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   かけはし2011.1.17号

労働者民衆は政治と思想において勝利した

フランス
年金闘争の最初の教訓
NPAの挑戦は、政治的勝利を
反資本主義的突破へ進める闘い

フレッド・ボラス




 以下に掲載する論考は、昨年春から十一月まで長期に展開されたフランスの年金改革に反対する底深い労働者民衆の闘いに対する、暫定的な総括である。この闘争が提起したフランス社会の抜本的建て直しの必要にどう取り組むかを探る第一次素材に当たる。日本の今後を考える上でも貴重な素材であり参考にしていただきたい。(かけはし編集部)

ねらいは公的年金制度つぶし

 年金に関するブルト―サルコジ改革(注1)の準備は、年金制度に関するジュペ計画(注2)に反対する一九九五年十一月〜十二月の動員やフィヨン改革(注3)に反対する二〇〇三年春の動員よりも重要だとは言わないまでもそれに匹敵する、この国が経験したもっとも重要な社会的動員の一つを引き起こした。いまだわずかな後知恵に過ぎないが、この運動から多少の教訓を引き出すことができる。
 サルコジは選挙の時にはこの改革を発表しておらず、選挙当時は、六十歳に固定されていた法定退職年齢には手をつけないという約束を守ることを確認していたが、彼は方向転換した。議会が可決した彼の法案の狙いは特に、退職年齢を六十歳から六十二歳に引き上げ、年金全額を受け取ることができる年齢を六十五歳から六十七歳に引き上げ、完全な年金を受け取るのに必要な加入機関を四十年から四十三年に延長することである。
 これらの過激な選択を正当化するために、政府は、平均寿命の上昇がフランスの年金制度の破綻を引き起こしそうだという単純な主張を繰り返した。公共年金制度を守るためという公言されている目的の下に、本当の狙いが見え透いている。すなわち、公共年金制度そのものを廃止するという狙いである。
 フランスに年金基金を広めたいと考えている企業は惑わされない。サルコジ大統領の兄のギヨーム・サルコジは、マラコフ・メデリック・グループの幹部の一人であり、また年金改革賛成のロビー活動を展開したMEDEF(フランス経団連)(注4)の幹部の一人でもあるが、マラコフ・メデリック・グループは大規模に年金基金製品を発売する準備を進めている。動員の最中に何万もの公務員労働者は、補完的年金契約を提供する保険会社であるプレフォンからダイレクトメールを受け取った。

