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「脅威」をあおる排外主義宣伝をやめろ         かけはし2010.10.4号

尖閣問題「対中強硬」は安保の正当化

尖閣諸島領有は沖縄・朝鮮・中国侵略の歴史的産物だ!


危険水域にまで
達した日中関係

 尖閣諸島(釣魚諸島)付近での、海上保安庁巡視船と中国漁船との衝突、公務執行妨害による中国人漁船長逮捕事件は、日中間の大きな国際問題として急速に深刻化してきた。とりわけ九月十九日に逮捕された船長の勾留期間が十日間延長されて以後、中国政府は逮捕者の即時釈放を求め、矢継ぎ早に強硬な外交的対抗措置に打って出た。
 閣僚級以上の交渉中止、航空路線増便をめぐる交渉中止(9月19日)、千人規模の「日本青年上海万博訪問団」の直前になっての受け入れ延期(9月20日)、北京市当局による業者に対する「訪日旅行自粛」呼びかけ(9月21日)、ハイテク製品の生産に不可欠なレアアース(希土類)などの対日輸出停止、さらには準大手ゼネコン「フジタ」の社員四人を河北省の「軍事施設撮影」を理由とした拘束などである。
 事態が日本資本主義の成長戦略の生命線とも言うべき対中経済関係の将来にまで波及することに恐怖した菅政権は、ついに九月二十四日には検察当局を動かして逮捕された中国人漁船長を処分保留のまま釈放せざるをえなかった。那覇地検は「わが国国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、これ以上の身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断した」と述べ、まさに政治的配慮による釈放であることを明らかにした。しかし中国側は、「謝罪と賠償」を日本政府に要求し、問題が身柄釈放によって「一件落着」したわけではないことを強調している。
 尖閣諸島沖中国漁船衝突事件は、菅政権にとってのっぴきならない大問題となり、懸案の東シナ海ガス田開発問題についても大きな影響を与えている。

「弱腰外交」批判
のキャンペーン

 今回の事件は、第一に中国の資源確保の「海洋戦略」と対米対抗的軍拡の趨勢を「脅威」として煽りたて、「日米同盟」を通じた中国への断固たる姿勢を打ち出している菅政権の強硬姿勢によって引き起こされた。八月に発表された「新安保懇」報告書と九月に発表された二〇一〇年度版「防衛白書」は、中国の軍拡と沖縄近海における中国海軍の動きを「懸念事項」とし、与那国島や石垣島への自衛隊配備を含む「離島防衛」の強化を打ち出している。辺野古新基地建設・在沖米軍による「抑止力」の宣伝も、「中国の軍事的脅威」を最大の口実にしている。
 第二に中国政府は、東アジア・東南アジアにおける米帝国主義に対抗した独自のイニシアチブを確保して急速な経済成長を支え、かつ発展を通じた社会的矛盾の拡大が中国共産党の一党独裁体制を脅かす事態を未然に防ぐためにも、民族主義的「国益」を前面に打ち出さざるをえない。
 こうした日中両政府の政治的思惑が、のっぴきならない国家的対立にまでエスカレートしてきたのである。
 民主党の一部議員をふくむほとんどの議会政党、マスメディアは、九月十九日の中国人漁船長釈放を、中国の「不当な要求」に対する屈服、「弱腰外交」として菅政権を攻撃している。
 「日本会議国会議員連盟」所属の極右派である松原仁衆院議員ら民主党国会議員の五人は、「我が国の法秩序を蹂躙するものであり到底容認できない」として「釈放決定撤回」と「捜査継続」を検察当局に求める抗議文を発表した。与党・国民新党の亀井静香代表も「事実上の指揮権発動」として批判し「外国の圧力に屈した」菅政権の対応に疑問を投げかけた。安倍晋三元首相は「八月十五日に閣僚が靖国に参拝しないことを政府の意志として表明した。中国に譲歩した結果こうなった」と例によって反中排外主義をアピールし、みんなの党の渡辺喜美代表は「中国は民主党政権の足元を見透かしていた。明確な外交的敗北に開いた口がふさがらない」と罵倒した。
 共産党の志位和夫委員長も「尖閣諸島付近の日本の領海で、外国漁船の不法な操業を海上保安庁が取り締まるのは当然である」「このような事件を繰り返さないためには、日本政府が、尖閣諸島の領有権について、歴史的にも国際法的にも明確な根拠があることを中国政府や国際社会に明らかにする積極的な活動をおこなうことが必要である」と「領土主義」丸出しの主張を行っている(「しんぶん赤旗」9月25日)。
 「新安保懇」の委員である添谷芳秀慶大教授は「中国の政府と国民が、依然として領土や主権といった伝統的な国益にこだわり、至高の価値としてとらえる立場から外交を組み立ててくることが、改めて明瞭に示された。これは、相互依存とグローバリズムの時代において異様な光景でもある」などとコメントしている(「毎日新聞」9月25日)。しかしこの「異様な光景」は、そのまま日本の現実ではないのか。彼は「我が身を振り返る」ことができないようである。
 われわれは、あらゆるメディアがふりまく「尖閣列島=日本の領土」論をあらためてきっぱりと批判し、挙国一致の「無法な中国」という排外主義的ナショナリズムに対決しなければならない。「日本の固有の領土」が外国に侵略される、という国民的多数派の感情こそ、日米安保を正当化し、自衛隊軍拡を容認する意識を直接的に支えている。
 しかしほとんどの人びとが疑わない「尖閣諸島=日本の領土」論こそ、まさに歴史的ゴマカシに満ちたものなのだ。

