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    かけはし2015.年7月20日号

新しい運動の再建は古い伝統的組織の外部で


フランス

政治的風景の歴史的変貌

ひとつの時代の終わり直視し
階級闘争の新しい表現つかめ

フランソワ・サバド


 以下に紹介するのは、二〇一五年五月二一日、二二日、二三日にスイスのローザンヌで開かれた国際フォーラムでのフランソワ・サバドの報告である。サバドは、第四インターナショナルの執行ビューローのメンバーであり、フランスのNPA(反資本主義新党)の活動家である。

 フランス情勢に対してしばしばなされてきたアプローチは、フランスがヨーロッパにおける「例外」だというものだった。われわれはこのフランス的例外について、一七八九年のフランス革命が今なお刻印している歴史に触れながら、語る。この例外という言葉は、実際には、ある種の社会的成果、強力な公共サービス、強い国家、強力で生き生きとした力学をもつ労働者運動、高い水準の階級闘争、歴史的な民衆の大衆動員を通じて獲得されきた社会的権利と民主的、非宗教的な自由などを含んでいた。
 強い国家は維持されているが、すべての社会的成果は近年、攻撃を受けてきた。
 フランスで一九八〇年代から始まった長期間の新自由主義の対抗的改革、二〇〇八年の公然たる恐慌とともに始まったその加速、社会党オランド政権によって実施されている緊縮政策と集団的・社会的なものの解体は、このフランス的例外を破壊し、解体してきた。それは崩壊ではなく、破壊であり、漸進的な解体である。

質の異なる社会・経済的変動

 近年になされてきた緊縮政策は単にこれまで何度もなされてきた単なる緊縮政策ではない。それはこれまでとは完全に異なる重要性をもつものである。それには二重の目標がある。ひとつは、グローバルな資本主義の競争の中で主要な障害であると支配階級がみなす「フランス的社会モデル」の中の残っているものを解体することである。第二は、民営化と規制緩和を推進し、経済的・社会的な実態を不安定化することによって、「全般化された市場経済から市場社会へと移行する」ように、社会を再組織することである。この点では、「労働市場の改革」が中心的意味をもっている。これは、労働者の立場を弱め、経営者の立場を強める、社会関係の規制緩和と労働法の破壊によって行われる。これらの政策は同時に大量の失業―実際、これは労働人口の二〇%近くになっている―を、そしてまた賃金と年金の抑制による購買力の低下や大幅な増税を伴う。不安定雇用は爆発的に増大している。
社会支出、地方機関に割り当てられる中央政府からの資金、医療制度や公共教育のための予算。これらの予算を削減する政策は、労働者階級の生活水準を悪化させている。経営者への援助や助成金は、一般家計から資本家の利潤への何百億ユーロに達する富の移転という結果をもたらした。率直に言えば、この恐慌の結果は、ギリシャやポルトガルやスペインに比べるとそれほど厳しいものではない。フランスは世界第六位の大国であって、世界市場で今なお重要な地位を保持している。この国は、恐慌に直面して、社会的衝撃を緩和する政策を取ることができたが、緊縮政策の影響は破壊的なものになりつつある。
ヨーロッパとフランスが経験した景気回復は、雇用と購買力のレベルでは感じられていない。労働者階級は窮乏化しつつあり、実際、大都市の郊外と周辺地域では社会の衰退過程が進んでいる。緊縮政策に加えて、強権的な傾向が生まれており、対テロ政策の名の下に、基本的な民主的諸権利が掘り崩されつつある。フランスでは、今や左翼が市民的自由に対する攻撃を開始している。フランスにおいてはこのような状況はアルジェリア戦争以降、なかったことである。
しかし、経済的・社会的危機に政治的危機が付け加わっている。それは、まさに上記のような政策を実施しつつあるのが左翼(社会党)であるからである。この党は、労働者を攻撃し、労働者の社会的基盤の一部を失い、国を統治するために、従来よりもはるかに縮小した社会的・政治的基盤に依拠することしかできない。

