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    かけはし2015.年7月13日号

社会的内容ある独立運動今こそ


カタルーニャ

来たる州議選(9/27)に向け

右派主導の旧構造打破へ

ホセ・マリア・アンテンタス




 トロイカにノーを突きつけたギリシャの国民投票結果を受け、スペイン民衆の闘いが一層重要性を増している。その今後の展開を左右する重要な要素であるカタルーニャについて、五月二四日統一地方選後の課題を当地の同志が提起している。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

決裂の大望に向けた統一が必要


次のカタルーニャ自治州議会選挙を待ち受ける中の五月二四日の地方選は、カタルーニャ政党システムが二〇一二年以後に経験してきた、底深い変形を確証することになった。それは、伝統的な忠誠の加速度的融解、そして古い関係などにとらわれたことなど一度もない若者たちの中における新しい関係の登場だ。疑いなく、もっとも興味深いことは、ポデモス、CUP(人民連合、カタルーニャの新しい左派、前回州議会選で三議席を初獲得:訳者)を軸とした、あるいはバルセロナの例におけるアダ・コラウ(住宅ローン被害者団体――PAH――元代表:訳者)と彼女のチームを中心とする、共同立候補の成功だ。
そしてこれは、現地の政治光景を粉々に壊し、そうすることで、今年九月二七日に予定されている決定的な州議会選の前夜に、カタルーニャの政治地図全体を揺さぶることになった。ちなみにこの選挙をアルツール・マス(カタルーニャ自治州の現大統領:訳者)は望まず、独立をめぐる昨年一一月九日の住民投票後、彼は可能な限り先延ばしした。
この共同と新しい立候補の諸結果は、現情勢の巨大な潜在的可能性を示し、バルセロナを筆頭にいくつかの注目すべき成功を印している。しかしながら忘れてはならないこととして、機構的利害と「共通するセクト主義」が、数多くのところで好機を逃すことに導いた。これは、前に控える決定的な数カ月では心に留めておくべき何かだ。そしてその日々では、構想の広大さと戦略的大望が、社会のもう一つのモデルを求めて戦っている主体すべての諸運動を方向付けなければならないのだ。
羅針盤としては一つの等値関係が際立っている。すなわち、統一(あるいは共同)とスペイン国家枠組みを含む現体制との決裂への野望だ。そしてその各々には払いのけるべき裏返しの陰画がある。つまり、セクト主義と決まり仕事的制度管理の心性だ。等値される二つの側(そしてその陰画)の各々は、別々に結びつくとしても、しかしその二つの間の総合がなければ、どのような戦略も不完全となる。

マスへのオルタナティブとは


バルセロナ・エン・コム(アダ・コラウのリスト:訳者)の勝利は、カタルーニャ政治の大きな隠された真実を浮き立たせることになった。つまり、独立をめぐる住民投票後に選挙に関する盛り返しが見られたとしても、CiU(集中と統一、フランコ独裁倒壊後のカタルーニャにおいて支配的政治勢力の右派政党であり、マスの党:訳者)の歴史的弱さ、その狭い社会的支持と支配的影響力のもろさだ。
カタルーニャの民衆諸勢力は(スペインの他のところの勢力同様)、二重の戦略的試練を前にしている。つまり、バルセロナおよび決裂の精神で征服した他の地域を統治すること、同時に、全体としてのこの国に多数派のオルタナティブをはっきり示すことだ。これらは内的に関係する諸行為だ。
個別自治体への専心という形で身を守り、カタルーニャ全体のレベルを無視することは、長期的観点からは、現地レベルの変革可能性を弱める間違いとなるだろう。他方で、現地での共同という新しい現実を考慮することなくマスをいかにして打ち破るかに焦点を絞ることは、かつて以上の力をもってわれわれが「上昇」することを可能にする、そうした地域に根を張った強力なテコをわれわれ自身から奪うことになるだろう。
他の地方の成功に支えられたバルセロナの地震は、カタルーニャレベルで複製される可能性がある。機械的にモデルをコピーすることによってではなく、その目標から刺激を受けることによって、また適切な定式を探求することによってだ。
われわれは五月二四日以後、複雑であると同時におそらく繰り返しが不可能な一つの挑戦を前にしている。それはまさに急を要し歴史的だ。それはアルツール・マスに対するオルタナティブをはっきり示すことであり、それが決定的に、底辺にある人びとの利益のために瀕死の政党システムを爆破し、政治論争の座標すべてを変える。
二つの戦略的基軸がわれわれを導かなければならない。つまり、反緊縮綱領と憲法制定過程の開始だ。両者とも共同を生み出す上では十分な重要性をもち、両者とも多様なアイデンティティを適応させる上で十分な可変性を備えている。

