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    かけはし2015.年7月27日号

全欧州規模で反緊縮の闘いを


ギリシャ

欧州の圧力に屈服したチプラス政権

NO!に投票した民衆を裏切る

シリザ政権内でも政治的分解が進行

アンドーレアス・サルツェキス


 七月五日の圧倒的な民衆的ノーに対する全欧州支配階級の結束した反攻、抑圧を前に、ギリシャ民衆の、そして潜在的には欧州の労働者民衆の次の闘いが始まろうとしている。シリザ政権はその中で、彼らの思わくを超えたこのノーに対し必死で冷や水をかけつつ、息継ぎ的金融支援と引き換えにトロイカの要求に次々と応じている。それに応じてシリザ内の亀裂もあらわになると共に、諸勢力の動きも新たに始まり、ギリシャ情勢が緊張を増している。この情勢に対しギリシャ支部の同志が以下のように、反緊縮の決然とした全欧州規模の統一した決起を求めつつ、ギリシャ内での反緊縮決起の統一した展開を追求すべき、とする論考を提起している。(「かけはし」編集部)


 「システムを打ち負かす六一・三%のノー投票、そしてシステムへの服従のためのイエス二五一票(後述参照)」。これが、アンタルシアの一構成組織であり、ギリシャの革命組織の主要グループであるNARの機関紙、「プリン」に掲載された七月一二日の一面見出しだった。
 それはそれ自身で、この情勢の逆説を鮮明にまとめていた。ところが七月一三日朝には、ギリシャ議会の圧倒的多数(三〇〇中二五一)によってほんの少し前に承認された三回目のメモランダムの提案は早くも、トロイカのハゲタカどもの要求によってもっと多く限度を超えさせられていた。EU諸機関とギリシャの制度諸政党の側で七月五日のノーを忘れ果てさせるべくあらゆることが行われ続けている中では、今回の投票の決定的な重要性を評価するために、この局面(欧州の論争の光景が思い起こさせるものはむしろグラン・ギニョール〈パリに一九世紀末から二〇世紀半ばまであった大衆芝居、こけおどし的芝居を指す:訳者〉だとはいえ、スタティス・クーヴェラキスによって使用された言葉を使えば「悲劇的」な)が必要とすることを見極めることが必要だ。

国民投票は何であったのか?


