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    かけはし2012.年9月10日号

新たな情勢認識の上で
釣魚台運動を考える

陳 景基
(香港・先駆社)

  香港の活動家たちによる八月一五日の釣魚台上陸は香港・中国に大きな反響を呼び起こし「愛国」感情を沸騰させていると報じられている。香港・先駆社の同志は、以前に「保衛釣魚台」運動が持っていた民主運動としての進歩的性格は失われ、それが中国の拡張主義を利するものになったと批判している。ナショナリズムの興奮の中で、香港の同志たちは国際主義の立場を強調している。(「かけはし」編集部)

 八月一五日、七人の香港人が釣魚台に上陸し、日本政府による占領に抗議し、日本当局に逮捕、強制送還された。香港の親中派は面目をつぶされた形になった。というのも、親中派は香港政府とその後ろ盾である中国共産党が香港で愛国教育を推進することに対して、大声で支持していたにもかかわらず、自分たちではなんら釣魚台に対する行動をとらず、(中国政府と対立的関係にある)民主派をふくむメンバーらが釣魚台に上陸することをなすすべもなく傍観し、愛国主義の大旗を敵(つまり民主派)の側に奪われた形になったからだ。

人民に愛国教育は不要

 四〇年にわたる釣魚台防衛運動に進歩的な役割があったとすれば、それは当初から市民運動として提起されたということだろう。中国と台湾の両政府がともに冷淡だった状況のなかで、日本帝国主義の再拡張に危機感をいだいた香港市民が、政府による逮捕や暴力に屈することなく立ち上げた運動であったからだ。(香港は1941年12月25日から1945年8月15日まで日本の軍事占領下におかれた:訳注)
 中国の近代史は次のことをわれわれに教えている。つまり、売国行為を策動し、また実際に売国行為を達成したのは、つねに政府とその指導者であり、国を守るために立ち上がったのは、いつも普通の人々、そして無名の英雄たちであったということである。道理は極めて単純である。普通の人民が自分の故郷や国を愛おしむことは自然なことだからであり、愛国教育などというものを注入する必要はなく、ましてや政府がそれを代行する必要などまったくないのである。愛国教育が必要なのは往々にして人民の方ではなく政府の官僚たちの方だろう。
 いま中国共産党は香港で愛国教育を推進しようとしており、このチャンスに乗じて共産党への忠誠を強制しようとしている。だがそれは、国を愛することとは違うのである。

なぜ釣魚台運動は進歩的だったのか


 冷静に考えれば、中国共産党は清朝や国民党政府に比べて、外国からの抑圧に抵抗する気概を持っているといえるだろう。しかし釣魚台の防衛については、この四〇年来まったく積極的ではなく、逆に市民による釣魚台防衛運動にたいする弾圧に対しては積極的であったといえる。だが近年、中国政府の対応は変わりつつある。いまの中国の政権は釣魚台防衛に積極的な姿勢を見せている。すくなくとも言葉の上では非常に威勢がいい。だがそれは吉兆ではなく凶兆である。
 四〇年前は、冷戦中であり、日本政府は厳密な意味においては軍国主義政権ではなかったが、依然として経済的にアジア人民を搾取し、アメリカ覇権主義と結託して反共政策を実施していた。一方、中国は日米に包囲された貧困国であり、資本主義とアメリカ覇権主義に反対する大国でもあった(すでに妥協路線へとかじを切ってはいたが)。この二つの陣営の対決のなかで、日本支配勢力の再拡張はアジア人民にとって不幸であり、当時の釣魚台防衛運動は多少なりともこのような拡張に抵抗する意味合いを持っていたことから進歩的であった。

冷戦から商戦の時代に

 四〇年後の今日、状況は根本的に変化している。日米政府が悪の勢力であることには変わりはない。しかし中国は強大になり、他国から侵略される危険性というのはほとんどなくなっている。だからたとえ中国が当面のあいだ釣魚台を奪還できなかったとしても、それが中国への再侵略の起点となる心配はない。つまり今日の釣魚台防衛運動の意義はかつてにくらべて縮小している。
 中国は強大になっただけでなく、その性質にも変化があった。資本主義への回帰である。だから冷戦が終結したいま日米もかつてのように中国を孤立させる必要がなくなっただけでなく、逆に中国政府と経済の上で協力関係を築き、グローバルに新自由主義を推進しながら、あちこちで自由貿易協定を締結している。しかし中国、アメリカ、日本による資本主義のグローバル化政策の推進は、相互間に市場争奪戦を繰り広げ、一層激しい競争を余儀なくさせる。
 それゆえ冷戦は終結したが、中国と日米との間の資本主義的商戦の序幕はすでに開かれている。今日、中国政府が釣魚台防衛を熱心に取り組み始めたとすれば、それは市民による釣魚台防衛運動を日米との商戦に利用しようとしているに過ぎない。もしも将来、中国政府が積極的に軍事面で釣魚台防衛に動き出したとすれば、政府による釣魚台防衛は、中国政府が資本主義的商戦を推進するための駒の一つに過ぎず、それは四〇年来の市民による釣魚台防衛運動の素朴な性質とは大きく異なる。

