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    かけはし2015.年6月22日号

「憲法解釈」の根本的転換許すな


政府の「新見解」を批判する

御都合主義で立憲主義を否定できない


72年政府見解と
集団的自衛権


 六月四日の憲法審査会で、自民党推薦の長谷部恭男早大教授を含む三人の憲法学者がすべて政府が提案した戦争法案(国際平和支援法案、平和安全法制整備法案)を「憲法違反」としたことの衝撃は、確実に自民・公明の与党内にも広がっている。自民党内では、このままでは「説明がつかない」との声が上がり始めている。
これに対して、安倍政権は与党内の動揺を抑え込むために六月九日付で内閣官房、内閣法制局の名において「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」と「他国の武力行使との一体化の回避について」と題された二つの「政府見解」を発表した。
まず最初に「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」なる見解について。
同見解に言う「従前の憲法解釈」とは、一九七二年一〇月一四日に政府が提出した「集団的自衛権と憲法との関係」で示された政府見解のことである。
七二年政府見解は、「憲法第九条は『戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止している』が、前文で『全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、一三条で『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については……国政の上で最大の尊重を必要とする』と述べていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄してはいないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とするものだった。
しかし一九七二年の同見解は、「だからといって、平和主義を原則とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」として「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるをえない」とした。
すなわち、これ自体憲法に違反する自衛隊の存在を「個別的自衛権」の名において容認するものではあったが、さすがに憲法九条と「集団的自衛権行使」の両立には踏み込めなかったのである。

「安保環境変化」
で何でもあり?


しかし今回の政府見解とは、七二年見解を引き継ぐと称して、それを根本的に否定する「集団的自衛権」行使容認を正当化する離れ業をやってのける。その論理は「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしてもその目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」としている。
かくして「我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合において他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認める」ということになる。政府見解はそれをもって「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性は保たれている」と強弁するのだ。
なにが「論理的整合性」か。なにが「法的安定性」か。同じ論理に立っていると称しつつ、七二年見解は「集団的自衛権」行使を否定し、今回の見解は肯定するという一八〇度逆のものになっているのだ。
政府見解それ自体、昨年の集団的自衛権容認の閣議決定に基づく「新三要件」(@我が国、または我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求権が根底から覆される明白な危険があるAわが国の存立を全うし、国民を守る適当な手段が他にないB必要最小限度の実力行使にとどめる)がどのような事態に適用されるのかを、「あらかじめ具体的、詳細に示すことは困難」としている。
しかしそれは従来の自衛権行使の三要件の第一である「我が国に対する武力攻撃」について「あらかじめ定型的、類型的にお答えすることは困難」と述べてきたことと同じなのだから「新三要件は、従前の憲法解釈との論理的整合性等が十分に保たれている」と居直る始末なのだ。
他方、二つ目の政府見解である「他国の武力行使との一体化の回避」については、まさに木で鼻をくくるようなものである。
「今回の法整備は、従来の『非戦闘地域』や『後方支援』といった枠組みを見直し、@我が国の支援対象となる他国軍隊が『現に戦闘行為を行っている現場』では、支援活動を実施しない。A仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が『現に戦闘行為を行っている現場』となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する」。だからこれによって「『一体化』の回避という憲法上の要請は満たすものと考えている」。
戦闘行為=武力行使を行っている他国軍隊への補給・支援は武力行使の一部ではないのか? ここでは「一体化の回避」という論理がそもそも成立しないのだということをあらためて確認する必要があるだろう。

砂川最高裁判決
とは何だったか


今回の政府見解は、昨年の集団的自衛権行使容認の閣議決定と同様に、一九五九年一二月一六日の砂川事件最高裁判決が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない」と述べていることを取り上げ、砂川最高裁判決は「個別的」「集団的」を問わず自衛権を認めたもの、と強弁している。
昨年の集団的自衛権行使容認閣議決定を取りまとめた高村正彦自民党副総裁は、圧倒的多数の憲法学者が今回の戦争法案を「違憲」としていることに苛立ちを深め、「憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない」と砂川最高裁判決の独自の解釈にしがみつき、憲法学者の言うとおりにしていたら平和を実現できなかったと毒づいている。
高村が持ちだした砂川最高裁の判決の解釈は、今まで誰ひとりとして思いもつかないことだった。この問題は一九五七年七月八日、砂川基地拡張反対闘争の中で米軍用地内に入ったとして刑事特別法違反に問われて逮捕・起訴された労働者・学生が、一九五九年三月三〇日、東京地裁・伊達判決で「米軍の駐留は憲法九条で保持を禁じられた戦力に該当する」として無罪となったことに端を発している。この判決が、翌年の安保改定に重大な影響を及ぼすことを恐れた日米両政府は、高裁を飛び越して最高裁に「跳躍上告」することを決めるとともに駐日米大使マッカーサーと最高裁の田中耕太郎長官が、審理のテンポ、「全裁判官一致の判決」などを協議した上で、一審伊達判決を棄却し、米軍は憲法が保有を禁じる「戦力ではない」として、東京地裁に差し戻しを命じたのである。
したがってこの判決は徹底して憲法判断を避け、自衛隊が合憲か違憲かを判断することもなかった。そして判決自体、政府・駐日米大使館・田中最高裁長官合作の秘密のシナリオに基づいて「司法の独立」を頭から破壊する違憲・違法なものだったのである(本紙二〇一四年一〇月二〇日号「土屋源太郎さんに聞く 砂川最高裁判決は無効だ」参照)。

全力を集中して
戦争法案廃案へ


いま、安倍政権は、戦争国家法案を強行しようとすればするほど、矛盾に直面することになってしまった。中谷防衛相は「憲法を法案に適用させる」といった徹底した憲法無視の論理を撤回せざるをえなかった。いま全国で、戦争法案廃案・安倍内閣打倒の声が、沖縄の辺野古新基地反対運動、原発再稼働に反対する運動を含めて大きな広がりを見せている。六月一四日の国会包囲行動には二万五〇〇〇人の熱気と怒りがみなぎっていた。
しかし、安倍政権は、審議の遅れを取り戻すべく会期を八月いっぱいまで大幅に延長してまでも戦争法案の強行採決に踏み切ろうとしている。維新の党を小手先の「修正」で取り込む動きも急である。この暑い夏こそ、まさに「決戦の夏」である。六月二四日、再度の全国結集をステップに闘いのうねりを作り上げよう。この攻防に勝利しよう。    (六月一五日 純)


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