ギリシャで、しかしまた他のどこでも、圧倒的なノーを考慮に入れることに対するチプラスの拒否に関する論争は、傾向として二つの方向に翻訳されている。つまり、シリザの革命対抗的性格を証明すると思われる裏切りとしてか、それとも、改良の最低限の主導性に対してすら不利すぎる諸環境への強制された、しかし不可避的な適応か、というものだ。そのような討論は正常だとしても、われわれは、国民投票の民衆的で階級的なメッセージを基礎とした諸提案を建設的にする、すなわち信頼性のあるものにし、人びとを鼓舞するものとするために、そうした議論を超えて進まなければならない。
これがわれわれに義務づけることは、問題をあらためて提出することだ。つまり、国民投票はチプラスの大きな政治的実際的知恵を明らかにすることになったのか、だ。そしてそれに対してわれわれの観点からはノーだ。それはむしろ、シリザ指導部が彼らの提案すべてがトロイカによって立て続けに拒否されるのを見た結果の、彼らによる政治的落胆の一行為であるように見える。そしてこのトロイカの作戦支配をチプラスは受け入れることになったのだ。
テッサロニキの選挙綱領はシリザの綱領との比較では一歩後退だった、ということを思い起こそう。そしてシリザは選出されるや、「停止線」(年金、雇用法)を超えないようこの最低限綱領をも放棄した。
しかしながら、各時点で欧州ブルジョアジーの圧力――ノーベル賞受賞者であるスティグリッツははっきりと、その動機は純然たる政治的なものだと示してきた――が戦線を押し戻してきた。そして各々の時点で政府は、トロイカとの間で合意を見出す上での用意はできている、と語ってきた。
ここには、社会民主主義には通例であった資本主義綱領への全面的な整列以上のものがあるが、われわれはここにむしろ、その路線に圧力をかけることに成功しなかった急進的少数派を抱えた改良主義政党の極度の信じやすさを見るべきだ。
シリザ指導部は、古典的な改良主義の戦術にしたがいつつ、トロイカに後退を強いるために欧州の労働者と若者の決起を求めて呼びかけるよりもむしろ、即席に用意した国民投票を呼びかけた。その想定は次のようなものだ、まずイエスが優勢となれば、われわれが考えることのできることとして、チプラスは野党として党勢を回復させるために右翼に政府を引き渡していたと思われる。そしてノーが勝利すれば、それがトロイカが強要する諸要求ををもっとうまく交渉する助けとなるだろう(三回目のメモランダム案は、投票前にブリュッセルに連絡済だった)、というものだ。
しかしながらすべての者を驚かせたことは、そしてそこにはノー投票に向けた動員では鍵となる役割を果たした革命的左翼も含まれるのだが、緊縮とのはっきりした絶縁を求める底深い運動だった。それは、欧州にとどまるという、しかしハゲタカと特権的寡頭支配層の欧州ではなく、むしろ労働者の欧州、若者たちの、連帯の欧州にとどまるという運動だった。この運動はこうしたスローガンの下に現れたわけではなかったとしても、これは確実に、このような要求が今回のようなレベルで浮上した欧州の歴史では最初のことだ。そしてもちろんこの大衆的運動は、特権者たちの欧州の維持に対するメディアの支援から助けを受けていたイエス投票支持の小さな動員を、全面的にしのいでいた。
この現実のゆえにKKE(ギリシャ共産党)の恥知らずな性格がある。彼らは事実上無効票投票を呼びかけた(そして投票日の夜にその指導者のコウツオウムバスは、ノー投票した者とイエス投票した者双方に話しかけたがった)。
この現実ゆえ同時に、キャンペーンにはいかなる登場もないままノーを呼びかけたナチグループ、黄金の夜明け支持者の姿勢がある。世論調査が示すところでは、その支持者の六〇%はイエスに投票し、それはまさに、このキャンペーンの階級的分極化の印そのものだ!
七月五日の夕刻には、ノーが勝利したということがすぐに鮮明となった。そして二時間後にはシンタグマ広場(国会議事堂前の広場であり、この五年の民衆的闘争を表す象徴的な広場となっている:訳者)での巨大な自然発生的集会をもって、民衆の波が現れた。しかしこの波はチプラスの声明を聞くために、五時間以上待たなければならなかった。われわれは、この国全体に共有された驚きだけではなく、シリザ指導部の当惑もまた想像できる。
しかしながら、その指導者サマラスの即刻の辞任をもって右翼が崩壊し、労働者階級居住区が緊縮の「支配」との絶縁というこの要求を祝福していた中で、チプラスの声明は即座に冷水効果を及ぼした。すなわちチプラスは、決起継続を求めるよりもむしろ、新メモランダムの要求と何も変わっていなかった要求にもっと多くの支持を得るために、国民的団結と翌日の党指導者会合を求めることにより、この勝利を壊したのだ。

