「青年戦線」最新号より

2000年4月1日・No.154より

|●治安諸法の発動を許さず、学園・地域・職場をむすんだ闘いのうねりを!…大仲 恵
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●共青同アピール
|● 山谷越冬闘争に参加して…………………………………………………………板橋道雄
|●寿越冬闘争に参加して……………………………………………………………海田 昇
|●1.15 日雇全協総決起集会報告

|●反失業闘争と野宿労働者…………………………………………………………遠山裕樹
|●アジアにおけるゲイ・レズビアン運動と私たち
|●私自身のノートから 男性の当事者運動と男のあり方………………………鈴木和久
|●座談会 青年論を語る―2
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論………………………………中野新一
|●読書案内「中国香港特別区最新事情」…………………………………………早野 一 
|●連帯を求めて(29)………………………………………………………………萩原邦彦 


座談会─青年論を語る(2)─

就職難・失業・フリーター
迷走する若者と対抗文化

司会 今回は新たに二人の仲間に参加してもらいます。Cさんは、現在、求職中。求職活動を通して思っていることとか、怒りとか、訴えを語ってください。現在の青年の就職難について何か具体的に見えてくるのではないかなと思います。
 Dさんは、この間、集会・デモなどに参加し始めています。新鮮な目で政治運動などに対する評価・感想などを語ってもらえたらいいと思います。さらに「サブカルチャー」ということで映像表現、コミック表現なども実践していますね。その方面からも若者文化について、問題提起をしてください。

 就職難と「自分探し」

A 資料は、「自分を愛すること 香山リカ 講談社新書」「二〇〇〇年春闘データ白書 労働運動臨時増刊」「派遣ワーク」「能力主義と企業社会 熊沢誠 岩波新書」などを持ってきました。 
 香山(精神科医)は、ここ最近の若者の心をめぐって色々と発言をしてきた人です。彼女の発言については、かなり興味をもって読んできました。
 香山は自分の世代に引きつけて、「私は何なのか」「本当の私はどこにいるのか」というタームを提起している。そして、「自分とは何なのか」ということを、むしろ不問にしてきたのが、我々の世代の特徴なんだ、と言っている。
 つまり、「80年代はサブカル文化だった」と彼女は言っていますが、一方で「ポストモダン」という流行があって、世の中全体のバブルが崩壊化していく。浮かれ騒いでいた時代だった。そういった時代状況を背景としながら、例えば、分裂していてもいいんだとか、あいまいなままでいいんだとか、ちゃんとした自分がいなくてもいいんだ、ということで生きてきた。
 僕らの世代は、ポスト団塊世代で、「新人類世代」と言われてきた。それ以後の世代も同じものだと漠然と思っていたが、香山はそれは違うと主張している。具体的には、「自分問題」が発生してきたことが90年代で、ひとつの現象だと言っている。88年から89年にかけて雑誌の見出しで「がんばった私にごほうび」「クリスマスは私へのプレゼントを探す」などというコピーがめだってきた。これは明らかに自分のアイデンティティーに対するこだわり現象だと言っている。
 香山は、このように主張している。
 「サブカルチャーといわれるジャンルの雑誌、大企業がスポンサーとなったイベントなど、世の中全体が浮かれていた80年代後半のお祭り気分の中では、w自分とは何かxというような面倒くさい問題はあまり問われず、むしろ、もっと楽しいことや知的なこと、この文化人類学者はこのようなことを語った、このミュージシャンはこう言ったなどということの方に関心が持たれ、自分自身のことはあまり問いつめないようにしよう、というような雰囲気がありました。」
 このような状況に対して「どうもこれは違うのではないか」「ほんとうにいいのだろうか」と問い直し始めたのが、90年代だと言っている。社会状況の変化とともにこのように意識が変わってきていると分析している。
 次は共産党系の「春闘白書データ」。
 「一段と深刻化した青年の就職難」の項目を見ると、全体的に就業率が下がってきて、戦後最悪の状況になっていることがよくわかる。大学生の就職状況は、男女とも六割だ。80年が86%、一般感覚として八割は就職していたという感じだった。現在六割を切ろうという状況に入っている。さらに青年層は、労働組合は必要であると思っているのが六割だが、昔と比べると少なくなっている。
 不況下でリストラが加速して就業することが困難な状況で、企業社会からの独立指向を持ちながら、先ほどの「私探し」の傾向とどのように結びつくのか、つかないのか興味があるところです。