階級闘争支持者の最初の勝利

 フランスの公共年金制度は社会保障制度の一環であり、一九四五年以降獲得したこの制度の創設は、何十年にもわたる社会的闘争の結果であった。この制度は連帯に基づいており、ブルジョアジーから見ればグローバル化した資本主義世界における過去の遺物でありばかげたものである。支配階級の観点から見れば、これらの連帯の残存物を破壊することは「眠っている」利潤の層を解放することである。この点については疑いの余地はない。年金部門に対する攻撃は、失業手当や疾病手当を脅かしている全体的計画の一環である。社会保障に対するグローバルな攻撃が展開されており、社会保障の手当はすでに何度も減額されてきた。これは経済危機の文脈の中で行われ、利潤率を回復させるために制度を除去することを狙った緊縮財政計画の一環である。
 「フランスの例外」を終わらせること、すなわちほかの先進資本主義国と歩調をあわせてこの国の社会を作り変えることが、ブルジョアジーが自己に課した任務であり、このことが政府の政策を導いており、まったくブルジョアジーに奉仕するものである。
 この改革は、フランス共和国のさまざまなサロンの思慮深い沈黙の中で進められてきた。この改革がこれほど大きな反響と怒りを引き起こしたという事実は、われわれを含む階級闘争の支持者の最初の勝利である。また、世界中の、危機のつけを支払うことを拒否する人々の怒りを聞かせその戦闘性を示す必要があるという観点から見て、最初の勝利である。何がかかっているかを明確に理解し、「ぐらついていない」右翼政府を強制する可能性に関しては何の保証もないままに、何百万もの労働者や若者が行動に立ち上がった。連日のストライキやデモへの参加者数は、数を低く評価しようとする政府の嘘にもかかわらず、ますます増加していった。「ル・モンド」紙によれば、もっとも低い数字で総計八百万人がデモに参加した。人口六千五百万人の国でまったく途方もない数である。政府の企図への拒否はこのように表現され、多くの世論調査によっても確認された。運動の持続期間もまた、例外的なものであった。五月、六月の最初の行動の規模もすでに驚くべきものであったが、それ以降動員は持続し、法律が最終的に可決された後も続いた。
 これらの何百万もの行動の日々に、数十万の労働者や特定部門の若者の進行中のストライキ運動が加わった。港湾、石油精製、鉄道輸送、マルセイユやトゥールーズのような大都市のごみ収集労働者、特定の地方および地域の公共機関の従業員や何万もの若者たち、特に特定の学校の学生がかかわった。これらの部門で進行中のストライキは多くの封鎖と結合し、封鎖の数は増えていった。空港、駅、工業地域や商業地域、交差点が次々に断固たるデモ参加者たちの標的になった。これは、動員のレベルを上げてストライキ中の部門を支持し、同時に雇用主に損失を負わせるために経済に影響を与えるという問題であった。このタイプの行動は、質と量においてこの規模では前例のない現象であるが、異なる労働組合組織の活動家の間の障壁を取り除くことを可能にし、組織間の統一と労働者と学生の連帯をはぐくむことを可能にした。
 政府は不満を和らげるためにかなりの努力をした。「教育」は特に有効ではなかったので、法と秩序の問題や「ジプシー」に注意をそらそうとする失敗に終わった試みのような粗野な作戦が行われた。ジプシーの人々は夏の間はなはだしい汚名を着せられた。われわれは、政府が弾圧を集中し、テロリスト攻撃の脅威を引き合いに出すことにより、暴力に対する恐怖につけこむのを見た。何もうまくいかなかった。消耗だけが残った。

