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    かけはし2015.年7月6日号

抑圧された者たちの鮮明な勝利


トルコ

AKPには悪夢となった選挙

ウラズ・アイディン


 トルコ総選挙に関し、当地の急進的左翼による総括的論評を以下に紹介する。HDPの勝利が意味するもの、そこに刻印されたトルコ民衆にとっての新しい可能性、およびそこで問われる街頭の重要性などが指摘されている。以前に紹介したオランダの同志による選挙前の分析と合わせて参考にしていただきたい。(「かけはし」編集部)
 レセプ・タイップ・エルドアンの大統領職任期下における、より権威主義的であからさまな独裁体制確立、という危険を前に、HDP(人民民主主義党)による訴え、「偉大な人間性」は、何百万人という有権者に聞き届けられ、議会に入るために必要とされた一〇%という敷居をこの党が超えることを可能にした。

HDPの賭け
は成功した


政治的な、民族・少数民族の、また宗教的分裂を超え、この党が二〇一一年議会選挙で獲得した六・五%を少なくとも三・五%上回る票を得るために挑む、ということは、一つの統一政党だが主にはクルド運動に結びついたHDPにとって、本物の試練だった。とはいえ、二〇一四年の大統領選挙でその候補者(そして主な指導者)、セラハッティン・デミルタシュは九・八%を得ていた。
議会選に一政党という形態で(そしてもはや個人の候補者として――その下では一〇%という敷居が適用されない一形態――ではなく)参加するようHDPを押しやったものは先の結果だった。しかしながらHDPが、デミルタシュというカリスマ的人物に多くを負い、また保守的な右翼的候補者を公然と押し出したCHP(共和人民党、ケマル主義者共和派で中道左翼)に罰を与えたいという世俗派有権者の切望をも力とした先の例外的な成果以上のものを得る、という保証はまったくなかった。
それゆえ今回の選挙はHDP側に立てば一種の賭だった。しかし、何千人という活動家とボランティアの意志と粘り強い努力をもって、賭は勝ちを収め、HDPは最終的に二〇一一年比で得票を倍増させ、国会の八〇議席に相当する、前代未聞の一三%を獲得した。

票の移動には
実体ある理由


いくつかの評価によればHDPは、それ以前はAKP(公正発展党)に投票してきた信心深いクルドの有権者から、得票率で三〜三・五%相当の支持を受けた。これらの選挙に際してHDPとAKP間でのクルド票をめぐる競合があったこと、そしてAKP票がクルディスタン(トルコ北部)で大きく下降したことははっきりしている。例えばディヤルバクル(クルディスタンの中心都市)で二〇一一年には、AKPは六人を当選させ、HDPの当選者は五人だった。他方今日では、HDP一〇人に対してAKPはたった一人だ。これにはいくつかの理由がある。
第一には、クルド民衆の要求を部分的に満たし、アブドゥラー・オジャラン(PKK指導者)との交渉の前進に必要と思われる具体的な歩みを行うことに対するAKPの拒否。他方で、コバニ包囲期間中におけるAKPの行動。エルドアンは「コバニは今にも陥落の間際にある」などと語っていた。そしてISに対する彼の寛大さは、二〇一四年一〇月六―七日の暴動をもって、トルコのクルド内部に暴力的な反応を巻き起こした。
もう一つの理由は、AKPとエルドアン大統領の民族主義的な転進にある。特に彼は(「クルド問題」の存在自体を否認しつつ)そうすることで、極右のMHP(民族主義者行動党)に奪われつつあった票を取り戻そうと試みた。
他方で、選挙キャンペーン中のHDPの建物や活動家たちに対する何百件にものぼる攻撃、しかし特に投票日二日前にディヤルバクルでのデミルタシュが参加した集会で起きた爆弾攻撃は、そしてそれは数人の死者と一〇〇人ほどの負傷者を出したのだが、信心深いクルド人の重要な部分によるAKP投げ捨てに確実に力を貸した。
HDPはまた、CHPの主な選挙基盤である世俗的で共和派の民主的なトルコ人から来た、二〜二・五%の票からも利益を受けた。彼の巨大な宮殿(二〇〇〇室もある!)からスルタンのようにエルドアンがすべてを決定すると思われる大統領制を確立するという、彼の構想に対する恐れは、そしてAKPがこの空想の達成を可能とする憲法改定のための議員数を獲得することを、HDPの議会参入だけが妨げることができるだろうという事実は、ケマル主義共和派(特に若者の)側におけるこの「票移動」を求める実体的動機となった。

