「青年戦線」最新号より

2000年4月1日・No.154より

|●治安諸法の発動を許さず、学園・地域・職場をむすんだ闘いのうねりを!…大仲 恵
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●共青同アピール
|● 山谷越冬闘争に参加して…………………………………………………………板橋道雄
|●寿越冬闘争に参加して……………………………………………………………海田 昇
|●1.15 日雇全協総決起集会報告

|●反失業闘争と野宿労働者…………………………………………………………遠山裕樹
|●アジアにおけるゲイ・レズビアン運動と私たち
|●私自身のノートから 男性の当事者運動と男のあり方………………………鈴木和久
|●座談会 青年論を語る―2
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論………………………………中野新一
|●読書案内「中国香港特別区最新事情」…………………………………………早野 一 
|●連帯を求めて(29)………………………………………………………………萩原邦彦 


治安諸法の発動を許さず、学園・地域・職場をむすんだ大きな闘いのうねりを!

大仲恵




神奈川県警、新潟県警、埼玉県警などの一連の警察不祥事の発覚は、もはや並大抵の対策では警察への信頼回復が不可能であるほど、彼らの末期的な腐敗ぶりを見せつけた。
新潟県の「女性監禁事件」などは、県警の長期にわたる怠慢ぶりを如実に示している。女性が九年ぶりに保護されたその日、当の県警幹部は何をしていたのか。
とめどなく続く「不祥事対策」の柱として警察庁が打ち出した「特別監察」。監察官として新潟を訪れた関東管区警察局長(当時)中田好昭は、「雪の見える所がいいな」と県警本部長小林幸二に電話で注文。小林はさっそく部下を通じて県内各署に「宿探し」を命じた。中田は県警本部に十五分ほど顔を出しただけ。業務は部下に押しつけ自らは公用車で温泉ホテルに向かった。
 ここからの行動はあまりにも有名である。迎えた県警幹部らは温泉、「雪見酒」と「図書券賭けマージャン」で遊興接待。そしてあくる日の「白鳥見物」。県警本部には旅館からファクスで指示を出し、結局この時の「ウソ会見」もバレてしまったのだ。
今回引責辞任した中田好昭は、警備畑中心のキャリア。警視庁警備部長時代には、「国松警察庁長官狙撃事件」で訓戒処分を受け、兵庫県警本部長時代には、神戸市須磨区の「児童殺傷事件\酒鬼薔薇事件」捜査を指揮している。これでもかと続く警察の悪事の数々、ひとり中田や小林の行為だけが突出していたわけではない。
日本の警察は、わずか五百人ほどの少数の「キャリア」が二十六万の警察官を牛耳るという、縦割りの極端なピラミッド社会になっている。
国家公務員一種試験に合格し、警察庁に採用された時点で「警部補」(係長)からスタートするキャリア組。二五〜六歳になれば「警視」(署長クラス)となり、父親ほどの年齢の「部下」たちの頭上に君臨する。そして二年ほどの周期で本庁と地方を行き来しながら確実に出世してゆく。
 一方、高卒で地方公務員となった「巡査」は、定年までに警部に昇格するかどうかという下積みが続く。しかし、全警察官の九九%が「ノンキャリア」なのである。
こうした硬直した階級官僚組織ゆえに、腐敗しないほうが不思議ではある。
 幹部の飲み代や接待費捻出のために、領収書を偽造する「裏金作り」は当たり前。捜査や保護と称した市民への脅迫・監禁。ヤクザや暴力団との癒着。女性へのわいせつ行為。点数稼ぎのためのヤラセや交通違反のデッチあげ。あげくの果ては「カッとなって市民に発砲」。そのデタラメぶりをあげればきりがない。