未解決に残された二重の矛盾


カタルーニャ民衆勢力には、そこに向き合わなければならない二重の矛盾が交叉している。つまり、決裂の文化と制度主義の文化の間にある緊張、そして独立運動との関係で取っている立場の間にある緊張だ。
そこにある未解決は、アルツール・マスに新しい命を与えるかもしれない。実際彼は、彼の政治的空間を再創出し、CiUをテコに二〇年間行ってきたように、新しいかつ永続的なカタルーニャ右派ヘゲモニーを確保するための新しい道具(「大統領の党」)をはっきり示す彼自身の能力によってというよりも、むしろ、オルタナティブを建設する他の者たちの無能力を理由に統治しているように見える。
前進に向けた、また現存の障害を元に戻すことに向けた、多くの可能性、様々な組み合わせ、数多くの提案がある。しかしこの民衆勢力は今、片方はテレサ・ロドリゲスとアルカディ・オリバレスの「憲法制定運動」によって提起されたような包括的ブロック(ポデモス、ICV〈カタルーニャ緑のためのイニシアティブ〉、CUPその他と共に)をはっきり示そうと挑みつつあり、他方は、二つの違いのある政治ブロックという考え方に基づいて活動中だ。
一つは、「バルセロナ・エン・コム」に習う多数派のそれであり、そこに向けたポデモス予備選挙でのアルバーノ・ダンテの立候補は、さらに先に進み必要な共同をはっきり示すことに向けた萌芽となり得る。そして他方は、CUPを中心とする活動だ(CUPは今回の地方選で、いくつかの違いを理由にアダ・コラウのリストとは独自に立候補した:訳者)。選挙後の協力を追求することはあり得ない挑戦のように見える。

独立支持勢力はさらに不安定化

 独立支持キャンペーン内部では情勢が特に流動的だ。アルツール・マスは二〇一四年には、ERC(カタルーニャ共和主義左翼)によって押しのけられたように見えた。この党は、昨年のEU議会選で前進し、民族レベルでは決裂の立場で、同時に社会的レベルでは継続性の立場で勝負を仕掛け、中道左翼の新しいヘゲモニー体現者として登場しつつあった。
しかし一一月九日の住民投票が転換点を印した。その中でERCは脇に置かれ、マスはこの投票の成功を利用し、地歩を取り戻し始めた。しかしながらこの復活は、CiUの歴史的低落に反するものではなく、「再創出」する必要、そして破綻した統一リスト(ERCとの:訳者)を通して彼の党の政治的空間を広げる必要を排除するものでもない。
先の住民投票後にはもう一つの現象、CUPの台頭が現れた。この党はすでに住民投票管理のための当面適切な主体へと転換済となっていた。そして、ポデモスとアダ・コラウを強力に抑え込むために(成功を見なかったが)、あるいはERCを左から出し抜くという主張によって(バルセロナのようなところでの成功をもって)、彼らを利用することに利益を見たメディア用語による偽の友人たちから、また政治的にも、駆動されていた。
こうしたことの結果としてERCは、注目すべき結果を残した五月二四日の選挙で重要な政治的空間を打ち固めたとはいえ、マスの指導性に対抗する、というその主張が掘り崩されていることに気付いている。CUPの前進は、短期的に独立支持陣営内部におけるマスの唯一の競合相手としてのERCを弱めることに奉仕しつつではあるが、決裂勢力を強化する肯定的な要素だ。
長期的に進もうとしていることは唯一、親独立運動の不安定性の増大であり、九月州議会選後のCUPに依存する議会多数派を率いる可能性がマスにほとんどない以上、マスが行き止まりに取り残されるということだ。これは、一つのあり得るシナリオを提起するが、そこでは偽の友人たちすべてが不倶戴天の敵になり得るのだ。それこそが、もしも選挙でマスが勝利を収め、議会多数派がCUP頼りとなれば、マスの大統領への指名以前に起きることだ。

