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    かけはし2015.年6月8日号

アラブの春の大義を見失ってはならない


反革命の総決起と周到な言説操作

民衆の民主的で公正な社会への
熱望こそ左翼が防衛すべきもの

ハミド・ダバシ


 二〇一〇年末に爆発したアラブ革命の波は中東全域でそれまでの支配秩序に重大な危機を作り出したが、民主主義と公正な社会を求める民衆の熱望は今様々な困難に直面している。そしてサウジアラビアによるイエメン空爆が中東地域に新たな混乱を加えている。事態のこのような展開の中で、アラブ民衆の熱望はともすれば世界の視界から消される傾向が生まれている。以下のイラン系米国人研究者(イラン、アフワーズ生まれの六三歳)の論考は、このような傾向に断固として立ち向かう必要を訴えている。そしてその切り離せない一部として、欧米左翼の一部が民衆の熱望に敵対的であることに対する強い憤りも示されている。言及されることが少ないイランを背景にもつ論者の観点であることを含め、アラブ革命をあらためて考える一助として紹介する。(「かけはし」編集部)
 アラブの春の諸革命が中東の現状に脅威を与えて以来、さまざまの専制者、その同調者、さらにさまざまの過激派たちが民衆が作り出した成果を巻き戻そうと挑んできた。
 米国、欧州、さらに地域の同盟者との積極的な協力による、イエメンに対するサウジアラビア軍の空爆をもって、アラブ革命の息吹に立ち向かうために決起した反革命諸勢力は今最高速ギアに切り替えているが、それゆえその動きには時を置かない評価が必要となっている。

同じ目的をもつ一〇の支配政権


パキスタンの欲得づくの軍は、反動的なアラブ諸政権の隊列に加わりつつ、今や非妥協的な君主どもを守るために正面切っていつでも役に立つべく位置につかせられている。
パキスタンには、パキスタン民衆の意志に反してそのような任についた長い歴史がある。近年の一分析によれば、「一九六〇年代までさかのぼる日付けの中で、パキスタンの経験を積んだ軍は、一定数の駆け出しの国家に生まれた準備不足で人員の不十分な軍の訓練を助けた。元パキスタン大統領のジアウル・ハクはかつて、パレスチナ戦士との戦闘を任務としたヨルダンの一部隊を指揮することまで行った」。
われわれは、その反動的な方向を逆転させることはできないかもしれないとしても、しかしそれを正確に読み取り記録しなければならない。民主的に選出された政府に反対した軍事クーデターから生まれたばかりのアブデル・ファタアル・シシ将軍は、主権をもつ国民国家に対するサウジの侵略を支援し、イエメンに軍隊を送る約束を行っている。何しろ、反革命のもっとも不快な諸勢力が意味するものはビジネスなのだ。
イエメンに対するサウジの軍事的攻撃は、反革命諸勢力のより大きな構造を表している。いくつかの報告によれば、「サウジアラビアは……一〇ヵ国の連合と協調する空爆に乗り出すことでイエメンでの軍事作戦を開始した。これらの攻撃は、イエメンが何カ月かの混乱の後内戦の瀬戸際まで突き進みつつあった中で、フーシ運動と連携した戦士たちと軍部隊が南部のアデン港を転覆させる怖れが出てきた中で現れた。ちなみにこのアデンは、包囲された大統領のアブドラッボ・マンスール・ハディが潜伏を検討したことがある場所だ」。
一〇カ国とは一〇の国民ではない――「人民は体制打倒を求めている」と、全世界が聞き届けるよう彼らが求めていたことを考えるならば、これらの国民が打倒するつもりになっている一〇の支配政権なのだ。われわれの現実に対する政治的話法を変えることは、反革命が達成しようと追い求めていることであり、われわれはそれに屈服するわけにいかない。
イエメンの重要な少数派はザイディ・シーアだが彼らは、フセイン・バドレッディン・フーチ指導の下で、自身の地域派遣を求めるイランイスラム共和国の積極的後援を得て急進化するほどまで、サウジによって痛めつけられた。
サウジ政権とイラン体制は今、イラク、シリア、レバノンで正面対立を見てきた同じ戦略的かつ地域的優位性を求めて、イエメンで代理戦争を戦っている。
しかしそれは、何百万人というイエメン人が多くの街頭に溢れ彼らの革命を始めた時、サウジとイランの支配体制が今公式化し慣例化したいと願っているものとは完全に異なった政治的ビジョンが働いていた、という歴史的事実を変えるものではない。
サウジアラビアとイランの支配階級の利害は、地域に対する彼らの覇権主張の中で敵対している。しかしそれらの利害は、アラブの諸革命を彼らの利害に沿って脱線させようとのそれら相互の意図に関してはまったく同じだ。それを知るためには、サウジ侵略の理解に、より大きな参照枠組みから近づく必要がある。
イエメンに対するサウジの空爆は、その逆行的利権に合うよう地域を支配し、アラブの諸革命の方向を変えるために反動的な君主どもが彼らの軍事力を使う最初の例ではない。
まさに四年前の二〇一一年三月、アラブの諸革命の始まり直後、サウジ政権は、その革命の熱望を鎮圧するためにバーレーンに対するもう一つの軍事攻撃を始めた(英国からけしかけられ、また援助され)。
当時すべての者はこの軍事侵略を、バーレーンの革命的熱望を決定的に敵として始められた、と見た。
しかし今日、サウジ―イランの宗派主義と権力亡者は、この軍事攻撃に異なった回転を与えることに成功した。今必要不可欠となっていることは、われわれが、バーレーンに対する二〇一一年三月の侵略とイエメンに対する二〇一五年三月の侵略を同じ反革命の運動として見ることだ。