 刑事警察としての機能は果たされているのか。
 たとえば京都で起きた「児童殺傷事件」も、かつての神戸市須磨区の事件と同様、多くの謎に満ちている。
 「容疑者」と見込んだ青年と、自宅ドア越しの長い押し問答。ようやく公園に連れ出したかと思えば、逃走され「自殺」を許してしまう。この最悪の結果に、「なぜ、家に踏み込んで容疑者の身柄を確保しなかったのか」とマスコミは大合唱するが、それは警察の実態を知らない無責任な主張である。「やくざ風の男たちに囲まれていた」という目撃者の証言。不自然な時間経過の発表。さらに、飛び下りたのは十三階ではなく、屋上だったという説もある。本当に自殺したのか疑わしい状況が次々と浮かび上がってきている。また、世間の耳目を集めた暗号の意味は何だったのか、家宅捜査で押収した物件は何なのか、警察は、これらの情報をほとんど公開していないのだ。
こうした難事件に共通するのは、逮捕された「容疑者」が、当初描いた「犯人像」とはかけ離れているという点である。
メンツをかけてなりふりかまわず別件で逮捕し、拷問と脅迫で「自白」を強要する。プロの武装思想集団を相手にたった独りで、ましてや世間を知らない若者には抵抗する術がない。警察にとって、ひとたび「容疑者」として身柄を確保すれば「犯人」に仕立てあげることはいともたやすい。「死人に口なし」とは、警察の不祥事隠蔽にこそ当てはまる。
警察は、凶悪事件であればあるほど、誤認逮捕を認めず次々と冤罪を生み出していく。ウソを守るためにさらにウソを重ねてゆく。一方で、遺留品だらけの「難事件」を迷宮入りにしてしまう。地道な捜査でようやく「真犯人」に迫っても、政府与党の圧力があれば簡単に捜査を打ち切る。
 日本警察の本質は、刑事ドラマで描かれているような正義感あふれる熱血警察ではない。それは、戦前の「特高警察」の思想と技術を連綿と引き継いで国民生活のすべてを監視しマークする「公安スパイ警察」なのである。その実態は警察内部でも厚いベールに覆われているが、公安担当の警察官は、他部門を見下すエリート意識を持ち続けている。犯罪捜査をする刑事部門や交通部門は組織内ではあくまで「傍流」に過ぎないのである。

「治療ミス」などの医療過誤が相次いでいる。昨年一年間に報道された主なものでも、ほぼ毎月のように起きている。
一月 横浜市立大学医学部付属病院での「患者取り違え手術」。
   大阪府泉佐野市立病院での点滴ミスによる死亡事件。
二月 都立広尾病院で消毒液を点滴され、女性が死亡。
三月 札幌市の病院で人工呼吸器が外れ、女性患者が死亡。
四月 和歌山で手術中に薬品注入管が心臓に刺さり、女性が死亡。
六月 徳島で肝臓がんの患者に、血液型の異なる血漿輸液を投与。
八月 帝京大学病院で点滴の調整ポンプが外れ、心臓病患者が死亡。
十一月 大阪の国立循環器病センターで心臓手術を受けた女児が、心
   保護液を混ぜていない蒸留水を注射され死亡。
二〇〇〇年一月 松江市の病院に入院中の少女に、人工呼吸器のスイ
ッチを入れ忘れて死亡。
これらは「氷山の一角」である。大事に至らなかったケースや、いまなお副作用に苦しみながらも、投薬が続けられていたり、新薬の治験が行われていたり、原因を知らずに体調不良を訴える患者たちは数えきれない。
 大阪府のある民間病院(ベッド数三七四床)が関連六施設を調査した結果、今年二月まで「ミスとミス寸前の事例が、二年三ヵ月間で計千七十八件あった」(3・19読売)ことが明らかになった。「最近でも月に約七十件。重大事故は免れたものの、患者の取り違えや薬の副作用などの事例もあったという」(同)。前述の数字から単純計算しても一日一件はかならず起きていることになる。
  高度な設備を持つ大病院での初歩的なミスが、このかんの特徴として指摘されている。三月六日には、京都大学病院で、入院中の十七歳の女性患者の人工呼吸器に、消毒用アルコールを補充して死亡させていたことが発覚した。看護婦が誤って蒸留水と取り違えたもので、女性は三日後に死亡した。こうした事故が起こるたびに、犠牲になるのは必ず患者である。
医療現場の徹底した合理化・機械化・効率化のなかで、看護婦たちは「7K職場」と呼ばれる劣悪な環境で昼夜をたがわず働き続け、疲労し、注意力が散漫になる。医師の「権力」は看護婦よりはるかに大きいが、日常的な医療行為の量は断然看護婦のほうが多い。「うっかりミス」は起こるべくして起こったといえるだろう。
一人の患者を一人の医師が診る「主治医」制度は近年、独断が先行するとして「チーム医療」とよばれる複数体制にとって変わりつつある。大学病院などで採用されているこの「チーム医療」。医療スタッフ相互の民主的な討論によって結論を出し、患者には最良の治療が施されるような響きを持つ。はたしてそうなのだろうか。
 実はこの体制、患者のためというより、研修医らの教育の一環として維持されている。医局の主任教授を頂点とした指揮系統は何ら変わらない。むしろ、複数制によって責任の所在のあいまいになり、連絡や連携がうまくゆかず、単純な、初歩的ミスが生まれるのだ。
 上司は、部下が当然適確にやるものと思い込み、部下は上司の指示が間違いのないものと思い込む。仮に疑問や反論があっても、口に出すことはできない。その余裕すらない。直接に患者に触れる機会の多いより末端の医療スタッフに、蓄積した重圧がかかるシステムになっている。
一連の事故を医師ら病院側はどう受け止めているのか。これには象徴的なエピソードがある。
心臓手術と肺手術の患者を取り違えた昨年一月の「横浜市立大付属病院事件」。同病院幹部は、厚生省医療審議会医療施設機能部会のメンバーが、事故調査のために同病院を訪れた三月十日、「あの手術は必ずしも無駄ではなかった」などど発言して、周囲を驚かせた。
 「執刀して『患部』を開いてみると、結果的にどちらも悪い部分が見つかり、医学的措置を行なった」(3・16読売)というのである。
まったく反省の色がみられないこの発言には、怒りを通り越してただただあきれるばかりである。
結局同部会では、事故防止対策も「不十分」と判断。昨年八月から「特定機能病院」の承認を返上していた同病院は、厚生省の「再承認」を見送られたのである。
彼ら医師たちは、「手術に失敗しようが患者を取り違えようが、医師の行為は必ず患者のためになり、医学の発展に役立っている」と言わんばかりである。患者を「実験材料」としか見ない、医師の一面をかいま見ることができる。