B 宗教が若者を引きつけるというのは、それなりの根拠がある。例えば、初めて他人に褒められた時や、叱ってくれた時の喜びなどが入信のきっかけだったと述べている。また、現在の学校・管理教育は、非常に殺伐とし、若者の事件などに見られるように事態は深刻だ。
 私の経験からすると、例えば、新左翼党派という「共同体」に入るというのは、カルチャーショックだった。三里塚などで何十人で朝一斉に起きて飯を食って、同じ行動をして、統率されてね。同じ目標を持った「共同体」があって、これは企業と離れたところにある。別世界だった。今の宗教集団もそのようなレベルで若者にカルチャーショックを与えるのかなと思う。
 また、学校を卒業してフリーターになる青年が多くなってきている。この傾向は、これまでの終身雇用・年功序列体制が崩壊していくなかで、若者たちの「企業社会なんてイヤだよ」という表現でもある。じゃ彼らがフリーターで一生終わるのかどうか、ということなんだ。
 フリーターの若者は、まず親と同居が多い。昼間はテレビゲームをやって、深夜バイトに行ったりとか、そういう生活が前提になっている。しかし、これからの時代は親すら以前のような経済的余裕がなくなる。子供の学費が払えず中途退学に追い込まれる。こういう中で若者たちは、どのように腹をくくるのか。正社員になれず、フリーターを続けるかという選択が求められていることは確かだ。このように考えると若者たちへのアプローチは、人間としての「共同体」と「自分の生活」についてテーマにして考えていくべきだろう。
 「自分探し」との関連で言えば、共同体で他人と接することを求めるという傾向ならまだ救える。新興宗教が話題になっているけど、創価学会なんかはもっともそういうことをやってきた集団だ。若者心理をうまく取り込んで入信させている。労働・学生運動が後退しているなかで、左翼も見える形でネットワークとか、共同体をつくることが必要だ。

C 宗教が若者を引きつけるのはなぜか。例えば、創価学会の労働者は結構いて、親子二世代まるごと組織されている。交流があった学会員は、労働の愚痴をこぼすことはあっても資本に逆らうことはなかった。
 私は入社したての頃から学会の人達にオルグされた。「何に関心がありますか」と聞かれた。当時、無気力・無関心の若者が大半だと言われてきたが、その中にあって安息の場を求める若者たちがいた。政治に無関心だけれど、「自分探し」の切り口として宗教を選択している。現在も同様に、先が見えない中で自分探しを続けているのが若者だ。
 僕の周辺のフリーターは、労働諸条件から言えば、非常に不安定で将来的な保障は何もない。だが、フレックスタイム、辞めたい時に辞められるという自由があり、拘束がないところが魅力だと言っていた。ある友人(23歳)に「どのくらい続けるのか」と聞いたら、「あと二〜三年」と言っていた。
 フリーターの増加というのは、やはり自分の将来について混沌としてて、将来、どういう形で社会と関わっていくのか見えていない現実を表わしている。だからインターネット、ホビーなど安息の場を探し求めている。そういうことについて非常にたけている。
 自分のことを「フリーター」と言っている人は、本人からすれば正社員にならないという「自己主張」であり、何にも縛られないという表現だ。

 「逃避」としてのフリーター

A 「プータロウ」という言葉があるが、「今、プーです」と堂々と言う。これもかつての失業に対する感覚の違いを現わしていると思う。また、就業することの感覚の違いも現わしている。

D 最近だと、メディアに露出の多い「だめ連」というフリーター集団みたいなのもありますね。私の見方ですと、彼らは自分たちが大衆から抜きんでているといういわば「選民意識」があるように感じられます。「だめでいいんだ」は方便にすぎない。
 だから失業保険とか「もらえるものはもらってしまえ」というような発言が見られる。働くことを拒否することで自由人を気取ってはいるけど、結局は逃げ道を用意している。つまり、フリーターを中心として多くの若者が口にする「自分探し」なんかもこれと同じで、逃避のための方便にすぎない。
 ただ、自分が何をやるのか目標を見つけにくい世の中になっているのは確かだ。一歩外へ出ればリストラ、失業、安易な凶悪犯罪等々。学校教育の中で教え込まれ信じ切っていた「真実」、努力してればよい結果がでる。というのが裏切られた希望と挫折した目論みにすぎないことを知らされる。自分がどうすればいいか考える事も出来ない。
それから逃避するには大学生活を引き延ばす、留年とか大学院進学とか、フリーターになってとか。考えることをやめて、日常から逃避しているんです。

A この「派遣ワーク」という雑誌は、派遣法が改悪され、今後ますます派遣労働者が増えていくことを前提にして発行されている。「スキル(能力)を高める」、「バージョンアップ」という言葉を繰り返している。資格をとって、キャリアを積んでいけと言っている。派遣労働者と比較するとフリーターというのは、全く違う層だ。資本は「雇用の流動」を主張しているが、その中でも派遣労働者とフリーターと二極分化している。雇用する側によって振り分けられる。

