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    かけはし2015.年7月6日号

セウォル号機関長 123艇から電話


船員を先に救助した事実、海警は知っていた

海警は作り話だと言い、検察はそれ以上追究せず


 海洋警察首脳部が、セウォル号の事故現場で乗客よりも船員らが先に救助されたことを知っていたという証言が出てきた。セウォル号船舶職乗務員15人はすべて脱出し救助された。未だに海警は船員らを最初に救助した事実を、海警首脳部どころか現場の救助部隊さえ知らなかったと主張してきた。乗客の救助を最優先にしなかったという非難を避ける根拠でもあった。
 「ハンギョレ21」が入手した検察捜査記録を見ると、海警が最初に救助したパク・キホ・セウォル号機関長は検察調査で「救助直後、海警の警備艇第123艇の操舵室で海警首脳部と携帯電話で通話した」と陳述した。パク機関長は午前9時38分頃ゴムボートで救助され、9時40分頃に123艇に移された。彼は123艇の操舵室の様子を描きもした。その絵は検察が現場調査した実際の123艇操舵室の様子と一致した。
 パク機関長の陳述について海警は検察の調査で「初めて聞く話」だと強く否認した。検察は食い違った陳述について、それ以上は追及しなかった。沈没事故当時、パク機関長と通話した海警首脳部とは誰なのか、なぜ先ず船員を救助したのかは明らかにならなかった。追及の刃が中心部に向かわないように捜査の水位を調節する典型的な「尻尾切り」ではないのか疑われる。4・16セウォル号惨事特別調査委員会が真相を糾明すべき課題が、もう一つ増えた。

「セウォル号の責任者はいるのか」

 2014年4月16日午前9時35分頃、123艇(100t級)はセウォル号の100m前に到着するとすぐゴムボートを降ろした。セウォル号は約52度、傾いていた。その時3階左舷船尾の甲板で救命胴衣を着た人々が手を振った。ボートは、そちら側に向かった。「初めは(セウォル号への)接近を目的として船体中央部に向かっていたが、人が見えたので船尾に移動した」(パク某警長、2014年8月12日の法廷証言)。
手を振った人々はパク・キホ機関長ら機関部の船員5人だった。一部は「スズキ服」と呼ばれている上下一体型の作業服を着ていた。沈没する船から脱出した人の中で、海警が最初に救助したのは乗客ではなく船員たちだった。船員たちは123艇に乗り移った後、ボートは再びセウォル号に向かった。午前9時40分頃だった。
当時、救助にあたっていた123艇の隊員らは検察の調査で、これらの人々が船員だとは知らなかったと異口同音に語った。キム・ギョンイル123艇長は「緊迫した状況なので船員を捜すという考えは思いもよらなかった」と語った。キム某部長(警衛、注)は「救助当時、船員だとは分からなかった、後でTVを見て分かった」と語った。イ某整備チーム長(警査)も「午前11時頃、別の船に救助者を移していて(前に)救助された4〜5人は船員だということを知った」と話した。キム・ソッキュン海洋警察庁長は2014年7月2日の国会真相調査委で「123艇の職員らが、その当時は(船員を救助した)とは思わなかったと陳述している」と語った。
けれども「ハンギョレ21」が入手した海警捜査記録を見ると、事故当時、現場で123艇はもちろん海警の状況室までが、セウォル号の船員が先ず救助されたという事実を知っていたことを示す状況が明らかになる。「最初の救助者」であるパク・キホ機関長が救助されてから15分後、海警の要請によって123艇の操舵室で「官庁の人」と電話通話をしたと陳述したからだ。

 検事 123艇に乗り移ってからどうなったか。
セウォル号機関長 操舵室で123艇の舵を握り運転している海警が「いま救助された人々の中にセウォル号の職員はいるのか、責任者がいるのならこの電話をちょっと受けてくれ」と声をあげた。船長はおらず、それで私が機関長であることを明らかにしたところ携帯を渡してよこした。通話の相手が正確に誰なのかは分からなかったが、官庁の人のようだった。
検事 どんな話を交わしたのか。
セウォル号機関長 セウォル号の状態はどうなのか、乗客はどうなったのかと聞くので、私は3階の通路にいて救出され、内部の状況はよく分からないというふうに話した。(2014年6月2日、パク・キホ・セウォル号機関長の検察陳述調書)

