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「韓国強制併合」一〇〇年 日韓市民共同宣言日本大会   かけはし2010.8.30号

植民地主義を清算し平和な未来へ

併合条約の不法性を認めず補償
も拒否した菅談話を厳しく批判


日韓両国実行委の
共同作業が結実

 八月二十二日は一九一〇年に「韓国併合条約」が調印されてから百年目の日にあたる。この日、東京・池袋の豊島公会堂で「韓国強制併合」100年日韓市民共同宣言日本大会が「植民地主義の清算と平和な未来を」をテーマに開催された。主催は「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会。豊島公会堂の一階、二階を埋め尽くす千人が参加した。
 今年一月に日本と韓国で、それぞれ市民による実行委員会が結成され、共同の討論を積み重ね「日韓市民共同宣言」(案)が作成された。その中で日本帝国主義による「韓国強制併合」・植民地支配の歴史を真に問い直し、今日に続く植民地主義の克服と東アジアの平和を実現するための日韓市民の共同の意思を作り出すためにこの日の集会が持たれた。韓国実行委員会の代表団・証言者約二十人も参加した。八月二十七日から「韓国併合条約」が公布された二十九日まで韓国・ソウルでシンポジウム・集会が行われ、日本実行委員会からも多くの人々が参加することになっている。
 この日、極右レイシスト「在日特権をなくす市民の会」(在特会)は、日比谷公会堂で「韓国併合」を全面的に賛美する「国民大会」を開催した。豊島公会堂周辺にも右翼の宣伝カーが大音声で妨害行動を仕掛けてきたが、そうした敵対をきっぱりとはねのけ、主催者側が用意した集会資料が足りなくなるほどの結集で集会がかちとられた。

植民地支配責任
をとらえ直そう

 東京学芸大学の学生が作成した「韓国併合と朝鮮植民地支配」についてのスライドが上映された後、主催者あいさつを日本実行委員会共同代表の伊藤成彦さんと韓国実行委員会常任代表のイ・イファ(李離和)さんが行った。伊藤さんは八月十日の菅首相談話にふれて「併合条約の不法・不当性についていっさいふれておらず、口先だけの『謝罪』だ」と批判し、「日本と韓国のそれぞれの民衆の努力によって『日韓市民共同宣言』の発表にこぎつけた。これを新しい出発点にして活動しよう」と訴えた。イ・イファさんは「植民地主義を清算することは、人権と民主主義を拡張することであり、誰かが誰かのためにするのではなく、私たち自身の解放のためだ」と強調し、菅談話についても「慰安婦、強制動員、原爆被害者などの懸案の真相究明と賠償が論じられることもなく、立法を通じた解決方策もまったく言及されなかった」と指摘した。
 基調講演は宋連玉(ソン・ヨンオク)さん(青山学院大学教員)と庵逧(あんさこ)由香さん(立命館大学教員)。
 「韓国強制併合百年目の植民地主義の克服」と題して報告したソンさんは、菅談話が「三・一独立運動」についてふれながら、朝鮮の隅々にまで及んだ植民地支配、強制動員、日本軍「慰安婦」問題について言及しない歴史観に疑問を投げかけるとともに、いま問題になっている「行方不明高齢者」問題について、その中に「在日」の高齢者が相当程度含まれていることや、朝鮮学校の無償化除外について、「植民地主義の継続というよりは、その執拗な拡大」という視点が必要だ、と語った。宋さんはまた「朝鮮人の問題を他者の問題としか見ることのできない日本社会の民主主義のあり方」「天皇制の存続を前提とした従属的日米同盟を不問に付す戦後日本の大衆意識」を厳しく指摘した。
 庵逧さんは「植民地支配」責任という視角から問題を提起。日本の植民地支配が朝鮮半島の人々の民主主義的政治訓練の機会を剥奪したことによって、戦後の脱植民地化のプロセスに大きな障害を作り出した、と語った。そして「韓流ブーム」を韓国大衆文化の魅力の日本社会への浸透という点で積極的意味があることを確認しつつ、その一方でこれまでの「悪いイメージ」が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に集中するという日韓・日朝関係の不均等状況をなくさない限り、日本の植民地支配問題の解決はない、と述べた。

