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    かけはし2015.年8月3日号

大統領の「法と原則」とは何か


法曹フェティシュ(崇拝・執着)

総理候補者6人のうち4人が法曹人


  5月21日に韓国の新首相として指名されていたファン・ギョアン元法相が6月18日、国会の同意を経て、パク・クネ大統領から正式に任命された。不正資金疑惑で辞任したイ・ワング前首相の後を受けた。新首相は公安検事出身で極右保守として認識されている。(「かけはし」編集部)

 総理空白の1カ月、結局はファン・ギョアンだった。「社会統合型総理」が出てこなければならないという声もあったけれども、結局は公安検事出身の「ミスター国家安保法」が選択された。パク・クネ大統領の並はずれた判事・検事出身に対する選り好みも、再び口やかましい話題として行き交っている。現政権になってからの総理および総理候補者6人のうち法曹人出身が4人だった。2004年のハンナラ党代表当選直後に任命した最初の秘書室長は判事出身のチン・ヨン元保健福祉部長官だった。2012年の総選挙を前にして彼女はチョン・ホンウォンを公職者候補推薦委員会委員長として電撃的に抜擢し、2012年の大選(大統領選挙)を準備する際には予想を打ち破ってキム・ヨンジュンを共同選対委員長に据えた。アン・デヒを政治刷新特別委員会委員長に連れてきたりもした。
 ここまで来れば「法曹フェティシュ(崇拝・執着)と呼ばなければならないのではなかろうか。もちろん大統領の立場からは、人事検証を通過できるだけの人物が法曹人出身の何人かだけだったと抗弁することもできよう。だが因果関係をたどってみると、そもそもの人材プール自体が極めて狭量であるがゆえにそのような結果に結びついたのだ。これまでのいきさつを見たところ、候補群や選択された人々たるや「あの親にして、この子あり」の様相だった。

存在しない「人事検証」システム


しょせん人材の起用はコードの合う人を選ばざるをえないということを認めたとしても、これほどに特定の職群だけが突出するのは極めてまれだ。幾つかの極右メディア・TVなどが、その理由を「分析」したことがあった。「パク・クネ大統領がひたすら法と原則、透徹した国家観を重要に考えたから」だという。いや、ちょっと待って。何かが変だ。思い起こしてもみよう。大統領が起用しようとしていた人々の大多数がさまざまな実定法違反や、社会の標準をはるかに下回る道徳観しか持たないとして批判され落馬した人々だった。法と原則を重要に考えている人が、法と原則を日常茶飯事的に破っていた人々を起用しようとしている?
とすれば訳は以下の3つのうちのどれかだ。第1、幽体離脱ないしは自我の分裂、第2、青瓦台の人事検証システムの問題、第3、「法と原則」についての解釈の違い。第1を決して排除することはできないが医学の領域なので、とりあえずは外すことにする。そうすれば2番と3番が残る。2番は相当に説得力のある理由だけれども、繰り返される「人事の惨劇」を見ると現政権には人事検証システムのようなものはもともと存在しないか、無いに等しい状態だと仮定しなければならない。つまりシステムではなく徹底して大統領個人の意志に従って決定されると推定せざるをえない。今や3番は2番によって強化される。システムは作動せず大統領は「法と原則」を重視するが、「法と原則」に都合さえつけば、これに反した人々が公式の候補として浮上し続ける。この方の精神状態が万全だと前提するならば、我々の「法と原則」と大統領の「法と原則」は互いにどこか異なった何物かだと考えなければ合理的ではない。