D 私の会社の場合、アルバイトの数が非常に多いが、会社側には人を育てようという意識が低い。むしろ、最初からスキルを持った人材を確保したがる。まあ、最初からスキルのある人材なんて来ないので、現場ごとに教育をする事になるわけだが、そうなるとやはり手が回らない。能力が低い人には「ハイ、サヨウナラ」ということになりかねない。アルバイトだからといって切り捨ててよいのか? 自分の中で葛藤がある。

司 新自由主義とグローバリゼーションにもとづいて現在、雇用の流動化政策、雇用構造の再編攻撃がある。青年層に対しても例外なく、攻撃を推し進めていることが見えてきたと思う。さらに、客観的に見るために今日持ってきた資料を報告したい。
 「朝日新聞 社会参加の世論調査 99・12」「宗教に走る若者たち  新興宗教 朝日新聞」「憲法に関する意識調査 読売新聞 99・4」「若者はどこへ行く―変わる雇用構造― 朝日新聞 99・11」「就職難に泣き寝入りしない女子学生の会 民青新聞 99・12」などを準備してきました。
 「社会参加意識」についてのメルクマールとして、ボランティア活動がある。「ボランティアをしたことがある」と答えたのは、20代前半で33%、20代後半で24%という結果だった。これは高校でボランティア実習がここ四〜五年広がってきている反映ではないか。さらに、阪神大震災時の若者たちのボランティア活動への参加と広がり、「このような層が社会を変えると思う」が36%、「思わない」が26%だった。
 このような結果から解説者は、「今の時代は社会参加が変革に直結することはない。結果的に実際に社会を変えていくのは、変える力を意識しないこうした層かもしれない。むしろ、身の回りに何かあったら反発する層が、次にどう動くのかにかかっている」と分析している。
 「社会の役に立ちたい」と思っていると回答したのは、40代男性で「おおいにある」「ある程度ある」が89%で一番多かった。ただ40代の男性は「地域活動」に対しては、25%だった。
 さらに特徴的だったこと。女性で「いかなる活動を通して社会を意識するか」では、「地域に密着する人」、「職場で働く人」(20代45%、40代33%)、「子どもを通して学校にかかわる人」とバラつきがあった。
 次に憲法に関する世論調査について報告したい。
 読売新聞は「憲法試案」を出しているように「改憲」を掲げている。かなり意図的な臭いがあるが、それでもある程度憲法に対する国民の意識を把握することができる。若い年代ほど「改憲賛成」の比率が高いのが例年の特徴だと読売は強調している。
 そして、その理由として、「国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じている」。逆に、護憲派は「改定すると軍事大国への道の恐れがある」が昨年より3%減で19%だった。この問いが、四年前の調査では30%だったが、今回このような結果になったことに対して「憲法改正イコール軍事大国化という論法が徐々に力を失いつつある」と評価している。
 そのうえで具体的に「国として自衛権をはっきり書いたほうがいい」というのが70%、「内閣の権限強化」が過半数以上だった。
 「日の丸・君が代」の賛成が68%、反対が26%だったが、憲法における関心度合という形で天皇・皇室の関心度合が10%程度だった。独立的に天皇問題についての質問項目がない。意図的だが、「日の丸・君が代」賛成がイコール天皇制支持ではないということなのか、不鮮明だ。
 次は「変わる雇用構造」というテーマの調査。
 フリーターの増加傾向が数字のうえからも証明されている。就業先がファーストフード、コンビニなど第三次産業に多い。平均月収が17〜18万、離職率も三年以内の期間で増えている。労働条件はどうかというと、雇用保険もないし、社会保険もない。資本からすればそういう労働力が都合がいい。必要な時に集めて、必要なくなったら切る。携帯電話一本で集めることができる。
 この間の野宿労働者問題から考えると、こういう層が圧倒的な予備軍として若い世代まで広がっている。野宿労働者の以前の職歴が、かつてだったら日雇労働者だったが、今ではその他の職域まで広がっている。また、年齢層も広がっている。
 女子学生の就職が、さらに深刻な状況になっている。だから、スキルを高めるために大卒から大学院、専門学校に通うようになってきている。

