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    かけはし2014.年5月5日号

東アジアイニシアティブの提案


投稿

「エコ社会主義」のために(下)

たじまよしお(長野県 画家)


 

領土問題とナショナリズム

 
 「領土」という文字は私にとっては「戦争」と同義語である。「固有の領土」となるとおぞましさは極まる。これは領土を拡大するために日本の外務省が発明した単語ということであるが、売り言葉に買い言葉で世界中に感染してゆく恐れはないだろうか。
 二〇一二年四月、石原慎太郎(当時東京都知事)が東京都として尖閣列島を購入することを宣言して中国民衆の反日感情を煽り、九月一一日に野田政権は尖閣列島を国有化して、ますます中国民衆の怒りに油を注いだ。 その時「許すな!憲法改悪・市民連絡会」から「『領土問題』の悪循環を止めよう!日本市民のアピール(11項目)」への賛同人署名の協力への要請があって私も賛同し、このアピールは九月二八日に発せられた。
 この動きに呼応するかのように、台湾の三人の知識人が「歴史に向き合い、問題を解決し、平和を希求する・・民間東アジアシンポジウム声明」を起草して一〇月六日に台北でシンポジウムを開き修正され、声明は一〇月九日に発せられた。
 その三人の台湾の知識人というのは、陳光興(交通大学社会文化研究所教授)、王智明(中央研究員歐美研究所研究員)、胡清雅(交通大学社会文化研究所大学院生)であった。一〇月六日のシンポジウムには、日本からは岡本厚(『世界』前編集長)と野平晋作(ピースボート)がインターネットを通して参加した。お二人とも「日本市民のアピール」の世話人であった。この「民間アジアシンポジウム声明」の起草人三人が連名で『世界』(12月号)で「日本市民アピール」に対して次のように述べている。「この声明(日本市民アピール)は、日本の政府と社会に対し、日本の植民地支配と帝国主義の歴史が東アジア地域においていまだに今日的な問題として継続している事態に向き合うよう求めており、真摯さが伝わった。この点に関して、我々がずっと考えて来たことと相通じていたのだ」。
 この日本市民アピールを発した九月二八日の参議院会館での記者会見には、韓国や中国のメディアから多数の参加があったが、日本のマスメディアの関心は低かったという。国会議員として参加したのは消費税増税に反対して「党員権停止中」の民主党の橋本勉ただ一人だったという。

二つの声明と私の見解


私は「日本市民アピール」の賛同人の一人だが批判あるいは補足的に意見を言うのは自由であると思う。 
その一点目として、アピールには「尖閣諸島とその周辺海域は、古来、台湾と沖縄など周辺漁民たちが漁をし、交流してきた生活の場であり、生産の海である」とある。この「古来」というのは千年も万年も前からと読めるが、前にも述べたように百と数十年前からというのが私の認識である。そのあたりの歴史に目を向けることは「原住民族」との共生に欠かせないと思う。台湾の原住民族による論文や文学作品はまさに膨大で、私自身人様に語れるような水準ではないが、みんなの共通の課題とすべきであると思う。
二点目として「尖閣諸島(『釣魚島』=中国名・『釣魚台』=台湾名)も日清戦争の帰趨が見えた一八九五年一月に日本領土に組み入れられ、その三カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地となった」「中国(当時清)がもっとも弱く、外交主張が不可能であった中での領有であった」とあるが、この記述は次のように修正すべきである」「――外交主張が不可能な中にあっても、下関条約で尖閣の領有権を主張するには無理があった。そのことを予測して日本政府は講和会議の三カ月も前に閣議決定し、そのことは条約を結ぶ時にはおくびにもださなかった」講和会議の労をとったのはイギリスだったたからであることは前にも述べた。筆者がこのことに強くこだわるのは「尖閣列島は中国領土論」を展開するためではない。
三点目として、この二つの声明は環境問題に触れてないことである。尖閣の問題は石油資源をめぐるバトルである。「一九六九年および一九七〇年に国連が行った海洋調査では、推定一〇九五億バレルというイラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると判明すると、ただちに台湾がアメリカ合衆国のガルフ社に石油採掘権を与えた(ウイキペディア フリー百科事典)」。
中国は経済成長では日本を抜いて世界第二位となりアメリカを抜くのも時間の問題だという。中国の、化石燃料を使った工業化による大気汚染は国境を超えた大問題となっている。化石燃料は地球温暖化や大気汚染を促すのみではない。日本の環境省のエコチル調査によると母乳の中のダイオキシン濃度の平均値は二七年前と比べると約四倍となっている。この地球上には大型焼却炉は一八〇〇基でそのうちの一二〇〇基は日本にあるという。私たちの身の回りは石油製品が満ちあふれているが、それらはやがてゴミとなって焼却炉で燃される。八〇〇度以上で燃しているからダイオキシンの心配はないことになっているが、この母乳中のダイオキシンをどう説明するのか。

