「青年戦線」最新号より

2000年4月1日・No.154より

|●治安諸法の発動を許さず、学園・地域・職場をむすんだ闘いのうねりを!…大仲 恵
|
●共青同アピール
|● 山谷越冬闘争に参加して…………………………………………………………板橋道雄
|●寿越冬闘争に参加して……………………………………………………………海田 昇
|●1.15 日雇全協総決起集会報告

|●反失業闘争と野宿労働者…………………………………………………………遠山裕樹
|●アジアにおけるゲイ・レズビアン運動と私たち
|●私自身のノートから 男性の当事者運動と男のあり方………………………鈴木和久
|●座談会 青年論を語る―2
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論………………………………中野新一
|●読書案内「中国香港特別区最新事情」…………………………………………早野 一 
|●連帯を求めて(29)………………………………………………………………萩原邦彦  


アジア連帯講座

「異性愛中心社会を変えよう!」
アジアにおけるレズビアン・ゲイ解放運動と私たち


  アジア連帯講座は、「アジアにおけるレズビアン・ゲイ解放運動と私たち」と題した講演会を中目黒スクウェアにおいて、三十名の参加で行った(一九九九年九月二五日)。
 まず、九月一九日に札幌で開催された「第四回レインボウ マーチ」のスライドが上映された。「第四回レインボウ マーチ」では前夜祭を含め、五〇六名がパレード、集会に参加した。パレードでは、沿道にいる市民からも声援が寄せられるなどの人気ぶりだったという。
 参加した仲間から意見が述べられた。
 「ある社会運動に関わっていて、二九歳の時に一緒に行動している同性が好きになってしまった。ちょうどアカー(動くゲイとレズビアンの会)が「府中青年の家」裁判*)を行っていた頃。国会で反安保闘争などのデモをしているとき、化粧をしてスカートで参加したりした」。そして「パレードに参加することは、本当の自分が表現できるもの。自分の存在を社会に訴える場として、セクシャルマイノリティは、今後もこのようなパレードを続けるだろう」と締めくくった。
*)「府中青年の家」施設がアカーの使用を禁止したことをきっかけとして、ア
  カーが東京都を相手に提訴し完全勝訴した事件。

 続いて、アカーのメンバーの稲場雅紀さんから、アジアにおけるレズビアン・ゲイ解放運動の状況などを報告してもらった。
 稲場さんは、「アジアの同性愛者の問題を知識だけ詰め込んでもしょうがないので」と前置きして、ワークショップや同性愛者の基礎知識を話し、アジアにおけるレズビアン・ゲイ解放運動とその問題提起などを行った(講演要旨参照)。
 討論では、札幌と東京のパレードの違いや同性愛者やセクシャルマイノリティがパレードで表現すること、同性愛者としてアイデンティティを確立していくことの意味や、差別用語の規制の是非などの問題が出された。「レズビアン・ゲイ解放運動」をめぐって、「異性愛社会」を変えていく取り組みの重要性が確認された。
                     
稲葉雅紀さんの講演から

 同性愛者やセクシャルマイノリティの問題が表面化したのは、九十年代に入ってから。八十年代のエイズ記事などを見てみると「ホモの病気」と平気で書いている。異性愛者が「ホモ(あるいはwオカマx)」という表現が差別的だと認識できるようになってきたのは、本当に最近のできごと。新聞記者が持っている「差別用語の辞典」があるのですが、非常にマイナーな差別用語でさえも問題にされている。しかし、同性愛者の問題になると「ホモ」や「レズ」が差別用語だという認識がその辞典にはない。
 このように、八十年代はマスコミ業界をはじめ一般民衆も「同性愛者」に対する認識が差別的だった。スポーツ紙、バラエティ番組などでも、「ホモ」「レズ」という言葉が現在でも平然と使われる。日本のマスコミの現状は、このようなレベルである。
 駅売店の新聞に「ホモ痴漢」や「レズ否定」などと平然と書かれている状況の中で、私たちが「同性愛者である」ということを訴え歩くことはかなり厳しい現状がある。まず異性愛者が差別をしている現状があって、同性愛者の側では、運動サイドの分裂などがあることを念頭においてほしい。