制裁、鉄槌の道具「司法」

 我々にとっての「法と原則」は誰もが守らなければならない普遍的規則だ。辞書的意味においては当然にもパク・クネ大統領にも同じように適用されるものであるだろう。だが実体的意味においては異なる。パク大統領にとって「法と原則」とは特定の対象を狙った一方通行的概念だ。「特定の対象」とは誰なのだろうか。例えて言えば「集団行動によって社会の混乱を煽る連中」だ。強い労組、進歩団体、批判的言論、あるいは私に反対するすべての人。ファーストレディを代行していた娘の脳裏には父パク・チョンヒが大統領だった時代に、そのような連中が檄文を書きデモを繰り広げ、国が千々に乱れていた記憶が破片のように打ち込まれているはず。アボジのように大統領となった娘にとって「法と原則」は統治の根幹であり、またそうでなければならなかった。不穏勢力・不純分子を引きずり出し制裁することのできる最も確実な名分であるからだ。「司法」という名の鉄槌を振りかざす資格を備え、精巧に振り回すテクニックをわが身のものとした専門家とは、まさに検事あり判事であるのだ。「法曹人とは、そもそもどれほど使い道があり、どれほどありがたい人々であることか!」。
法曹人出身を重用すれば「法と原則」は正しく守られるのか。「法と原則」を重要視しながら脱法を事とした者を起用し、「法と原則」を強調しながら、外でもなく自身や「味方」には適用しないこと。そのような矛盾したありようを普通「専横」と呼ぶ。大統領の「法曹フェティシュ」、これは趣向ではない。災央だ。(「ハンギョレ21」第1063号、15年6月1日付、今週のキーワード欄、パク・クォニル/コラムニスト)

「恐怖の世襲共和国」サムスン

情報・文化・政治・生活のすべてを支配

イ·ジョンフェ(労働者階級政党推進委員会共同代表)

 サムスンソウル病院がMERS(中東呼吸器症候群)に侵されて、イ·ジェヨン(サムスングループ創業者イ·ビョンチョルの孫で、サムスングループ2代・4代目会長であるイ·ゴンヒの長男)が韓国国民に謝罪をした。イ·ジェヨンは、サムスンソウル病院を所有しているサムスン生命公益財団の理事長であり、財閥の3代世襲の仕上げを待つかのように寿命を延ばしている父、イ·ゴンヒからその地位を受け継いだ。しかしサムスンソウル病院を所有しているサムスン生命公益財団は、サムスン生命の保険契約者のお金で設立されたものであり、サムスンの所有者ではない。今回のMERS事態を見ると、公立病院がない韓国の現実において、サムスン病院こそ社会に還元しなければならないという提言が出るもイ·ジェヨンは、「謝罪」のみでその意見をうやむやにしてしまった。

パク・チョンヒ
とのゆ着が始まり
2013年のデータによるとサムスングループは、総売上310兆ウォン、営業利益38兆ウォン、資産総額331兆ウォン。公共事業を含め、国内最大の売上と収益を出すグローバル企業である。このように巨大化した「財閥」サムスンは、国家主導の経済発展の最大の受益者である。1966年の朴正煕政権との癒着関係だけでなく、法を踏みにじり利益重視の典型をさらけ出したサッカリン密輸事件、2006年の不法大統領選挙資金や安企部Xファイルの波紋は、政経癒着の決定的な姿である。
1993年に発生した京釜線下り線の亀浦駅近くのムクゲ列車転覆事故では78人の死者と198人の負傷者を出したが、この事故もサムスン総合建設工事現場で起こった。2007年12月7日には忠清南道泰安郡沖で、香港出荷のタンカー「河北スピリット号」とサムスン物産所属の「サムスン1号」が衝突して、原油が流出したことは記憶に新しい。その事故では全国民が動員されて油を磨いたが、その費用は国が負担した。自動車が好きだというイ·ゴンヒ(サムスングループを創業したイ·ビョンチョルの三男)の力作であるサムスン自動車が滅びても、それに伴う負担はイ·ゴンヒ個人ではなく、サムスンの系列会社と株主、そして国がそのの尻ぬぐいをした。