艇操舵室内部を正確に描写

午前8時48分、セウォル号が左側に傾いた時、パク機関長はイ・ジュンソク船長とコーヒーを飲もうとして操舵室に上がってきていた。海は穏やかだった。孟骨水道を過ぎ、8時45分頃に屏風島の変針(船が針路を変えること)区間に至ると、3等航海士は変針を指示した。「140度です」。140度の変針が完了し2分間、航路が維持される。「145度です」。航海士は2度目の変針指示を下した。その時、操舵手が慌てて声をあげた。「舵が取れません」。セウォル号の船首が右側に急に回った。反対に船は急激に左側に傾いた。船首の甲板のコンテナが一方に滑り出し海に落ちた。
イ・ジュンソク船長がTシャツにパンツ姿で操舵室に入ってきた。ほかの船員らも集まってきた。船長はパク機関長に「機関室に行ってみろ」と言った。パク機関長は、発電機を保護せよという意味だと受けとめて出てきた。機関室に下りていくが、船はますます傾いた。転び転びしていると3階の船尾に機関部の職員らが集まっているのが見えた。機関室の船員らが「我々はここにいますよ」と呼んだ。パク機関長は発電機をあきらめ、そちらに合流した。
非常時の部署配置表を見ると、危急の事態が発生した時に機関長は救命具の投下、シューター(救命用具の所まで下ろす膨張式の空気すべり枠)の投下などを担わなければならない。発動機は9時15分に止まった。パク機関長は、救命チョッキを着用し「現在の位置でじっとしていろ」という船内放送を聞いた。じっとしていた機関部の船員らは海警が見えると手を振り救助された。そしてパク機関長は123艇の操舵室で「セウォル号の船内状況を報告したのだ。その「官庁の人」に海警は「相当な敬語」を使った。パク機関長は「電話を渡してよこした人よりも、通話相手の職責がずっと高い人」だと推測した。

 検事 (123艇で)舵を取っている人が携帯電話を渡したと言ったが、それではそこは操舵室だったのか。
セウォル号機関長 はい、123艇は扉を開けて中に入って行くと、そのまま操舵室とつながっており、その後ろ側に下に降りて行く階段があって宿所につながっていた。私が絵に書いて示します。
検事 操舵室で舵を取っていた人は海警だろうし、それ以外の海警には会わなかったのか。
セウォル号機関長 舵を取っていた人のほかにもう1人いたが、2人とも私服を着ていた。それで初めは私はこの船が海警艇なのか漁船なのかもよく分からなかった。後で分かったのだが、この船が123艇だったのであり、それで彼らが海警だろうと考えた。
検事 123艇長ではなかったのか。
セウォル号機関長 さあどうでしょう。2人とも私服を着ていたし年頃も同じぐらいに見えた。40代ぐらい。123艇長なのかも知れない。
(2014年6月2日、パク・キホ・セウォル号機関長の検察陳述調書)

 検察でパク機関長が描いた絵は実際の123艇操舵室の模様と一致した。検察はこの絵を法廷証拠として提出する。

操舵室にいた海警「初めて聞く話」

 パク機関長は「官庁の人」との携帯電話の通話時間を「9時55分頃、遅くても10時ぐらい」だと推定した。9時38分にゴムボートで救助され123艇に5分以内に移され、10分ほど過ぎた後に海警が「セウォル号の職員は電話を受けろ」と要請したからだ。
その時刻、123艇の操舵室にはキム・ギョンイル123艇長(57)とキム某部長(52、警衛)、チェ某機関長(53、警衛)、パク某航海チーム長(43、警査)らがいた。キム艇長は海警首脳部と交信するために操舵室から1度も離れなかった。他の3人は甲板と操舵室を行き来した。ところがまるで申し合わせたように、これらの人々はセウォル号の船員が救助されたということを全く知らなかったと主張する。当然にもセウォル号の船員と海警首脳部の携帯電話をつないだこともない、と語った。

 検事 ゴムボートを使って救助された人々に身分や船内の状況を聞いたことがあるか。
123艇長 ない。人命救助を先ず考えていたから、そういうことを聞いてみるヒマはなかった。
検事 ゴムボートに乗った(機関部の)人々が123艇に乗り移るまで、どこで何をしていたのか。
123艇長 私は操舵室にいた。
検事 当時、救助された人々は機関室の船員だったのだが。
123艇長 当時は分からなかったが、後で考えればそうだったのだ。船員らが救命チョッキを着ており船員服がよく見えなかった。私は操舵室に座っていて服が見えなかった。私は操舵室で報告業務だけをしていた。
(2014年7月29日、キム・ギョンイル123艇長の検察被疑者尋問調書)

 検事 (セウォル号)機関長パク・キホが「123艇操舵室でセウォル号の責任者として官庁の人物と電話をした」との陳述をしたが、電話を代わって渡したことはあるか。
123艇機関長 私にはそうした事実はない。私がずっと操舵室にいることはいたけれども、ゴムボートが人を乗せてくるとロープを下ろしてやったりしていた。(だが)その状況は知らない。
検事 電話を渡した人の身体的特徴について「スポーツをしていた人のように首が小さく肩ががっちりしていて一直線になっていた。身の丈は大きくなかった」と陳述した。操舵室に誰がいたのか。
123艇機関長 キム部長のようではあるが、正確には分からない。航海士は背が高いし、艇長は背は最も低く図体も大きくない。キム部長が体格もあるので。
(2014年7月23日、123艇チェ某機関長の検察陳述調書)