胸に響く被害
当事者の証言

 青年・学生実行委員会〈なあがら〉の若者たちが「知る権利を行使し、学ぶ努力を惜しまない」「日本政府に朝鮮植民地支配に対する真の謝罪と補償を行うことを要求する」「朝鮮人被害者の声をかき消そうとするあらゆる暴力に抗議する」「人権が真に尊重されるとことを願う人々同士の対話を重ねることで、その信頼関係を築いていく」「あらゆる差別と抑圧に反対し、平等な社会を実現する」という「青年・学生宣言」を紹介した後、「被害当事者」の証言に移った。
 一九二三年生まれの朴順姫(パク・スンヒ)さん(元日本軍「慰安婦」被害者)は、一九四〇年、元山(ウォンサン)で友だちの家に行く途中、憲兵に拉致され、そのまま中国東北部(旧満州)の「慰安所」で働かされた。憲兵の暴行を受けた時、抵抗して短剣で刺された。その傷跡は今も残っている。日本の敗戦とともに故郷に戻ったが、その過程で妹も「慰安婦」として連行されていたことがわかった。一九四七年に元山の男性と結婚したが、夫は自分が「慰安婦」だったことを知り、夫とは別居することになってしまった。朝鮮戦争で釜山に避難し、母や妹とも生き別れとなった。釜山で道端に捨てられ死にかけていた赤ん坊を引き取り、養子として育てた――この苛烈な人生をパクさんは、声を詰まらせながら語った。
 孔在洙(コン・ジェス)さん(元強制動員被害者)は、一九四三年に徴用されて福岡県飯塚市の麻生鉱業で採炭夫として働かされた。厳しい奴隷労働と粗末な食事、労務員の暴力に耐えられず仲間とともに二度脱走したが、その都度つかまり、激しい拷問を受けた。日本の敗戦後、船を仕立ててどうにか帰国したが、一緒に徴用された百二十人のうち戻ることができたのは僅か二十人だった。
 パク・ノヨンさん(金浦市サハリン同胞会会長)は、サハリンに連行されてから約七十年をロシア各地で生活し、最近になって帰国できた同胞たちの状況を語った。パクさんは、帰国後の住宅賃貸料を日本政府がその責任において負担すること、サハリンに連行された朝鮮人への未払い賃金の支給、郵便貯金・債権等の支払いなどの要求を示し、支援を訴えた。
 西澤清さん(東京都朝鮮人強制連行真相調査団)は、連行された朝鮮人労働者の遺骨返還問題、東京大空襲の朝鮮人死者の調査の必要性について訴えた。
 高橋伸子さん(関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相を解明し名誉回復を求める日本・韓国市民の会)は、日本政府の隠ぺい工作のため、関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の数も名前もほとんど不明な現状を指摘し、日本政府が日弁連の勧告を受け入れて朝鮮人虐殺の調査、国家責任を認めた謝罪をすべきだ、と述べた。
 崔善愛(チェ・ソンエ)さん(ピアニスト)は、在日韓国・朝鮮人の差別との闘いの歴史を振り返りながら、一九八一年に指紋押捺を拒否し、一九八二年から八六年まで「再入国不許可処分」で渡航の自由を奪われ、一九八八年には再入国不許可のまま出国して「協定永住権」を剥奪されて十四年間にわたり「特別在留」資格だった自らの歩みを語った。そして「多くの証言を聞き、歴史に耳を傾けることでしか、自分の存在を回復できない」と主張した。
 北川広和さん(日朝国交正常化連絡会事務局次長)は、日朝国交正常化に向けて北朝鮮への「制裁措置の解除、国交交渉の早期再開、日朝基本条約締結、東北アジアの非核・平和、在日朝鮮人の人権を守る」などの運動を強めていく、と述べた。
 証言の最後に高英載(コ・ヨンジェ)さん(東京朝鮮中高級学校生徒)が、高校無償化からの朝鮮学校排除という差別をはねのけ、権利のために闘う決意を語り、大きな拍手を受けた。

