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    かけはし2014.年7月14日号

オルタナティブを提起する意識的主体が必要だ


7.6 国際シンポ―ギリシャの活動家を招いて

民衆の反緊縮・ファシストとの闘い

2009年以降の債務危機に抗して



DVDで「ギリシ
ャの闘い」を紹介
 七月六日、連合会館で「国際シンポジウム―ギリシャの活動家を招いて/資本主義システムの世界的危機―― いま問われる左翼の再生」(主催:実行委員会)が行われ、一〇〇人が参加した。
 資本主義のグローバルな危機の深まりと同時に労働者民衆に対する新自由主義的攻撃が吹き荒れている。安倍政権は、七月一日に「集団的自衛権」行使閣議決定を強行し、米国とともに戦争するためのグローバル派兵国家へと踏み出した。実行委は、新たな情勢下、日本における左翼の再生にむけて、緊迫した階級攻防を展開する国の一つであるギリシャからANTARSYA(アンタルシャ=反資本主義左翼連合)の活動家マノス・スコウフォグロウさんを招き論議を深めた。
 マノスさん(31歳)は、一九九八年高校占拠運動を取り組み不当逮捕、その後、大学占拠闘争に参加し大学生のラディカル反資本主義政綱グループ(EAAK)に合流する。反グローバリゼーション運動、反軍兵士運動、反戦・反政府闘争を闘い、二〇〇九年四月、反資本主義戦線であるANTARSYA(反乱、あるいは体制打倒のための反資本主義左翼連合)創立大会(複数の左翼組織、アナーキスト、無所属の活動家など三〇〇〇人)に参加し、中央調整委員会と全国調整機関のメンバーの任務につく。第四インターナショナル・ギリシャ支部OKDEスパルタコスの政治局員でもある。
 集会は、ビデオ「映像で観るギリシャの闘い」の上映で始まった。映像は、二〇〇九年以降のギリシャの経済・債務危機に対してトロイカ(IMF、欧州銀行、資本)による緊縮政策の徹底、失業・貧困化の強要に抗する民衆反乱とデモ、消防士組合の闘いなどを次々と映し出していった。さらに反ファシストのヒップ・ホップ歌手であるパブロス・フィサス(キラーP)をファシスト「黄金の夜明け」が虐殺(一三年九月)したのに抗議するデモ、ANTARSYA第一回全国大会、欧州議会選挙アピールが参加者を引きつけていった。
 開会のあいさつを伊藤誠さん(経済学者)から行われ、「資本主義の危機だが、左派も主体的危機にあり、グローバルなつながりが弱いところを検証し、克服していかなければならない。さらに国、大企業に依存しない協同組合運動を各国で実験しているが、ギリシャでも論議しているなら共有したい」と問題提起した。

福祉資本主義の
余地はもはやない
マノスさんの講演は、@近年のギリシャ階級闘争A進行する深刻な危機Bわれわれは反資本主義戦線を必要としているCANTARSYAはいかに形成されたかDANTARSYAの性格と機能E脅威と弱点Fなぜわれわれには独立した反資本主義左翼が必要なのか?―について提起した。
とりわけマノスさんは、参加者に対して「ギリシャには、独立した反資本主義左翼の必要性を際立たせる幾つかの特殊条件が存在する。しかし私は、この必要性がギリシャ特有の事情によるものだとは思わない。それは日本をふくむ多くの国にも関わりがある(そうだよね!)」とアプローチし、「危機の中では進歩的な福祉資本主義の余地などない。われわれが必要とするのは、前衛を組織し、具体的なオルタナティブの展望を提起する意識的主体なのだ。それは必要とされる綱領的な精密化、異なった革命的潮流と、労働運動の活動家の統一の結果である。その活動家とは、ブルジョアの攻撃に反対し、労働者と抑圧された人びとの自立的行動の全般化のために闘い、すべての職場と居住地区での労働者の自治組織、集会、委員会建設について考えることを不可欠の課題と見なす人びとである。資本家とかれらの国家が生産を統制することに挑戦を突きつける潮流と活動家たちである」と結論づけた(報告別掲)。

