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    かけはし2015.年6月15日号

4・18市庁・光化門集会の再現


6重の車壁、「人権無知」の警察

180度の半径を放水・カプサイシン催涙液発射

 塞ぎに塞いだ。ソウル市庁広場から光化門までは1・2q余りの距離だ。大人の足で20分もかからない。4月18日、その空間には6重の壁が作られた。警察が作った壁は高さ3mを超える警察バスとプラスチックの構造物で堅固だった。道路をふさぎ、歩道をふさぎ、人間をふさぎ、車をふさいだ。渡って行くことも渡って来ることもできなかった。
 セウォル号惨事の遺家族は市民たちと分離され、孤立化された。政府は警察バスの車壁で市民らと分離した。集会の自由と通信の自由は車壁と放水銃の前で、存在の理由を問うた。4月18日を再構成した。

午後3時30分:車壁設置


チェ・ウナ氏は午後4時になる前、ソウル市庁広場に来た。ソウル市庁広場では午後3時から市民らがセウォル号遺家族と共に沈没の真相糾明と犠牲者を追悼する汎国民大会、青瓦台(大統領府)を人間の鎖で包囲する行事があった。セウォル号集会人権侵害監視団のチェ氏は光化門前で籠城中の遺家族らを取り囲んでいる車壁を確認し錯雑した思いでソウル市庁広場に向かった、と語った。
「午後3時30分から警察の兵力が集中し、車壁が堅固に作られていた。光化門から遺家族らが連行されているという知らせが伝えられると、司会者が集会を中断し行進をしようと呼びかけた」。
集会の参加者たちが世宗大路交差点に向かった時、既に警察の6重にわたる車壁はそびえ立っていた。チェ氏がタクシーに乗ってやってきた道には通行の自由がなくなっていた。警察は道に沿って警察バスなどの車両を、人ひとりが通りすぎることもできないほどにビッシリと駐車させて「車壁」を作った。道がふさがれると集会の参加者たちは鍾閣駅へ、曹渓寺へ、安国駅へと流れた。行く場所ごとに車壁があり警察がいた。チェ氏は「警察に(道をふさいでいる)車壁は『違憲だ』と言ったけれども誰も聞かなかった」と語った。
2011年、憲法裁判所は警察の車壁が違憲だという判決を下した。警察は2009年、ノ・ムヒョン元大統領の選挙当時にソウル支庁広場をバスで取り囲み出入りを阻んだことがある。市民らは憲法裁判を起こした。憲法裁判所は判決文で「通行の制止行為は個別的な集会を禁止することを超えて、ソウル広場で開催される余地のある一切の集会を禁止するばかりではなく、さらに進んで一般市民たる請求人たちのソウル広場での通行さえ禁止したもので、全面的かつ広範囲であり極端な措置であるので、このような措置は集会の条件付き許可や個別的集会の禁止や解散によっては放置することのできない急迫かつ明白にして重大な危険がある場合に限って初めて取ることのできるほとんど最後の手段に該当する」と判断した。