反革命勢力とは何であり誰か


サウジの軍国主義(米国、欧州、そして地域の連携者からは全面的に承認を受けた)を孤立したものとして評価してはならない。
過去四年作動している別の、同じく有害な反革命の勢力が諸々ある。それは同じ注意を必要とし、それなしには、サウジが生み出す物語がそれらの冒険主義政治を支配し、それらのもっとも暗い推進諸力の中でアラブ諸革命の歴史的方向をねじ曲げるだろう。
サウジの軍国主義を引き起こし枠付けるまでに結集してきたこれらの反革命諸勢力は誰であり何であるのか? われわれは少なくとも四つの特に強力かつ危険な要素を識別できる。
真っ先に上げられる第一番としてアラブの革命は、この地域に対する米国の帝国主義支配、並びに米国の欧州とイスラエルのパートナーからレセプ・タイップ・エルドアンのトルコとシシのエジプトへと、またそこからさらに先まで広がる諸国に連なる米国の積極的消極的連携者すべてを危険にさらすことになった。オバマ大統領とエルドアン大統領は、諸革命の当初、アラブの民衆の意志に対してリップサービスを送ったこともあったかもしれない。またイランの支配的聖職者たちは確実に、その革命にイスラム主義的回転を与えようとした。
しかしこれらの利害関心すべては同時に、地域のまさに政治的DNAを代えるためにギアを入れられたアラブの蜂起によって危険にさらされたのだ。そしてその蜂起は、コバニの模範の上にクルドの熱望を解放した同じ方法をもって、イスラエルのレイシズム的アパルトヘイトをも危険にさらした。
イスラエルはこの反革命症候群の一部となっている。ネタニヤフは、二〇一四年七月にガザを爆撃しさらに多くのパレスチナ人を虐殺したが、それがまさに一年前の二〇一三年七月のエジプトにおけるシシの軍事クーデターに応じるものでなかったとすれば、敢えてそうはしなかったと思われる。そしてシシのエジプトにおけるクーデターも、ガザにおけるネタニヤフの残虐行為も、米国の情報と承認なしには起き得なかっただろう。
次にそしてもっともたちの悪いものとしてくるのは、イスラム国集団(以前はISISとして知られていたIS)、アルカイダ、ボコハラムなどの殺人的陰謀だ。これらは、もっとも血に飢えた反革命勢力であり、アラブ革命の市民的かつ完全に非暴力の発展方向を妨害している。
これらのちんぴらと武装強盗からなる軍事集団の各自には僅かに異なる系列関係がある。しかしそれらの中で群を抜いてもっとも反革命的な勢力はISだ。それは、米国が主導したイラク侵略とそこに発端をもつ脱バース党化の進展、平和的なシリア蜂起に対するバシャール・アルアサドの残忍な抑圧、サウジが主導する憤りと一体となって地域に戦闘的な宗派主義を注入したイラクとシリアにおけるイランの介入を含んだ、一定数の合成的な諸要素から産み落とされた。
そして火事場泥棒を働くイスラエルの介入があり、それは、パレスチナ人からさらに多くを盗み取り、いっそう多くのパレスチナ人を虐殺することに帰着した。ISは、反革命諸勢力の主張と方向を「テロとの戦争」に変じさせる反革命勢力の典型だ。
三番目は、サウジとイランの間にあるこの地域の支配権をめぐる熱を上げた競合関係であり、それは、それがなければ完全に非宗派的であり、決定的に一国的偏見にとらわれない革命の環境を、悪質な宗派的敵対性に変えてしまった。
ここでは、イランの影響力に抵抗するために武装したちんぴらに大量の資金供与を行っているサウジと同じ程度で、イラク、シリア、レバノンの光景に対するイランの支配が多くの点で反革命の犯人だ。
これらの革命へのシーア―スンニという要素の導入はまさに、地域派遣を求めるサウジ―イラン競合関係の直接的結果であり、それは、イスラムの相互に補い合う二つの支流とは絶対的に無関係だ。
イランは「シーア世界の指導者」であり、サウジアラビアは「スンニ世界の指導者」である、という愚かな想定と繰り返される言説は、われわれの生きた諸経験の現実を絶対的にねじ曲げている。
専制的なイスラム共和国あるいはサウジ王家の反動的な部族主義のためには誰も死んだわけではなく、それを何ごとかのまた誰かの指導者には誰一人しなかった。それら双方の支配的家族の上に張り付いた厄介ものこそ、緑の運動からアラブの春にいたるアラブ人とイラン人の自由への叫びだった。

