「青年戦線」最新号より

2000年4月1日・No.154より

|●治安諸法の発動を許さず、学園・地域・職場をむすんだ闘いのうねりを!…大仲 恵
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●共青同アピール
|● 山谷越冬闘争に参加して…………………………………………………………板橋道雄
|●寿越冬闘争に参加して……………………………………………………………海田 昇
|●1.15 日雇全協総決起集会報告

|●反失業闘争と野宿労働者…………………………………………………………遠山裕樹
|●アジアにおけるゲイ・レズビアン運動と私たち
|●私自身のノートから 男性の当事者運動と男のあり方………………………鈴木和久
|●座談会 青年論を語る―2
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論………………………………中野新一
|●読書案内「中国香港特別区最新事情」…………………………………………早野 一 
|●連帯を求めて(29)………………………………………………………………萩原邦彦  


学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論(1)

オルタナティブとしてのレーニン主義組織論批判

中野新一


 社会主義を目指そうとする共産主義者にとって、最初に考えねばならない問題とは何か?
 それは、「組織論」である!
 あらゆる革命的理論は、結局の所、「組織論」に還元出来る。何故なら、その党派が産み出そうとしている社会主義社会のプロトタイプを、その党派は、その党内政治において、既に実践しているからである。
 つまり、真に革命的な社会を建設しようとする革命党派は、真に革命的な組織論によって、武装されていなければならないのである。
 しかしマルクス主義組織論においてその問題提起は、今まで論者の間で、余り考慮の対象とはされてこなかった、と言っても良いのではないか。
 多分、ボルシェビキの組織論が、規範化されて来たからでもあるだろう。その傾向は、スターリン主義の権威が地に落ちた現在においても、(基本的には)変化していない様に、見受けられる。
 一
 ローザ・ルクセンブルグの組織論は、(「自称」マルクス主義者の間において)「自然発生性」という、(多少非難めいた)言辞によって語られることが多かった。即ち、革命党の前衛的指導を軽視し、労働者の「自発的行動」に期待をかけすぎる傾向にある、といった批判である。
 こうした批判は、レーニンの著作「なにをなすべきか?」や「一歩前進、二歩後退」などとの比較において成されることが多い。例えば、次のような主張である。

 「自然発生的な労働運動とは組合主義(トレード・ユニオニズム)であり、Nur-Gewerkschaftlereiであるが、組合主義とは、正しくブルジョアジーによる労働者の思想的奴隷化を意味する。だから我々の任務、即ち社会民主主義の任務は、自然発生性と闘争すること、ブルジョアジーの庇護の下に入ろうとする組合主義のこの自然発生的な志向から労働運動を逸らせて、革命的社会民主主義の庇護の下に引き入れることである」(傍点はレーニン)。     
       (レーニン「なにをなすべきか?」全集第五巻 四〇六頁)

 ローザとレーニンの組織論の間には、どのような相違が在ったのか? そしてその相違は、何に起因していたのか?
 それは、両者がおかれていた政治状況に、関係していたと考えられる。
 当時の帝政ロシアに於ける革命的社会民主主義運動の政治的特長とは何か?
 それは、「今日の運動の強みが、大衆(主としては工業プロレタリアート)の覚醒にあり、その弱みが、革命的指導の意識性と創意性の不足」(レーニン「なにをなすべきか?」(全集第五巻 三九三頁))に在ったということである。
 そうした情勢下に於いてまず必要なことは、革命的理論によって武装された前衛的指導部を、早急に形成することであるとレーニンが信じたのは、ある意味で当然のことであろう。
 一方、ローザにとっての組織問題とは、何であったのか?
 それは、ドイツ社会民主党と大衆との間に築かれてしまっていた官僚主義的な関係(「教養ある人達」と「いまだ目覚めぬ大衆」との間の「超えがたい溝)(「裏切られた期待」現代思潮社刊「ローザ・ルクセンブルグ選集」(以下「選集」と略記第一巻一二五頁)を、如何(いか)にして克服するか、ということであった。
 二人の問題意識は、一八〇度異なっていた、といっていいだろう。
 つまりレーニンは、「自発的な運動」を指導する前衛党の形成が急務である、と信じた。それに対しローザは、(既にある程度まで成熟している)大衆運動の自発性を、如何に開放するか、ということを最重要視(理論的指導の問題は後述)した。そのために、党の官僚主義を如何に克服するか、という課題に直面していたのである。
 レーニンには、「職業革命家による組織と運動」という概念が、まず何よりも念頭に有ったようである。その組織原則として彼は、「なになす」に於いて、次のように主張している。