新たな流動局面が始まった


この点では、もう一つの裏切りを思い起こさせる反逆に関し語らないでいることは難しい。つまり二〇一三年、その時は中学教員がギリシャの大学入試に関係するストライキを支持する投票を行ったのだが、この決定はオルメ労働組合指導部、つまり、PASOK、右翼、またシリザの諸潮流よって拒否されたのだ。そしてKKEはそのはじめからストライキを拒否し、明白にアンタルシアによって形成された潮流だけがストライキ継続と教員の投票の尊重に支持投票を行った。
当時すでに、諸制度の外部の情勢に自身を見出すことに対するシリザの怖れは明白だった。それは今日、現在の方向が数々のデモで逆転されないのならばはるかにより深刻となる諸結末を伴って同じままだ。
要するにすでに、ブリュッセルのハゲタカ以外に、少なくとも三人の勝者が生まれている。まず投票を通じてその指導部が信頼を失ったKKEであり、彼らは「私が言った通り」というテーマを利用している。すでに七月一〇日、議会前のイエス投票反対のデモ中でのKKE労組潮流の隊列は、極めてセクト的な基礎の上で非常に大きく、高度に動員が利いていた。
あり得るもう一つの勝者としてナチスがある。彼らは、幻滅を基礎とした民族主義のあり得る高揚を利用できる可能性がある。言われなければならないことだが、黄金の夜明け指導者たちの裁判(反ファシスト活動家であったヒップホップ歌手殺害の責任を問われた裁判:訳者)延期によって彼らは今釈放されており、レイシストの攻撃は再開されている。
もう一つの勝者は反動派諸政党であり、これらは七月五日の夜には、大したものを期待してはいなかった。こうして、人が右翼指導者のテオドラキス(ノー投票を呼びかけた作曲家とは何の関係もない)の言を聞けば、首相が違っていればと思うことにもなる。それ以上に欧州の指導者たちは、民主的な主権に関する彼らの極めて特殊な概念を示すためにこれを歓迎する。
しかしもちろん大きな敗者はギリシャ民衆、特に労働者と若者たちだ。チプラスのメモランダムは、年金への攻撃、秋の最低賃金小幅引き上げの停止、余剰人員つくり出しを伴う私有化、公的部門における制裁含みの査定復活、などを意味し、それはすなわち、七月五日の投票が意味したもの、そして七月三日の巨大な結集から現れた大きな希望とは正反対になるものだ。
そこにはもちろん、反緊縮の諸決起が拡大しなければ、巨大な危険が伴う。つまり、民族主義的高揚を伴う幻滅が、ナチスの立ち直りを助ける可能性があり、いかなる形でも革命派が利益を受けることのないまま、ギリシャと欧州における急進左翼の希望を打ち壊す可能性があるのだ。
それこそが、今ギリシャで最後までやり切られつつある闘いが、この国ばかりではなく全欧州で数知れない決起を起こさなければならない理由だ。

