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    かけはし2011.2.7号

弾圧の意味を改めて問い直す

国会内で「大逆事件」一〇〇年集会
権力犯罪を糾弾し民衆の抵抗
の歴史を未来に向けて紡ごう




アジア侵略と
一体の締めつけ
 一月二四日は一〇〇年前に「大逆事件」で死刑判決を受けた被告のうち幸徳秋水ら一一人が死刑を執行された日だ(管野スガの死刑執行は翌一二日)。この日正午から参院議員会館講堂で「大逆事件百年後の意味―院内集会」が開催された。司会にたった福島みずほ社民党党首・参院議員は、通常国会召集日に国会院内で「大逆事件」一〇〇年の集会を問う意味について語り、政治と社会のあり方を歴史的視野に立って批判的にとらえかえす必要性を訴えた。
 講演は評論家の鎌田慧さん。鎌田さんは『週刊金曜日』で、坂本清馬さんをテーマにした連載を開始した。坂本清馬さんは大逆事件で死刑判決を受け、判決の翌日に無期に減刑された後、一九三四年に仮出獄した。戦後一九六一年に大逆事件の再審請求を生き残った最後の被告として行った。裁判所は「司法の権威」をかけて再審請求を不当にも棄却したが、坂本さんは一九七五年に八九歳で亡くなるまで死刑にされた被告の無実を訴え、国家権力のでっち上げを批判し続けた。
 鎌田さんは坂本清馬らが幸徳秋水らとの関係だけで処刑されたというこのデッチ上げが、日露戦争・韓国併合という中国侵略を見据えた日本の膨張政策と連動した国内での徹底した締め上げ政策との関連で行われたものであることを指摘した。そして幸徳らの「平民新聞」が反戦平和の主張を鮮明にし、韓国併合にいたる動きを批判した意義を強調した。
 鎌田さんはさらに、処刑された和歌山・新宮の大石誠三郎らが先駆的な役割を果たした部落解放運動に対する弾圧でもあったと語った。また鎌田さんは大逆事件のでっち上げを主導した平沼騏一郎(後に司法相、首相)ら検察幹部が徹底的な誘導で「犯罪」を作り上げていったことを厳しく批判し「その手法は今日にまで引き継がれている。それは厚労省・村木さんを起訴した『証拠』捏造にも示されている。立川反戦ビラ入れ弾圧でも思想検事の連綿とした流れが見られる」と強調した。

坂本清馬さんの
再審請求支えて
 次に、院内集会に参加した国会議員が一言ずつあいさつ。今野東参院議員(民主党)、神本美恵子参院議員(民主党)、武内則夫参院議員(民主党)、玉置公良衆院議員(民主党)、山内徳信参院議員(社民党)、田城郁参院議員(民主党)、前川清成参院議員(民主党)、吉田忠智参院議員(社民党)、中川治参院議員(民主党)、阿部知子衆院議員(社民党)、服部良一衆院議員(社民党)が発言した。高知選出の武内さん、和歌山選出の玉置さんは、それぞれの地元で大逆事件で死刑を執行された人びとの追悼集会が例年行われていることを語り、服部さんは何よりも天皇制による侵略と弾圧の問題として捉える必要性を強調した。
 続いて「大逆事件の真実を明らかにする会」代表世話人の大岩川ふたばさんが報告。「大逆事件の真実を明らかにする会」は坂本清馬さんの再審請求を支え、事件の真実を究明するために一九六〇年四月に結成された。大岩川さんは発足当初から会の活動を担ってきた。
 大岩川さんは、平沼騏一郎が戦後一九五三年の『改造』誌に、被告たちの死刑・一部恩赦のために当時の桂首相と相談し、判決前日に裁判長から判決主文を渡された上で、明治天皇にそれを見せて「恩赦」の許可を得たことなどを語っていることを紹介し、でっち上げ弾圧・死刑・恩赦のセットが天皇制国家権力のトップからの筋書きであることを明らかにした。
 さらに大岩川さんは、石川啄木、永井荷風、徳富蘆花、平出修、内田魯庵ら当時の知識人・文学者の事件に対する反応、戦後初めて目にすることができた被告らの獄中手記、管野須賀子への性差別的偏見などにもふれて、管野へのそうした差別的視点を克服するための努力を人間回復の闘いの意味を切々と訴えた。

