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    かけはし2012.年11月5日号

「民間東アジアフォーラム」(台湾)の声明

領土問題

歴史に向き合い、争議を
解決し、平和に邁進しよう

 以下に掲載するアピールは、さる一〇月六日台湾で開かれた「民間東アジアフォーラム」での論議を通じてまとめられたもの。このフォーラムには、台湾をはじめ中国本土、韓国、沖縄、そして日本(スカイプで参加)からの参加を得て、「尖閣」「竹島」問題でかきたてられた領土ナショナリズムを民間レベルで克服し、平和を作る共同の努力が呼びかけられた。(本紙編集部)

 最近、中国大陸、台湾、日本の間、そして韓国、日本の間における島嶼の領土主権を巡る争議が、日を追って開放に向かい、多方面の交流が進んでいた東アジアの情勢に劇的な変化を生んでいる。各地の内部における民族的な情緒は高揚し、民間交流の中断を招き、長期間をかけて段階的に打ち立てられてきた友情が傷つけられており、これらの事態をたいへん遺憾に思う。アメリカは東アジアで軍事的な布陣を強化しており、これによって各国の軍事的な競争はますます激化し、戦争へと導かれる形跡がみられる。冷戦の後期以降、東アジア情勢がここまで緊張したことは前例がない。戦争の記憶と冷戦構造が、歴史とともに遠のく情況にないことは明らかだ。東アジア区域は、いまだに植民と帝国主義の歴史によって生み出された深い傷の痛みにともに向き合うことができずにおり、戦争責任がしっかりと清算されていないことから、各地の民間が植民と侵略行為、主権の否認などの問題でかかえている心情と感受を充分に反映できておらず、歴史の傷口を真に癒すことができないため、東アジアの平和の基礎は未だに脆弱なままである。
 東アジアで生活し、長期間この問題に関心を抱き、各地の民間社会に参与してきた私たちにとって、今回の島嶼を巡る争議は、一九世紀後期以来、資本主義が世界で拡張を続けるなかで植民史が残した未解決の問題と、第二次世界大戦後の冷戦構造が互いに作用し,押し出された結果である、領土主権至上の国家主義の思惟が「民間の連帯、交流と対話、相互の助け合いと協力、東アジアの平和」の願望を抑え、各国の間で土地と資源の争奪が境界の人々と区域環境の安全を脅かすようになっている。半世紀来の高度な資本主義のグローバル化が造り出した資源と覇権の競争は、想像力の欠乏も造り出している。
 長期にわたる民族の記憶および半世紀来累積された冷戦と分断の構造は、東アジア各国の相互信頼を困難なものとしており、政治と経済の実力を日増しに強めつつある中国大陸は、東アジア地区の近隣諸国の焦りと不安を引き起こし、またアメリカが東アジアにおける軍事的な布陣を深める口実となっており、引いては二つの覇権が争う新たな冷戦の局面を形成しようとしている。このような構造のなか、もし政治屋たちが再び民衆の悲惨な戦争の記憶を土壌とし、あるいは隣国の脅威を口実とし、民族的な情緒を挑発(例えば、島嶼の国有化や軍事演習など)して、対立がヒートアップし、区域の平和の願望は水面の浮き草のように根無し草同様になり、人々は戦争の影から真に脱却することはできなくなる。もし東アジア各国が依然と帝国主義の歴史にともに向き合い、戦争の責任を引き受け、植民と戦争の傷口の清算を行うことを願わないのであれば、この構造的に不安定な情況は今後も引き続き存在し続け、戦争の危機は回避できないものとなる。

 私たちは、東アジアの平和と発展を追求するにあたり、民間における誠意ある交流が、東アジアの民衆の共同の願いであるのみならず、各国政府にとって逃れることのできない責務だと考える。区域の平和が破壊を受け、民衆の生活が脅威にさらされた時、東アジアの民衆の一人として、私たちには逃れられない責任がある。公共の取り組みに参与し、理性的な声を発することは、市民の権利であり責任であるばかりでななく、各地の民主主義の実践と東アジア交流の基礎でもある。現在の厳しい区域の情勢に向き合い、私たち、民間の東アジアに立脚し、区域の平和に賛同する社会の民衆と知識人は、ここに以下の呼びかけと主張を厳正に行うものである。