ゼネストへ何が克服対象か

 運動は政府の仕事をかなり複雑にし、政府を弱め信用を失わせることに寄与したが、改革を通過させることを妨げることはできなかった。このことは、戦略レベルの問題に取り組む必要があることを提起している。
 政府の攻撃の範囲と決意のレベルを考慮すれば、もっと強力なストライキが必要であった。産業のあれこれの部門を封鎖することに満足するのではなく、国全体を封鎖することが必要であった。これを可能にするのは、無期限ゼネラルストライキだけである。
 動員の全面化を目的とした何万人もの労働者や若者の意識的行動にもかかわらず、それは起こらなかった。運動やその政策の拒否は明らかに一九九五年よりはるかに強力であったし、行動の日々ははるかに大衆的であったが(注5)、進行中のストライキ運動は弱かった。この反駁の余地のない事実の原因は一つではない。これを説明するのは緊密に関連する諸現象の混合である。
 なによりもまず、勝利の可能性、法案撤回を強制することに対する確信の欠如が関連する。この観点から見ると、特定部門における過去の敗北の重荷が否定的な影響となってのしかかっている。その他の重要な要因として、労働者階級のアトム化、失業や不安定労働の拡大、将来の不確実性、「生活のやりくり」の困難性がある。今日の家計の負債レベルは一九九五年よりも一〇%高いことにも留意する必要がある。この最後の要因を克服するには、何百万人もの労働者が自分たちの財布に対してストライキが与える打撃が敗北の結果より厳しくないことを確信していなければならない。それには、勝利が手が届くところにあることを確信していることが必要である。
 また、大きな労働組合連合の指導部の態度を調べる必要がある。全国的には、連帯労組(注6)は終始ゼネラルストライキの必要性を防衛したが、この立場は孤立していた。性格は異なるが、主要全国連合であるCGT(注7)の指導部はそうではなかったし、第二位のCFDT(注8)の指導部はもっとそうではなかった。急進主義や、闘いを最大強度にまで推し進めようという意志や、力関係に基づいて政府を打ち負かそうという目的によっては突き動かされていなかった。彼らははるかに「社会的対話」や交渉や妥協の鋳型にはまるタイプであった。
 指導部の違いにかかわらず、官僚間の競争の影響にかかわらず、統一を作り上げ、長続きさせることができたとしたら、動員の呼びかけを増大させたとしたら、それは何よりも政府の態度の結果である。政府はいかなる点でもいかなる妥協も望んでいなかった。しかしそれは、計画の撤回を要求せずに交渉の開始を求めたチボーとシェレックの二人組の側の提案の欠如のためではなかった。
 それはまた下部からの圧力のためであった。動員の最初のテストは行動の準備のレベルの高さを示し、現場の労働組合活動家が行動の拡大と強化を望んでいることを示し、しかも自分たちの信頼性、有用性、役割を自覚していることを示した。何が可能かを示した。たとえばピュイ・ドゥ・ドーム県、オート・ガロンヌ県、アルデンヌ県などの地方組合間調整委員会は、大きな戦闘性を示し、異なる部門の労働者を巻き込んで封鎖を拡大し、全国レベルで発表されたストライキに県レベルの一日ストライキを合流させた。これらの地方一日ストライキは成功し、さらに前進できる可能性の兆候を示した。
 運動の別の弱点は、闘争の自己組織化のレベルの低さであった。闘争が最も激しかったところでは、動員を推進し同時にそのリズムと形態をコントロールしたのは職場の組合間調整委員会であった。全般的な現象が存在した。すなわち、一日ストライキやデモへの参加の大衆的性格とは対照的な、ストライキの継続や行動の組織化を決定するために開催された総会への参加の弱さである。したがって、闘争がとどまっている窮屈な枠組みから闘争を抜け出させることは不可能であった。そのようなことを全国的な組合間の調整によって、異なる産業、部門や職場において、あまりにも臆病な地方の労働組合の役員のチームによって行うことは不可能であった。
 それにもかかわらず、この動員によって労働組合の魅力は強化された。それは歴然と見て取ることができる。とりわけCGT、そして連帯労組やFSU(注9)は組合員を増やしている。これは積極的なことである。急進的な若い労働組合活動家が登場しており、これは未来のための財産である。

