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    かけはし2015.年6月15日号

人々の心と魂 決定的に勝ち取る


パキスタン

熱気に満ちたババ・ジャン選挙キャラバン

民衆の力示す前例のないショー

ファルーク・タリク

けわしい山道
をたどる車列


 それは、ババ・ジャン選挙キャンペーンのもっとも魅惑的な日々の一つだった。われわれのキャラバンは、フンザ峡谷のアリ・アバドから始まることになっているキャラバン本隊に加わるためにギルギットから始まった。このキャラバンが始まった時には、一握りの同志がいただけだったが、三〇分もしない内に、オートバイや二、三台の自動車に分乗した一〇〇人以上となった。
この選挙区の様々な地区から出かけてきた他のキャラバンと合流する集合地点に到着した時われわれが見たものは、数百台の自動車、トラクターそしてオートバイだった。それらは、「君のいのちはわれわれのいのち、ババ・ジャン、ババ・ジャン、闘争続行」とスローガンを連呼する若者たちで一杯だった。
われわれは、フンザ川に沿った極めて細い小道へと入り込んだ。一方は山々、他方はフンザ川に深く落ち込む。道幅は、一台の車がやっと通りすぎることができるだけだった。それはまさに恐ろしい道だった。
ババ・ジャンは、彼の同志の一人に獄中から頼み込み、私を危ない目に合わせないよう注意を払い、このような狭い道で車を運転させないように、と言っていたのだ。こうして現地の一人の同志がわれわれの車を引き継いだ。われわれは何度か、木橋で車を川の対岸に安全に渡すために、すべての荷物を下ろして車も降りなければならなかった。それらの木橋は、欄干などまったくない心許ないものであり、私は、フンザ峡谷というこのもっとも風光明媚な村人たちがどれだけ危険に満ちたくらしをしているのかに驚かされた。

革命的キャラバ
ン待つ熱い歓迎


われわれが最初の村であるイーサン・アバドに着いた時、そこには真っ赤なサクランボのような果物があった。村人全員が外に出てわれわれを歓迎していた。ラホールのサクランボは恐ろしく高価であり、少しも新鮮でない。ここでは木から新鮮なままつまむことができた。われわれはみんなそれを楽しんだ。
われわれは村の老人たちに歓迎された。彼らは私にスピーチを頼み、数百人の村人がここの学校の小さなグランドに現れた。われわれはいくつものスローガンで声援を受けた。地方との連帯を表すためにラホールから誰かがこの村に来るなど、初めてのことだったのだ。
私は、PPP(パキスタン人民党)の指導者たちの破綻について語り、ババ・ジャンを治安妨害で訴追したことを批判した。「ババ・ジャンは闘争と犠牲の象徴だ、資本主義から社会主義への社会変革に向けた彼のエネルギーに匹敵できる者は誰一人いない」、立ち上がって跳ね回る若者たちと一体となって私はこう語った。私は心を込めて発言を続けた。
こうしたことは次の二つの村でも繰り返され、ここでは、ババ・ジャン選挙キャンペーンの事務所開設も頼まれた。ここでの一つの集会には、二〇〇人以上の女性が参加し、私は、女性の参加なしにはわれわれがこの戦いに勝つことは決してできない、と語った。
人びとに語るためにそこここで数分止まりながら狭い道を二時間近く運転した後、われわれは中国に通じるカラコルム幹線道路に戻った。
次いでわれわれは、ババ・ジャンの生まれ育った村であるナシル・アバドを通過した。われわれにはそこで止まる時間はまったくなかったが、赤旗、帽子、ババ・ジャンの写真を携えた革命的キャラバンの通過に、ことごとく子どもを連れた女性たちが列を作って合図を送っていた。
われわれはラホールからAWP(アワミ労働者党)の帽子を二五〇個ほど、さらにステッカー、ポスター、などをもってきていた。帽子はわれわれから取り上げられ、みんなが旗と帽子を求めていたが、それらはすっかりなくなっていた。

タクシー組合
車を無償貸与


そしてわれわれはアリ・アバドに着いた。この町は、二〇一〇年に起きたアッタ・アバド湖の犠牲者(大規模地滑りの:訳者)に対する公正な補償を求め抗議活動中だった父親とその息子二人を警察が殺害した際、二、三日間民衆の支配の下に置かれた。
ババ・ジャンはその蜂起を率いた。そしてそのことで重い対価を払わなければならなかった。彼と他の一一人には二つの終身刑が宣告された。彼は一つに対しては無罪を言い渡されたが、終身刑に反駁する彼の訴えを審査する間今も獄中にいる。そして彼は今この選挙に獄中から挑み、われわれ全員が彼の不在の中この運動に参加しているのだ。
この時までにわれわれの元には、三五〇台ほどの自動車と、同じく若者たちを乗せたトラクターと共にオートバイに乗った数百人がいた。現地のタクシー運転手組合はボランティアで全車両をもってくるよう告知していた。旅行シーズンがたけなわとなっていたこの時に、この組合によるそうした行為は前例のないものだった。ある一人は「選挙期間中普通君たちは金持ちの候補者からカネを稼ぐのに、ここでは参加するためにカネを使っている」と言った。
それはまた民衆の力を示す前例のないショーでもあった。この地域全体は歴史を通じて、このような大衆的キャラバンを見たことは一回もなかった。
それは、議会野党指導者のクルシッド・シャーを含むPPP候補者の指導部が一日前アリ・アバドで動員できたものよりも、はるかに大きな集会だった。そこにわれわれが現れると、人びとは屋根に上り手を振っていたが、それは女性と子どもたちだった。
われわれは、カリム・アバドで午後六時頃に予定された最終集会に集まる前、もっと小さな町の二つに向かった。それは、この選挙区のPMLN(パキスタンムスリム連盟・ナワズ)候補者にとって本拠地の町だった。この候補者はフンザ峡谷の元支配者の息子だが、その元支配者はフンザの主人として知られ、血なまぐさい金持ちだ。