 一、争議の島嶼を「境界交流圈」、「近隣住民の生活圈」そして「東アジア非武装エリア」に変える私たちは、主権を掲げることで争議を解消することはできないと考えている。
 東アジアの各国と民間は、ともに争議が存在することを直視するとともに、平和を追求し、衝突を回避するという基礎のもと、領土問題を超越した価値と原則を探し求める。この意義において、私たちは爭議の島嶼を「境界交流圈」(人々はここで自由で睦まじく相互に往来することができる)、「近隣住民生活圈」(近隣島嶼の住民の生活と生計で必要な分かち合いの空間)、そして「非武装エリア」(島嶼と関連する海域の脱軍事化を含む)に変えることは、領土をめぐる争議の解消と,区域の相互依存と理解の増強に益するものである。

 二、各地の民衆は各国の政府に対し、領土問題に向き合う際には対内的に民族的な情緒を緩和し、対外的には軍事と暴力の傾向を抑制するよう監督し促す。
 歴史認識の基礎において、私たちは東アジア各国の民族的な情感がそれぞれ充分に尊重されなければならないことを呼びかける。同時に、ともに歴史的な争議(例えば慰安婦や教科書の議題)、戦後の主権と管理権の分配、および関連する条約の合法性の問題がもたらす具体的な影響に向き合うことで、東アジアの民間は対話の空間を切り開き、互いの歴史的な感情状態の理解に力を尽くすべきである。私たちは、特に各国の政府が、内部の高揚した民族的な情緒を緩和し、いかなる暴力による秩序の混乱が民間のビジネスや文化交流など平和の持続に影響しないよう、まじめに向き合うよう呼びかける。「民間の連帯、交流と対話、相互の助け合いと協力」の立場に立って、私たちは各地の民衆が、各国の政府に対して、領土問題に向き合う時に、自身の潜在的な軍事暴力的な傾向を確実に抑制し、軍事衝突のあらゆる可能性を回避するよう、監督し促すことに期待を寄せる。私たちは、民間同士の相互関係と対話の増強を続けることこそが、東アジアの平和を探し求める起点であると信じている。

 三、沖繩と日本、韓国の住民による米軍基地反対の闘いを支持し、各国の政府がともに「区域性平和安全協定」に調印し、全体的な区域相互信頼関係と平和のシステムを構築することで、区域を脱武装化の方向に推し進めるよう要求する。またアメリカ政府に対して、国外の軍事基地を撤収し、東アジア各国と平等に付き合うことで、「米軍基地が東アジアにある」ことが形成する様々な問題を解決するよう呼びかける。
 民間の往来が相互の尊重と理解の基礎のうえに打ち立てられることで、はじめて区域の平和を追求することが可能になる。軍事衝突は東アジアの住民(特に境界の住民)の生活と安全に極めて大きな脅威をもたらし、またアメリカが日米と米韓の安全保障体制と冷戦の枠組みで自身の利益を守る際の口実となっている。このため、私たちは沖繩、日本本土(岩国、横須賀などの地域)、そして韓国の人々による米軍基地と軍事基地に反対する勇敢な闘いを支持し、安保を理由とした国を跨ぐすべての軍事協力と拡充に対し、またいかなる軍拡競争にも反対する。軍事的な対峙は、区域の平和の発展には無益であり、基地の布陣は東アジア区域における衝突の危険をいたずらに増すものである。私たちは「反基地、脱冷戦」の運動が、東アジアの島嶼の争議を超克する重要な方向であると信じる。私たちは東アジア各地の平和を愛する民間団体が各国の政府をして「区域性平和安全協定の調印」を将来ともに努力する方向に推進するよう呼びかけ、またアメリカ政府が冷戦の思惟を捨て去り、東アジアの民間における平和の願望を尊重し、平等、尊重、互惠の原則で東アジアの各国と付き合うよう期待するものである。全体的な区域の相互信頼関係と平和のシステムを打ち立てることによって、はじめて日米の安保体制を置換してこれを徹底的に解決し、「米軍基地が東アジアにある」ことの様々な問題を取り除くことができる。