違憲判決は虚しかった。警察は憲法裁判所の判決を異なって解釈した。パク・チェジン警察庁代弁人は集会翌日のブリーフィングで「デモ隊などがある地点に集まるための力を集めていくために行動するものだから、防ぐことになったのだ。(車壁を)予防的に巡らしておいた部分は(憲法裁判での)判例に近いけれども、現存する危険を阻む不可避な行為であることを理解してくれ」と語った。セウォル号の追悼集会参加者たちを、現在する危険とみなして車壁を作った、という説明だ。
検察は「ソウル広場からデモ隊全体が(光化門を目指して)駆け出したのであり、その時点の4時30分頃に(車壁を)設置した」と発表した。警察がこの日、動員したのは車壁専用のトラック18台と警察バスなどの車両470余台、警察兵力は172個中隊1万3700人に達した。だが汎国民大会を主催した「4月16日の約束 国民連帯」(416連帯)が公開した「警察文献」を見ると警察は午後4時30分以前から、光化門広場に市民らが接近するのを封鎖することを決定し、ソウル市内の各所に車壁を作る計画を密かに立てていたことが明らかになる。
「4・18セウォル号国民対策会議文化祭における車壁ならびに安全フェンスの運用」と書かれたこの文献は、「光化門楼閣に流動(バス)9台」「世宗路南端・流動車壁 流動17台」「ノース・ゲート(政府ソウル庁舎前建物)〜ツウィンツリータワー(東十字閣前)入り口、流動38台」など光化門広場周辺を遮断する警察兵力の配置を詳細に描きだした。チェ・ウナ氏は「もともと要所要所に警察バスが配置されていて、車壁を立ちあげるには、それほど時間はかからなかった」と語った。集会が始まる前から国民の基本権を遮断する6重の車壁は作られていたというわけだ。
また、集会参加者たちが光化門前の遺家族に向かって近付いていったのを「現存する危険と考えた」という警察の説明も過剰反応に見える。パク・キョンシン高麗大法学専門大学院教授は「大法院は『集会の申告をせず、警察が進行方向を予測できない集会』であっても集会自体を禁止することはできず、集会の主催者が申告の不備についての責任を取るだけだと何度も明らかにした」と語った。警察は平和的に進められている集会の参加者を解散する権限はないというのだ。
むしろ警察の車壁による対応が集会参加者たちを興奮させた。当時、警察は昼12時40分から光化門前の遺家族周辺にあった車壁を補強し始めた。「車壁ならびに安全フェンスの運用」文献にあったように、びっしりと車壁を配列しようしていたものと見られる。遺家族と周辺にいた市民らはこれに抵抗、警察は抵抗する遺家族を連行した。
遺家族と共にいたパク・チュミン弁護士は「意思の表現をしようと出てきたのに、車壁を見れば意思の表現が遮断され怒る状態になる。トイレに行くこともできず水の供給が遮断されるなど、公権力は余りにもひどいという思いがする」と当時の状況を説明した。自身を取りまいている警察の車壁を見て抵抗せざるをえなかった、との説明だ。このような状況であるがゆえに集会参加者たちは一刻も早く遺家族の所に行こうとしたけれども警察はこれまた車壁によって封鎖した。