ヤスニITTイニシアティブ


二〇一〇年の秋、民主党の小沢さんと菅さんが党の代表の座をめぐってバトルを展開していたそんな最中、九月五日から七日まで南米のエクアドルのコレア大統領が来日していた。エクアドル東部のアマゾン地域にヤスニ国立公園がある。そこの地下には「八億四六〇〇万バレルの原油が埋蔵され、国全体の二〇%に相当すると見込まれる。この石油開発を放棄する代償として、エクアドル政府は、見込まれる石油収入(72億ドル)の半分(約36億ドル)の保障を国際社会にもとめている」このことをヤスニITTイニシアティブという。
「このイニシアティブの資金を受け入れるのがヤスニ基金である。その設置を目指す交渉は頓挫しかけながら、長く複雑な過程を経て二〇一〇年に決着した。基金を管理する国連開発計画(UNDP)とエクアドル政府の協定は八月二日に署名され、正式に発足した」。以上「 」内は先住民族民族10年News170号「エクアドル ヤスニイニシアティブの意義と課題」新木秀和(神奈川大学)より。
このヤスニイニシアティブは、集まった資金は目標額の〇・三七%で、二〇一三年八月に撤廃された。この構想については新木秀和さんは当初から、「ヤスニ提案のポジティブな面は評価し、それが実行可能となる条件を 整備するように支援するとともに、改善すべき内容を改めていくことが必要がある。例えば、ヤスニ基金執行委員会の委員として市民社会代表を増やし、アマゾン住民の代表を加えるべきであろう。そして、集まった資金の使途を透明にさせ、環境保全といいながらダム建設や水力発電所建設のようなプロジェクトに資金が回されないようにする必要がある。森林保全のプロジェクトについても、住民の必要性と意向を反映した計画を立案することが求められる」「現代社会の趨勢に照らせば、ヤスニ提案が画期的な内容を持つことは確かだ。しかし手放しで評価できるわけではない。エクアドル政府が国際社会にアピールしている内容は、言ってみれば、石油開発に手をつけないならば補償してもらうのは当然だ。まして補償の額は開発で見込まれる収益の半分なんだから、という主張であり、そこには独善性も垣間見られる」。
紙面の都合で新木秀和さんの所感の全文を紹介できないが、厳しさの中にも前向きな暖かさが感じられる。実際に資金を提供する側にとって、なにか割り切れなさを禁じえない構想ではあった。しかしこの構想のそもそもの源はエクアドルの「環境保護や先住民族保護などに関わるNGOやリベラルな志向を持つ活動家・研究者」であったことにも留意すべきである。このヤスニイニシアティブの目的の一つに「ヤスニ地区にすむ先住民族の保護」が謳われているし、それは先住民族の石油開発への抵抗運動の成果でもあった。
「とはいえ、先住民族組織はイニシアティブに対し冷徹な見方をくずしていない。石油開発を推進するコレア政権の方針は変わっていないからだ。いや、資源開発全般についても同様の方針があり、とくに鉱業法の強引な制定に見るように、鉱山開発に積極的に取り組もうとするコレア政権の姿勢が明らかであり、先住民族は批判的なのである。
ヤスニITTイニシアティブにより開発中断とされる原油は埋蔵量全体の二割にとどまる。つまり、残りの八割は今後とも堀り続けるという意味になる」。なお、このイニシアティブが撤廃されたのは二〇一三年八月であるが、前述の「  」内の文章はそれが発足した直後に書かれたものである。

東アジアイニシアティブとは

 以上ながながと「ヤスニITTイニシアティブ」について述べてきたが、ヤスニ地域も尖閣周辺の海域も、埋蔵している石油資源の開発という共通項がある所以である。尖閣周辺の海域がどこの領土であれ、地球環境を守る立場から石油資源の開発などさせてはならないのである。
二〇一二年の「日本市民アピール」と「民間アジアシンポジウム声明」の共通項は近代国家形成過程における侵略戦争に対する反省とその戦後処理のあり方、と私は読んだ。後者は米軍基地がアジアに存在することの弊害から、沖縄をはじめとする日本国内の反基地闘争への評価へと一歩踏み込んでいる。しかし、近代国家形成の過程を直視するならば、必ずと言ってよいほど先住民族の虐殺・抑圧が横たわっている。
そのことと、もう一つ今後の問題として、尖閣周辺の海底には、ヤスニイニシアティブのそれよりも一三〇倍もの石油の埋蔵量が予想されている、尖閣周辺の石油開発をストップさせる、東アジアのまさに草の根の運動をともに組織してゆくべきであると思う。このことは東アジア諸国の経済活動、大量生産・大量消費の経済の有り様を問い、私たちの日々の生活の有り様をも同時に問うことになる。将に「東アジアイニシアティブ」の結成ということになる。この三月二四日現在、台湾の学生たちは「中台サービス貿易協定」に反対して、日本でいえば台湾の国会にあたる立法院を占拠し闘っている。その学生たちにこの思いを伝える術を思いめぐらしながら、ひとまず稿を閉じることにする。                   
映画紹介
坂上香 監督作品/2013年