会場から闘いに
対する賛同の拍手
「マノスさんの講演に答えて」をテーマに田淵太一さん(同志社大学)は、ギリシャを経済危機に追い込んだIMF、金融資本、各国政府の犯罪を批判したうえで「マノスさんの反資本主義左翼戦線の建設が必須であり、そのためには綱領プログラムの作成が必要であるという提起は同感だ」と述べた。さらにマノスさんに対してファシスト「黄金の夜明け」との闘いについて質問した。
マノスさんは、「昨年、『黄金の夜明け』に対して政治的反撃と草の根の反撃を取り組んだ。ファシストが登場してくる現象面だけではなく、その根拠を明らかにしていかなければならない。ナショナリズム、排外主義は、ファシストだけでではなく政権も含めて侵されている。だから敵は、移民労働者などではなく仕事を奪っている資本家だということを強く訴えた。移民労働者との共同の反撃を行うことが重要だ」と指摘した。
また、「街頭で闘うこと自体、非常に危険な状態だった。だが各地域で反ファシストイニシアチブを作り出し、各地のファシスト事務所に対する闘いを積み上げ、包囲していった。ファシストの暴力に対して具体的に反撃していくことも必要だ。ファシストを批判することも重要だが、人々はファシストが犯罪的だとよく知っている。問題なのは、具体的な行動だ。パブロス・フィサス虐殺抗議行動は、重要な取組みだった。『黄金の夜明け』は、事務所に閉じ籠もり、守っていたのが警察だった。ファシストによる人々への浸透があるが、暴力による直接登場を阻止し続けている」と報告した。
「発言 左翼の再生 私はこう考える」というテーマで土屋源太郎さん(伊達判決の会)は、七月一日の安倍政権による集団的自衛権行使容認閣議決定と沖縄辺野古新基地工事着工を糾弾し、反資本主義左翼の主体強化が求められていることを呼びかけた。
続いて原隆さん(NO―VOX JAPAN)が「持たざる者」の連帯の重要性について、大道寺毅さん(「かけはし」編集委員会)が「ストライキから自主管理をめざす労働運動の再生が問われている」と発言した。シンポジウム終了後、マノスさん歓迎会に移り、さらに討論を深めていった。      (Y)

マノス・スコウフォグロウさんの報告

アテネ暴動からギリシャ全土に闘いが拡大

ナチス政党「黄金の夜明け」との対決

A 近年のギリシャの階級闘争

 危機が起きる数年前から、ギリシャにはきわめて重要な社会運動がいくつか存在していた。二〇〇六年夏には、新たな新自由主義的で権威主義的な大学改革を阻止しようとする闘いが、国内のほとんどすべての大学(四〇〇学部)の二カ月に及ぶ占拠運動として展開された。翌年の冬(二〇〇七年)には、私立大学を認める憲法改悪を阻止する三カ月間も続いた大衆的占拠運動の新しい波が起きた。その中で二〇〇六年秋には小学校教員の二カ月にわたるストライキ闘争が起きた。この闘いは最終的には勝利できなかったが、新しい、大衆的でラディカルな労働者の闘争が実行可能であることを明らかにした。こうしたあらゆるケースにおいて、反資本主義左翼は指導的役割を果たした。
 二〇〇八年一二月にはアテネで暴動が起こり、ギリシャ全土に急速に波及した。三週間以上にわたって毎日のようにデモ、警察との衝突、公共の建物の占拠などが起こった。その引き金となった事件は、アテネの中心街で一五歳の少年が警察官によって殺されたことだった。高校生、若い失業者、そして初めてのことだったが、ひどく抑圧されていた移民たちが、この暴動の原動力だった。
 したがって、グローバルな資本主義の危機がギリシャ資本主義を直撃した時、最近の戦闘的経験の背景となるものがすでに存在していた。二〇一〇年五月、公的借入金利の高騰に直面して、ギリシャは「構造的適応プログラム」に入っていった。完全にブルジョア的な社会民主主義(PASOK 全ギリシャ社会主義運動)の政府は、いわゆるトロイカ(IMF、欧州中央銀行、欧州委員会〈EUの指導機関〉)との「メモランダム」(覚書)に調印した。この「メモランダム」は、厳しい緊縮政策と、それにつづくより厳しい協定を押し付けるものだった。
 二〇一〇年五月五日、ゼネストと大規模な労働者のデモが組織された。衝突が広がり、銀行の建物に火がつけられ、三人が死亡した。この闘いは、それに続く二年半の間での三〇日以上に及ぶ一連のゼネストの最初のものだった。
 二〇一一年夏、われわれは「インディグナドス(怒れる者たち)」と「広場」の運動を経験した。一カ月以上にわたって議会のすぐ外の「シンタグマ」広場に毎日、幾千・幾万の人びとが集まり、六月一四日にその数は約四〇〜五〇万人に達した。同じことがギリシャのほとんどすべての都市で起きていた。民衆集会がシンタグマ広場やさまざまな地区で行われた。この運動の大きな矛盾、すなわち労働組合や政党に対する当初の敵意(この敵意は労働組合が、この広場運動を支持する三日間のゼネストを呼びかけた後に変わっていった)、信頼しうるラディカルな指導部の欠如にもかかわらず、それは大きな戦闘的経験であり、誰がいかにして統治するのかという権力の問題を、初めて前面に押し出すことになった。
 ギリシャにおける階級闘争の頂点は二〇一一年一〇月だった。この時、「怒れる者たち」の自然発生的要素が組織された労働者運動と出会うことになった。さまざまな部門での長期にわたるスト、二日間のゼネスト、政府ビルと市役所の占拠が起きた。この暑い一〇月は、テクノクラートの下での「国民統一政府」を支持してPASOK政権が辞任することを余儀なくさせた。
 二〇一二年二月には、アテネでの五〇万人におよぶデモに続いて、さらなる二日間のゼネストが起きた。警察は残忍な弾圧を行った。不幸なことにこの大規模で長期におよぶ闘争は、勝利を達成することができず、二〇一二年二月に調印された二度目の「メモランダム」を阻止できなかった。
 それ以後にもなお重要な闘争が存在している、大鉄鋼工場での九カ月スト、公共交通のスト、大学職員の三カ月スト、自主管理の経験(VIOME工場、ERT――以前は公共TV局で一年前に暴力的に閉鎖され二五〇〇人が職を失った)。経済省の女性清掃労働者の長期ストはいまも続いている。電力の民営化に反対する大闘争が始まろうとしており、この闘争はきわめて重要なものとなりうる。しかしわれわれは二〇一二年以後、闘争の相対的後退に直面している。このことは、左翼の最大政党であるSYRIZA(シリザ=急進左翼連合)が採用しているもっぱら議会主義的な戦術と無関係ではない。