欧米の一部左翼も反革命に奉仕

 四番目だが、アラブとムスリムの革命の熱望および理想に反対して精力的に活動し書いている反革命勢力の数え上げは、特に騒がしく、レイシスト的で、道義的に腐敗し知的に破綻した、欧州並びに米国の「左翼」諸グループを含めることがなければ決して完成しない。こうした部分はかつてから今日まで、バシャール・アルアサドやムアム・アル・カダフィのような殺人的専制者を積極的に弁護してきた。
この救いがたく無学かつ病的に道義性を欠いた出しゃばりを「左翼」であるとの常軌を逸した主張と一体として内に抱えた小さな集団は、これらの諸革命には原則にかなった貢献など一切行わず、バシャール・アルアサドの類の専制的な見苦しい存在を積極的に支持して一貫して書いてきた。そこでの装いは、帝国主義に対する不条理かつ下手くそな、また未熟な読み取りであり、それを彼らは、高校生の年月以来オウム返しにして――こうして、帝国主義に反対し同時に専制に公然と反抗する多数の従属節を備えた単一の一文をつくることもできないまま――きたのだ。
彼らは、無学、無能力また道義性を欠いた中で、批判的な思考の上で彼らを置き去りにし、これらのレイシストに対しては軽蔑以外の何ものももてない、そうしたアラブとムスリムの左翼の者たちに対し特に怒りをあらわにしている。
これらのレイシスト的で白人優位主義かつ質の落ちた「左翼」にとって唯一の良いアラブ人やムスリムは、死んだ――シリアやその他にいる彼らのお好みの専制者が設置した地下牢で生きたまま焼かれ虐殺され、また拷問された――アラブ人とムスリムだ。
左翼と認められているアラブ人やムスリムのある者が、先の「左翼」の痛ましい視野を超えた、そして彼らの壊れたバイオリンに対し第二バイオリンを弾くことを拒否する、そうした声や考えや批判的想像力をもっているならば、彼女ないし彼は、彼らから間違ったやり方を取り上げ、彼らを彼らのビジネスからはじき出すだろう。
彼らは見下げ果てた白人優位主義的レイシズムの中で、単なる高校卒業証書や生焼けの大学教育を基に、あるいは哀れを催す自分の母語利用で事足りるとする視野の狭さを通して、指導的なアラブ人とムスリム思想家たちに、彼らを彼ら自身の批判的思考や世界史的できごとの行く末を描くことのできない子どもだと考えつつ、帝国主義の意味を教えることができる、と幻覚を起こしている。
彼らは、彼らが支持する専制者たちがその殺人的抑圧の点で耐え難いと同程度に、レイシズムの点で不快な存在だ。