警察の不祥事も、医師の治療ミスも、その背景にあるものは似通っている。
縦割りの徹底したピラミッド社会、官僚機構、地位と名声、エリート意識、出世競争、多彩な贈収賄慣行などなど、彼らは社会的に保護されたテクノクラート集団である。違うのは、われわれの彼らに対する階級的対応である。
 警察はあくまでも「階級敵」である。われわれはコツコツと働く末端のノンキャリアに同情することはあっても、決して「和解」することはない。そして、その警察の「自力更生」などおよそ現体制下では不可能である。社会そのものの根本的な変革にともなう自衛軍の組織と、警察機構の創設こそ、「人民の民主警察」となりうる。
同時に、全病院、医療関連施設、医療産業等の、資本主義的競争からの解放と、関連労働者の公務員化、医師の社会的地位の引き下げと待遇の均質化、処罰の徹底こそ、医療を人民に取り戻すための第一歩である。
 軍事費を大幅に削減し、国民医療費に充当すること、地域人口当たりの病院数の適正化、老人医療施設の増設、一極集中の是正、などが求められている。

 昨年は、「治安立法元年」とも呼べるほど、数々の悪法が成立した。
 米軍の戦争を全面的に支援し、自らも参加する「周辺事態法」、すべての国民に日の丸・君が代を強制する「国旗・国歌法」、「犯罪捜査」の名の下に国民生活を監視し管理する「盗聴法」、国民総背番号制へと直結する「住民基本台帳法改悪」。戦争ができる国家体制作りのために、これら有事諸法の成立を強行した自自公連立与党は、改憲をめざす「憲法調査会」の発足をもって、いよいよ「戦後政治の総決算」を完成させようとしている。
 日米安保の中心環となる沖縄は今、重大な岐路に立たされている。
政府は、沖縄・米軍普天間基地の「名護移設」を強行しようとしている。九七年一二月、名護市民は投票によって「基地建設反対」を明確に意志表示した。政府はそれを踏みにじり、沖縄サミットを口実に開発予算をばらまき、地元県民へ重圧をかけ続けている。彼らの言う「軍民共用、使用期限十五年」など、まったくのまやかしに過ぎない。米軍の求めるものはあくまで「運用四〇年、耐用二〇〇年」という、最新鋭の海兵隊ヘリ基地なのだ。
新基地の建設予定地は、国と沖縄県の天然記念物である「ジュゴン」が生息している美しい自然が広がる海である。ジュゴンはワシントン条約でも絶滅危惧種に指定され、全世界で十万頭が生息していると推定されている。このジュゴンは、このかん沖縄の自然を守るキャラクター的存在として認知されている。街頭宣伝では「環境保護」の視点からジュゴンに関心を持ち、熱心に話を聞く若者が多いという。

