もどる

かけはし2011.1.31号

『LCRからNPAへ━━フランス反資本主義新党結成』

パンフ紹介 発行:新時代社 頒価400円

歴史と実践の中に学ぶ点が多い

フランス社会の
特徴と政治性格
 私たちがフランスの社会運動のニュースに接するとき、日本では考えられないような百万単位の大衆動員、実力闘争も辞さない労働者大衆の戦闘性、大規模なデモやストライキを世論調査で七割が支持するような社会風土、そして一度は成立した悪法が連日の大デモによって国会で撤回されるような力関係、等々をとらえて眩しいほどの「民主主義社会」と考えてしまいそうになる。
 しかし私は、十年近く前に旧革命的共産主義者同盟(LCR)のアラン・クリヴィンヌと並ぶリーダーであり続けたピエール・ルッセがつぶやいた「フランスは人権や民主主義の面でヨーロッパ最低レベルの国家だ」という言葉が忘れられない。
 単純に想起してみよう。現在のフランスの大統領は、移民排斥と警察国家化を一貫して推し進める日本で言えば石原慎太郎と同格の民族排外主義者サルコジであり、このような人物を押し上げ当選させる社会なのである。あるいは、日本同様に新自由主義的な福祉の切り捨てと規制緩和、民営化政策を歴代政権はこの二〇年来一貫して推進している。あるいは、国民戦線のような極右レイシスト・ファシスト政党が万単位の党員を誇る大衆政党として既成勢力化しているという点では、フランスは二〇年以上日本の先を行っていると考えることもできるだろう。
 一方、そのような右派に対抗する勢力を見ても、社会党は「(資本主義体制の)責任政党」として新自由主義に融和的な態度を示し、共産党は愛国主義のアイデンティティーを右派と競っているという点では、やはり日本と大差がない。
 そしてこの両党(と緑の党)は、九〇年代のジョスパン首相を擁したコアビタシオン(大統領と首相を左右で分け合う形となった保革共存状態の政権)時代に、民営化政策を推進し、原発と自国の核武装を容認し、原子力空母の増強を含む軍拡路線を採り、NATO体制に完全に屈服してユーゴ戦争に協力することで、自党に結集する労働者・市民を裏切り続けた。
 このように日本における村山政権とよく似た状況を通じて、フランスにおいても既成左翼政党は、決定的に支持を失い、支持者を離反させることになった。しかし、日本の状況と違い冒頭で触れたような巨大な大衆運動と大衆動員が維持されて二一世紀に入ってさらに強力になっている不可欠の要因としてLCRの存在を挙げるのは、決して我田引水的なセクト主義的言辞ではないだろう。

新たな躍進の土台
となった大統領
 フランス政界において「極左」(左の左)と称される位置に属する二〇〇〇年代の初頭には一〇〇〇人前後の構成員しか持たないこの小さな左翼党派は、その大衆運動への献身と共同行動形成の努力、労働者を自派に囲い込むのではなく、既成左翼政党の影響下の大労組から独立した大衆的な戦闘的労働運動形成のための努力(この努力は郵便・国鉄労働者に強い影響を持つ労組のネットワークであるSUDに結実する)、他方で「労働者本工主義」に陥ることなく、失業者・ホームレス・移民・セクシャルマイノリティの諸運動と青年の反乱への連帯の表明とコミットメントを続けた。
 九〇年代を通じたこのようなLCRの闘いは、社共の屈服と裏切りに失望した大衆を引き寄せ、あるいはいまだ社共の影響下にある労働者大衆をも戦闘的な大衆運動に引き寄せる力関係を形成することに成功した。そして、二〇〇〇年の大統領選挙において当時二七歳の郵便労働者オリヴィエ・ブザンスノーの出馬は、一五〇万票を獲得し、とりわけ一八歳から二四歳の青年層においては、当選したジャック・シラクに迫る勢いだった。この選挙戦において初めて共産党の候補者の得票を抜き、左派内部の力関係を変え、LCRの新たな躍進の土台となったのだった。