午後6時30分:放水銃

 集会の隊列は車壁に阻まれて光化門広場に向かう道を見つけられず右往左往した。セウォル号集会人権侵害監視団の活動家クァク・イギョン氏は光化門広場に人がいるという消息に、隊列とは離れて1人で曹渓寺方向に行ったと語った。
「警察が4列、5列の隊列で路地ごとに阻んでいた。1人で動いていたので道を阻まれなかった。警察がそっと開けた道を、回りに回って鍾路区庁と消防署のある路地を経て光化門広場にたどりつくことができた」。セウォル号追悼集会に参加しようとして地方から上京してきた人々は探すことのできない道だった。結局、ソウル市庁広場での集会参加者は3万人(主催者の推定、警察推定8千人)だったけれども、光化門広場には1万人(警察推定6千人)しか入ってこれなかった。
光化門広場に入って来た人々を迎えたのは警察の放水車だった。クァク氏は「市民らが車壁を避けて世宗文化会館わきの路地から光化門広場に入ろうとして警察と衝突した。この時から警察は放水銃とカプサイシンを撃ち始めた」と語った。午後6時10分頃、集会参加者たちは警察と衝突し、参加者たちは放水銃を浴びながら午後6時40分頃に光化門広場の北端まで進出した。集会参加者たちに残された車壁は、あと2つ。
集会参加者たちは車壁の後ろにいるセウォル号遺家族と合流するために警察車両の窓ガラスを破り、バスをひもで縛ってどかし道を開けた。これを見た「ロイター通信」ジェイムス・ピアスン記者はツイッターを通じて「(ヨーロッパで)警察が警察バスを、デモ隊を囲って鎮圧するのに使用するなら、おそらく撲殺が起きるだろう」と語った。西欧社会には、政府によって自身の主権が侵害されたと考える時に市民が選択する積極的な抵抗の方法として「市民の不服従」があり、これは「市民の抵抗権」として拡げられもした。国家が権力を乱用して市民を攻撃すれば、市民らは不当な権力に抗して自己防衛をすることができるという論理だ。
「最後に残った車壁に人々が迫ると、警察は引き続き放水銃やカプサイシンを狙い撃ちした」。クァク氏は、警察の放水銃の威力が半端ではなかったと伝えた。「散水車が真正面からデモ隊に向かって、一番左側から一番右側まで180度の半径で放水銃を撃った。若い女性はその衝撃で倒れた。水圧はものすごいものだった」。
クァク氏は警察の放水銃が胸以下の位置に照準を合わせることもしなかったと主張する。警察の放水銃運用指針は直射散水の場合、「安全を考慮して胸以下の部位を狙うようになっている」と明示している。2014年、憲法裁判所は放水銃の使用行為についての違憲申請を却下したけれども、イ・ジョンミ、キム・イス、ソ・ギス裁判官は少数意見で、これに反対した。この判決文は放水銃使用の危険性を指摘した。「近距離・直射散水の場合には発射者の意図であれ操作の失敗によるものであれ、生命や身体に致命的な結果をもたらしかねず、胸以下の部分のみ狙うようにしたとしても直射散水を受けることになれば姿勢が崩れたり倒れる過程で頭や胸に当たりかねないこともあり、胸以下の部分のみを狙うようにするという規定の実効性についても疑問だ」。

午後7時30分:連行


集会参加者たちはソウル市庁広場から光化門まで6重の車壁のうち5重の壁を突破した。光化門前の遺家族と参加者たちの間には警察バスで作った車壁の1列だけが残っていた。警察は集会参加者たちが青瓦台(光化門の後方)方向に行けないように鎮圧に乗り出した。セウォル号の遺家族21人、一般人79人など100人が警察に連行された。セウォル号集会人権侵害監視団として活動していたクォン・ヨングク弁護士も連行された。クォン弁護士は「警察と市民の間で仲裁をしていたのであり、いかなる暴力行為もしていないのに突然、捕まった」と語った。
集会中にひとりの青年が太極旗を燃やした。「朝鮮日報」など保守メディアは太極旗を燃やした写真を「大極旗を燃やしたデモ隊」という見出しと共に1面に載せた。保守メディアはセウォル号追悼集会を暴力デモと規定した。大極旗を燃やしたという青年は4月20日、インターネット・メディア「スロー・ニュース」とのインタビューで「無慈悲な公権力に対するうっ憤に耐えられなかった。殉国の烈士が血で守った大極旗を、公権力を乱用している彼らが持つ資格はないと考え、それを見せつけたかった」として大極旗を燃やした理由を明かした。
警察は連行された人々の携帯電話も押収した。一般人79人のうち42人の携帯電話を押収し、情報をのぞき見た。サイバー査察緊急行動は「通信の秘密は国民の基本権として、適法な手続きに従って最小限に制限されなければならないのに、携帯電話を奪い去り内容をすべてのぞき見るというのは人権侵害」だと警察を批判した。携帯電話を押収された人々は、警察が押収捜索令状をキチンと読む時間も与えなかったと主張した。携帯電話押収捜索令状を見たイン・フンミン弁護士は「どこからどこまで見ろ、という範囲が特定されていないなど、裁判所が令状を乱発した」とし、「携帯電話には個人の最も重要な私生活がすべて入っている。セウォル号犠牲者を追悼しようとしてやってきて連行された一般の参加者たちは自身のフェイスブックやEメールなど私生活がどれほどさらされたか分からず、極めて不安がっている」と語った。(「ハンギョレ21」第1059号、15年5月4日付、イ・ワン記者、キム・ソンシク記者)