「専制の闇の中で、憲兵による引っこ抜きが広く行われているところで、(広範な民主主義)を云々することは、空虚な遊びごとでしかない」
       (レーニン「なにをなすべきか?」全集第五巻 五一六頁)

 レーニンが「当時考えた唯一の真剣な組織原則」とは、何であったのか?
 それは、「最も厳密な秘密活動、最も厳格な成員の選択、職業革命家の訓練」であった。
 それでは、当時のレーニンにとって、「絶対に必要なもの」とは何であったのだろうか?
 それは、「革命家達の間の完全な同志的信頼」であったようである。そしてそれを、「民主主義以上のもの」であると考えていたのである。

「これを民主主義的な全般的監督で代用させることは、全く問題に成らない」
      (レーニン「なにをなすべきか?」全集第五巻 五一六頁)

 レーニン主義組織論の要諦には、少数精鋭の職業革命家による秘密主義が置かれていたと言ってよいだろう。

「専制国家では、職業的に革命的活動に従い、政治警察と闘争する技術について職業的訓練を受けた人々だけを参加させるようにして、この組織の成員の範囲を狭くすればするほど、この組織を(捕えつくす)ことはますます困難になる」
       (レーニン「なにをなすべきか?」全集第五巻 四九九頁)

 専制国家において、恒常的な革命的指導部を如何に形成するか、というこのレーニンの問題意識は、当時の帝政ロシアの政治的現実から、生み出されたものだった。だが、何も問題が無かったという訳ではない。
 それは、このような組織論から生み出された党と、自発的労働者運動との間の、「有機的関係」を如何にして作り出してゆくか、という課題である。
 当時のレーニンは、この課題に関しての自覚は有ったようである。だが……。

「一切の秘密の機能を出来るだけ少数の職業革命家の手中に集中することは、これらの革命家が(皆に代わって考える)だろうということでも、民衆が運動に活発に参加しないだろうということでも、決してない。こういう職業革命家は民衆によってますますたくさん送り出されてくるだろう。」
       (レーニン「なにをなすべきか?」全集第五巻 五〇〇頁)

 こうした認識は、(代行主義的な意味合いにおいて)余りにも素朴に過ぎた。(スターリン主義の発生を見るにつけ)その様に既に歴史によって確証された、といったら言い過ぎなのだろうか。
 一方ローザ・ルクセンブルグが、「裏切られた期待」(一九〇三年)などで主張した「社会民主主義における(指導者)の役割」とは、何であったのか?
 それは、「これまでの全ての指導の基礎であった大衆の曖昧性を打ち壊すこと」、であった。

「要するに一言で言えば、指導者自身が自らその指導権を譲って大衆を真の指導者にし、自らは自覚的な大衆行動の実行者に、その道具となることが肝要だ」
                 (「選集」 第一巻一二七〜一二八頁)

 全ての人民が指導者に成ることによって、「指導」そのものが不要と成るような状況を作り出すこと、つまり、「指導の消滅を目指す指導」が、彼女の組織原理であった。
 ここでハッキリさせておかなければならないことが、一つある。
 ローザは確かに、「集権」と「分権」との間の弁証法、とでも呼ぶべき観点にこだわった。しかし、いわゆるアソシエーション(連合)主義者などであった時代はなかったといってよい。
 彼女は、確かに次の様に主張している。

「社会民主主義運動の基本傾向は、常にブルジョア的な意味での(指導者)と(指導される)大衆という関係の廃棄に、つまりこのあらゆる階級支配の歴史的基礎の廃棄に在る」   (「選集」第一巻一二八〜一二九頁)

 しかし同時にローザは、イタリアのトゥラティ派やフランスのジョレス派などの解党主義に対し、次のように反論している。

 「目的意識を持ったプロレタリアの中核部隊と未組織の人民大衆との間の境界を消去するものだ」     (「選集」第一巻一三一〜一三二頁)

 彼女が主張する「指導の消滅を目指す指導」とは、以上で見て来たような「中央集権的」組織論を、意味していた。
 ローザは、党一般の解体もしくは不要を主張したことはなかった。そのことには、留意しておく必要がある。
 彼女の以上のような独自な組織論(筆者は、カール・マルクスのそれに起源をもつものだと理解しているのだが)は、「ロシア社会民主党の組織問題」(一九〇四年)において全面展開されてゆく。レーニン主義組織論を手厳しく批判しつつ……。 (以下次号)

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