ギリシャ民衆の闘いを孤立させるな

 議会における七月一〇日の採決は、この議会が民衆の切望とどの程度までずれているかを確かめることを可能にした。前政権与党の諸政党は、彼らの新たな共犯者であるポタミ、そしてシリザの連立相手であるANEL(独立ギリシャ人)と並んでイエスの投票を行った。KKEは黄金の夜明けと共にノーに票を投じた。しかしシリザ議員の票の詳細を確かめれば興味深い。実際の結果では、圧倒的多数がイエス(三〇〇中二五一)だが、シリザでは、二人がノー(DEAメンバー)、八人が棄権(左翼プラットフォームを指導する閣僚のラファザニスとストラトウリス、また議会議長であるコンスタントポウロウに加えてERTテレビ局ジャーナリストのキリツィスを含む)、一方七人が欠席した。イエスに投票した者の中では一五人が左翼プラットフォームメンバーであり、彼らは、ノー投票で政府を倒したくなかった、と語った。
こうして、民衆的投票の否認を前にシリザ議員の側には論争がほとんどない、ということが分かる。そして再度、この全面的な逆転を正当化するシリザの公式的主張は次のようなものだ。すなわち、交渉を進めよう、それは腐った合意となるだろうがかつてやられたことだ、われわれは最終的には統治することになる、そしてそれこそ、われわれがこの五カ月できずにきたことだ、と。
確かに世論調査は、右翼との関係でシリザが前進し続けていることを示している。しかし本当の問題は別のところにある。つまり、シリザがたとえ統治できるとしても――しかし確かなものはまったくない――、それはどんな政治に基づくことになるのか、ということだ。今朝(七月一三日)、新たなフランス・ドイツの要求は、今や公式に認識された主権の喪失に関わるものになっている!
それゆえかけられているものは巨大であり、欧州の左翼はそれを前にとてつもない責任を負っている。そしてそこには、明白な決然とした統一的行動が含まれる。
ギリシャ自身の中では、ここまで諸々の決起が維持されてきた――七月一〇日にはアンタルシア、アナーキスト諸労組、PAME(KKEの労組潮流)さらにシリザ左派の呼びかけに基づいて議会前に数千人が結集、七月一二日にはアンタルシアと下部の諸労組呼びかけによる大集会――が、それは強度を増すに違いない。
緊縮と絶縁する政策に立って共に努力するよう、政府内であろうが政府外であろうが全左翼政党に訴えることを忘れることなく、左翼の全潮流としかし特に未組織の人びとを結び付ける取り組みの中で、羅針盤として役立たなければならないものは大衆的で断固としたノーだ。古参活動家のマノリス・グレゾスは、この大衆的なノーに対する尊重を求めてきた。一方古い共産党活動家のビツァキスは、ギリシャ諸都市での数万の民衆による集会に対する痛切な望みを示した。
緊縮との絶縁が諸要求の中心に置かれなければならないことは、かつて以上にはっきりしている。そしてそのことは、フランスとドイツの銀行の、あるいは欧州心臓部のタックスヘイブンの利益追求ではなく、連帯に基づく経済政策という基礎に立ったユーロ圏の想定を継続することに対しては、最良の手段となると思われる。

▼筆者は第四インターナショナルギリシャ支部、OKDE―スパルタコス指導部の一員。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年七月号) 

ギリシャ

チプラス、トロイカの傲慢さに譲歩

EUの諸機関・規則との絶縁を

欧州の圧力を跳ね返す民衆決起を

ローラン・カラッソ

 保守派と社会民主主義派の反動諸勢力は今祝いに沸いている。チプラスとギリシャ政府は、フランス大統領オランド――穏和な警官の役を演じている――の顧問が書き上げる手助けをしたあとで、七月五日にギリシャの民衆、特に賃金労働者と失業者によって大挙して拒絶されたものの条件に多少とも忠実に従った協定案を送り出した。
 投票者の六二%がその協定を拒絶したとすれば、その理由は、彼らが次のことを極めて十分に分かっていたからだ。それは、この五年何に耐えてきたかということ、どのような新緊縮計画も彼らを不安定さと貧困へさらにもっと押しやるだろうこと、そしてギリシャ民衆はその尊厳と自らの運命に対する支配を取り戻したいと思っている、といったことだ。
 ギリシャ政府はこの投票に背を向けて進むことで、この二、三週間増すばかりであった、そして六日以後にはさらに増したトロイカからの圧力に明らかに応じようとしている。
 チプラスは、彼をトロイカと闘わせている新たな意志の戦闘で、終点に達した。国民投票の成功後に欧州の指導者たちから送られた信号には曖昧さはなかった。つまり、ギリシャ民衆の意志を受け入れることなど問題外、ということだ。

国民投票の結果は
緊縮政策の拒否
ここでオルタナティブの第一の選択肢は、EUの諸機関および規則と絶縁することだった。そしてそれは、銀行システムを支配下に置き、債務返済を停止し、国内外のサボタージュに向けたあらゆるたくらみを阻止するために、民衆的動員を組織することを意味したと思われる。
チプラス政府は今にいたるまで、この道をとることを拒否してきた。この道は、諸機構に関する必要な策謀を排除するものではないとしても、住民をはっきりと、自身の運命の直接的主体とする目的の下に、組織化と動員に関わらせるのだ。
他の選択肢は、絞め殺しを回避するためにトロイカの諸方策を即座に受け入れることだ。協定受け入れと破綻回避による期待はおそらく、債務返済という締め付けを緩めること、その上で後に緊縮と絶縁する諸方策を実行することだろう。しかし欧州の監視人たちはそれをそのようには見ていず、いかなる一方的な――つまり主権的――方策も受け入れないだろう。欧州の指導者たちとの新たな衝突がない限り、この後者の選択肢は、ギリシャであれ他のどこであれ終わりのない緊縮を実行することになるだろう。