 検事 船員らが海警に自ら船員だと語ったと言うが。
123艇部長 123艇に上がって以降は、船員だということを語ったことはない。
検事 (セウォル号の)機関長パク・キホは123艇の操舵室でセウォル号の船員として電話通話した事実があると陳述した。
123艇部長 そんな話は今、初めて聞く。
(2014年6月4日、123艇キム某部長の検察陳述調書)

 検事 救助された人々を乗客と考えた理由はあったのか。
123艇航海チーム長 状況全体が緊迫して回っていたために、先ず救助された人が船員なのかは全く分かりようがなかった。
(2014年6月4日、123艇パク某航海チーム長の検察陳述調書)

誰かがウソをついている

 このような陳述は、123艇の隊員たちに、そして「官庁の人」との通話でも自らをセウォル号の船員だと明らかにしたというパク・キホ機関長の検察陳述とは完全に反する。誰かがウソをついていることは明らかだ。ところでパク機関長は123艇の海警と当時交わした対話も詳しく覚えている。

 検事 (セウォル号の)機関長であることを明らかにして携帯電話を渡されたが、その(123艇)海警たちが陳述人にセウォル号の内部構造や事情について具体的に尋ねてみなかったのか。
セウォル号機関長 (むしろ)私が「どうなったのか」と尋ねると、そちらからも「そもそも何がどうなったのか分からない」「もう無我夢中だ」ということだけを語った。
検事 海警側から陳述人に、一緒に船に乗ってセウォル号に戻り救助活動を一緒にやろうという要請はなかったのか。
セウォル号機関長 いま考えてもそれが失敗だったようだが、海警もそんな要請はしなかったし、私もそんな考えに思い至らなかった。
(2014年6月2日、パク・キホ・セウォル号機関長の検察陳述調書)

(「ハンギョレ21」第1062号、15年5月25日付、チョン・ウンジュ記者)

 注 警察の階級の1つ。巡警(巡査)―警長―警査(巡査長)―警衛―警監(警視)―警正―総警―治安監―治安正監―治安総監の階級がある。

123艇長のウソ、ウソ、ウソ

海警を偽証罪で告発せよ

一度ならず二度も三度も

 2014年7月2日、セウォル号沈没事故の真相糾明のための国会・真相調査の場。4月16日午前9時37分頃セウォル号の事故現場に到着した時、キム・ギョンイル123艇長が海洋警察本庁と電話通話をしたのかをめぐって、ミン・ホンチョル議員(新政治民主連合)が問い質した。123艇はセウォル号が沈没する前に事故現場に到着した唯一の海警救助艦艇だった。

 ミン・ホンチョル議員:(本庁)通話(録取)録があるが、本庁状況室が「船員たちが見えません」(と言っています)。そこで直ちに操舵室の側に行ったんですか、船員らを救助しようとして。
123艇長:私が通話した内容とは、ちょっと違うようです。
ミン議員:本庁(警備)課長と通話したのか…。
123艇長:課長と話した記憶はありません。そのように出てきた通話(録取)録を見たことはありません。
ミン議員:ないのですか。確認すれば、それがウソだったら偽証罪になります。
123艇長:はい。その内容は初めて見ます。

 キム・ギョンイル123艇長が本庁状況室との通話を全面否定すると、ミン議員はそれ以上、質問を続けることができなかった。だが「ハンギョレ21」はキム艇長が9時37分から2分22秒間、本庁状況室と交信した内容(音声ファイルと録取録)を入手し、報道した(第1058号)。キム艇長が偽証したことが明らかになったのだ。
報道以降、壇園高2年の故パク・スヒョン君のアボジ(父)パク・ジョンテ氏は「当時のウソが明らかになったのだから国会はキム艇長を偽証罪で告発すべきだ」と主張した。国会証言鑑定法(第14条)は、証人が国会で偽証した場合、1年以上10年以下の懲役に処すようになっている。
業務上過失致死などで起訴されたキム艇長は6カ月が過ぎた2015年1月28日、光州地裁での裁判で、初めて本庁状況室と通話したと明らかにした。被害者側パク・ジュミン弁護士が提出した質問事項を裁判長が代わりに質問した時だ。

 裁判長:なぜ初めに、公式的な記録が残る通信手段ではなく携帯電話で交信したのですか。
123艇長:その当時、TRS(周波数共用無線通信)と通話できませんでした。それで報告ができなかったために電話が来ました。
裁判長:誰と、どんな話をしたのですか。
123艇長:当時の交信内容は正確な記憶はありませんが、初め(本庁)警備課長が「現在の状況はどうなったのか。とにかく至急に報告せよ」と、おそらくそういう趣旨で2〜3分間やったものと承知しています。

 だが、この発言もまた事実と異なる。当時の交信内容を見ると、本庁状況室は最後に「TRS使えるのですか、使わないのですか」と聞いている。キム艇長は「使っています」と答えた。「今から電話機は全部切って、すべての状況をTRSでリアルタイムで報告して下さい」。これが本庁状況室が下した唯一の指示だった。
(「ハンギョレ21」第1062号、15年5月25日付、チョン・ウンジュ記者)



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