諸民衆の熱望を
総結集する決断


しかしわれわれは、HDPはその選挙キャンペーンを通じて、これら様々な社会的、文化的な層すべての要求と熱望を体現できる主張を本当に取り入れることが何とかできた、ということもまた認めなければならない。これは、前もって確固としていたわけではなかったのだ。
デミルタシュ(そしてそれゆえHDP)は、彼らが議会選出に成功したあかつきに党がAKPと結ぶ関係(連立、憲法改定構想への支持、その他)に関し彼のキャンペーンのはじめには鮮明でなかった。その事実は、HDPへの投票の可能性を排除していなかった世俗派がいくらか寡黙になることへと導いた。このことを踏まえ、この問題に断固とすることなしには党の選挙基盤を広げることはできない、と考えたHDP指導部は、デミルタシュに向け明示的な言明を行い、そして彼は、議会のある会合中三回も連続して「われわれはあなたの大統領職を妨げるだろう!」と繰り返した。
そしてこれは機能した! 今回の選挙の真実の課題を事実としてまとめるこの文言は、HDPの、しかしまたエルドアンの誇大妄想に反対していた者たちすべての標語となった。
CHPは、その基盤の連帯投票を通して議会へのHDP選出に寄与しつつも、得票率二五%を維持した。CHPは二つの主要な極から構成されている。一つはむしろ社会民主主義とのつながりをもつ極(この党は社会主義インターナショナルメンバー)であり、他ははるかに民族主義的な極だ。この後者は、民主的な翼に近いと見られている党首のケマル・クルチュダロールを打倒しようと図るために、現情勢を確実につかむだろう。
MHPは得票率一六・五%をもって二〇一一年(一三%)よりも好成績を得た。歴史の皮肉として今日、クルド民族運動を起源とする党(HDP)とトルコ民族主義の歴史的な政党(MHP)が国会に各々八〇議席を確保している。われわれはまた、CHPとMHP両者に関係するもう一つの重要な事実をも強調しなければならない。つまり、これら二政党の指導者は誰一人キャンペーン期間中HDPを攻撃せず、彼らはAKPとエルドアンに批判を集中した、ということだ。

権力に対抗する
統一に希望浮上

 大敗北はもちろんAKPの敗北だったが、むしろより多くはエルドアンの敗北だった。そして彼は運動期間中ずっと、この選挙が大統領制に関する国民投票であると説明するために、彼の集会を積み上げた(共和国の大統領として公平であるべきであったにもかかわらず)。こうして彼は、AKP党首であり現首相であるダフメト・ダウトオールをある種のお飾りにおとしめることをためらわなかった。そして彼は彼で、エルドアンの影から身を現そうと試みることすらしていない。エルドアンはまた、国家が彼に与えた手段すべて(交通手段、メディアへの不断の登場、公務員、教員その他の会合への出席義務)からも利益を受けた。
AKPは断然の最強政党であり続けている。しかし得票率の五〇%から四〇・八%への後退によって、憲法改定を国民投票に付すために必要とした三三〇議席を得ることができなかった。さらに悪いことに、二五八議席を得たが多数、すなわち単独で政府を形成するために必要とする二七六議席を確保していない。これは二〇〇二年以後では初めてのことだ。はっきりしていることだが、その支持者の重要な部分は、AKPの権威主義的諸傾向、社会を分極化することをねらいとした主張、その腐敗その他に対してAKPを容認してきた。もう一つの歴史の、しかし選挙制度の皮肉がある。つまりAKPは、二〇〇二年には得票率三四%をもって権力に到達したが、今は同四一%をもってそこから去らなければならない。
HDPの勝利は、トルコの抑圧された民衆すべてにとっての、まず何よりも女性にとっての、労働者、LGBTI、民族的かつ宗教的少数派、若者たちその他にとっての疑う余地のない勝利だ。「根底的民主主義」を主張する左翼の改良主義政党であるHDPは、エルドアンの独裁的な政権に反対することを願う人びとに対して影響力を及ぼす極の形成に成功した。
しかし次のことを付け加えることも必要だ。つまり、選挙レベルでのこの政治的合流は、ゲジ公園での反乱という経験がなければあり得なかっただろう、ということだ。そこでは、異なった政治的展望をもった市民たちが共通の敵に対決して統一する必要を、そしてまた、統一できること、肩を組んでともに闘うことができることを理解した。このシンパセイヤ――古代ギリシャ語のシン(共に)とペイサス(熱情)から発する――の種が芽を出したのは、この抵抗の中だった。
われわれは次のこともまた強調すべきだ。それは、HDPがその候補者リストを様々な革命的組織の代表に開放し、急進的左翼が初めて、トルコ労働者党(TIP)が一五人のメンバーを当選させた一九六五年の歴史的な選挙の時期以上の議員数(二〇人近く)を獲得した、ということだ。
議会におけるこの力関係からどのような連携の可能性が現れることになるのか、あるいは早期に選挙が行われるのかどうか、それを分析する上では、今は見守るべき時だ。交渉の展開はどこに向かうのだろうか? AKPに反対している三つの政党は、一九八〇年のクーデターから引き継いだ一〇%の敷居をなくす点で合意できるのだろうか? HDPは、この新しい基盤を打ち固め、リアルポリティークの薄暗い回廊の中でその根底的な民主主義という立場を保つことができるのだろうか? これらは新しい試練だ。
しかし選挙―街頭という弁証法は機能し続けている。すなわち、諸々の社会運動、民衆的反権威主義の意識、クルド運動、そしてHDPの成功に力を貸した急進的左翼は今日、希望というある種恐るべき感覚と一体的により強力となっている。確固さを保つことから引き離す、すでに進行中の制度化という圧力の下では、HDPに可能性を与えるのは、街頭を捨て去ることによってではない。しかし当面われわれは、われわれの勝利を噛みしめることができる。「われわれはあなたの大統領職を妨げた!」と。