逆転あり得ない社会党の変質


二〇一二年、社会党はこの国の選挙制度の中で権力のすべてのポストを占めるに至った。共和国大統領、国民議会と上院の多数派、主要な都市と県議会、ほとんどすべての地域圏を制した。今日、この党はそれらを失ってしまったし、今失いつつある。
県議会選挙では、投票棄権率はほぼ五〇%に達し、社会党は、保守派の右翼の二九%、極右派の国民戦線の二五%に続く、二一%の得票率で第三位の党にすぎない。その党員数は、二〇〇六年の二八万人から二〇一四年一二月には一三万人に減った。来たるべき党大会に向けてわずか七万人の「活動的な党員」が票を投じたにすぎない。
だが、フランス社会党は、ギリシャの社会民主主義組織である「全ギリシャ社会主義運動」化の過程をたどっているわけではない。今なお二〇%以上の得票率を得ているからである。この党が自壊しているわけではない。フランスはギリシャではない。これは、二つの国の危機のレベルの違いに関係している。
しかし、社会党はかなり弱体化しており、とりわけ党の根本的性格が変わりつつある。社会民主主義のブルジョア的変質と呼ぶことができるものが起こっている。この過程はずっと以前から始まっていたが、今それはスピードアップしている。この変質は、国家ならびにグローバル化された経済の指導的階層への社会民主主義の機構のかつてないほどの統合をもたらしている。「社会党は、ますます労働者階級的ではなくなり、ますますブルジョア的になりつつある」。社会民主主義によって支持されている新自由主義の政策の野蛮さがその社会的・政治的基盤を掘り崩しつつある。
フランス社会の一部の理論家たち―その「シンクタンク」であるテッラ・ノーヴァの指導者たち―は、社会民主主義の社会的対象となる聴衆を変更する必要があるという結論を導き出した。ブルーカラーとホワイトカラーの労働者や技術者から、管理者や自由業や賃金労働者の上層部に置き換えなければならない、と。要するに、「人民を変更する」必要がある、というわけだ。
党の指導機関の構成もまた変わった。教員、労働組合官僚、弁護士、(トロツキーは自分の時代には「カフェのオーナー」を付け加えていた)は、エナルク(高級官僚を養成する高等教育機関、ENA=国立行政学院出身のエリート)、テクノクラート、金融業者に道を譲った。その過程は、社会党がある種その活力を失うようになる地点まで、その歴史のすべての部分とも決別するところにまで、進んでいく。支持者もまた、職業的政治家、すなわち議員とその秘書に取って代わられている。EUについての政策はこの質的変化をさらに進行させている。さまざまな形を取りながら、諸国の社会党はブルジョア政党に変質しつつある。
このことは、社会党が他の政党と同じようなブルジョア政党になったということを意味するのだろうか? 完全なブルジョア政党になってしまったわけではない。政権交代を担うという社会党の役割は、社会党が他のブルジョア政党との違いを明らかにすることを要求するからだ。社会党はいぜんとしてその歴史的起源によって労働者の運動と結びついているが、それはもはや活動家の思い出の中で消え去りつつある過去の軌跡の問題にすぎない。それにもかかわらず、このことはこれらの社会党の内部に矛盾と反対を生み出す。社会党は、たとえその関係がますます弱くなっているとしても、「左翼人民」との一定の関係を維持することができる。この質的変化は、その結論に至るまで貫徹されるとすれば、これらの社会党を「アメリカ型の民主党」に変質させることだろう。
この新自由主義的なブルジョア的変質は社会・自由主義的変質というよりもむしろ新自由主義的変質と呼ぶ方が正しい。なぜなら、社会民主主義のこの変化の中には社会的なものがそれほどないからである。この変質は今や結晶化されつつあるが、それでも社会民主主義内の最右派潮流にとっては十分ではない。
たとえば、フランスでは、マニュエル・ヴァルス(フランソワ・オランド大統領の下での首相)は、「社会民主主義的なすべての言い方を一掃する必要がある」と何度も繰り返してきた。銀行家でありオランド政府の金融大臣であるエマニュエル・マクロンもさらにその上を行き、「左翼のすべての時代遅れの考え」を捨て去るよう呼びかけている。こうした連中が望んでいることは、現在進行中の過程をより完成した流れに変えることであり、たとえそれが社会党を解体することになってもやむを得ない、というものである。これは、二〇一七年の次期大統領選で新たな破たんが生じた場合には、社会党を掌握できるとする仮説に立っている。
社会党の右派は今や攻勢に立っているが、新自由主義的変質に向かうこの強行軍の信奉者に対するさまざまな反対が、古典的な改良主義と再び結びつくことはほとんどないし、まして社会民主主義の歴史的な左派潮流の思想と結びつくことはもっとないという点は認めざるを得ないだろう。新自由主義の政策はただその枠外から正されるしかない。
社会党内部の反対派の指導者たちは、「経済通貨同盟の安定・協調・ガバナンスに関する条約」(二〇一二年三月に調印)に賛成票を投じた。これら指導者たちは、国民議会で社会関係の規制緩和と定年退職年齢の延長を目指すANI(競争力と雇用安定に関する協定)に賛成した。新自由主義の対抗改革とヨーロッパにおける労働者運動が喫した後退のこの間の年月がたどって来た道がそこには刻印されている。最も明白な「裏切り」に反対している社会党内のこの潮流の広がりは、新自由主義の政策の基本的的教義という境界によって制約されている。