 1 同性愛に関する基礎概念

 今まで日本の社会や運動の中での「性」は、「社会的性役割」の問題としてとらえられていた。異性愛社会の中の男性と女性の関係はいかにあるべきか、という条件で考えられていた。社会的性役割に関して考えることは、ある意味で重要な役割を果たし、人権に関わる立法化が行われてきた。現在では、「男女共同参画社会」推進本部というのがある。国家権力が、「男女共同参画社会」というものを推進するということで、社会運動における社会的性役割などある程度、改善を取り込み始めている。ここから外されているのが「セクシャルマイノリティ問題」である。
 性の問題とは、社会的性役割だけではない。一つは、男性と女性という「生物学的性」と、男性と女性では性別できない性を持つ「インターセックス」の存在がある。これは、「生物学的性」という従来通りの認識から抜け落ちている。二つ目に、「性自認」の問題がある。従来の考え方だと、生物学的性が男性であれば男性、女性は女性でなければならないという「生物二元論」が働いていた。しかし、この問題の中に含まれない者として、トランスセクシャルやトランスジェンダーの人たちがいる。三つ目に、「性的指向」という問題。ここに同性愛者の問題がある。従来だと男性は女性に、女性は男性に性的欲求が動くものだという「異性愛」が強制されてきた。いわゆる「強制異性愛社会」という問題。しかし強制異性愛社会の中でどうすることもできない、レズビアン・ゲイの人たちがいた。
 これらを根本的に支えてきたものとして生物学的二元論社会があり強制異性愛社会が存在している。この二つの構造が、性に関する問題の中で、同性愛者やセクシャルマイノリティに対する差別をつくってきた。この中で、同性愛者は差別的な言葉や暴力を受けてきた。社会的な制度に同性愛者が「適応」しなかったがゆえに、同性愛者が不利益を被ってしまった。
 生物学的二元論社会や強制異性愛社会のなかでも、幸せに生きている同性愛者もいるし、不幸な人もいる。しかし、個々の同性愛者がどうであれこの制度で良いということにはならない。では、同性愛者たちはどのような生活を強いられているのだろうか。
 この問題を考える際に、ホモフォビア(同性愛「嫌悪」や「恐怖」)とヘテロセクシズム(異性愛を前提とした社会制度、それを信条とする異性愛者)を言語概念として挙げなければならない。同性愛者は、ホモフォビアとヘテロセクシズムの中で生きていかなければならない。
 例えば、アメリカなどはヘテロセクシズムの強い社会だと言われている。昨年、ワイオミング州では若いゲイ男性が、ゲイに憎しみをもつヘテロ男性に殺害された。アメリカ全土でホモフォビア反対運動が行われ、クリントンなどが声明を出すまでに至っている。このような背景には、七〇年代に欧米で盛り上がった、同性愛者の運動がある。