女性たちも集会
に公然と初参加


一つの革命が昨日目撃された。これまで公然とは参加したことがなかった女性たちが、このカリム・アバドの丘にあるグラウンドで何時間もわれわれを待ち座っていた。観光客すらもわれわれに合図を送った。
われわれの中では二、三人が発言した。私は、最終発言者として立ち、ババ・ジャンが理由でギルギット・バルチスタンは国際的に知られていると知らせた。 ババ・ジャンと彼の同志たちの処罰に反対し抗議する連帯行動が二三ヵ国で行われている。彼に関する記事は数カ国語に翻訳されている。またババ・ジャンは一人の国際的人物となっているのだ。
私は、PPPはこの選挙ではじき出されかかっている、その指導者たちがもっとも腐敗し、ババ・ジャンの投獄に責任がある、そうした党のためにあなた方の票を無駄にするな、と語った。また、イムラン・カーンのPTI(パキスタン正義運動)が掲げる変革のスローガンは偽物だとも語り、金持ちが貧しい民衆の生活にどのようにして変革をもたらすことができるのだろうか、と問いかけた。 「ガワデルから中国に通じる道路建設という最新の構想、一四七〇億ドルもの構想で、PMLNはギルギッド・バルチスタンに相応の役割を与えてこなかった。ババ・ジャンは民衆の本当の声だ」と私は語った。PMLNは民族的権利の利己的利用に責任があるのだ。

ババ・ジャンへ
の群を抜く敬愛


われわれの弱さはわれわれが三五議席の議会に対してたった一人の同志しか候補者をもてていない、ということだとも語った。しかし私は、ババ・ジャンが勝利するならば、次の選挙でAWPは全選挙区に挑むつもりだ、と約束した。「ここでわれわれはくらしの進路を変えるだろう。パキスタン社会主義革命は、ババ・ジャンの勝利から始まる山々の連なりを通して、ここから口火を切るかもしれない」、私は歓呼する二、三〇〇〇人の群集にこう語った。
この大衆集会にはアクタル・フセインもかけつけた。AWP首席副党首の彼は、カラチから道中を続けてきた。ババ・ジャンの妹であるナツネーンも参加し、彼女は、このキャンペーンへの女性の参加について発言した。
それは私の人生で比類のない経験の一つだった。私は、ここを超えるような一人の同志に対する敬愛をめったに見たことがない。彼が選挙に勝てるかどうかは分からない。しかしわれわれは、人々の心と魂は決定的に勝ち取ったのだ。
カネが票を買い取る主な基礎となっているパキスタンのような社会で選挙に勝利することに、ババ・ジャンはどれほどのチャンスをもっているだろうか? それを知るためには依然六月八日を待たなければならない。しかしババ・ジャンは、パキスタン内外から彼が生み出したあらゆる支援をテコに、ギルギット・バルチスタンにおける労働者階級のもっとも人気のある指導者として、牢獄から現れた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年六月号)  

ペルー 

多国籍銅鉱業企業への民衆的抵抗

採掘計画撤回求め
人々は闘争を継続

 五月一六日ペルー南部地域のコカチャクラで、農民と労働組合員たちが、物議を起こしている米国・メキシコ多国籍企業のサザンコッパー社のティア・マリア鉱山計画を止めるための闘いを継続するために行進した。
 この行進は、六〇日という一定期間採掘計画を中断する、という前日のサザンコッパー社の決定に対する直接的対応だ。五二日間の連続的抗議と暴力的弾圧にもかかわらず、この多国籍企業が一四〇億ドルの計画から撤退することを拒否したがゆえに、諸々の抗議活動は続いている。
 ペルー、タンボ渓谷の農民代表のアウグスト・パレデスはテレスールに「われわれは無期限ストライキを継続する。サザンコッパー社は腐敗した企業であることが判明している。だからわれわれはこの採掘計画を拒否する。われわれは今すぐこの計画を撤回するよう求める」と語った。
 計画に対する反対は当初二〇〇九年に始まった。現地の農民たちは、この地での銅鉱石採掘は穀物を汚染しそれを破壊するだろう、と主張する。
 ペルー大統領のオランタ・ウマラは一四日、「国家は法によって定められていない一方的な決定を採用することはできない。それは国家を法的な苦情申し立ての前に引き出し、司法的にまた経済的に双方の点で恐るべき作用をもたらすだろう」と説明、採掘計画は停止されないだろう、と語った。
 抗議に立ち上がっている者たちに対し、政府として行動する意志のなさは、アウグスト・パレデスがテレスールに語ったことだが、ペルーでは「多国籍企業が支配している」ことを暴露する。彼は「回答を提供する必要がある者は大統領だ。なぜならばわれわれ全員、ペルー市民は彼を選出したからだ。しかしわれわれは、政府は多国籍企業を守るだけだ、ということをあらためて知り、あらためて実感している。政府の諸政策は民衆に敵対し、ペルー市民に敵対して進んでいる」と続けた。
 一六日朝、街頭は木々と石で封鎖された。
(テレスールより)(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年五月号)

訳注)テレスールは、カラカスに本社を置く中南米対象のテレビ局。CNNなど既成エリート支配のメディアに対抗するものとして、ウーゴ・チャベスが設立、二〇〇五年七月二四日放送開始。 


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