右翼、極右の攻勢とその根拠


その結果、社会党のこの政策は選挙での敗北につながる。現段階では、右翼と極右翼が攻勢に立っている。予測に賭けるのは常に危険を伴う。だが、二〇一七年の次の大統領選挙で最もあり得る事態は、第二回投票が右翼の候補と極右翼のマリーヌ・ル・ペン候補との間で争われるということである。社会党候補は第一回投票で除かれてしまうだろう。
社会党が唯一頼めることは、サルコジをつぶせるような「裁判事件」が起こるか、あるいは右翼が分裂することである。そうなれば、右翼が第二回投票に参加できなくなるからである。こうした分裂はフランスの右翼にとっては現実の問題なのである。ほとんどすべてのヨーロッパ諸国で、右翼は追い風を受けているが、フランスでは、二五%の得票率を持つ極右の国民戦線が伝統的右翼の両肩に重圧としてのしかかっており、それが右翼の亀裂を作り出しつつあるからである。
したがって、右翼内には二つの主要潮流が存在している。ひとつは、サルコジに体現される潮流であり、この潮流は、「極右を抑え、有権者を取り戻すために」、国民戦線の政治的土壌を刈り取ろうとしている。また、右翼の有権者と極右翼の有権者の間で実際に相互浸透が存在している一連の地域が存在している。右翼のこの部分は、国民戦線の人種差別的で強権的なテーマを取り上げる。そして、さらには、国民戦線の思想に距離を置き続けている右翼中道派の潮流が存在する。以上の二つの潮流は、国民戦線とは違って、EUの枠内に位置している。今日まで、右翼は極右派を牽制してきた。だが、それはどこまで続くだろうか?
国民戦線はすでに政治生活において中心的位置を占めている。それは、二五%の得票率を確保していて、根を下ろしている。それは大衆的な有権者を有している。一つの問題がいぜんとして解決されないまま残っている。それは、その指導部ならびにルペン一家の現在の危機の結末がどうなるか、という点である。というのも、今日、全世界的な政治的危機が今や国民戦線にも及んでいるからである。
この危機は、一門と派閥の危機であると同時に、財政をめぐる対立でもあるが、それはまた内部の政治闘争の表現でもある。国民戦線は一九三〇年代のようなファシスト党ではない。われわれは一九三〇年代にいるわけではないからである。その指導部の起源はファシストであり、その国家社会主義的テーマは極右派の古典的テーマの繰り返しである。民族の優位性、反移民、反イスラムの人種差別主義、がその政策の中心である。それはファシスト政党ではないが、他の政党のようなブルジョア政党でもない。二五%の得票率を得るようになっているので、この党は、権力の問題に直面している。そして、その点をめぐって激しい論争があることは明白だ。
老ジャンマリ・ルペンにとって、権力に就くということは、体制が崩壊し、それに民族主義運動が取って代わることと結びついている。それに対して、もうひとつの戦略が存在する。この戦略は、国民戦線の多数派であり、この多数派は現在、娘のマリーヌ・ルペンのもとに結集している。この派は、伝統的右翼を分裂させて、その多くの部分を自分たちに従わせるようにするために、体制の内部で自らの立場を確保することを目指している。
それは、イタリアとは違って、ジャン・フランコ・フィーニのようなタイプのプロジェクトではない。ジャン・フランコ・フィーニは、イタリア社会運動を起源にしていて、一九九五年には国民同盟の創設者になり、二〇〇九年には、ベルルスコーニの党、「自由の家」に加盟し、二〇一〇年にその党から分かれた。彼は第二次と第三次のベルルスコーニ内閣の閣僚を務めた。
国民戦線内の多数派は、自分が従属的立場に置かれることになるような同盟の形成を望んでいない。その指導者たちは、右翼を破壊し、それに取って代わりたいと考えているのだ。結果として、この展望は袋小路に入る。なぜなら、危機が深刻化し、右翼が分解しないかぎり、同盟を結ばないと国民戦線は一定の限界を超えることができないからである。当面、右翼は国民戦線の圧力を抑えているが、それはどれだけの間続くのだろうか?
われわれが最も重大な関心を寄せるべきは、選挙面での現象を超えるフランス社会の深い根本的な変化である。社会、文化、イデオロギーを表現するシステム全体が分解している。一方的な憤激から生み出される個人主義、連帯の拒絶、人種差別主義、イスラム嫌悪、反ユダヤ主義、貧者に対する貧者の戦争、「保護的援助」に対するヒステリックな非難を伴う貧者に対する貧者の戦争。
数年前、フランス共産党は反動的現象の台頭を表現するために次のような公式を用いた。「社会が右傾化しつつある」と。われわれはこの公式の是非について議論をすることはできるが、左翼の破産の結果としてこのような動きは存在しているのだ。したがって、「シャルリー」を襲った攻撃に対する(二〇一五年一月一五日の)抗議行動がこの国の数百万人の人々が街頭に出るという民主的、人道的反応を引き起こした。このデモは、その後、人種差別主義の後退という形では表現されなかった。世論調査に示された地中海地域出身の移民に対する反発は、フランス政府とEUの態度に助長されたものだが、実にひどいものである。こうした世論調査は、フランスの人々のさまざまな階層の間に及んでいる「不人情」の度合いを明確に示している。