 四、歴史の傷口に向き合い、矛盾の争議を処理し、東アジアの平和に邁進しよう島嶼の主権をめぐる爭議は歴史の問題であり、歴史に立ち返って見る必要がある。私たちは、各国の政府と民間に対して、ともに戦後東アジアの歴史の傷口に向き合い、責任と賠償、そして正義などの方向から、全面的な清算、反省と話し合いを行うよう呼びかける。東アジアの各国は先入観を除き、誠意を持って対話し、複雑に錯綜する「沖縄と日本の問題」、「南北朝鮮の問題」そして「台湾海峡両岸の問題」などを含む一九世紀以降の区域の歴史が今日に残した各種衝突と矛盾を徹底的に清算することでのみ、現在の区域の情況が戦前の日本帝国主義、戦後のアメリカ新植民地主義、および世界の冷戦と資本構造が互いに制約しあうものであることをはっきりと知ることができる。この種の国内の政治勢力による互いの競争と外部の国際勢力が結びつくことで作られた局面について、私たちはこれら問題をより大きな歴史の時間と空間の中に再び置いてみることで、はじめて現在の島嶼を巡る争議を充分に把握し、処理できる。区域の枠組みと歴史認識を経線と緯線とし、民間の持続的な交流を基礎とし、ともにこれらの問題に向き合うことによって、東アジアの平和ははじめて真にしっかりと根ざし、逞しく成長する基盤を持つことができる。
 最後に、私たちは、東アジアの平和は民間からはじめなければならないと再度強調する。民間の自発的な交流と連帯、理解と相互信頼、相互の敬意と自己抑制こそが平和の礎となる。この意義において、大国と小国、中央と地方を分かつことなく、民間団体は引き続き境界を越えて互いの声に耳を傾け、協力し、互いの感情と需要を尊重すると同時に、自己の民族の利益を越えた価値と倫理を捜し求め、打ち立てる必要がある。こうすることによってのみ、私たちはかつて通った戦争の道を再び歩むことなく、烽火の中、平和が消えたことを嘆かずにすむのだ。
声明発起人/起草者:
個人/団体

2012年10月6日初稿
2012年10月9日修正

投稿

「尖閣」問題に漁民
の視点こそが必要だ

たじまよしお 

 尖閣列島についての私の知識は初め、井上清著の『釣魚諸島の史的解明 尖閣列島』(第三書館)から得ていました。この人ほど外交に関する文書などを深く読み込んでいる者はあまりいないであろうと思われます。しかしこの方の視野には先住民族の存在や長い歴史を生きてきた民衆の息遣いなどは入っていないなと感じました。
 尖閣列島は地理的には沖縄に近いけれども中国大陸の大陸棚の内にあります。そこは水深が二百メートル以下で海の色は蒼く波も流れも穏やかで有史以前から人々はそこで漁をして生活を営んでいたのです。大陸棚が終わったところから急に水深は急に千数百メートルから二〇〇〇メートルの海溝になり、そこを黒潮が西から東へ流れているのです。そのことは中国の古文書には「蒼水ヨリ黒水ニ入ル」と、そして「中外ノ界ナリ」つまり中国と外国の境であると記してあります。そして当時の琉球(沖縄)王朝もそのことはみとめている、だから中国の領土というのは一つの論拠であるかしれません。
 しかし文字を書いたりすることの出来る相互の国の支配層の思惑や権益を主たる柱に据えて考えるならば、それは国家主義に陥り、やがては植民地主義とどこかで重なってくるとおもいます。朝な夕なにそこで漁をし、船の位置を釣魚諸島や岩礁を目安にして流れの急な黒潮には近づかないように木の葉のような船を操っていた「目に一丁字無き人々」の息づかいに耳を傾けたいと思います。それらの島々は彼らにとっては生活の一部であったのです。そして黒潮は自分たちのテリトリーを守る、異国の漁船侵入を防ぐバリケードでもあったのです。
 その後日本は明治維新となり鎖国政策も解かれ造船技術や渡航技術も向上し、冒険好きな小資本家の古賀辰四朗がそれらの島にいるあほう鳥の毛でひと儲けしようと頻繁に島に近づくようになったのですが、それらの動きはそこで漁を営む漁師の目にどう映ったのか、そしてそれらの歴史に自分がどう向き合うのかそのことが問われているのだと思います。
 