 2 同性愛者のおかれている状況

 それに較べて日本はどうだろうか。日本は同性愛者に寛容な国だろうか。日本はアメリカのような暴力や襲撃に訴えるという手段がないだけで、実際には同性愛者に対する偏見・差別の現れ方が違うだけ。日本でも、同性愛者に対する暴力的な襲撃が、同性愛者たちが集う公園などで行われている。近代では同性愛者の存在が文学などでも登場していたが、一九二〇年代を境にまったくなくなっている。一九七〇年代になってようやく「ゲイマガジン」などが登場するようになった。自分のカミングアウトを告白するような本が出版されるようになったのも八〇年代に入ってからである。約六〇年間にわたって日本の同性愛者の文化は表面化を許されない状況にあった。これでも、「日本が同性愛者に寛容な国」なのだろうか。差別の現れ方やホモフォビアの現れ方が、欧米と違うだけなのだ。
 もう一つ、日本は欧米に較べてヘテロセクシズムが強固であることが指摘されなければならない。同性愛者同士での婚姻が許されたり性的指向による差別などを禁止している国がある一方、日本は同性愛者の存在を前提とした法律が一つもない。都営住宅などの入居に関しても、同性愛者は入居できない。あるいは、戸籍上同性のカップルは住むことが許されない。このようなヘテロセクシズムを前提とした社会の中で、同性愛者たちが声をあげていくことは大変困難な状況である。
 同性愛者たちが自分を認識するということが大変困難な状況がつくられている。例えば、自分が同性を好きになっても、マスコミなどを通じて「同性愛」=「ホモ」などという「異常」視がまかり通る。周囲に「同性愛者」であるということを公言できる人はいなくなる*)。
 「家族」にすら自分が「同性愛者」であることを告白することは困難である。そもそも「家族」は、「生殖」を前提とした制度の上に成り立っており、自分が同性愛者として「家族」に受け入れられるということは難しい。つまり、同性愛者から見て家族は、「機能不全家族」であり続ける。
 法的保護もなく、コミュニティに対するアクセスもできず、身近に同性愛者としてどう生きていくのかという疑問に応える人間もいない。そのような状況の中で同性愛者は、どうしても自分の存在をネガティブに考え、それを隠して生きざるを得ない。結局、同性愛者は、社会で異性愛者として振る舞うということになる。
 *)その意味では、「同性愛者」の問題は、民族問題とは若干違うニュアン
   スをもつ。様々な差別や抑圧問題には、「家族」というものがある。

 このようなホモフォビアやヘテロセクシズムの中で同性愛者たちは、自分を肯定的に生きていくことが困難になる。だから、同性愛者自身が非常にポジティブな情報を流し、伝えていくことが重要になってくる。例えば、毎年同性愛者が街をパレードで歩き、「同性愛者は誇りを持とう」というメッセージがあれば、若い同性愛者たちも積極的に生きていける。そこにカミングアウトの重要な意味がある。
 しかし、カミングアウトは、一人ではできない。身近な情報やコミュニティの中で肯定的に受け止める場がないと、自分が同性愛者として肯定的に生きていくことはできない。そのような状況を克服するためにコミュニティが肯定的なメッセージを与えること、社会がヘテロセクシズムやホモフォビアをどのように変えていくのか、同性愛者たちがメッセージを流すだけではなく、異性愛者が社会をどのように変えようとしているのか、ということが非常に重要なことになってくる。
 これらを踏まえてアジアにおける同性愛者たちの運動や問題について話していきたい。