こうした情勢の中で大きな例外がある。大規模な反ファシスト運動である。二〇一二年五月、六月の選挙で左翼改良主義政党のSYRIZAが初めて第二党になった時、ナチス政党である「黄金の夜明け」は衝撃的にも七%を獲得し、一八の議席を得た。ナチ党はその後も、強化され続け、移民、共産主義者、アナーキスト、労組活動家、同性愛者に対してますます暴力的になっている。それへの対応として多くの都市や地区で反ファシストのイニシアティブと集合体が結成され、そうしたグループを組織する上でアナーキストと反資本主義者が重要な役割を果たしている。一部の労組も反ファシストのイニシアティブを取っている。最初のうちこの運動は、危険で厳しい条件下で展開されていた。
二〇一三年九月、反ファシストのヒップ・ホップ歌手であるパブロス・フィサス(キラーP)が「黄金の夜明け」の一団によって殺された。この虐殺事件は、怒りに満ちた大規模なデモの引き金となった。一週間後、厳しい警察の弾圧にもかかわらず、そして共産党とSYRIZA(国会に議席を持っている二つの左翼政党)の集会ボイコットにもかかわらず、三万人がナチスの事務所に向かってデモをした。ANTARSYAはこのデモにおいて大きな役割を果たした。
その結果、現政権(右派政党の新民主主義党とPASOKの連立政権)は、以前はスキャンダラスにもナチスに好意を抱いていたが、今やかれらを訴追せざるをえなくなった。「黄金の夜明け」の国会議員の半数は獄中にいる。街頭でのナチの攻撃は一掃された(すくなくとも当面のところは)、しかしかれらは選挙では依然として人気がある。

B 進行する深刻な危機

 ギリシャでの大衆運動の後退は長くは続かない、ギリシャのそして国際的な資本主義は、ありきたりの、そして平和的な手段によっては危機から抜け出すことはできない。かれらはいっそう厳しく勤労民衆を攻撃するだろう。ブルジョア政治システムは不安定化し、社会意識は液状化しており、左や右への突然の跳躍を可能にしている。
資本主義は労働者階級と被抑圧諸階層に提起する約束を持つことができない。反対にかれらは危機の圧力の下で、より厳しい緊縮政策を押し付けている。この四年間で労働者の一人当たりの所得は平均で四〇%減少した。公式の失業率は二八%だが、実際はもっと多い。青年の失業は約五〇%だ(私自身この一年半、失業している)。公共部門でもレイオフが起きている。失業者への給付はほとんどない。失業対策事務所は閉鎖されている。勤労者住宅協会は解散してしまった。銀行、国、年金基金への債務のため、住居などの資産の没収が驚くほど増えている。最低賃金は五〇〇ユーロ(約七万円)以下で、二五歳以下の労働者はもっと少ない。
政治的再安定化は不可能だ。二〇〇九年以来五回の政権交代があった。欧州議会選挙結果によれば二つの政権与党の得票率は合わせて三〇%であり、他方、左翼(SYRIZA、共産党、ANTARSYA)の合計は三五%になる。ファシストと極右は一三%という相当の票を獲得した。議会内のほとんどすべての政党(共産党を除く)が分裂を経験しており、議員たちは無所属になったり、ライバル政党に入ったりしている。この状況は、ブルジョアの政治的要員にとって容易に操作することはできない。反資本主義左翼にとっては大きな挑戦である。