国家の上に
君臨する企業
サムスングループでは現在、イ·ビョンチョル、イ·ゴンヒからイ·ジェヨンにつなぐ3代世襲が進行中である。たった16億ウォンの相続税のみで、サムスンの資産4京ウォン(4兆ウォンの10000倍)を継承するための手続きが行われている。エバーランド転換社債(CB・株式に転換できる権利を持った債権)安値引き受け、三星SDSの上場推進、サムスンSDS新株引受権付き社債(BW)安値引き受けをはじめ、現在韓国社会で争点となっている第一毛織とサムスン物産の統合を経て、継承が完了するようである。
金のスプーンをくわえて生まれた御曹司のイ·ジェヨンとは異なり、いわゆる「サムスンマン(サムスングループの職員)」は、労働者の基本的権利すら確保できずにさまよい歩いている。サムスンは、「営業秘密」なる詭弁によって事実を隠蔽し、なぜ自分が白血病に侵されなければならなかったのか、死ななければならなかったというサムスン電子の労働者の絶叫を葬り去ろうとしている(注1)。違法、不正、癒着、搾取、そして労働者の血によって巨大になったサムスン。お金を搾りに搾り取り、韓国社会の法、政治、文化、情報まで支配したサムスン。だれもが入りたい企業だが、現代に最大の恐怖をもたらしたサムスンは、もはやイ氏一家の私物ではない。われわれはサムスンのイ氏一族の「世襲」を排除し、サムスンを社会化するべきである。

(注1)サムスングループの中核企業であるサムスン電子で、半導体製造工場の従業員に白血病の発症が相次いだ事件。

コラム

手首式血圧計

 梅雨明けの蒸し暑い日だった。スーパーマーケットで買い出しをしたついでに、薬売り場にサービスで置いてある血圧計に腕を通した。とりわけて理由は無かった。血圧は医者に診てもらうものだと思っていたからだ。
 数値を見て愕然とした。上は一六〇前後、下は九〇以上で文句なしの危険水域なのだ。そんなはずは無い。もう一度やり直したが結果は変わらなかった。一昨年の健康診断では一二〇前後で理想的だったのだ。昨年は腰痛に悩まされて、健康診断は受けることが出来なかった。この二年間、体調に大きな変化は無かったはずなのだが。思わず、売り場の薬剤師に、あの血圧計は正確なのかと詰問したい衝動が走った。
 ひと月ほど悩んでいたが、意を決して血圧計を買うことにした。何時でも簡単に測れるように手首式のものにした。はじめめのうちは、珍しいオモチャを手に入れた子どものように日に何度も測っていたが、そのうち飽きてしまった。数値は充分に納得のいくものであった。
 それから暫くして、今度は公民館に設置してある血圧計に手を通してみた。何とその数値はスーパーのそれと大差はなかった。私は再び悩ましい世界に引きずり込まれてしまった。スーパーの血圧計は壊れていなかったのだ。
 スーパーマーケットも公民館も、私の家から徒歩で一〇分程度の距離であり、重大な負荷がかかるほどは決してない。家でのんびりしている時と、歩き慣れた道を一〇分ほど歩いた後との血圧の落差が大きすぎるのである。
 急いで医者に行くべきか、それとももう少し時間をかけて数値の統計を取り、資料を揃えてからにするべきか悩むことになった。数値の統計を取るのは、それほど簡単ではなく、結構めんどうなのだ。しかも二カ所でやらなければならない。
 慢性化した腰痛、寒暖差アレルギー、肺気腫による肺機能の低下に加えて今回の血圧の落差は、私の肉体機能の衰えを示すものに他ならない。が、問題はその背後に重大な事態が隠されているのかいないのかということなのだ。私は未だかつてこのような状況に直面したことはなかった。正直なところ幾分慌てている。
 ところで、私が現在持っている体調管理のための道具は、体温計とヘルスメーターと年一度の健康診断くらいである。そこに手首式血圧計がプラスされた。かなり貧弱ではないかと思っている。だが道具をいくら揃えてみたところで、本質的な問題は解るわけではないのもまた事実であるだろう。
 さて、何人の医者を回り、どれだけの検査をすれば、現在の私の肉体の現況を解明出来るのであろうか。その時は、安倍政権のおかげで血圧が上がりっぱなしであることも医者に言わなければなるまい。
(灘)


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