 3 アジアの同性愛者運動

 日本やアジアでの同性愛者運動の重要な事件として、八〇年代に起こったエイズパニックが挙げられる。国家権力も「エイズ対策」なら認める。だから、エイズの問題を通して同性愛者たちは運動を組織化している。これがアジアのゲイの団体の作られ方の特徴である。
 マレーシアなどは、イスラム国家だから、同性愛者の問題にかなり厳しいが、エイズから仲間を守るということで組織化に成功している。マレーシア、シンガポールなどの同性愛者の運動というのは、80年代後半になって生まれてきている。これらの団体は、非常に強い力で、エイズ問題などで政府をコントロールするまでに至っている。
 その他フィリピンやインドネシアなどの運動の展開も特徴的である。フィリピンなどでは、社会運動がもともと強く、女性運動なども伝統的に強い。女性運動の中からレズビアンフェミニズムグループがたくさん結成されている。そういう団体が中心になって同性愛者の人権を守る運動が盛り上がっている。インドネシアでも、同性愛者の団体が全国組織をもっており、全国大会を毎年開催している。国会議員でも、「私は同性愛者である」ことを公然とカミングアウトし、立候補している。この人は、人民民主党*)から立候補した。こういう形で東南アジアでは、エイズにおける人権問題を中心として、同性愛者たちの組織化がすすんでいる。
 南アジアでは、インドの大都市を中心として同性愛者の組織がある。
 インドでの同性愛者の運動は、同性愛者としてのアイデンティティを確立するようになり、エイズ問題だけではなく人権の問題に取り組むようになってきている。ソドミー法を廃止しようとしている人権グループも生まれている。インドでは、昨年「炎の二人」というレズビアン映画が上映されたが、ヒンズー教原理主義者が「同性愛者はインド文化には存在しない」と映画館を襲撃するという事件が起きた。しかし、これに対してレズビアングループや女性団体などが中心となって、逆に上映運動を盛り上げていった。
 東南アジアや南アジアのように、エイズ問題の国際的ネットワークの存在をバックとして、大きな影響を作っているのとは対照的に、東アジアでは、それぞれの国を単位としたグループ作りが進展している。
 例えば香港などでは、イギリスのようにいろいろなことをする専門的なゲイの団体が存在している。台湾は、戒厳令が解除され、民主化の進展とともに、九〇年代を境として、レズビアン・ゲイの運動が急激に盛んになってきている。中華人民共和国では、アメリカ帰りの留学生たちが中心となってエイズを防止する団体の中から同性愛者の団体が結成されている。以前は、同性愛者たちの存在を取り締まっていたが、刑法が改正されると同時に、取り締まりの根拠もなくなりつつある。韓国でも、九〇年代に入ってレズビアン・ゲイ組織が生まれてきている。日本も80年代以降、レズビアン・ゲイ運動が盛り上がってきて、さまざまな運動を展開している。
 アジアの同性愛者の運動というのは、一括りで判断することは難しい。さまざまな要素で運動が絡み合っている。
 例えば、先ほどの中華人民共和国の例では、アメリカに留学して同性愛者の運動の必要性を学んで帰ってきた人が、中国本土で組織している。このように、グローバリズム、国際的なネットワークの結合を進めることによって運動が展開しているという実態がある。グローバリズムをどのように考えていくのかが、現代的なテーマだと思う。
 シンガポールやフィリピンなどでは、政府による弾圧があるためにエイズの団体を通じて同性愛者たちが団結するという側面がある。マレーシアの同性愛者たちはマハティール政権とも密接な関係をもって厚生政策を動かしている。シンガポールも同様である。開発独裁政権と同性愛者たちが、ある意味で共存している状況がある。このような中で、例えばマレーシアの民主化を叫ぶ人たちの中には、イスラム原理主義者がいて、「同性愛者にたいする規制を強化せよ」と訴えている。弾圧されているアンワル元副首相というのは、このような勢力にも支えられているという複雑な問題が、同性愛者をめぐる状況にはある。
 階級と同性愛者の問題も考えなければならない。アジアにおける同性愛者の運動は、中産階級や上流階級によって担われている。そして、エイズの予防・啓発活動をする中で様々な階層の同性愛者を獲得している。
 このように、アジアの同性愛者の運動を考えたときに、まず第一に、現地の同性愛者運動の視点から、何が一番利益となっているのかを見なければならない。この視点の上に立って、私たちは同性愛者運動の問題を考えなければならない。
 *)人民民主党 スハルト政権に一貫して闘ってきた組織で、「かけはし」な
どでもとりあげられている。