培われてきた
組織内民主主義
 前置きが長くなったが、ここで紹介するパンフレット『LCRからNPAへ』は、LCRが「解党→新党結成」の方向を採択した二〇〇八年一月の大会文書から、二〇〇九年二月のLCR解党と反資本主義新党(NPA)結成に至る各大会文書、そしてNPAの「過渡的マニフェスト」とも言うべき文書「結成原則」などが収録されている。
 この一連の他大会文書を読んで、おそらく少なくない読者がLCRの徹底的な党内民主主義に驚かされるだろう。
 九〇年代に意識的な模索が開始された「一党一派の綱領と歴史の承認を超えた新しい多元的左翼勢力の形成」は、結局二〇〇七年の大統領選の左派共同候補擁立の努力が共産党、労働者の闘争、緑の党、ジョゼ・ボヴェなどの社会党からの独立性の不徹底や新自由主義政策反対に徹しきれない弱さ、各勢力のセクト的態度によって破たんした。そうしてLCRはイギリスのリスペクトのような「諸左派統一戦線党」型でもなく、イタリアの旧共産主義再建党のような「左派共同ブロック党」型でもない、地域・職場からの「草の根からの新党形成運動」として共産党員や他党派の活動家、無党派の労組員や市民活動家と討論を開始することを余儀なくされる。
 この方針は大衆運動や職場・地域において、長い時間をかけた信頼関係を築いていなければ、とても成立するものではない。そして、何より重要なことは、すでにLCR自身が民主主義的な討議と決定プロセスの訓練を身に着け、組織内の複数主義と多元主義を実践していたという点だろう。LCRの大会では常に複数の潮流の方針案が示され、議論を尽くし、採択された際には支持数をパーセントであきらかにする。形式だけは整っていても、異論が入り込む余地のないスターリニズム的手法が蔓延した「共産主義運動」に慣れきっている者ならば、このLCRの民主主義の手法は信じることさえできないだろう(しかし一方で「第四インターの分裂の歴史」の教訓から分裂に直結しうる「○○派-グループ」というような固定した分派形成を極力回避したうえで議案を競うというのが九〇年代以降のLCRのスタイルとなっている)。
 LCRがこのような組織体質を意識的に形成してきたことこそ、社会党、共産党、労働者の闘争、緑の党、アナキストなどとの討論を可能にし、解党時三五〇〇人の組織が倍近くの入党者を様々な潮流から獲得して、一万人近くの党員を擁する新党の舟出を迎えることができたことは、強調されるべき事柄だろう。