 

コラム

離婚

 先日、役所に離婚届を提出した。これでようやく、一八年目に入った別居生活にピリオドを打つことができた。別れた妻とは一五年以上も会っていない。
 そもそも離婚を申し出たのは私からだった。しかし、妻がそれを拒否したために別居ということになったのであった。民法で離婚理由として認められているのは、「一、不貞な行為 二、悪意で遺棄 三、三年以上の行方不明 四、強度の精神病で回復の見込みがない 五、その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」となっている。私たちの場合、該当するものは五しかなかった。それで「重大な事由」を作るためには、「五年から七年以上の別居」という「実績」が必要だった。
 私は小学二年生の娘を抱えて職場近くに引っ越して、父子家庭の生活に入った。そして、自宅と職場と学童クラブと近所のスーパーを自転車で往復するという生活に明け暮れた。大衆運動に復帰したのは、それから五年後の娘が中学に入学してからだった。
 別居後、娘は毎月のように妻の所に泊まりに行った。いつも迎えのときが大変だった。駅の改札を通ってからも、何度も妻を振り返り手を振る娘の眼からは、涙がこぼれ落ちそうになっていた。「家族がそろっていないので胸に穴が開いたようだ」と言われたときには、ただ娘の手をギュッと握りしめてやることしかできなかった。あの時の涙をこらえる娘のあどけない横顔は、いまでも忘れずに脳裏に焼き付いている。こうして、夫婦別居の最大の犠牲者は娘なのであるということを、突きつけられたのであった。
 そして決まって、娘は「また三人で暮らそうよ。三人で暮らしたい」と、気持ちを私にぶつけてくるのであった。しかし、このパターンが何年も続くと、私としても「もういい加減にしてくれ」という気持ちにもなるというもの。あるとき、「父さんはママと暮らすと、ママのことを殺すかもしれないよ」「そうなるとママは死に、父さんは牢屋に入れられて、少なくとも一〇年は出てこない」「お前は人殺しの娘として、おばあちゃんの家で暮らすことになるけど、それでもいいのか」。それから娘はピタリとそれを言わなくなった。
 しかし、娘が次に口にしたのが「父ちゃんは人を殺したことある!」だった。これを聞いて、これまでのすべてが、あの悪妻が娘を使って仕組んだものだとわかった。同時に内ゲバをやらなくてよかったと、つくづくそう思った。
 去年の夏、私の父の葬儀で娘とひさしぶりに会えたので「ママとは会っているのか」と聞くと、「あんなヤツとは会う気もしない」と意外な返答があった。そして今年の夏、焼鳥屋で娘が「もういい加減に別れたら!」と言ってくれたのであった。
 その娘も今年の春から失業している。社会人(美容師)として送り出した親の責任は果したのだから、あとのことは娘自身の問題だと思っている。福島や沖縄の子供たちや、世界の貧しい子供たちのことなどを考えると、気にこそかけてはいるが、わが子だからといって特別あつかいするわけにもいかないだろう。 (星) 



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