闘い取るべきは
債務の帳消し
この地点が、メルケル、オランド、ユンケル、ラガルドによって柵が置かれたところだ。彼らの誰一人として、欧州資本主義の決まりをこのように無視する一国民を受け入れることなど決してできない。
彼らに受け入れるつもりがあるものは、ただ債務返済期限の再設定、あるいはその部分的帳消しだけであり、それは彼らが二〇一二年に、構造調整計画に対するアテネ政府の全面的服従を背にやったことと同じだ。
欧州の指導者たちは、民衆の名の下に語っていると主張しながら、ギリシャ政府とその民衆が彼らの虜になることを求め、そのことで、一九八〇年代にマーガレット・サッチャーが語ったと同じ教訓、「代わりとなるものはまったくない」を他の民衆が悟ることを欲しているのだ。
ギリシャ政府は、EUの規則を受け入れ続ける中では、この圧力に対抗して立ち上がることはできない。
しかしわれわれはこの戦闘で、そしてまさに今幕を開けたこの新しい劇に際し観客にとどまることはできない。チプラスがたとえトロイカに忠実な諸政党内部から議会での支持を見出すことがあろうとも、ギリシャの中には、またシリザ内や急進左翼全体の中には、さらに社会運動や労組運動の中には数多くの声が生まれるだろう。そしてその声は、二〇一五年一月以前に行われ、またこの週再確認された約束を彼に思い出させるために、大きく上げられるだろう。
これらの声は、そのことで債務というこの脅迫が終わり、このあくどく正統性のない債務が帳消しにされ、ギリシャの民衆がもはやのどを締め付けられないようにするために、欧州諸政権やECBに対決して欧州中で必ず決起する人びとをもって、反響を見出すだろう。
二月二〇日の後と同じく、トロイカはまだ勝負を付けたわけではない。(二〇一五年七月一〇日)

▼筆者は労組活動家であると共にフランスNPAの全国指導部メンバー。第四インターナショナルビューローメンバーでもある。以前のフランスLCRでは政治局メンバーでもあった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年七月号)

ギリシャ

7月15日の逮捕者との連帯を

警察の弾圧と暴力に抗議する

OKDE(国際主義共産主義組織)―スパルタコス(第四インターナショナル・ギリシャ支部)

 