大衆運動を拡大
し発展させる党
 ブザンスノーは、〇八年一月のLCR大会時にスイスの左派メディアのインタビューに答えて、訴える。「新党」は、「党の政治に関わったことのない男女」に開かれたものであり、特定の伝統との一体感を求めるものでもなく、トップダウンの組織運営を拒否して、資本主義と新自由主義に反対して、大衆動員に力を注ぎ、社会党から独立したラディカルな変革を臨む男女に対して、「トロツキズムの全般的歴史であろうとLCRの固有の歴史であろうと、押しつけたりしません。共に新しい何かを建設しようとするのです!」
 LCRからNPAに移行するにあたっての大会文書や報告に詳しい、党名や公式イデオロギー名称決定のプロセス(採択の結果「二一世紀の社会主義」)、第四インターとの今後の関係、複数の議案書(プラットフォーム)の傾向などについては、ここでは割愛する。最も注目されるべきはやはり、「結成原則」に示されたNPAの反資本主義の戦略の基本的枠組みだろう。
 この文書は採択するまでに数百の修正案が提出され、賛成多数で採択されたものだが、驚くべき点は、それほどの意見を集約して一致点を探った文書ならば革命性とか政治的な部分で薄まったものになりそうなものだが、この文書は逆に討議を通じて強固な一致点を勝ち取ることに成功したことを伺わせる、瑞々しさと強烈な政治意思を伴った政治的文書となっている。
 この結成原則において最初に課題に挙げられているのはエコロジーの問題であり、資本の論理と帝国主義による地球環境の破壊に抗する闘争である。NPAの公式イデオロギーの名称である「二一世紀の社会主義」と争ったのは「エコ社会主義」という名称だった。そして、常に失業と貧困を国内外に生みだし、戦争を自身に宿している資本主義との闘争を呼びかける。NPAの反戦闘争の原則はこうだ。「自国帝国主義・軍隊の敗北のために闘い、被支配諸国におけるフランス企業の没収を支持し、フランス軍が展開している場所での民衆の抵抗を支持する」。これはNPAがボリシェビキ以来の「革命的祖国敗北主義」という左翼の譲れない原則を再確認しているという点において、NPAを「新しい社民」と揶揄するような傾向への痛烈で明確な反論だ。
 そして、NPAについて確認されるべきことは、世論調査によるブザンスノーの高い支持について幻想はまったく持っておらず、「ブザンスノー大統領を誕生させることでの選挙による革命」はおろか、議会政党として議会革命をめざす方針でもなければ、これも当然のこととして武装した暴力革命をめざしているわけでもない。「結成原則」から読みとれるのは、NPAは「大衆運動の党」として自己を強烈にアイデンティファイしているという点だ。
 NPAは社会と工場の自主管理をめざし、そのための労働者の組織化と左派の最大限広範な統一、国際主義的でかつエコロジー的で女性とセクシャル・マイノリティへの差別・抑圧・暴力に反対する非妥協的な闘争、人種差別反対、「海外領土」と名付けられたフランスの植民地における民族自決権の擁護、青年への抑圧の反対、それらの大衆運動を拡大し発展させることを任務とする党がNPAであり、その綱領をもとに民衆を結集させる契機として選挙闘争を闘う、としている。
 そして、「階級支配は改良の道を通じて取り除くことはできない」と明確に宣言し、一九七三年のチリのクーデターが再現されることのないよう「労働者の自衛の組織化」をまえもって公然と宣言される、とする。そして、反動勢力の暴力行使に対しては、ストライキを強固に防衛し、サンパピエ(「不法入国者」とされるビザなし外国人)を当局の追跡から匿い、「要求を満たすためには合法性の狭い枠組みを抜け出ることをいとわない」とする。これが、NPAの確認された一致点と原則だ。おそらく、大方の読者のイメージを裏切る「原則的左翼」だと感じるのではないだろうか。

年金闘争を通じ
新たな支持者が
 NPAは、大衆運動を守り発展させてきたLCRの財産を背景に結成されたと言っても過言ではないだろう。しかし、LCR自身が大衆運動によって鍛えられ、自己刷新を迫られてきた歴史と言うこともできるだろう。その意味ではやはり、LCRを薄めて水膨れさせたのがNPAなどではなく、フランスの戦闘的大衆運動の歴史が生みだし、その要請に応えようとする人々が結集したのがNPAだ。それは一党一派の闘いの結果ではないし、これからも情勢と大衆の意識、要請に応じた自己刷新を何度も迫られることになるだろう。
 二〇一二年には大統領選が控えている。ドゴール以来の伝統的保守派(最近サルコジ与党から離脱したドビルパン派など)もたじろぐようなロマ民族や移民排斥を「これは戦争だ」と称して強行するサルコジは、年金改悪阻止闘争の爆発的発展を通して支持率は三〇%割り就任以来最低水準に落ち込んでいる。その一方でサルコジと極右票を食い合う関係にある国民戦線の支持率は上昇傾向にある。
 左派は、いわゆる「左の左」陣営においては、原則もあいまいなままにNPAへの対抗意識から形成されたとしか言いようがない社会党から分裂した左派の左翼党と共産党のブロックである「左翼戦線」や緑の党とジョゼ・ボヴェやなどのブロック「ヨーロッパ・エコロジー」などの左派ブロックが定着傾向にあり、NPAとブザンスノは過去二回の選挙戦と比して苦戦を強いられることになりそうだ。しかし、昨年一一月の来日したNPAメンバーのクレミューさんの報告によれば、年金闘争を通じてNPAの周囲に新たな支持者を獲得しているということである。
 真の大衆政党への次の脱皮の一里塚として、あと一年と少しの大統領選までの間、NPAは大衆運動と選挙闘争を闘いぬくことになるだろう。そして、日本における左派の任務として、「民主党革命」が完全に頓挫した失望をどのように組織するべきか、その重要なヒントをWLCRからNPAへWの歴史と実践から見出すことができると確信する。         (F)