社会的爆発の政治的表現が鍵


【階級や階級闘争をのぞまない? それなら平民やアトム化されたマルチチュードということになろう。もはや人民をのぞまない? それなら群れや部族ということになろう。党をのぞまない? それなら世論の専制ということになろう】(ダニエル・ベンサイド、Eloge de la politique provane)
そして、こうした脈絡の中で、労働者の運動はどうなっているのか? 力関係は悪化している。階級闘争を示す曲線は下降に転じつつある。フランスでは今日、われわれは一九六〇年代以降、最低地点のひとつにいる。労働組合と政党―これらすべての―組合員数と党員数は下降している。この国最大の労働組合組織CGT(労働総同盟)は、腐敗をめぐる指導部の深刻な危機を経験している。
にもかかわらず、社会の抵抗は存在している。賃金、仕事をめぐる闘争がある。教員や医療労働者のデモがなされ、エコロジーをめぐる大衆動員がなされている。けれども、今日に至るまで、そうした闘いは新自由主義の対抗改革や経営者の攻撃を阻止することができていない。それでも、政治的、制度的なすべての解決策が妨げられると、社会的爆発が勃発する可能性がある。しかし、ダニエル・ベンサイドの言葉の引用が示しているように、問題はこうした爆発の意味なのである。階級闘争は続く。それは今では経営者によって主として展開されている。それは初歩的な抵抗を生み出す。それは激しい社会的爆発につながる可能性がある。問題はその意識と組織の面でのその政治的表現にある。そして、この点にフランスの現在の情勢の真の問題があるのだ。
ギリシャやスペインとは違いがある。もちろん、両国の政治的、歴史的違いを考慮に入れた上でだが、フランスにはポデモスもシリザも存在しない。一九九五年以降、三つの政治上・選挙上の経験が積まれてきたし、私はこうした経験の選挙形態を強調してきた。一九九五年にはアルレット・ラギエおよび「リュット・ウヴリエール」との間の、二〇〇二年と二〇〇七年にはLCR(革命的共産主義者同盟)そしてその後のNPA(反資本主義新党)ならびにオリビエ・ブザンスノーによる、二〇一〇年〜二〇一二年には左翼戦線ならびにジャン・リュック・メランションとの間の経験である。
メランションは、二〇一
二年には、四五〇万票以上を獲得した。三つの経験は、「左翼の左翼」の政治的再編のための潜在的可能性があることを示してきたが、同時に、その限界と失敗をも示してきた。これらの経験はまた、国民戦線にとっても残された自由なスペースがあることを説明するものともなっている。
急進的左翼は、バラバラで、後退し、社会党との関係をめぐって分裂している。フランス共産党は、左翼戦線によって自身を再起させたが、衰退し続けている。党員数は四万人以下である。この党は、とりわけ社会党とうまく手を切ることができていない。この党が(社会党の)フランソワ・オランドとマニュエル・ヴァルスの新自由主義の政策に従っていないことは確かだが、緑の党と社会党内部の反対派とともに「左翼連合」を再び立ち上げたいと望んでいるのである。社会党が政府の主要な対抗改革的政策に賛成票を投じているのにである。メランションは、より左の立場に、社会党よりもより明確な立場に立っている。しかし、彼の立場のいくつかは、反ドイツのナショナリズムに、あるいはウクライナの対立ではプーチンに対する同情的態度に支配されている。このために、政治的オールターナティブを討論するための条件が複雑なものになっている。