 前政権と同じ路線に従った新しいメモランダムに賛成投票したSYRIZA(シリザ)・ANEL(独立ギリシャ人)政権は、社会的支配の最後の方式――国家警察の暴力と弾圧――に依存する以外に、ギリシャの労働者と民衆の生活を破壊し、労働者階級の大量のNO票の転覆を完成させる新たな緊縮措置を実施することができないことを証明してしまった。
 七月一五日の夜、すなわち新しいメモランダムに反対する公共部門と自治体、病院のゼネストの当日、労働組合と社会・政治的諸組織が主催したデモにおいて、「左翼政権」の警察は暴力の限りをつくした。OKDE―スパルタコスのメンバーが旗を掲げ、声をあげながら誰にも分かるかたちで立っていたデモ隊列が、何の挑発行為をも行っていなかったにもかかわらず、機動隊によって暴力的に襲撃された。機動隊は乱暴に殴りかかり、デモ参加者を負傷させ、そして何の理由もなくかれらを逮捕したのである。
 OKDE―スパルタコスとANTARSYAの二人の同志は、襲撃の際に激しく殴打され、逮捕された後の翌日、七月一六日にも、多くのとんでもない、でたらめの罪を着せられ、逮捕された他のデモ参加者とともに暴力をふるわれたのだ。かれらの裁判は七月二二日の水曜日に予定されている。この二人の同志は、書店で働く労働者で書店従業員労組書記のマントス・タブラリスと、ソーシャルワーカーで子ども「パンマカリストス」基金労組員のミカリス・グドゥマスである。
 われわれの同志とともに逮捕され、警察官による同様の暴行を受けた他の一五人の活動家の裁判も水曜日に行われる。
 政府は、自分たちの敵と昧方についていかなる幻想をも認めていない。政府は、ブルジョア政党、メディア、地元資本と欧州資本、EUとIMFとの密接な協力のもとに新しいメモランダムに賛成したのである。政府は、有名な「近衛兵」であるMAT(ギリシャ機動警察)、DIAS警察部隊を使って反資本主義左翼の政治組織、労組活動家、政治活動家に対し、考えもつかない残虐性をもって攻撃することを選んだのだ。弾圧された活動家たちはこの数年間、メモランダム、緊縮政策と権威主義的諸施策のための法案に反対して闘ってきた活動家であり、国民投票での「ノー」のために闘い、活動してきた人びとであり、多数の働く人びとの解放と資本主義の地獄からの自らの自由のために闘ってきたのである。
 勤労人民の圧倒的な「ノー」の声を、極度の階級的荒廃たる「左翼」メモランダムへと権威主義的に転換してきた政府による弾圧は、「最後までノーを」と叫ぶ民衆の側に立って闘っている政治的活動家たちを震え上がらせるものではない。
 七月一五日の労働者集会で警察の弾圧の「標的」となったグループの、ともに闘う政治的活動家たちの側にわれわれが立ち、逮捕された政治的活動家たちが、そのために裁判にかけられる罪状のすべてをただちに取り下げさせるためにわれわれが闘っているのは、そのためである。
 われわれは七月二二日午前九時にエベルピドン裁判所地区で開催される連帯集会に参加する。(七月一七日)
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一五年七月号)

ギリシャ

シリザの議員38人が協定を拒否
緊縮支持多数派と拒否派の攻防

スタティス・クーヴェラキス

 シリザ議員の三八人が協定を拒否した。採決の全体結果は、イエスが二二九、ノーは六四、棄権は六、欠席は一だった。この日はギリシャとその左翼にとって悲劇の一日だ。
 シリザ議員の三分の二以上が、親緊縮諸政党(新民主主義党、PASOK、ポタミ)並びに連立少数党であるANEL(独立ギリシャ人)と共に、欧州のあらゆる種類の左翼(社会民主主義を含む)政府によってかつて受容された中では群を抜いてもっとも過酷なものとなった緊縮策に対し、支持を与えた。この策と比べられるのは唯一、二〇一〇年にPASOKが通過させた第一次メモランダムだけだ。
 しかしこの策はある点では、五年にわたるショック療法によってすでに荒廃させられた一国における過酷な緊縮、という以上に深刻なものだ。すなわちそれは、民主主義の、人民主権の全面的な破壊であり、もっとも鋭い従属形態の深化と永続化なのだ。
 しかしシリザ議員三八人(一四九人中の)は名誉を救った。すなわち、三二人がノーに票を投じ、六人は「出席」に投じたのだ(また一人は欠席した)。
 左翼プラットフォームの議員全員、そしてKOE(毛派)、ゾエ・コンスタントポウロウ、前閣僚のヴァロファキスとナンディア・ヴァラヴァニ、また他の二人がノーに投票し、「五三」潮流(元多数派ブロックの左派)の六人が棄権したことが明らかとなっている。
 いずれにせよ政権は、それ自身の基礎となっている多数、つまりシリザ―ANEL連立の一六二人の議員に対する支配を失った。この政府を支持したのは一二三人にすぎず、それは、政府形成から生じる憲法上の慣習である、議員一五一人という議会多数に必要とするものにはとうてい足りない。
 建前としてはチプラスは辞任せざるを得ず、彼はこの日の午後、シリザ議員全員の支持がなければ辞任することになると語ることで議員たちを脅した。しかしもちろん彼にその気はなく、単に彼の部隊を操作しようとしたにすぎなかった。しかしながら、この新たな事実上の緊縮支持多数派が何らかの種類の適当な政治的連合に移されるのは時間の問題であるというのは、はっきりしているように見える。
 「三八(ノーに投票したか棄権したシリザ議員)」はこの日を救った。それゆえ未来への可能性は残っている。それは、労働者と民衆の闘争を通じて変革される左翼としてだ。
▼筆者はロンドンのキングスカレッジで哲学を教えているが、シリザ全国指導部の一員であると共に左翼プラットフォームの一指導者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年七月号)