経済拡張主義に奔走する中国


 最近、強国左派(マルクスや毛沢東の用語を並べ立てて外国資本の言いなりではない民族資本主義の大国を目指せと主張し、労働者民主主義には極めて消極的である点が特徴:訳注)が出版した『大目標:われわれとこの世界の政治的協議』は、報道によると、著者たちは中国が帝国主義の道を歩む可能性を排除しないことに同意しているという。しかし、この著者らによると、帝国主義とは必ず軍事的に他国を占領することが含まれるのであり、様々な情勢から中国による他国への軍事占領は難しいことから、中国が帝国主義になる危険性は大きくないという。
 この考えはおそらく正しくないだろう。軍事占領が帝国主義の主要な特徴ではないからだ。第二次世界大戦以降、帝国主義は民族解放運動による打撃のもとで、経済侵略を主要な形式とした対外拡張に進化を遂げたからである。それは今日の中国の支配者が必死に模倣しようとしている拡張モデルでもある。今日の中国の支配者は建国の理念を放棄し、経済拡張主義に奔走している。これでは愛国というより、その逆である。

国際連帯こそが重要


 冷戦においては、労働者人民はどちらかを選択する必要があったが、商戦においてはどちらかに組みする必要はない。冷戦時代に「社会主義陣営」と呼ばれた陣営は実はそれほど社会主義ではなかったが、少なくとも資本主義には反対していたことから、労働者人民は資本主義にくらべてましな経済的待遇を受けることができた。
 しかし今日の資本主義的商戦は、中国の官僚と資本家と外国の同業者たちの間での争奪戦であり、しかもそれは各国の労働者人民と自然資源に対するさらなる搾取によってのみ維持することができる。経済競争が過熱すればするほど戦争の危機は大きくなり、その時には支配者は労働者人民にさらなる犠牲を強いるだろう。このような資本主義大国間の商戦は、労働者人民には災禍しかもたらさない。今日の中国は侵略される危険性はないだけでなく、他の小国を抑圧する覇権国家となりつつある危険性が日々増している。市民運動による釣魚台防衛運動は、いま一度、いかに帝国主義政策の駒になることを回避するのかを考えなければならない。
 つまるところ、中国の労働者人民の前途は、自国支配者の経済拡張主義を手助けするのではなく、各国の労働者人民と団結してそういった拡張主義を阻止することにある。釣魚台を巡る争いは、このような大局に立って考えなければならない。

 二〇一二年八月二七日

8.2脱原発・護憲市民共同センター東京

選挙を見すえ新しい共同
の可能性追求するシンポ

 本年五月に発足した脱原発・護憲市民共同センター東京(布施哲也代表)の第一回シンポジウム「新自由主義に抗するために」が八月二日、東京の文京区民センターで開かれた。
 賛同人(八月二日現在二〇六人)は脱原発や護憲団体などの市民、キリスト者、全労協系などの労働者、自治体議員、社民党や新社会党の支部役員など様々である。
 シンポでは市来伴子杉並区議が総合司会。パネリストは福島社民党党首、伊藤誠(経済学者)、上原公子(元国立市長)、松枝新社会党委員長の各氏。シンポのコーディネターは布施共同センター代表。
 福島党首は「田中俊一さんは原子力村の村長さんだった人、規制委員会の委員長にするなんておかしい」「脱原発基本法を作るべき」など原発問題から派遣法・有期契約法、憲法審査会の状況などの国会報告。伊藤さんは「サブプライム恐慌など新自由主義は経済的な停滞と危機を反復させている」「富裕層の税率を引き上げれば消費税の引き上げは必要ない」「社民党や新社会党は反対ばかりでなく夢をもっと語るべし」、上原さんは自身が事務局長を担っている「脱原発全国首長会議が七七人に拡大している」「首長の決断は再稼働などに影響することがこの間の事態で分かっている」と、松枝委員長は大阪の橋下維新の会との闘いを振り返りながら「大阪府市では一万人が非公務員化し、高齢者福祉などが大幅に削減されようとしている」「現場のひとを勇気づける活動を」とそれぞれの立場から提言された。
 会場からは千葉市民の会、テント村、沖縄反戦地主関東、たんぽぽ舎などに関わる方から質問や提案が出され、JAL原告団からは支援要請が行われた。
 最後に、来年の都議選(世田谷区)の予定候補である羽田圭二(現世田谷区議)さんが決意表明し、シンポは終了となった。
 当センターは脱原発候補を総選挙などで支援することを目的とし、参加している各政党とも協力関係について協議していくとのことである。     (岸本)

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