『トークバック』

沈黙を破る女たち


「愛の道化師
たちと踊る」
 「talk backとは、言い返す、口答えするというネガティブな意味で使われることが多い。しかし、本映画では、沈黙を強いられてきた女性たちが『声を上げること』や、人々と『呼応しあう』というポジティブな意味で使っている」。
 映画『トークバック 沈黙を破る女たち』のパンフレットにある説明だ。この映画は、サンフランシスコを拠点とするローデッサ・ジョーンズ率いるアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われの女たちの劇場」の新作「愛の道化師たちと踊る」の上演とその過程を描いたドキュメント。
 この新作「愛の道化師たちと踊る」は、元受刑者とHIV陽性者らが、これまで明らかにしてこなかった自らの経歴や病歴をモチーフにしたパフォーマンス演劇。出演者のほとんどが女性である。
 ドラッグや犯罪、レイプやDVの被害など深刻な経歴の元受刑者もいれば、比較的恵まれた環境においてもHIVに感染した女性など、さまざまな経歴をもつ女性たちが作り上げるパフォーマンスは、記憶の奥深くに刻み込まれた魂の声であったり、加害者に対する怒りであったり、奴隷出身の祖母らへの尊敬の祈りであったり。それらをひとつの作品につくりあげ、尊厳と力を回復するローデッサらのシスターフッドに衝撃と感銘を受ける。
 
刑務所での演劇
ワークショップ
 劇団名の「メデア」とはギリシャ悲劇の「王女メデア」からとられているという。夫への復讐のために自らの娘を殺害するメデアと、深刻な性暴力や虐待の循環の犠牲者となった女性受刑者らを重ねあわせ、更生プログラムの一環として行われる刑務所での演劇ワークショップから始まったプロジェクト。
 「HIV女性プログラム」のディレクターであり、ゲイであることをカミングアウトしている医師エドワード・マティンガーが、このメデア・プロジェクトに着目し、コラボレーションを持ちかけたという。医学の進歩によりHIVで死ぬことはほとんどなくなったが、自らの担当したHIV陽性者が、HIVではなく深刻なノイローゼによる自殺や薬物依存による死、夫を含む他者による殺害で亡くなる女性たちを一人でも減らしたいという思いからだ。

 女性たちを
取り巻く暴力 
劇場でのパフォーマンスには、身振り手振り、気迫のこもったセリフなど、観客に伝わる表現方法が必要だ。自らの過酷な経歴をさらけ出すことの困難さは、この舞台稽古のシーンに加え、出演者らへのインタビューなどによって重層的に描かれている。
パフォーマンスやインタビューで語られる女性たちの被害の深刻さは、アメリカ的特徴はあるだろうが(祖母が奴隷だった、エスニックグループ内の犯罪社会など)、おそらく日本や世界中の女性たちにも共通のものだろう。女性の体と心に刻まれた深い傷を、表現という方法を通して回復させる方法は、日本軍「慰安婦」とされた女性たちの絵画による表現を想起させる。
作品に登場する女性たちを取り巻く暴力という現実をあらためて認識させられたとともに、手法は異なるのかもしれないが、尊厳回復のひとつの手法としての「トークバック」は、今はなきラディカル・フェミニストのアンドレア・ドヴォーキンの『ドヴォーキン自伝』を読んだときの感覚を思い起こした。「わたしは、姉妹たちにどうしても触れたい。わたしに痛みを取り除く力があればいいのに」(『ドヴォーキン自伝』)。
カサンドラ、デボラ、マルレネ、フィーフィー、アンジー、ソニア、メアリー、そしてローデッサら『トークバック』に登場する姉妹たちはドヴォーキンのこの願いが届いているように見える。だがさらに多くの姉妹たちが、いまもなお暴力と抑圧のなかで命と尊厳を踏みにじられている。
トークバックという手法は映像の中だけでなく、この映画作品を作り上げる過程においてもすばらしいシスターフッドを発揮したトークバック的手法がとられた。詳しくは劇場で販売されているパンフレットに掲載されている坂上香監督の解説をぜひ読んでほしい。        (H)


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