コラム

「病室より」

 七月四日(土)夕方静岡の田舎でのこと。夕食を済ませ、玄関から庭先を通り、脇屋の二階に向かう時、足をとられ、すってんころり。「あー」、痛い。すぐに起き上がれなかったが、はうようにして、二階の階段をあがり、布団のなかにころがりこんだ。単なる打ち身と思い、痛さもがまんして寝た。
 しかし、翌朝立ち上がろうとして、足をつくと痛くて歩けない。捻挫か足元が炎症を起こしているだろうから、数日すれば治るだろうと素人判断をしていた。母親などから病院を勧められたが日曜日で病院もやっていないと断っていた。それでも、少し心配になり、スポーツをしていた友人に連絡したら、即座に病院に行くようにアドバイスを受けた。
 救急病院で整形外科の医者は、足の痛いところを触診して、もしかしたら骨折かもしれないと言いながら、レントゲンを撮った。すぐに結果は出た。「骨折です」。少しの希望も断たれた感じだった。写真を見せられると、きれいに足の骨が縦に割れていた。「骨がずれていないので、痛みがそれほどでもなかったのでしょう。うまくいけば一カ月ぐらい石膏で固めたらくっつくだろう。だめならボルトで固定する手術が必要」との診断だった。
 明日から、仕事のことなどやらなければならないことがいっぱい待っている。暗い気分になったが、友達からの励ましもあり、「ケセラセラ(どうにかなるさ)」と腹を決めた。娘から「連れ合いが車で東京から、迎えに行くから待つように」との連絡が入った。三時間ぐらいでその日の夕方東京の自宅についた。
 さて、松葉杖の生活は初めてだ。「片足をつけてはいけない」。この生活をして見ると、一メートル先に行くにもたいへんな思いをしなければならなかった。すべてが思うようにいかないのだ。翌日、無理をして事務所へ。雨が降っていたが家から橋を渡り数百メートルを杖で歩いた。手・肩が痛くなり、途中で引き返したかったががまんしてゆっくり歩いた。親切な中年女性が見かねて傘を私の頭の上にもかけてくれ、いっしょに歩いてくれた。
 事務所でも、コンピュータ操作はできても、食事から何から世話になった。一晩泊まり込み作業を終え、病院で診察。
 第二幕が開いた。骨が1・4ミリ離れている。手術をした方がよい。がーん。頭真っ白。手術は予想していなかった。
仕掛かった仕事、バイト、「かけはし」などやらなくてはならないことが頭を駆け巡った。手術をしないでギブスだけというものもありだが、骨がずれることもあるし、その後手術ということもある。即座に決断するしかなかった。
一三日に鉄板を入れ固定する手術をした。二週間程の入院とリハビリ。
連日、戦争法案の強行採決の攻防、それに反対する行動のニュースが流れている。本来なら自分がそこにいると思うとへんな感じだ。迷惑ばかりかけているが治療に専念する。病室より。七月一五日。
         (滝)



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