セウォル号引き揚げ

遅れれば特調委の調査不可能も

9月開始で水中作業最少6カ月


全羅南道珍島郡孟骨水道の海底44mに横たわっているセウォル号の引き揚げ方式が確定し、来る9月頃に現場作業が始まる見通しだ。左側に傾いた状態のままで93個の鉄鎖を結びつけて3mほど引き上げた後、フローティング・ドックに上げ、切断することなしに丸ごと水面上に上げる方式だ。引き揚げ業者の選定(2カ月)と細部にわたる引き揚げ計画の樹立(3カ月)を含めて、実際の引き揚げまでは1〜1年6カ月がかかる。
4月22日、政府は17部署21人の委員が参加した中で中央災難安全対策本部の会議を開き、セウォル号の引き揚げ方針を最終確定した。パク・イニョン中対本部長(国民安全処長官)は「幾つかの危険や不確実性があるものの、技術的には引き揚げが可能だという技術検討の結果と遺族や国民の衆望を考慮して引き揚げることに決定した」と語った。
まず海洋水産部(省)は引き揚げ業者の選定作業に乗り出した。国内外の引き揚げ専門業者から技術提案書を受け、細部の評価を進める。経験が豊富な業者に対して3カ所を予め選定した後、交渉を通して1カ所を最終選定する予定だ。引き揚げ費用が1千億ウォンと推定され、厳しい競争が予想される。第1次候補に挙げられている業者はオランダのスミット(SMIT)、マーモット(Mammoet)、スピッツアー(Sviter)と米国のタイタン(Tian)、中国のチャイナ・サルベージ(CRS)、それに国内業者のサルッコ、コリアサルベージなどだ。これらの業者はコンコルディア号引き揚げ(スミット)、ロシアの核潜水艦引き揚げ(マーモット)、石精36号引き揚げ(コリアサルベージ)などの経歴がある。
引き揚げ業者が選定されれば9月から現場作業に突入する。孟骨水道の海上に作業基地を設置し、船体に残っている油を除去する。セウォル号に93個の穴(引き揚げ点)を開けて鉄鎖を連結する水中作業は潜水士が担う。引き揚げ点1つを確保するのに4人の潜水士が投入され、少なくとも3〜4日程度はかかる。海洋水産部は100人近い潜水士を投入するという計画だが、潮流が強く視野が混濁して水中作業だけでも少なくとも6カ月ほどは必要だ。水温が下がっていく11月から来年2月までは潜水が難しいがゆえに、本格的な引き揚げ作業は来年春に行う可能性もある。セウォル号が建造されてから20年が過ぎた老朽船舶だという点も頭の痛いところだ。引き揚げる時、古い船体の側面が丸ごと分解したり、作業の過程で穴ごとの腐食がひどくなりかねないからだ。
引き揚げの過程で部分的な失敗が起きたり気象状態が悪ければ引き揚げ期間は2年まで延長することができる。そうなれば費用は最大で2千億ウォンにまでなるものと推定される。海水部は引き揚げ費用をまず国家が支給し、セウォル号の船主である清海鎮海運が加入した船主相互保険に求償権を請求する方案を検討している。
引き揚げが遅れれば4・16セウォル号惨事特別調査委員会(特調委)の真相調査活動も困難が生じる。特調委の活動期間は1年6カ月に制限されており、核心的証拠物であるセウォル号の船体をキチンと調査できずに任期が終わりかねないからだ。クォン・ヨンビン特調委常任委員は「船内に復元できるデータがあるのかを確認し、(事故当時)救助が可能だったのかなどをシミュレーションしてみようとするならば数カ月は必要だ」と指摘した。これについて海水部港湾局長は「特調委の(真相)調査の有無は我々と関係ない。我々は技術的検討だけを行う」と語った。(「ハンギョレ21」第1059号、15年5月4日付、チョン・ウンジュ記者)


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