アダ・コラウの勝利の衝撃とは


アダ・コラウの勝利は、カタルーニャで築き上げられてきた公式の政治的ストーリー、つまりカタルーニャ政治を独立運動を基礎としてのみ分析する試みすべて、を不安定化している。そうした試みは、独立運動が、矛盾の多い、また調子を合わせているわけでもないやり方であっても、15M(五月一一日運動)やあらゆる種類のマレア(潮を意味するが、様々な課題に基づいた緊縮抗議の社会的決起が○○の波と呼ばれた。例えば公的医療破壊に反対する医療関係者の全国を横断した大闘争は「白い波」と呼ばれた:訳者)の遺産と一致している、ということを見ていないのだ。
カタルーニャには、多くの政治表現をもち、解決を要する多くの矛盾を抱えた問題が数多くある。カタルーニャをただ一つの次元で読み取ることなど不可能だ。その形成された地図の中では、政治は社会的かつ民族的次元を抱えて相交わり、そして両者は民主主義を求める熱望によって駆り立てられている。
アダの勝利は独立運動にどのように影響するのだろうか? これは今後の日々政治家や評論家たちを悩ます大問題だ。この問題は基本的にまさに恐るべきものだ。より良い国を追い求める独立運動が、親独立ではないが決定権を支持する立候補者のバルセロナでの勝利によってかき乱されるなどということが、なぜ起きなければならないのか? 何といってもこのリストの筆頭者は独立にイエスの票を投じている者であり、このリストは社会的公正の構想を体現しているのだ。
現実にこの問題それ自体が、独立運動の構造的欠陥とその政治的かつ戦略的諸限界――独立要求に伴われるべき明確な社会的内容の欠落、他のすべてを圧する独立要求の芝居がかった優先化、そしてマスの指導性という無批判的想定――を示している。
二〇一二年九月一一日のカタルーニャ独立デモ(二〇〇万人が決起:訳者)によって始まった運動から、主にはCiUを除くすべての運動主体に対して、二重の戦略的教訓が現れている。それは、その社会的基盤を広げること、危機に対決する緊急社会計画を運動に一体化すること、さらに、この国のモデルに関する実のある討論に扉を開く詳細化された民衆的憲法制定運動に向けた提案だ。
カタルーニャ民族会議(ANC)がそのメッセージに度を増して関連づけている社会的公正への包括的言及は、その言及が民族国家移行過程に向けた社会的最低基準の明確な綱領という形で確定化されないのであれば、無へと蒸発する。そして先の移行過程は、彼らの工程表にしたがえば、マスの経済政策との間によりはっきりした境界を引くことによって、次の州議会選で始められなければならないのだ。

現政治システム破砕の完遂へ


五月二四日は、疑いなく予想できない展開やねじれを伴った、白紙的情勢の始まりを印している。それは、下からの変革に向けた諸々の好機に道を開く可能性となるだけの格差拡大によって亀裂を作り出された、現政党システムのもろさというシナリオにはよい前兆だ。バルセロナ・エン・コムの勝利は、マスのカタルーニャに反対している民衆に、九月二七日州議会選挙への苦しい旅の最終直線で攻勢を続けることを可能にする。
鍵となることは、政治的主導性を緩めることではなく、五月二四日に始まったことを完遂することだ。そのためには一つのことが必要のように見える。それは、アルツール・マスがかけがえのない人間、信頼できる話を携えているただ一人の人間、として現れることを阻止し、彼をあるがままに、言葉がまじめに解釈される可能性をもつ観点すべてから見た場合、主権をもつカタルーニャに対する主な障害の一つとして登場させること、それを確実にすることだ。

▼筆者はビエント・スル誌編集委員であり、バルセロナ自治大学の社会学教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年六月号)   


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