むのたけじさん
からメッセージ
 集会には今年九五歳になる秋田のむのたけじさん(ジャーナリスト)の「明治維新以降の日本の歴史を、国定教科書を裏返しにした角度から洗い直し、見つめなおす。この作業を進めよう。このことによって、希望に満ちた人間集団の日本社会が実現されていきます、一緒にがんばっていきましょう」というメッセージをはじめ、新宮市の「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」、高知県四万十市の「幸徳秋水を顕彰する会」、岡山県の「森近運平没後百年記念事業実行委員会」からのメッセージも紹介された。
 それに続くリレートークでは早野透さん(ジャーナリスト)、中森明夫さん(作家)、大逆事件刑死者慰霊碑がある新宿区富久町中町会の会長で、毎年日弁連と町内会が共催して刑死者の慰霊祭を行っている玉置さん、安田好弘弁護士らが発言。安田弁護士は、連綿と続く検察の政治への影響力を排除するために闘う必要性について語った。 (K)

投稿
紙面はどうあるべきか

 ――本紙「数字表記変更」について

佐藤 隆

  「かけはし」一月二四日号に「編集部からのお知らせ」と題する一文が掲載された。これまでの本文の数字表記を変更する、という内容である。
 この告知に至る経緯や理由は知る由もないが、私が参加する本紙読者会の議論や指摘に奇しくも沿うもので、大いに歓迎したい。そのうえで、改めて新聞編集の技術的な側面についての、私見の一部を記しておきたい。討論のきっかけになればと思う。

編集者の責務
 編集者(編集長/編集責任者)には一般的に、以下の要素が求められている。第一に、基本的な文章能力である。寄せられる原稿を吟味し、正しい文章に仕上げることだ。誤字脱字の修正はもちろん、助詞の使い方や重複、送り仮名、固有名詞の正誤を見極めるなど、幅広い知識が必要になる。常用漢字や人名用漢字の更新への対応はもちろん、校正記号なども駆使できなければならない。
 もうひとつは、レイアウトに関するセンスである。紙面の割付には、デザイン分野の経験と能力も重要だ。組版の作業まで自身が担当する必要はないが、見出しの書体や大きさ、字数など、可読性にかかわる判断もまた、大きな仕事だ。
 最後に、その媒体の主義主張や製作方針の問題である。寄せられた文章にしっかりと目を通し、掲載の可否を決める。明らかに特定の個人や運動への誹謗中傷、破壊を目的とするもの。誤解や混乱を持ち込む可能性のある投稿については、慎重に対応しなければならない。

数字表記マニュアル
 さて、以下に数字表記について述べていく。
 まず大原則がある。縦書きの場合は漢数字、横書きはアラビア数字(以下、洋数字)を使うということだ。
 使用方法に迷ったときは、すぐに商業新聞を開くといい。大手各紙は、文章表記と紙面レイアウトの規範になる。とはいえ、時代の流れとともに前述の「大原則」が、当の大新聞から見直されてはいる。
 たとえば、「朝日」「読売」「毎日」「産経」の本文は「縦組み」だが、全面的に洋数字を使っている。「東京」が原則漢数字で、スポーツ面や解説枠内には洋数字を使い、同一面に両者を混在させている。市民運動サイドに人気の同紙は、意外にも保守的である。余談だが、最上部の柱部分で元号を優先させているのは産経のみ。他紙は「西暦表示(元号)」である。右翼新聞としては、譲れない一線だろう。
 本紙「韓国から」欄のように、表記を全面的に洋数字化すれば、この後に取り上げる課題をほぼクリアできる。一方で、今回の「暫定的措置」のように、漢数字を原則としながら表記を簡略化したり、複数を併記する例が数多く存在することも事実だ。