 「階級の敗北」と対抗ゾーン

A 社会変革とは、誰が、どういうところを担っていくのか。革命の主体というのは、どういうふうに現れてくるのか。
 かつて我々は「階級の敗北」という規定を行った。この「敗北」の中味をきちんと分析しないとだめだと感じている。「革命主体がない」というのが、大衆の実感となっているから、この間の運動の低調があるのではないか。
 他方で参加型NGOが大きく成長している。社会をよくするということが、当面は「革命」という形ではなく、現実的に物事を変えていく回路として存在している。支配層もそこをうまくからめとろうとしながらやっている。
 この延長線上なのか、全く別なのか、または色々と取り込みながらなのかわからないが、「批判・告発型抵抗主体」をいかに形成していくのかという立場だ。マルクス主義とプロレタリア革命の立場は変わっていないが、再度、「プロレタリアートとは何なのか」ということについて輪郭や性格、方向について考えていきたい。
 消費について考えた時、かつて西武資本が「おいしい生活」というコピーを出していた。まさにこの言い方が、80年代以降の大量消費文化を導き、大衆を動員したスローガンだった。当時聞いた時、直感的に「ヤバイ」と思った。ここに労働者階級が動員されてしまった。
 まさにエルネスト・マンデルが言っていたように「正常に機能している資本主義」という状態を実現したからこそ、「抵抗主体」としての労働者の階級意識が解体されていった。だが同時に、第三世界においては極端な貧富の格差が進行していった。
 そして資本主義は、さらなる消費意欲をかりたてる。必要じゃないものを商品として、次々と作り出していく。「情報消費社会」とは、結局こういうことだ。ここで「環境問題」が出てくる。地球環境に対して、ものすごい搾取・収奪的な生産と消費の構造を作り出していく一方で、第三世界には、より一層の収奪を強めていき収益を拡大していこうとしている。欠乏ではなく、過剰が問題となっている。
 「持てる者に対する持てざる者の闘争」という言い方がある。大枠ではそうなんだが、帝国主義圏、とくに日本の労働者階級の在り方は、一般的な「持てる者と持てざる者との闘争」ということではなくなってきている。第三世界との関係では、「持てる者」なわけだ。この点を欠いてはだめだ。

B 若者が自発的にフリーターを選ぶ傾向がある。企業はリストラで中高年を路頭に放り出す反面、若者を吸収していくという構造がある。現在進行している不安定就業状態は、もちろん問題にしなければならないのだけれど、とりわけ若者に注目すべきところは、フリーターなど不安定就労実態を問題としつつ、「満足」していない気分、「苦悩」というものをどう左翼の側から切り込んでいけるのかだ。
 それぞれの就業状態や生活状態を、我々の力で一気に変えることはできない。若者たちの自発性に注目しつつ、承認し、「対抗文化ゾーン」を構築していかなければならない。さらに、いじめ問題など疎外に対するケアやフォローをしつつ、反権力・反差別に向かう道筋を提示すべきだ。青年同盟の役割は、そういうところに求められるべきだ。

C 私は現在、求職活動として職安通いを続けている。職安には、やはり働きざかりの中高年がたくさん来ている。都内各地の職安を回りきった。
 「初めて職安に来た」という若者をどこでも見かけた。人数は圧倒的に中高年が多いが、18〜20代の男女もよく見かける。たまたま相談のやりとりが聞こえてきたが、彼らが不安材料としているのは、まず自分の働き口があるのかというのが第一、その次に「いったい自分は何ができるのか」と質問している。仕事がしたいのだけれども、何ができるかわからないと切々に職員に相談していた。
 僕はこれまで製造関係の仕事をしてきたので、こんども技術職を探している。だけど職安でよく言われたのは、スキルがどの程度あるのか、即戦力なのか、またフレキシブルに対応できるか、地方出張が可能かどうかなどであった。要するに資本は、地方工場のライン、各現場に行ける労働力を求めているということだ。
 圧倒的に多いのが派遣会社の求人だった。派遣会社に登録されている労働者の数は膨大だ。派遣法改悪後、職域はほぼ全部になっている。工場関係に対しても派遣会社から労働者を出しているのが実態だ。
 こういう派遣業で労働組合があるのは、医療関係に少しあるぐらいで、大半はないのが現状だ。求職カードの労働条件をみると、労災がなく、社会・雇用・健康保険などに加入していない会社もあって驚いた。保険の項目に斜線が引かれていたので、僕は、「こういう会社を職安は紹介するのか」と問いただしたところ、職員は「こうでもしないと求人が集まらない。こういう条件でも働きたいという人はいる」と言われた。
 希望を持っていても、現実によって打ちのめされる。友人の青年(25歳)は、これまでの現場を辞めると言っていた。僕が「じゃ何やりたいの」と聞くと、「今持っているライセンスで仕事をしたい」と言った。そして、一緒に職安に行くことになった。だが、中卒の彼は学歴のところで切られ、運転免許がないということでかなり絞られてしまった。彼は労働条件が悪く、低賃金であったが製造業を十年間続けてきた自負があった。だから、「なんで俺が」という感じで落胆してしまった。彼は、この現実を打ち破るためには自分のスキルを高めていくしかないなと言っていた。
 こういう青年労働者の怒りや就業できない現実に対して切り込んでいかなければならない。彼等はどうしていったらいいのかという学習をする機会がほとんどなく、世の中の仕組、差別する社会システム、対抗するための主体作りなど、共に討論していく場所が必要だと痛感した。青年たちの中に変革運動の気運はないから、自然発生的には出てこない。やはり「外部注入方式」でアプローチしていかなければならないだろう。インターネットも含めてあらゆる機会を逃さず、手段を利用し、総動員して若者にコミットしていこうではないか。
 われわれは旧来のスタイルや発想にこだわらず、柔軟になれるか。この点をどのように豊富化し、広げることができるのか。集中した論議をぜひやらなければならないだろう。