全面的危機の時期に政治的とは

 労働組合は労働者の利益を防衛する機能以上に、右翼政府に反対する政治的機能を民衆から期待される可能性がある。社会党(SP)を始めとして大きな体制内政党や議会内反対派が信頼性の危機に遭遇しているときには、これは論理的に当然である。SPは二〇一二年(注10)に政府を変えることを目指して右翼拒否の波に乗ろうとした。SPの主要な指導者たちは党の部隊の先頭に立ってデモに参加した。右翼に反対する政治的、労働組合的、協同組合的な全左翼の広範な戦線を構築することが可能であったという事実は、運動にとって積極的要因であった。しかし同時に、事情は困難であり、基本的問題に関するSPと政府の親近性は非常に大きかった。サルコジ、フィヨン、そしてブルトはSPの二枚舌を攻撃する機会を逃さなかった。彼らは現IMF専務理事で有力な次期社会党大統領候補であるドミニク・ストロス・カーンが年金改革を支持した論評を引き合いに出した。また、SPの矛盾を強調するのは容易であった。第一書記のマルチーヌ・オブリー自身が退職年齢を六十二歳に引き上げることを承認し、後で撤回していた。SPは法案の撤回を要求したことはないし、真の対案、すなわち富の共有に基づいた正当な政策を提出してもいない。社会党国会議員の年金加入期間の延長に関する法律の条項への賛成投票は、完全な容認であった。一部のSP指導者はこの論理を最後まで推し進めた。「ストライキの首都」といわれたマルセーユにおいて、地方SPの第一書記ゲリーニは、右翼の市長ゴーディンとともにストライキを止めるようにという共同アピールを発表した。
 それにもかかわらず、SPの多くの活動家や同調者は運動に参加した。それは他の左翼政党、すなわち左翼戦線(注11)、リュット・ウブリエ(労働者の闘い)やNPAと同様であった。アタックやコペルニック(注12)のイニシアティブによる集会の統一キャンペーンが、これらの勢力がすべて協力して法律への反対を主張する資料を配布し、自由主義の危機に対する対案を広めることを可能にした。
 しかし、違いも表面化した。ストライキの全般化が重要問題になっていたが、左翼戦線の指導者、とりわけジャン・ルク・メレションは、国民投票の開催のための闘いを行った。これは種々の理由から達成不可能な目標であるだけでなく、フランスで一定の影響力を回復し始めていた反自由主義的改良主義潮流との基本的差異を露呈するものであった。全面的政治的経済的危機の時期に、左翼戦線の指導者は制度的対応を追及した。この政治的アプローチは、一定の分業に基づいている。すなわち、労働組合は動員の予定を決定し、政党は政治的解決策を追及する、というものである。
 NPAにおいてはわれわれは、党と労働組合の間には機能の違いが存在すること、これら二つのタイプの組織はそれぞれ固有の特性と有用性を持っていることは知っているが、政治的行動に関するこのような機械的な分離的な観点は拒否する。大衆が舞台に爆発的に登場すること以上に政治的なことがあるだろうか。民衆の多数が自らの運命を自分の手に握ること以上に良い解決策があるだろうか。ゼネラルストライキの必要性に賛成することは、勝利の最善の方法を示すことであり、政治的危機を強めることである。それを結晶化させ、政府を打倒しその政策を打ち負かすことによって解決策は現れるであろう。この解決策を防衛する機会が闘いの中で何十万人もの労働者の耳に届けば、それは成し遂げられるに違いない。これはタイミングを無視した教条主義的方法で進められるべきではなく、革命的社会への最も信頼できる戦略的道である。それは階級闘争のコースの分析から引き出された経験を通じて検証され精密化される戦略である。この観点から見れば、その戦略は民衆の多数派と特権的少数派の間の対決を粘り強く持続的に準備することと、体制の組織に根本的に反対しオルタナティブ社会の概略を描く思想で多数派を統合する表現の探求を組み合わせたものである。重要性を誇張することなく、民衆の大多数が連帯に基づいた体制を防衛する準備ができているという事実は、地球上の五番目の資本主義国における政治的勝利である。法律を可決したことにより制度的領域においては政府は勝利し、数百万の労働者を敗北させ、労働者はその政策に苦しめられるだろうが、納得させることに成功しなかった。世論の領域においては政府は敗北した。その政策が可能な唯一の政策であるという考えに関しては敗北した。人々を熱狂させはしないが全体の利益になるという考えに関しては敗北した。このような危機の時代にあっては、これは貴重な獲得物である。

信用崩壊の右翼に代わるものは

 右翼政府は、サルコジの選挙スローガン「もっと働きもっと稼ごう」を真に受けた労働者の目から見ても、信用を失った。彼らから見ると、サルコジはもはや生活水準向上の大統領ではなく、金持ちのための大統領である。ブルト―ベタンクールのソープ・オペラ(労働大臣ブルトと女性富豪ベタンクールの金脈疑惑)は、動員の追加的理由を提供したと同時に、この信用失墜に大いに寄与した。社会問題大臣が人々に一段の耐乏生活を要求しているときに、彼はこの国一番の女性富豪とのきたない親近性をみせつけた。腐敗、富の低俗な表現、えこひいきのイメージは、世論調査の支持率にとってマイナスになる。それ以上に、ターゲットになったのはサルコジ自身であり、深い激しい拒否を呼び起こした。彼が行ったばかりの内閣改造は、何の変化ももたらさなかった。このことが二〇一二年の選挙における彼の敗北の確定を意味するわけではない。しかし、彼が大統領に留まることにもはや我慢できなくなった人々の数は、大幅に増加した。
 運動もまた、多様性に富んでいる。この秋のデモ参加者の中の一部の人々は、二〇一二年まで待ってサルコジを追い出し、社会党員の大統領と交代させることに決心した。しかし他の人々は、権力の座についたSPは、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの例のように、大多数の民衆に危機のつけを払わせるもう一つの道であることを十分理解している。
 運動の終焉の時期に、NPAが働きかけるのはこれらの人々である。NPAは最初の全国大会準備の最中であるが、資本主義体制が迎える前例のない規模の経済と環境の二重の危機の分析から始まりこの危機に対する過渡的対応を提出する文書に関する作業を進めている。前回の全国政治委員会は、反資本主義的オルタナティブに関する討論の呼びかけを発表した。この論争は、組織された政治勢力だけでなく、右翼および体制内左翼の政策に対するオルタナティブを探している何万人もの労働者や若者にも関連する。もう一つの展望を開くには、社会党のサイレンに耳を貸さず、SPとの連立政府の十何回目かのバージョンが表現する行き詰まりに背を向けることが必要である。この文脈において、NPAは、闘いの次の段階の準備の作業を行い、反資本主義的オルタナティブの概要と内容に関する異なる観点と向き合うことを可能にする討論の枠組みを作成する作業を行っている。

