は南・北・中・米が参加する共同調査を追求するとともに、国連安保理で北韓糾弾の決議案採択に反対した。
 天安艦以後、米国と韓国が西海上で大規模合同軍事訓練を実施しようとすると、中国は韓国の西海と相接している東中国海でミサイルを発射しつつ武力示威を展開した。外交分野において慎重であることで定評のあった中国の官営メディアには、韓米合同訓練をしにくる米国・航空母艦は中国の軍事訓練のよい標的となるだろう、という極端な表現まで登場した。
 天安艦に対して同一の結論を下した韓国と米国の関係にも大きな変化があった。2012年に予定されていた米国の戦時作戦権移譲(当時、韓国は戦争が勃発する場合、作戦権を他の国に委ねている唯一の国家だった)の時期が延期された。自動車と牛肉の分野で再交渉が必要だという米国側の要求によって、両国議会の批准段階にあった韓米自由貿易協定(FTA)が再び論議され始まった。日本では移転が確定した普天間米軍基地移転問題が原点に戻った。このような動きは天安艦の事態と連関性のあるものと解釈された。
 短期的には米国が得たものが多いように見えるが、勝者は中国だとの評価が支配的だ。いわゆる「G2」として米国と共に経済大国として成長していた中国は国際社会において、特に韓半島問題に対して影響力や発言権が一層大きくなった。変化に対する有権者たちの強い熱望に力を得て当選した米国最初の黒人大統領バラク・オバマは、世界平和に寄与せよという意味でノーベル平和賞を「前もって」もらったものの、火薬庫のうちのひとつに挙げられる韓半島問題に関しては、以前のブッシュ政府と何の違いも示せなかった。

野党は国政調査を要求

 未来の歴史に現在がどう記録されるかは分からない。天安艦はただ天安艦だけではないからだ。天安艦問題は単純に戦艦1隻と将兵46人が犠牲になった事件ではない。韓半島だけではなく東北アジアの秩序にも少なからぬ影響を及ぼす事案だ。従って天安艦がどのように沈没したのかが明々白々に明らかになる作業が重要だ。適当に問い、時を経過することではない。〈ハンギョレ21〉が天安艦の真実を追いかけ探査しているのも、このためだ。
 民主党、民主労働党、創造韓国党、進歩新党所属の国会議員93人は7月5日、天安艦沈没事件真相究明のための国政調査要求書を国会に提出した。ハンナラ党は7月28日の国会議員再・補欠選挙をねらつた政治攻勢だとして一蹴した。
 「民主党の突然のとんでもない国政調査要求は国益よりも、他の政治的目的がある。一部の極端な勢力が歪んだ情報を伝播しているが、大部分の健全な国民は北韓の攻撃だと見ている。民主党の姿に国民は不安を感じるだろう。国連安保理で天安艦の事態を論議しているのに本人たちが、あれほどまでに聞くもおぞましい親北政党だ、という声を聞きたくなければ党内選挙、再・補欠選挙を離れ、国益と安保のために協調せよ」。ハンナラ党キム・ムソン院内代表の発言だ。
 チョ・ヘジン・ハンナラ党代弁人も「天安艦の沈没原因と対処の過程でもたらされた問題点に対しては国際的な民軍合同調査団の調査や監査院の監査を通じて明確に究明され、その後の措置までまとめられた状況」であり、「野党の国政調査要求は事実上の政治攻勢」だと語った。
 けれどもパク・チウォン民主党院内代表、カン・ギガプ民主労働党代表、チョ・スンス進歩新党代表などが署名した国政調査要求書には、これまで〈ハンギョレ21〉が持続的に報道してきた内容が圧縮して盛られている。これらの人々は合調団の調査結果に対して「発生時間、熱状監視装備(TOD)動映像の存在の有無、水柱関連の証言などが何度も変更され、また決定的証拠として提示された収集物や爆発の残滓などに対する疑惑も提起され続けており、調査の客観性や科学性に問題をさらけ出した」と指摘した。国政調査を通じてb沈没の直接原因b沈没前後の軍事対備体制b初期の状況報告と伝播の体系b救助作業の進行過程b合調団の調査結果ならびに監査院の監査結果b青瓦台、外交通商部、統一部、情報機関の対応の実態などを明らかにしなければならない、と主張した。

誰のために発表を急いだのか?

 国会レベルの国政調査であれ、あるいは中国政府が提案した国際合同調査団であれ、事実上は軍が中心となった合調団とは違った方式の再調査が必要な、明白な理由がある。
 韓国政府が内心、国際社会において「判定官」の役割を担ってくれることを期待したロシア政府は、最近の合調団の調査結果に真正面から反ばくする調査報告書を出した。合調団が決定的証拠として提示した「1ボン(番)魚雷」を天安艦沈没の原因とは考えがたいという内容だった。特にロシア調査団は「1ボン魚雷」のペイントの腐蝕度合い、魚雷推進体が水中に漬かっていた期間をはじめ、その出所についても疑問を表したことが伝えられた。
 天安艦の沈没原因をめぐる論難の終止符を打つために再調査が必要だとの見解は、合調団に参加した民間の専門家によっても提起された。船舶専門家として合調団に参加したノ・インシク忠南大教授(朝鮮海洋工学科)は7月6日、〈ハンギョレ21〉とのインタビューで「プロペラ(スクリュー)のたわみ状態に対しては調査が充分になされておらず残念だ」とし「根拠のない推測ばかりをばらまいて、高くつく不信の費用を支払うというよりは各分野の『代表選手(専門家たち、の意)』たちが集まって、充分な支援の中で改めて調査をするのが望ましい」と語った。
 事実、5月20日の合調団発表は時間に追われて急いだ状況が至る所で発見された。実物大の魚雷設計図は、大きさが似通った他の魚雷の設計図だった。魚雷推進体を引きあげてから5日目のことだった。合調団に参加した民間の専門家らは発表当日、魚雷推進体を初めて見た。中間発表の間近になって引きあげに成功したガスタービン室の部分は、もとより分析の対象から除かれた。ガスタービン室は6月29日に行われた、韓国記者協会・韓国PD連合会・全国言論労組で構成された「天安艦調査結果の言論報道検証委」の説明会の場で初めてメディアに公開された。合調団の発表通りならば、ガスタービン室の左側の下3メートルで魚雷が爆発し、衝撃が最も大きかった所だったはずにもかかわらず、書類の束やコップなどが完全にそのままの状態だった。