▼筆者は、第四インターナショナルトルコ支部機関誌「ソシャリスト・デモクラシ・イシン・イエニヨル」に定期的に寄稿している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年六月号)

コラム

「わが軍」こそ安定した雇用主

 戦争法案の国会審議の過程で、徴兵制についてとりあげられた。その中で政府は、徴兵制は憲法が禁じる「苦役」にあたると答弁した。これに対して二人の憲法学者は、憲法の中に徴兵制を禁止する条項はないと反論した。
 安倍政権がめざす戦争法に関して、このような徴兵制の問題に深入りすることは、政治的混乱をもたらすトラップ(罠)にはまるだけだ。
 クラウゼヴィッツを引くまでもなく、戦争は政治の延長である。見当違いの議論に惑わされないためには、現代の戦争の政治的性格を考えてみなければならない。
 今日の資本は、世界を自由に移動できるようになっている。そのため、二度にわたる凄惨な世界戦争のように、「国を守るため」と国民を騙して総動員し、他国の資本と戦う必要はなくなっている。日本の資本の利益を貫徹するための帝国主義国間戦争ではなく、多国籍化している資本の秩序を脅かすと思われる勢力を粉砕するための戦争に変化しているのである。
 まさに安倍政権は、もうすぐ変えられるはずの憲法に違反したとしても、中国に対する「軍事プレゼンス」も含め、地理的制約のない軍事行動ができる戦争法を手に入れ、国際的に日本帝国主義として振る舞うことのできる道を突き進もうとしている。かれらにとって急務なのは、多国籍資本の秩序防衛への参入であり、それを貫徹できる「国家の威信」である。「国民の安全を守る」などというのは、国民を騙すために幾度となく使われてきた常套句にすぎない。
 しかも、帝国主義の側からする今日の戦争では、高性能の武器使用への習熟が欠かせない。そのためには、兵士の不断の訓練はどうしても必要になる。さらに、徴兵制にもとづく兵士は世論の影響にさらされることになり、世論そのものを封じ込めないかぎり、絶えず兵士の間に政治的不安定要素を抱え込むことになる。
 だから、徴兵制では現代の戦争の役に立たないのだ。ベトナム反革命戦争に敗れたアメリカ政府が徴兵制をやめたのは、悔い改めて平和に目覚めたからではなく、軍事の「民営化」も含めて「プロの兵士」による新しい戦争に備えるためだったことは、イラク侵略戦争などが示している。
 また、『ルポ・貧困大国アメリカ』(堤未果、岩波新書)はアメリカの現実を端的に伝えている。この本の中で、あるNGOのスタッフは語っている。「もはや徴兵制など必要ないのです。政府は格差を拡大する政策を次々に打ち出すだけでいいのです。経済的に追いつめられた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれますから」。
 実際、労働者派遣法改悪案はすでに衆議院を通過して参議院に送られている。これは、「資本にとって最も都合のよい国」にするために、労働を「憲法が禁じる苦役」に変えていくさまざまな労働法制改悪の一環である。見落としてならないのは、これは徴兵制によることなく「生活苦から戦争に行く国民づくり」につながっているということである。
 安倍はこう囁いているようだ。「わが軍こそ最も安定した雇用主。積極的に武力で脅して平和をつくります。リスクはありません。兎にも角にも安定した生活を望むなら、迷わずわが軍へ」。 (岩)


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