コラム
ドブロク

 先日、友人宅で自家製のドブロクをごちそうになる機会があった。
 よく冷えた一升瓶のなかには発酵途中の蒸し米がたくさん残っているため、瓶をよく振らなければ瓶の首にご飯が詰まってしまい、器にうまく注ぐことができない。ドロドロ、ピチャピチャと器に注がれるドブロクは牛乳のように白く、それを見ているだけでも生ツバものだ。
 味も実にまろやかでうまい。麹菌以外の雑菌の混入による苦みなどもまったくない絶品である。また絶妙なドロドロ感が、心地よい喉越しを演出してくれる。米と麹と水だけで作られた「本物のうまい酒」に、ただただ感動しきりであった。
 私が自家製酒を最初にいただいたのは三〇年ほど前の三里塚で、酒税法と対決して自家製酒の復権を主張しドブロク裁判を闘っていた前田俊彦さん作のにごり酒であった。それは自主耕作地(空港公団所有地)での農作業後のバーベキューの場に提供されたものだった。当時、貧しい生活をしていて、何が混ぜられているのかわからないような安酒しか口にできなかった私にとっては、まさにそれは「天のめぐみ」であった。ついつい卑しく飲み過ぎてしまったのを覚えている。
 二五年ほど前にも、上野の朝鮮料理飲食街で、その店自家製の一升瓶に入ったマッコリ(数種の穀物で作られた朝鮮のドブロクでアルコール分は約六%)を注文したことがあった。肌色のドロドロをドンブリで飲むのだが、穀物が胃にたまりお腹がいっぱいになってしまった。その後も何度か手作りビールなどをいただく機会があったが、生の抜けた水っぽさだけが記憶に残っている。
 今回、友人宅でいただいたドブロクは、これまで私が口にしてきた「自家製酒」に限らず、一般に販売されている「日本酒」の味と比較しても、上をいくこと間違いなしだ。なぜなら、酒好きの私の舌がそう確信しているからだ。
 さて、このドブロクだが、以外と簡単に作れてしまう。
 まずは「麹作り」だ。一晩水に漬けた米を二時間蒸す。人肌まで冷ましてから麹菌をまぶす。三〇度前後を保って二日間保温・保湿(朝夕切返す)。「麹」完成。
 次に「醸作り」。同量の米を蒸す。冷めたら麹と混ぜて米と同量の水、米ヌカ乳酸菌・イースト菌を入れる。一週間寝かせる。「醸」完成。
 再度「麹」を作る。二倍量の米を蒸す。麹と混ぜて米と同量の水を入れる。「醸」と混ぜ合わせて二週間寝かせる。「ドブロク」完成。
 ま〜こんな感じである。米一合を基準とすると、ドブロクの量は二リットル強になる。紹介したのは「寒作り」なので、暖かい時期だと発酵も早いので調整は必要だろう。また麹菌以外のカビや大腸菌などの混入は味に大きく影響する。 (星)


 


もどる

Back