天安艦外交に失敗した政府

 このような中、国連・安全保障理事会(安保理)は7月9日(現地時刻)、天安艦事件と関連した議長声明を採択・発表した。天安艦の沈没は「攻撃」によるものと規定しつつも「攻撃の主体」は明示しなかった。天安艦の沈没は「北韓の魚雷攻撃」のせいだという韓国・米国・日本側と、そのような規定を拒否している北韓・中国・ロシア側の立場を外交的に折衷した苦しい内容だった。各自に有利なように「二重解釈」が可能なのだ。その上、安保理の議長声明は多分に国際政治的解放という側面がある。国際社会の政治的論議は一段落するどころか、「実体的真実」が何なのかは明らかにされていないのだ。
 キム・ヨンチョル・インジェ大教授(北韓学)は「今回の安保理議長声明は天安艦問題の真実とはかかわりのない外交的失敗にすぎない」「南と北の立場を併記し、攻撃と非難という表現を使いながらも、制裁のレベルに合意できないまま緊張緩和と自制心を語ったのは、今日までわが政府が提示した証拠だけでは北韓の行為とみるには充分ではないとの中国の立場が反映されたもの」だと説明した。
 状況がこうであるのに、事を葬って行くのがよいのか。完全ではない、すき間だらけの結論であっても合調団の発表通りに、すべてを信じて付いて行くことが大韓民国の国益に適うことなのか。我々だけがそう信じれば、国際社会もみな信じて付いて行くのか。南北と東北アジアの平和共存の気運が高まりゆくのか。答えが明確に見えるのに、状況を左右できる力を持った人々だけが、あえてわざわざ目をつぶっているようだ。(「ハンギョレ21」第819号、10年7月19日付、キム・ボヒョプ記者)



コラム

沖縄と「地域主権」


 大学に入った一九六五年四月二十八日、「四・二八沖縄デー」と書かれた立て看板を見つけた私は、はじめてデモに行った。
 思えば、四月二十八日は、一九五二年にサンフランシスコ(単独)講話条約とともに日米安保条約が発効した日である。沖縄が米軍の占領下におかれつづけることと引き換えに、日米安保体制下の日本が「独立」したわけである。
 以来、沖縄では基地撤去を求める闘いが、米軍占領からの解放を求める「本土復帰運動」とともに展開された。そして、一九七二年五月十五日、沖縄の施政権は米国から日本政府に移り、「本土復帰」は実現した。
 だが、沖縄に暮す人びとにとって、「本土復帰」は、日本政府が合衆国政府の「代官」になっただけで、事実上の占領状態がつづいていると感じるのに、それほど時間はかからなかった。そんな状態がつづくなか、普天間基地の「移設」を「少なくとも県外」と語った鳩山政権の登場に、沖縄の人びとは大きな期待をいだいた。「こんどの代官は違うかもしれない」という期待だった。
 しかし、鳩山は、アメリカ合衆国政府からの強力な圧力を公然と暴露することもなく、「在沖海兵隊の抑止力は重要」と見当違いな言い訳をして、辺野古に最新鋭の軍事基地をつくることを明記した日米合意にサインした。沖縄の人びとにとって、日本政府は合衆国政府の忠実な「代官」にすぎないことを、またしても思い知らされることになってしまった。
 戦後の沖縄は、その地政学上の位置のため、アメリカ帝国主義の軍事拠点の役割を担わされつづけてきた。だが、米軍基地は、そこに暮す人びとの安全と安心にとって限度を超えた脅威になっている。沖縄自民党さえ普天間基地の「県外移転」を求めるようになったことは、その証といえよう。
 ところで、今回の参院選挙の投票率は、沖縄県が全国でも過去との比較でも最低になった。「悪代官」を自分で選ばされることに、もう嫌気がさしているのだろう。しかも、米軍基地に苦しめられつづけてきた沖縄県民が求めているのは、米軍基地の撤去であって、どこかに移転することではない。
 とすれば、すべての米軍基地の撤去と日米安保条約の破棄を求める強力な大衆運動を、全国的に形成する以外に道はない。それと同時に、日米安保体制の重圧を背負わされる沖縄県民には、自らの安心と安全について自分自身で決定する権利があることを明確にしなければならない。「代官」ではなく、自分たち自身の政府を持つ権利を否定することはできないはずだからである。
 米軍基地についても、地位協定についても、「沖縄自治政府」が合衆国政府と直接交渉する権利があり、それを日本政府が無条件で支援する義務を負うという、沖縄県民の自治・自決の権利のために闘うことが今ほど求められている時はない。「地域主権」を云々する前に、沖縄県民の自治・自決権こそが明確にされなければならない。(岩)

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