 「おたく文化」の可能性

D 文化の闘争という面からとらえられる現在の青年像は、「消費と依存」にどっぷり浸かった存在として考えられる。「消費と依存」が社会の中に浸透したのは高度成長期よりもむしろそれが終わった一九七〇年代終末から八〇年代以降だ。岡田斗司夫の『オタク学入門』では、「消費」がサブカルチャーにおける反体制的行動の現れだと見て、歴史が浅く、メインカルチャーがヨーロッパほど明確ではないアメリカにおいて、「反抗すべき階級が見あたらず、じゃオトナに対する反抗って事でいこう! 若者万歳! 消費万歳!」という形で形作られたものだったが、次第に本来の意味を失い、牙を抜かれて「体制内異分子」に成り下がっていく。日本におけるサブカルチャーは反抗心を忘れて、「若者万歳!消費万歳!」の部分だけを聞きかじったアメリカのサルマネに過ぎないがために、堕落も加速度的であった。その結果が現在では文化すらも使い捨てにされる状況を生みだしている。中身のないリズムだけの音楽、人生訓もどきの絵画など、なんでもが使い捨てしやすいように作られ、山のように売られている。そんなものでも買い続けなくては自分が保てなくなっているのだ。
 私の場合、サブカルチャーとは少しはずれて「おたく文化」の中に自分の身をおいてきました。おたく文化はその中心にマンガやアニメ、ゲームと言った従来子どものおもちゃだった物を置いている。それは草創期のおたく文化が、そういった大人たちが見向きもしなかったものに価値観を見いだして発展継承させたという経緯がある訳なんですが、アメリカ的な単なる「大人に対する反抗」とは見ていません。要は、消費社会の産物である価値観のボーダーレス化に真っ向から反対する文化として作られてきたのです。
 しかし残念ながら、おたく文化もボーダーレス化が進みつつある。たとえば一九九〇年代後半のおたく文化におけるムーブメントだった『新世紀エヴァンゲリオン』というSF作品をご存じでしょうか? この作品がブームの時、おたくカルチャーはこれ一色に染まって消費の波に洗われていました。作品自体を評価するよりも関連商品であるポスターやら、模型やら、Tシャツ、挙げ句の果てには缶コーヒーまでを集めるのに誰もが熱心でした。
 これはおたく文化草創期のムーブメントであった「ガンダム」や「ヤマト」のブームとは明らかに異なるものであったと考えています。つまり、社会の大多数が見向きもしなかったものを「これは名作だ!」と判断した少数者が広げていったブームとは違う、最初からコマーシャリズムに先導されたブームだった。これ以降、おたく文化をターゲットにした作品は商業主義の香りでいっぱいになった。
 これは明らかに間違っている。おたく文化がその本質である多数派と決別してでも守る自分の価値観を放棄しているのだ。おたく文化はキザに言えば多数派の暴力的な文化に対抗した新たな世界を作るための文化であり、反商業主義を理念とする解放区でなければならないし、権威や権力の鉄鎖を逃れた文化でなくてはならない。要は、サブカルチャーが忘れてしまったカウンターカルチャーへの道を切り開くものとして成立するであろう発展途上の文化なのだ。
 反体制という次元でおたく文化は我々により近しい。一九六〇年代から七〇年代の政治の季節には、青年層によって映画や演劇といった形で数多くの「反体制文化」が作られていた。いま、そういったロマン主義的な傾向は皆無と言ってよい。おたく文化の中にこそ、新しい反体制文化が無数に眠っている。それを掘り出すことが出来るかどうかがここ数年のうちにわかるだろう。

司 どうもありがとうございました。

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