日本共産党の
反動的民族主義

 日本共産党の「しんぶん赤旗」は九月二十日付の紙面で「日本の領有は正当 尖閣列島問題解決の方向を考える」と題した解説記事を掲載した。「赤旗」のこの主張は、一九七二年、沖縄返還直前に出された外務省見解をそのままなぞったものに他ならない。同記事は述べる。
 「尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くからその存在について日本にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。一八九五年一月に日本領に編入され、今日にいたっています」。
 「一八八四年に日本人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌八五年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで一八九五年一月十四日の閣議決定によって日本領に編入しました。歴史的には、この措置が尖閣諸島に対する最初の領有行為であり、それ以来、日本の実効支配がつづいています」。
 「所有者のいない無主の地にたいしては国際法上、最初に占有した『先占』にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、一九七〇年代にいたる七五年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありません。日本の領有は、『主権の継続的で平和的な発現』という『先占』の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです」。

東アジア民衆の
国際的連帯の道

 まず一八八五年に古賀辰四郎が尖閣諸島の「貸与」を申請してから一八九五年一月の閣議決定による領有まで十年が経過している。十年間かけて、政府が慎重な「現地調査」を行った上で、「無主の地」であることを確認した上で領有宣言したのは事実だろうか。
 そうではない。一八八五年から閣議決定前年の一八九四年まで、政府も「内命」を受けた沖縄県も、尖閣諸島が中国領か日本領であるかことを確定し得ず、むしろ歴史的に中国領である可能性について排除できなかった。明治政府は中国(清国)を刺激することを恐れて、一八八五年に一回しか行わなかった「調査」の事実も秘密裏にとどめ置いた。
 その明治政府が一八九五年一月に「閣議決定」で領有を宣言したのは、前年からの日清戦争での勝利の趨勢がほぼ確定したことを見据えての措置だった。一八九五年四月の下関条約で日本は中国から台湾と澎湖諸島を植民地として略奪した。尖閣諸島の領有は、まさに日清戦争のさなかに行われたものであり、台湾・澎湖諸島への侵略・植民地支配と一体のものだった。それは竹島(独島)の領有=島根県への編入が一九〇四年の民間人による「申請」に基づき一九〇五年一月、日露戦争のさなかに閣議決定で強行されたことと全く同じやり口であった。すなわち竹島の領有も、日露戦争による朝鮮侵略と韓国強制併合の一環だったのである。
 重要なことは尖閣諸島領有の閣議決定が、全く国内的にも国際的にも公表されないまま行われたことである。一九七〇年九月に当時の琉球政府は、尖閣諸島が一八九六年一月の「勅令第一三号」によって日本の領土と定められ、沖縄県八重山石垣村に属された、としているがこれも事実ではない。「勅令第一三号」は沖縄県に初めて郡制を導入するというものであり、そこには「尖閣諸島」やそれに属する島名も書かれていない。その後も日本帝国主義の敗戦にいたるまで、「尖閣諸島」領有の「閣議決定」は一度も公示されることはなかった。
 まったく内密のうちに行われた「先占」と領有が、どうして「国際法的に正当なもの」と言えるのだろうか。これは中国や台湾からの「異議」は一九七〇年代になってからだ、とあげつらう以前の問題なのではないか。
 尖閣諸島は決して「日本固有の領土」ではない。その領有は、天皇制日本帝国主義の朝鮮・中国侵略の一環であり、その前段としての沖縄に対する「国内植民地化」の歴史の中に位置づけられるものである。共産党の民族主義的国益主義は、この意味でもきわめて反動的である。
 労働者・市民は、「中国の脅威」を煽りながらふりまかれるあらゆる「領土主義」の害毒と手を切り、東アジアの民衆的連帯と自治に基づく平和のための運動を発展させよう。
  (9月26日 平井純一)


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