反資本主義の社会的、政治的オールターナティブをいかに再建すべきか? これが、セクト主義の暗礁や支配的左翼の改良主義勢力への順応を避けようと試みているわれわれが直面する困難である。このの問題にわれわれは次のように応えていくだろう:
この間一連の闘争が展開されてきた社会問題をめぐって、とりわけ賃金問題をめぐって、部分的勝利を獲得することを通じて、社会闘争と大衆動員を構築することによって。
国民戦線に反対する闘争のようないっさいの人種差別主義に反対する民主主義の闘争の分野―特に国民戦線が支配する都市においてその差別的政策がもたらすものに反対する闘争の分野―に活動家は取り組まなければならない。
社会運動のいっさいの新たな再編に取り組むことによって。ここでは、単なる工場ではなくて、都市空間、広場、占拠が問題になる。一九九〇年代、ダニエル・ベンサイドは、「社会的幻想」ならびに政治問題の過小評価に警告を発した。今日、政治的・制度的なあらゆるテコの支点を活用しながらも、むしろ「政治的・選挙的幻想」に気をつけるとともに、急進的な解放のいっさいの過程が労働者の自己解放、自主的組織化、直接行動に依拠しなければならないという点を思い起こす必要がある。
社会党と決別するすべての勢力を結集するための闘争と政治行動における統一政策を通じて。これは愛想をふりまくような政策ではない。混乱があり、社会党が拒否している状況のもとでは、同時に反資本主義的な発展力学をもち、たとえそれが困難であっても社会党に対する純然たる一線を画するような反緊縮の緊急プログラムを提起しなければならない。
われわれはシリザやポデモスのようなタイプの経験を持っていない―ここでもまた強調しておくが、これら二つの現象は同一ではない―が、労働者運動の古い伝統的組織の外部に新しい社会的、政治的運動を再建する必要がある。これは、一連の統一行動や統一した論争を経過することになるが、われわれはそれに向けて常に準備ができているわけではないし、あるいはそうした統一行動や統一した論争がセクト主義によって拒絶されたりしている。

不安定な歴史的過渡期への挑戦


二〇〇八年の恐慌でさらに深まった一九七〇年代末から始まった新自由主義の対抗改革の長く続く期間、スターリニズムによって引き起こされた破壊、すべての構成勢力をも含めた労働者運動にとっての「一世紀のバランスシート」の影響、新しい運動の非常に部分的な再編、その分化、その分散化。以上すべての要因が組み合わさることによって、事態は歴史的な労働運動の終焉に進んでいる。
これは、数十年間のこの労働者運動を形成してきたひとつのタイプの資本主義の終焉とも、ある意味ではひとつの時代の終了とも結びついている。階級闘争の終結ではない。階級闘争は続いているが、それは、過去の部分と新しい部分と混ざり合うことによって、新しい表現、新しい組織の形を取るだろう。
今日は、力関係が悪化しつつある局面であり、とりわけ、「もはやすでにない」―戦後の資本主義、前世紀の労働者運動がもうない―と「まだない」―政策と社会的・政治的運動の建設の新しい建設の経験を生み出す広範な社会・政治闘争がまだ生まれていない―との間の情勢における不安的な歴史的過渡期である。だから、われわれは、この局面の中で、その再建に参加しなければならないのだ。(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一五年六月号)


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