単位語の扱い
 やっかいなのは、漢数字にまつわる「単位語」の役割である。単位語とは「十、百、千、万、億、兆」を指す。単位語が原則不使用であっても、誤読を避けるためにあえて「十」(トンボ十)を使うこともよくある。手紙の宛名書きを思い起こせばいい。
★例 「○○区一の一一の二三」→「○○区一の十一の二十三」
 原則は漢数字使用でも、「数値」としての意味が明らかな数字には、洋数字を用いる手法。そして見出しはすべて洋数字というパターンも多い。西暦については、漢数字でも単位語を入れないのが一般的だ。
★例 15・3%、1分13秒(大会新)、699m、二〇一一年
 紛らわしい言葉に、漢数字と洋数字を混在させる場合。
★例 第2四半期、奪3三振、
洋数字が原則であっても、単語、熟語、概数、固有名詞、訓読みするもの、言葉として定着しているものなどは、漢数字を維持する。
★例 一昨年、十人十色、数百人、三里塚、一人暮らし、一本勝負
 現在一般的な「縦書き・洋数字使用」では、二桁までの数字なら半角数字を横に並べ〈縦中横〉、三桁以上は、全角扱いで縦に並べるのが通例だ。「兆、億、万、千」などの単位語を使い、むやみに「0」を並べたりしない。
★例 4億2千万ドル、65万羽、1万9727トン
小数点には中黒「・」を用いる。光学写真植字全盛の時代には、三桁で全角一字分扱いの数字もあったが、さすがに細長く読みにくい。

商業紙の特徴
 さて、商業紙のなかで、もっとも目に優しいレイアウトを採用しているのが読売である。同紙は、見出しと本文の間に十分な空間=ホワイトスペース=を設けている。そのため読者には文字数が少なく見え、自然に本文に視線が行く。「空き」があるからといって、やたらと見出しを拡大してはいない。
 他紙は読売に比べると、フトコロ(注)の広い書体が見出しスペースに鎮座し、本文との境界をあいまいにしている。文字そのもののサイズとフォントが原因だ。読売から他紙へ乗り換える読者は、かなりの違和感を抱くことだろう。<注・フトコロ=仮名や漢字一文字のデザインでエレメント内側の白い部分>

かぎかっこの意味
 「かけはし」では、「括弧=かぎかっこ」の多用が目につく。言葉を括弧でくくることは、「いわゆる」とか「こう呼ばれている」という客観表現を意味するが、乱用はうるさく、わずらわしい。
 ある言葉や概念をめぐって、運動圏にさまざまな解釈や評価があることは理解できる。それは相互の信頼関係や、議論の成熟の度合いを示す指標でもある。しかし、読者の追及や批判をかわすための免罪符として、あれもこれもと括弧を付けまくると、「結局、筆者は何を言いたいのか」と、主張の主体性や責任感が薄れてくる。「米軍再編」、「憲法9条」「日米同盟」などに括弧が必要だろうか。
 広く討論を呼びかけながら、自身の記述に慎重過ぎるこの傾向。読者は記事の論点より、括弧を付けた言葉の意味そのものばかりが、気になってしかたがない。

洋数字のメリット
 以上、要点を見てきたが、大切なことは、いかに読者が読みやすく、理解しやすい紙面を作るかに尽きる。それを第一に踏まえ、表記や紙面レイアウトの統一方針、整理方針を立てることだ。既刊の新聞や雑誌から、読みやすい点だけを模倣し、「かけはし」流の作法を模索するのだ。
 たとえば、数字を全面的に洋数字に置き換えることには、いくつかの利点がある。まず、文字数が節約できる。これは編集者にとっても、執筆者にとってもメリットである。また、単位語付漢数字と違い、校正が容易になる。さらにパソコンによるデータ入稿が普及した昨今、横書きの原稿がそのまま流し込めるという利便性もある。ライターが基本的に全角洋数字を使えば、組版者の作業効率は格段に向上する。大手紙が率先して切り換えた表記に、いまだ異論は聞かない。結局は視認性や可読性、そして「慣れ」の問題なのである。時代は洋数字へ、そして平仮名へと向かっている。
 長いセンテンスを誇示するような難解な論文は、「迷文」に過ぎない。正確かつ平易で誰にでも読みやすく、ストレスを感じさせない文章こそ、現代の名文である。その意味で、今回の改変を私は、「とりあえずの進歩」だと受け止めている。
 編集部の方々の日常的激務には、頭が下がる思いだ。省力化、合理化に貢献する業務の再考と、それによる紙面の高品質化を、今後さらに期待したい。


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