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    かけはし2015.年8月24日号

不法滞留者も労組設立可能


8年かけて書いた10ページの大法院判決文

「政治運動を行えば」など多数の条件付

 「不法滞留中の外国人勤労者も労働組合を設立し、加入することができる」。
 大法院(最高裁)が6月25日、「最長期未済事件」を解決した。審理を開始してから8年にしてのことだ。判決文は、たかだか10頁の分量だった。原告、被告の名前や住所、大法官(最高裁判事)13人の名前や署名を除けば判決の内容は7頁にもならない。A4の用紙1頁を書くのに1年以上もかかったわけだ。民主社会のための弁護士の会は「大法院が8年間、苦心した痕跡は、とても見いだしがたい」とし「職務遺棄」だと批判した。訴訟が始まった10年前に戻ってみよう。

1審敗訴、控訴審で勝訴


2005年4月24日、ソウル・京畿・仁川で生活していた外国人労働者91人は地域別労働組合であるソウル京畿仁川移住労働者労組(移住労組)創立総会を開き、ソウル地方労働庁に設立申告書を提出した。けれどもソウル労働庁は外国人登録番号または旅券番号が記載された組合員名簿を要求した。労組員のうちの一部が不法滞留者であるかも知れないと疑いをもってのことだった。滞留資格のない外国人は勤労者ではないのであり、従って労組も設立することはできないとの解釈がこの根底にあった。
移住労組は組合員名簿の提出が労組法上の設立申告要件に該当しないとして提出を拒否した。労働庁は同年6月3日、補完命令に従わなかったとの理由で、移住労組の設立申告書を返戻した。移住労組はこれに反発して訴訟を提起した。「10年の法廷闘争」の出発点だった。
1審は8カ月ぶりに労働庁の側の手を上げた。ソウル行政裁判所行政13部は2006年2月7日、「不法滞留外国人は出入国管理法上、就職が厳格に禁止されており、労組加入が許容される勤労者であるとは考えがたい」と判断した。従って「移住労組が不法滞留外国人を主たる構成員としているのか労働庁は確認する必要がある」とし「組合員名簿の提出を拒否した移住労組の設立申告書を返戻した処分は正当である」とした。
1年が過ぎた2007年2月1日、控訴審は、これを覆した。ソウル高裁11部は憲法と労働組合ならびに労働関係調整法(労組法)、勤労基準法などを判断の根拠として掲げた。第1に、労組法第2条1項は勤労者を「職業の種類を問わず賃金・給料などの収入によって生活している者」と規定する。
第2に、憲法第33条1項は勤労者の団結権・団体交渉権・団体行動権(労働3権)を規定し、これは法律によって制限されない限り誰であれ保障されなければならない、と明示する。
第3に、憲法第6条は「外国人の地位を保障する」と、勤労基準法第5条は「国籍に伴った勤労条件の差別待遇を禁止する」と、労組法第9条は「組合員に対して人種などによる差別待遇を禁止する」となっている。控訴審は「不法滞留外国人であったとしても、わが国において現実的に勤労を提供しつつ賃金・給料、その他これに準じる収入によって生活している以上、労組を設立することのできる勤労者に該当すると見なければならない」と判断した。

ヤン大法官体制下6年間放置

 くい違った判決を大法院が正さなければならなかった。だが8年間、大法院は弁論を開きもせず宣告を引き延ばした。その間に主審大法官が3回も代わった。キム・ファンシク元大法官は監査院長に地位を移したし、ヤン・チャンス元大法官は6年間、そのままうち捨てておいた。ソウル大教授出身のヤン元大法官は自らの意見と異なる結論が出てくるものと予想される事件には、このように「遅延戦術」を行使してきた。カン・ギフン遺書代筆事件もそうだった。カン氏のがん闘病の事実が知られ世論の非難が降り注がれると、3年にしてやむをえず再審開始を決定した。だが移住労組の事件は最後まで審理せず、2014年9月に退任した。彼は現在、漢陽大碩士(修士)教授だ。両元大法官の後任であるクォン・スニル大法官が3人目の主審を担当するとともに、本格的審理が始まった。大法院長と大法官全員が事件を審理する全員合議体に回付され6月25日、最終判決が出てきた。
結論は控訴審と一緒だった。大法院は「勤労を提供し、その対価として賃金などを受け取り生活している人間は労組法上の勤労者に該当する。外国人であれ就業資格がないとの理由で勤労者の範囲に含まれないと見ることはできない」とした。不法滞留外国人労働者も労組を結成したり加入することができる、という意味だ。
被告労働庁は「就業資格なしに就業した外国人は強制退去ならびに処罰の対象になる」という出入国管理法などを根拠に「不法滞留者には勤労者の資格や労組加入の資格がない」と主張した。だが大法院は「この法令は就業資格のない外国人を雇用する行為自体を禁止しようとすることであるにすぎず、外国人の労組法上の権利まで禁止しようとする趣旨ではない」として受け入れなかった。特に大法院は報道資料を出して、「米国・日本・ドイツなど先進国の事例を確認した結果、不法滞留外国人の就業や雇用を制限したとしても労組活動など、勤労者の権利は最大限に保障するのが基準だとの結論を得た」と明らかにした。
しかし大法院は控訴審にはない「但し書き条項」を付けた。「労組結成が許容されるからと言っても就業資格が与えられたり国内滞留が合法化されるわけではない」。不法滞留労働者の労働3権の保障と雇用問題は別個だという点を明確にしたのだ。しかも不法滞留労働者の労組設立を労働庁が許可しないということもありうるという方法も親切にも説明した。
「不法滞留外国人労働者が組織しようとしている団体が『主として政治運動を目的としているケース』と判断するに値する事情がある場合に、行政長官は実質的審査を経て設立申告書を返戻することができるばかりではなく、労組設立の申告を終えて申告証を交付されたとしても、このような団体は適法な労組として認定され得ないことはもちろんだ」。移住労組が勤労条件改善を超えて政府政策の改善を要求すれば仮借なく刃を振りかざせ、という「指針」であるわけだ。