使命は前に控える道の鮮明化


現在の反革命の動員は表面上狼狽を起こさせるものかも知れない。何しろ米国は、イランが背後で支援するシーア派のフーシ勢力とイエメンで戦闘するサウジを今支援しているが、その一方イラクでは、イランが背後に控えるシーア派がISと戦うことを助けている。しかしそれは混乱ではない。
米国、イラン、イスラエル、その他にいる支配階級の利害には、単一で共有されたものがある。つまり、アラブとムスリムの諸革命を妨害し脱線させ、それらを永続的な宗派主義的内ゲバへと引き込む、ということだ。
われわれがもし頻繁に移り変わるメディアの大見出しによって決定される議論に余地を与えるならば、われわれはこの歴史的な時代の光景を見失うことになるだろう。サウジ―イランの地域的競合関係は、この光景を隠す煙幕のたちの悪い一片だ。われわれは見せかけを見抜かなければならない。
サウジアラビアは、イランとの核交渉をさえぎるために今回のイエメン攻撃を始めるにいたった。そしてこの点では、退行的な王国とその連携者たちは、イスラエルと固く連帯している。
以下にあげる日付を批判的に深く考えてみよう。すなわち、米国議会における三月三日のネタニヤフ演説、三月九日にイランに送られた共和党四七上院議員の書簡、そしてイエメンに対する三月二五日のサウジ主導による空爆はすべて、三月三一日までとして浮上してきた米国―イラン核交渉の最終期限を無効化するためばかりではなく、はるかにもっと重要なこととして、アラブ世界の革命の力学を地域紛争と宗派主義へと変えるためにも、たちの悪い反革命の力に統合されている。
二〇一〇年におけるアラブ諸革命の台頭と二〇一五年の今日の間でわれわれが生きている時代は、マルクスが共産党宣言を書いた一八四八年の諸革命を通じた「諸国民の春」の台頭と、一八五二年のマルクスの著作「ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日」で頂点をなした反革命諸潮流の台頭の間に欧州が経験した時代を偲ばせる。
マルクスは早くも一八五〇年に、革命の勢いは終わったとの結論に達した。「マルクスの政治的諸著作」のペンギン社版(一九七三年)への序文の中でデヴィッド・フェルンバッハがこの中間期に対するマルクスの気持ちを概括したように、「最初は二、三年の問題と見えたものは今、何十年単位で考えられなければならない」。
グローバル資本主義という環境とその周期性の危機は、マルクスの時代にあったものとは今日を非常に大きく異ならせている。それは反革命諸勢力の反逆についても同じであり、必然的に「革命」に関するわれわれの考えそのものや、その解答が確定されてはいない諸々の可能性についても、そうでなければならない。
欧州における一八四八年の諸革命の前後に起きた出来事に対するマルクスの想像力に満ちた評価からわれわれが学ぶべき教訓は、革命の主張に対する献身と決意において彼が断固さを保った、ということだ。
イラク、シリア、そしてイエメンの中を歩き回っているISとアルカイダ、そしてインターネット上で騒ぎ立てている親大量虐殺かつレイシストの欧米「左翼」が同時に現れ、この地域とさらにその先の反革命諸勢力の両端を区切り、それら全部をひとまとめにしている。それらはただ一つの使命を共有している。つまり、これらの正統性ある革命の主張と進展を否認し、脱線させることだ。
それらの間の中で、この地域の真の軍事諸勢力、米国とその同盟者からイランとサウジアラビアの宗派的権力亡者へと連なるそれが、この地域の日常的な政治の力学と議論そのものを変えるために、いかがわしい同盟をつくっている。
彼らは爆撃と破壊という彼らの方法で毎日の大見出しにうまいこと入り込んでいる。この時代の革命的思想家のただ一つの使命は、そうした反革命勢力の仕事を解体し、われわれの民主的な未来という熱望と理想を生き続けさせることだ。

▼筆者は、ニューヨークのコロンビア大学のイラン研究と比較文学のイラン系米国人教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年四月号)   



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