質議・応答

Q なぜ札幌では同性愛者の運動が盛り上がるのか。市民団体と同性愛者との連
携関係がしっかりとあるということなのか\\
A 同性愛か異性愛かといった区別が、そもそもあるべきなのか。同性愛者を差
別する用語とは、異性愛者から生まれています。その意味では、異性愛者は差
別する用語を持っている人たちだ。差別用語を使っている異性愛者が気がつか
ないだけ。
Q 二項対立。同性愛というのをどこで限定するのか。私は、生物学的には男性
ですが、性自認が女性に向いているのですが\\
A 問題の根本は、「異性愛者は普通である」という認識。ここでは、同性愛者
に対する差別、異性愛主義の問題をとらえるという方法で、二項対立的に、デ
ジタル的に同性愛者、異性愛者と分けた。
Q パレードのスライドなどを見ていると、良く言えば派手、悪く言えばケバケ
バしいという印象を受けたのですが、あのような格好をすることはどのような
意味があるのか\\
A やはり、現在の環境の中では自分のアイデンティティを表現する場があまり
にも少ないのではないのでしょうか。この社会に合わせることを抑圧的に感じ
ている同性愛者やセクシャルマイノリティは沢山います。
  あらゆるスタイルで、一番好きな自分を出したい。自分を好きになるという
自己肯定的なものがパレードにはあって、それが従来通りの運動は明らかに違
う。大衆運動で「安保反対」で同じゼッケンをつけることも重要かもしれない
けれど、「私」という一個の人間の自己表現を行える場として、レインボウパレ
ードがある。
 
Q 新聞の資料に、東京都の「人権ガイドライン」というものがありましたが\

A 他の二団体という趣旨の文章がありますが、これは東京都が人権施策推進指
針を作成しており、それにかんする人権団体のヒアリングをおこなった。しか
し、当初は同性愛者を対象に入れていなかった。同性愛者などの団体がロビー
活動などによってヒアリングを行うことになった。
 セクシャルマイノリティを含めたグループとインターセックスのグループ*)
とが共同して原稿を作成しました。
 *)インターセックスの人たちの問題として、コミュニティなどをつくること
   の困難性などがあげられる。

Q 男性運動に関わっている者です。アカーのグループに関して伺いたいのです
が、二一世紀の展望なども含めて、今後の展開についてきかせください\\
A アカーは九〇年代に入って、レズビアン・ゲイの運動をやってきた。今後、
基本的には、東京都の人権施策指針と厚生省のエイズに関する予防指針の作成
に関わっていく。東京都の人権施策指針に関しては先ほど述べたとおりですが、
厚生省のエイズ予防指針に関しては、同性愛者を対象とした予防・啓発がまっ
たくなされていないのが現状だ。その差別をやめさせ、同性愛者をも対象とし
てエイズの予防・啓発を行えと主張している。このように、二〇世紀中に同性
愛者の問題を行政側に認識させるということが重要な課題だと思っている。こ
の二つの指針を成立させることによって、同性愛者やセクシャルマイノリティ
の問題で行政は差別を克服し、きちんと考えてもらう。それを解決した暁には、
同性愛のコミュニティの側が、行政側に政策提言などができるようにしていき
 たいと思っている。
 例えば、ヨーロッパでは同性間の婚姻とか相続問題、移住労働者の同性愛者
などに関する行政側の法律ができてきていますが、なかなかコミュニティの側
が受け入れられない状況にある。その意味では、同性愛者間の草の根レベルの
認識も問われている。アカーは、いままでに政策提言やゲイ・リブなどを訴え
てきたが、二十一世紀はコミュニティの問題に関心を寄せていきたい。
 
Q 差別的なニュアンスのある同性愛用語については、禁止させてゆく運動が重
要なのではないか。例えば、部落解放同盟のような糾弾運動について、同性
  愛 者運動の認識はどうか\\
A これまで何度か同性愛者問題をめぐって、私の所属するHIV組織でも取り
組もうとしたが、やはり同性愛者の運動が「怖い」と思われてしまうことに
対する躊躇があった。その結果、昨年十一月に一度、米国の同性愛者の虐殺
をめ ぐってパレードを行ったくらいだった。
 抗議するのは良いと思うのですが、「言葉狩り」による差別用語が生まれる
のが現状としてある。
 部落解放同盟のような糾弾運動がないから、同性愛者に対する差別用語がな
くならないのではないかという意見がありました。私は、そうではないと思う。
アカーは、「府中青年の家」裁判の闘いなど、差別糾弾の闘いを継続してきた。
広辞苑の「同性愛」=u異常性欲」という用語を撤回させたのは同性愛者たち
が闘って勝ち取ってきたものである。むしろそれを取り巻く異性愛社会のほう
が、同性愛者への差別の認識があまりにもない。私たち異性愛者の同性愛者に
対する差別の根強さを自覚すべきで、私たち異性愛者がマスコミなどに強く糾
弾して行くべきではないのか。
 