C 反資本主義戦線が重要


こうした状況の中で、SYRIZAは欧州議会選挙で二七%近くを獲得し、第一党につけた。この結果は希望を生み出すものだが、同時に深刻な諸問題と危険をも創り出す。
第一に、SYRIZAは急速に右傾化し、欧州連合の資本家指導部と決裂するのではなく交渉を望んでいる。かれらは債務の帳消しを呼びかけるのではなく政府に反対するブルジョア政党(中道左派のDIMAR【民主左派】やさらに悪いことに極右の「独立ギリシャ人」)との大きな「社会救国」連合を提案している。またかれらは「あらゆる可能な手段」を取ってユーロ圏にとどまることを望み、緊縮政策と「メモランダム」を廃止するという約束を撤回した。そしてかれらが今言っていることは、緊縮政策は生産の成長が回復された時に初めてやめられる、ということだ。要するにSYRIZAは、危機のただ中でシステムの規則と訣別しまいまま資本主義の進歩的運営はなお可能だ、という幻想を抱いているのだ。
第二にSYRIZAは、選挙は情勢を変革する唯一の手段だという幻想を広げている。「政府打倒のためにわれわれに投票を」「いかなる勝利を達成するためにも唯一の道は左翼政権だ」というのがかれらのスローガンだ。このスローガンは、どんな勝利であれ(選挙の強制をふくめて)、それを実現する唯一の道は大衆的で戦闘的な労働者の運動であるにもかかわらず、大衆の間に来るべき選挙への受動的期待をもたらすことになる。SYRIZAは民衆の動員を望んでいないし、それをすることもできない。

 他方共産党は、労働者階級に基盤を持ち、SYRIZAよりも明確によりラディカルなプログラムを持つ、きわめて大衆的な政党である。しかし同党の強力なスターリニスト的伝統により、あらゆる内部的民主主義は妨げられている。大衆運動の中ではセクト主義的アプローチをすると同時に、あらゆる真にラディカルな闘争に、実践的には反対している。かれらは二〇〇八年の大暴動を非難した。かれらが言っているのは、党が強化される以前にはあらゆる勝利を達成できないということであり、こうして大衆の中に悲観主義を拡大している。
 したがって資本主義の危機の中で、われわれはよりラディカルな何ものか、大衆的な反資本主義左翼戦線を必要としている。

D ANTARSYAとは

 ギリシャでは危機の以前からすでに、草の根的な反資本主義的、革命的な活動家のかなりの層が、すでに存在していた。大学にはかなりの重要性を持つ反資本主義集団(EAAK――統一・独立左翼運動)があり、多くの職場、とりわけ公共部門(パレンバシス――「積極的関与」)、地域にもそうした活動家集団が存在していた。こうした集団ないし政綱グループは、以前にも幾度かの機会にそうであったように二〇〇六年、二〇〇七年の大衆運動で中心的役割を果たした。
さまざまな起源をもつ最左派と革命的グループの一団が大衆的運動や反資本主義集団に関与したが、かれらの活動は多くの場合、別々になされていた。これはある矛盾・逆説を生み出すものだ。反資本主義左翼の役割は闘争や労働組合活動の中で重要なものだったが、全国レベルでは可視的なものにはならなかった。
可能な反資本主義連合へのプロセスは、すでに一九九〇年代末から始まっていたが、それは不成功のままにとどまっていた。二〇〇七年、われわれはついに二つの独自の反資本主義戦線、ENANTIAとMERAを結成した。二〇〇七年の全国選挙ではそれぞれが約〇・一%という成績だった。私たちの組織はそもそもの初めから、この二つの戦線の統一を後押しした。
二〇〇八年一二月の暴動が転換点だった。多くの反資本主義左翼の活動家がこの暴動に積極的に参加・活動した(この点でSYRIZAや共産党と異なっている。SYRIZAは運動を口先だけで支持したが、共産党はもっと悪いことにこの暴動を非難したのである)。しかし反資本主義左翼は中心的役割を果たすことができず、アナーキストの影響力を凌駕して、運動をラディカルな政治的方針に導くことができなかった。英雄的行動や、立派な・しかし小さな組織だけでは、この時期の挑戦にとって十分なものではなかった。
危機が到来し、新しい社会的爆発が起こり、反資本主義戦線が出発する新しいプロセスが始まることは明白だった。二〇〇九年二月、バスケットボールの競技場に約二〜三〇〇〇の反資本主義活動家が結集する大衆集会が開催された。そのほとんどが二〇〇九年四月に創設されたANTARSYA(反乱、あるいは体制打倒のための反資本主義左翼連合)に参加した。
(つづく)



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