 「日の丸・君が代」の強制を推し進める「国旗・国家法」の成立から四ヵ月。東京では、写真家石川真生さんの「日の丸を視る目」写真展が開催された。
法律制定後初めての卒業式シーズンを前にして、三月二日の墨田を皮切りに、江東・台東・荒川の四区で、ほぼ連続して展示された。同時に講演会、リレートーク、空襲の記録など、各地区工夫をこらした催しが企画され、会場には若者から高齢者まで多くの人々が訪れた。
一九四五年三月十日、東京大空襲によって下町全域は火の海となった。
 炎から逃げまどう人々は、隅田川や他の川に飛び込み、炎のなかで溺死した。道端にはあちこちに死体が転がり、建物が焼け落ちた。密集した下町ははるか遠くが見渡せる「焼け野原」と化した。
 こうした凄惨な光景は、まさに「地獄絵」そのものとして、戦争体験者の心と身体に、癒されることのない深い傷を残した。今回の連続企画は、この「東京大空襲の日」に合わせて計画された。
アジア太平洋戦争を経験した世代のある人たちは、今なお精力的に「草の根反戦運動」を続けている。地域単位の小さな集会であったり、戦争体験を聞く会であったり、あるいはたったひとりで訴え歩いていたり、そのスタイルはさまざまだ。

一方、われわれの「反戦運動」とは、何だろうか。
 戦争を直接体験していない「ギャップ」を抱えながら、反米、反基地、反帝国主義、反安保というスローガンを打ち出す。日米両政府の帝国主義的野望を理論的に喝破しながら、実際の彼らの政策に異議を唱え、時として身体を張って大衆行動を展開する。たとえば首脳会談に反対し、訪米・訪日に反対する理論は婉曲であっても、基地や軍事訓練に反対する論理や動機、そして行動は至極単純である。
 戦後の「反戦運動」は、「ベトナム反戦」などの大衆的高揚から、湾岸戦争のような「情報戦」、「局地戦」を経て、いよいよ、日本本国の「自衛隊海外派兵反対」という日程まで登り詰めた。そして今、アメリカ帝国主義の世界戦略の要諦としての「日米安保」は、「新ガイドライン」としてその軍事同盟の性格をより密接なものに変えながら、人民の前に立ちふさがっている。
 われわれは、もはやあらゆる障壁を乗り越えて「われわれの反戦運動」を展開していかねばならないのではないだろうか。おそらく私たち自身は、年齢的に体力的に直接戦地に立つことはあるまい。しかし、次世代の子どもたちは違う。
 「新ガイドライン」をめぐるこのかんの闘いのなかで、学者や知識人たちが口にする忌まわしい過去の歴史\産業報国会・言論統制・召集令状など\を思い起こすとき、それがもはや決して「遺物」ではないと、つくづく実感する。
 \自分は反対していたり違和感があっても、公の場では「子供のため」にしかたなく起立して「君が代」を歌う\そんな親たちの集合がジワジワと世の中を変えていくのだろう。
 「オウム対策」を口実とした警備公安部門の暗躍と膨脹は、社会主義者はもとよりあらゆる知識人や俳優たちをも拷問にかけ、虐殺した戦前の特高警察を、確実に復活させていく。
 「日の丸・君が代」をめぐって校長が自殺した広島県世羅高校。去る三月一日の卒業式では「『国家斉唱』の号令がかかると卒業生三百一人を含む生徒五百七十人のほとんどが着席。教職員も約十人が着席」(3・1毎日)して歌わなかったという。すばらしい出来事である。
 過去の歴史を繰り返し謙虚に学び、地域草の根のネットワークを張りめぐらし、より具体的な闘いを担い、「基地撤去、日の丸・君が代・天皇制拒否、治安諸法発動阻止」の統一行動を推進していかねばならない。闘うべき時に、きっちりと闘うこと。この積み重ねこそが、子供たちの未来に希望をもたらす担保となるのである。

 徹夜でゲーム機の販売に列を作る若者たちの姿をテレビで見た。
 部屋に閉じこもり、仮想現実と会話するための手段を得るためには、寒風も何のその。孫の笑顔見たさに、若者の行列にたった独りで徹夜した老婦人の姿が印象的だった。
社会との関係を断ち、「ひきこもる」若者が増えているという。その数約百万人、思春期の人格発達の過程でのある種の「未熟さ」に原因があるといい、小・中学時代の「不登校」を引き継いだ二十代三十代に多いという。一方で、ギターを抱え、声を張り上げて、駅前に立つ若者をよく見かける。
 かつて、「書を捨てよ、街に出よう」という言葉があった。いまではさしずめ「キーボードを捨てよ、街に出よう」というところか。彼らを見ていると、やはり「可能性」を感じる。
われわれの課題は大きい。情勢は決して楽観できない。何よりも自分たちが、リストラ・失業の危機にさらされている。しかし、闘いのなかで培ってきたものは、かつて失ったものよりもはるかに大きいはずだ。それを再確認し、街へ出よう。
 学園・職場・地域を結んで、有事体制・戦争国家作りを許さない闘いの、大きなうねりを創り出そう。
                        (三月二十五日)

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