発言 「おかま」という言葉をよく使いますが、言葉そのものを「古い用語」と
して認識していくのがベターなのではないか。私は、糾弾などはしたくはな
いが、「用語」で糾弾したいと思う人がやれば良いと思う。

発言 でも、やっぱり私が「ブス」と言われてイヤだと思うように、同性愛者だ
って「おかま」と言われてイヤだと思う。そのことにはもっと社会が敏感に
ならなければいけない。
「レ・ミゼラブル」という映画で、「おかま」とい う用語を使っていたので抗
議の手紙を書いた。そうしたら返事が来て、やり とりができた。気がついた
限りで、抗議の声をあげて行くべきだ。

発言 当事者が、侮辱されたという段階で抗議をすべきだ。

発言 抗議すると同時に存在をアピールする方法でやっていったほうが良いと思
う。存在をアピールし、抗議もしていくというような。
先日、「ここがヘン だよ日本人」という番組で、ゲイの人が出演していたが、
ああいう風にやっていったらいいのではないか。ちなみに翌週に「ホームレ
ス」の人たちも出 演していた。

発言 今日は「すこたん企画」のホームページを見て参加しました。あのような
TVに出演したらいいじゃないかという意見もあったが、TVに出演できな
いという状況も存在している。出演できない状況というのは異性愛社会に存
在する。私は三六歳を過ぎてから、自分がゲイであることに気づいた。今ま
では、異性愛社会の中で生活していました。今は、かなり若い、高校生など
が同性愛者として存在をアピールできる状況になりつつある。自分が異性愛
者として振る舞っていた頃は、同性愛者を「ホモ」と見ていた。先ほどの発
言であった、「言葉狩り」が新しい差別用語を生み出しているというのはすこ
し違うと思う。この問題は、社会背景がそのようなことを生み出しているの
である。「ホモ」と「ゲイ」では当事者として受ける印象が違っていた。

発言 「表現の自由」をめぐっては、差別用語を告発するのはむしろ「表現の自
由」を守ることになると思っている。やっぱり差別用語は是正されるべきだ
と思う。単に「表現」として差別用語を片づけてはいけない。それは、差別
される側にとって、一種の攻撃ととらえるべきだ。差別用語は、人権侵害に
あたると認識すべきだ。この場合、差別的な人権侵害を行ってよいのかどう
かであって、多くの差別用語は行為を伴っていると思う。やはり、「ビッコ」、
「チンバ」という用語より「身体障害者」の方が、「ホモ」、「ヘンタイ」とい
う用語より「ゲイ」の方が、行為としての差別表現、という視点から見れば
明らかに認識上の変化が存在している。この点は、単に言葉が変わっただけ
ではない、認識と行為の変化としてとらえるべきだ。

発言 私が危惧しているのは、「抗議行動のための抗議行動」に、「政治のための
政治」になることを怖れている。

発言 私はDV(ドメスチックバイオレンス)被害者なのだけれど、DV被害者
がカミングアウトすることは大変な危険を伴っている。本人がその危険を冒
してまで運動を起こすというこ とに、大変な困難が伴っている。しかし、た
だその問題に関する法律ができた というだけでは、何も変わらないと思う。
   私は、同性愛者たちの「カミングアウト」という戦略を学んでいかなけれ
ば ならないと思った。私は、子供を出産して、夫から暴力を受けて初めて、
「女性だ」と感じた。その意味では、自分が「女」だと意識しないで男社
会の中で生活していたことと、異性愛社会で生きる同性愛者の状況の根っこ
は同じだと 感じました。 

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