初代〜6代委員長は強制追放

 労働界は「当然の判決が余りにも遅く出てきた」と評した。けれどもこの日の大法院大法廷で宣告を見守った移住労働者20人余は感激した。「韓国で、これまで追い回されながら暮らしてきたが、きょうの判決によって狭い肩身を広げられるようになった」。実際に大法院が8年も、事件をもみ消している間に移住労組は深刻な苦衷を味わった。
初めに訴訟を提起した初代移住労組委員長から6代委員長に至るまで、いずれも強制追放されたり、事実上の追放を受けた。労組の設立を許可しなければならないという控訴審の判決を受けながらも、8年間「不法労組」として弾圧されたのだ。今は合法滞留者の身分であるウダヤ・ライ(ネパール)が委員長を担っている。出発当時91人だった組合員数は1100人にまで増えた。
大法院は「職務遺棄」という批判に対して、こう解明した。「外国人の滞留や雇用をめぐる紛争の増減、外国人労働者の犯罪率、政府の強制退去措置の現況、国民の意識変化などに注目した。さまざまな意見の集約を経た末に、時代的変化に合わせて判断した」。憲法が保障した「裁判官の独立性」は消えたという、大法院が政府など利害関係者の顔色を見ているという、いわば自己告白としか言いようがない。憲法第103条は「裁判官は憲法と法律により、その良心に従って独立し審判する」となっている。(「ハンギョレ21」第1068号、15年7月6日付、チョン・ウンジュ記者)

全人類の男女平等を獲得するために

クィアの歩みを止めてはならない

労働者階級政党推進委員会

 韓国では2015年になり、性少数者に対する嫌悪がますます強まっている。保守のキリスト教勢力を中心に集まった性少数者を嫌悪する勢力は、毎年開催されてきたクィア文化祭を中止したとする虚偽の集会申告をするなど、さまざまな妨害工作を行っている。クィア(同性愛、注1)文化祭の開幕式が開かれた6月9日には、ソウル市庁広場の向かいの大韓門前に性少数者を憎悪の勢力が集まり「同性愛はやめることができる」、「幼い子供たちを保護しなければならない」などいう反対集会を開いた。今年は性少数者を憎悪する勢力だけでなく、警察も同文化祭を妨害した。警察は、クィア文化祭のスケジュールの中で最も重要なゲイ·パレードに「都市の主要な道路に対して交通機関に深刻な障害を与える」などとして禁止を通知した。

性少数者パレードは
単なる行進ではない
1969年6月28日、性少数者が自らの存在を表明して抑圧に抵抗したストーンウォールの反乱(注2)の歴史を記念して行われる誇り高い行進である。
韓国でも過去15年間、ソウルの清渓川、弘大、新村などにおいて毎年平和に進められてきた。クィア文化祭は1年365日抑圧された社会構造の中で閉じ込められてきた性少数者が、この日1日だけは都心の真ん中で自分の問題を世に提起して闘争する日である。この日はお互いに生きていることを確認する場でもある。
私たちはストーンウォールで性少数者が四五年前に公権力の暴力に抵抗して、コインと酒のボトルを投げつけて闘争した歴史(注3)を忘れてはいない。
公権力に対抗して自らの権利を高らかに宣言したその闘争を忘れず、2015年も引き続き性少数者に向けた暴力と差別に共に抵抗して闘っていく。
資本主義社会のなかで異常との烙印を押され、疎外された人々のすべての権利を要求し、性少数者、そしてそれを支持するすべての人々が集まって「多様性」を主張していく。
また、「異性中心主義」、「正常家族イデオロギー」を含むすべての性的抑圧に対して、われわれは抵抗し、闘っていく。
性少数者を嫌悪する勢力からクィア文化祭を守るとともに、個人の性別アイデンティティや性的指向が完全に尊重され、性少数者の諸権利が保障される世界を創造するための第一歩を、ともに歩んでいこう。

2015年6月11日
労働者階級政党推進委員会

注1)以前は「クィア(Queer)」は「男性同性愛者」、「ホモセクシュアル」等を中傷する差別語であったが、最近は肯定的に用いられるようになった。
注2)ストーンウォールの反乱は、1969年6月28日、ニューヨークの同性愛者のバー「ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けた際に、同性愛者らが警官らに真っ向から立ち向かって暴動となった事件、そしてこれに端を発する権力による同性愛者への迫害に立ち向かう抵抗運動を指す。同性愛者は警官隊に向かって、コインと酒を投げて抵抗した。この運動は、後に同性愛者の権利獲得運動の転換点となった。
注3)6月29日付ニューヨーク・タイムズは、コインではなく「一セント硬貨」と報じている。もし手持ちの硬貨の中から一セント硬貨のみを選び出して警察官に投げつけたのであれば、それは強い怒りと軽蔑を包含する行為と解される。アメリカの文化において、相手に対して最も強い軽蔑を示す行動の一つである。


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