二〇一〇年十一月二十三日、トゥールーズにて
▼フレッド・ボラスは、反資本主義新党(NPA)の執行委員会のメンバーで、第四インターナショナルのメンバーである。彼は教育労働者である。

原注
(1) エリック・ブルトはサルコジ―フィヨン政権の大臣で、年金改革計画の作成を担当した。金銭スキャンダルと不人気から、動員後に行われた内閣改造で大臣の席を失った。
(2) アラン・ジュペは、一九九五年のジャック・シラク大統領の下で右翼政府の首相であった。
(3) 現首相のフランソワ・フィヨンは、シラクーラファラン政権の社会問題大臣であった。
(4) MEDEFは大企業の組織であるフランス雇用主運動(フランス経団連)のフランス語の頭字語。会長はローレンス・パリゾ。
(5) 一九九五年に、労働組合は約二百万人を動員した。この数は今回の三百万人に匹敵する。どちらの場合も政府の推計によるデモ参加者数は同じ傾向でこれより低い。
(6) 連帯労組は少数派労働組合組織で、その一部は一九八〇年代末にCFDTから除名された急進主義的労働組合活動家で、彼らは当時SUD労働組合を結成し、特定部門(郵便、鉄道、税務署など)で影響力を持った。
(7) 労働総同盟(CGT)はフランス最大の労働組合組織である(2008年の調停・仲裁委員選挙での得票率34%)。長年にわたりフランス共産党が指導してきたが、その中央機関は同党が政治的舞台において二級の地位に後退すると同時に自立した。欧州労働組合連合(ETUC)および国際労働組合連合(ITUC)に加盟している。一九九九年以降、鉄道労働者連合のベルナール・チボーが書記長である。
(8) フランス民主労働同盟(CFDT)はフランス第二の労働組合組織である(2008年の調停・仲裁委員選挙での得票率21・8%)。カトリック労働組合運動の急進化から生まれた(多数派は1964年にカトリック労働組合連盟、CFTCから分裂した)。急進化し、一九六〇年代および一九七〇年代の労働者自主管理運動に関与したが、一九七八年以後エドモンド・メール指導部の下で「再中道化」し、一九八八年に郵便、通信、医療部門から急進派潮流を除名した。
CFDTは、一九九五年の年金改革を支持してストライキ労働者に反対し、二〇〇三年にも年金改革を支持し、急進的潮流の新たな脱退を引き起こした。二〇〇二年以降、フランソワ・シェレックが書記長である。、
(9) 統一労働組合連合(FSU)は、教育・研究・文化部門の主要労働組合である。
(10) フランスにおいては、二〇一二年に次の大統領選挙と国会議員選挙が行われる。
(11) 左翼戦線は、特にフランス共産党と左翼党によって構成されている。左翼党は二〇〇八年に社会党を離れた活動家グループによって結成された。主要指導者は、前元老院議員で社会党大臣、現欧州議会議員のジャン・ルク・メレンションである。
(12) アタックは民衆教育に関する協会で、その目的は自由主義と闘い、自由主義的政策に反対し富のもう一つの分配に賛成する主張を普及することである。コペルニックも同様の目的を持つ組織である。


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