市民共同宣言と
行動計画を発表

 韓国人の母親を持ち、子どもの頃から韓国・日本・アメリカで暮らした歌手の沢知恵さんのコンサートの後、日韓市民共同宣言・行動計画が発表された。「宣言」の内容を多くの人々・自治体の中に広げていくとともに「被害者への謝罪と賠償を実行する法律制定」「植民地支配の事実、加害・被害の実相を記録として残すための『植民地支配真相究明法』の制定」、「政府の中に、過去清算のための諸課題(関東大震災時朝鮮人虐殺、サハリン残留者、文化財返還、歴史教科書編纂など)に取り組むための組織の設置を求める」などが「行動計画」に盛り込まれている。
 閉会のあいさつを朴元哲(パク・ウォンチョル)さん(韓国実行委員会常任代表)が行い、八月いっぱいをかけた韓国でのさまざまな企画、八月二十七、二十八両日の「韓日過去清算と東アジアの平和」をテーマとした「学術大会」、そして二十九日の「共同宣言」採択の大会などのスケジュールを紹介した。
 「韓国併合」百年を、植民地主義・レイシズムを克服する転機とするために共同の闘いをねばり強く推進しよう。     (K)


声明
国側が控訴を断念しました!

女性自衛官の人権裁判を支援する会

 本紙8月9日号で紹介したように北海道の空自通信基地の女性自衛官への男性自衛官による強かん未遂・被害者への退職強要に対して国家賠償を求める裁判で、札幌地裁は七月二十九日に原告の女性自衛官勝訴の判決を出した。被告の国・自衛隊は控訴を断念し、勝訴が確定した。支援する会の声明文を掲載する。


 7月29日札幌地裁判決の確定にあたって勝訴判決が確定しました。
 原告、そして、今日までこの裁判と原告を支援し続けてくださった皆様とともに、この喜びを分かち合いたいと思います。支援し続けて下さった皆様、本当にありがとうございました。
 提訴から3年3カ月、事件が起こってから3年11カ月、原告にとっては本当に長い時間でした。辛抱強く、原告に寄り添い、真実を明らかにしていった弁護団の努力には、心からの敬意を表します。
 そもそもあってはならない事件が起こった上に、自衛隊は、被害者である原告に対して保護・援助を怠ったばかりか、退職を強要するなど、二次被害及びパワーハラスメントまで生じさせました。被害者が裁判に訴える以外に、性の尊厳、人権の回復を求める方法は残されていませんでした。
 現職のまま提訴した原告に対し、自衛隊はいじめや嫌がらせを繰り返し、ついには任用を拒否(解雇)し、自衛隊から追い出しました。
 数々の困難に直面し、幾度もめげそうになりながら、今日まで自分の足で立ち続けた原告の勇気と頑張りに、私たちは心からの拍手を送ります。そして、原告(被害者)の言葉に、きちんと耳を傾けて下さった判決が今日、確定し、本当に報われたという思いで一杯です。
 提訴後、原告や支援する会には、たくさんのメッセージが寄せられました。その中には、自分も同様の被害にあったというものも多く、自衛官や元自衛官という方々からも多くのメッセージが寄せられました。原告の事件が、氷山の一角であることは、そうした事実からも明らかです。
 精神的にも深く傷つけられる性暴力の被害者にとって、自ら声を上げ、立ち上がることは、途方もない勇気とエネルギーを必要とします。被害者にそのような過大な負担を強いることが決して繰り返されぬよう、そして何より、二度とこのような事件を起こさぬよう、国と自衛隊には、今回の判決を真摯に受け止め、実効ある措置をとることを強く求めます。
 事件当時20歳だった原告は、今年24歳になりました。彼女の二十代は、事件と裁判に翻弄され続けてきましたが、今日の勝訴判決の確定で、ようやく若者らしい時間を過ごし、新たな未来へ歩み始める条件が出来ました。
 ご支援いただいた皆様には、今後とも、原告を温かく見守り、支えていただければ幸いです。
 今日、確定した判決が、同様の被害に苦しむ方々にも、どうか力となりますように。

2010年8月12日

女性自衛官の人権裁判を支援する会
共同代表 竹村泰子・清水和恵・影山あさ子
http://jinken07.dtiblog.com/


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