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    かけはし2015.年8月31日号

安倍「70年談話」に怒りの声


8.15「戦後レジームの70年を問う7―8月行動」

「靖国」に向け抗議デモ

天皇制の侵略責任を問い続けよう



閣僚・議員の
靖国参拝糾弾
 八月一五日、「『戦後レジーム』の70年を問う!7・8月行動」は、反靖国デモを行い、二〇〇人以上が参加した。
 安倍政権は、戦争法案を制定するために衆院に続いて参院でも強行採決をねらっている。グローバル派兵国家にむけての踏み込みは、安倍晋三首相が一四日に発表した「戦後七〇年談話」にみごとに現れている。「村山談話」(戦後五〇年)、「小泉談話」(戦後六〇年)での「わが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいする多大の損害と苦痛を与えた」の文言を排除し、主語をぼやかし、一般的に「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」などの言葉をあてはめたにすぎない。あげくのはてに「日露戦争は、アジアからアフリカまで植民地支配の下にいる多くの人々を力づけました」と歴史の偽造を行い、この延長で「『平和への積極的な貢献』の旗を掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献します」などと強調し、米軍とともに対中国、北朝鮮シフトを強めながらグローバル派兵に参戦していくことを宣言したのだ。
 安倍談話とセットで右派国会議員たちは戦争施設である靖国神社賛美を次々と行った。高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍・少子化担当相、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の衆参両院の国会議員六七人が靖国神社に参拝した。安倍首相は自民党の萩生田光一総裁特別補佐を通じて「私費」による「玉串料」を靖国神社に奉納し、賛美を繰り返した。
 さらに英霊にこたえる会と日本会議は、安倍政権と連動して靖国神社で「第二九回戦歿者追悼中央国民集会」を行っている。寺島泰三(「英霊にこたえる会」会長)は、「安倍総理大臣は談話で未来志向に徹し、積極的平和主義の旗を掲げ、先の大戦を巡る歴史認識、外交問題に決着をつけた」と確認し、安倍政権を支え改憲・派兵国家建設の先兵として行動していくことを表明した。田久保忠衛(「日本会議」会長)も「子々孫々にまで謝罪する宿命を背負わせてはならないと述べたことは、大きく潮目を変えたものと断言できる」と持ち上げ、戦争国家化への転換であることを浮き彫りにした。
 右派国会議員、天皇主義右翼などが一体化した動きのうえで一五日の政府主催「全国戦没者追悼式」でも安倍は、従来通り、アジア諸国に対する「加害責任」に触れなかった。天皇明仁は「おことば」で「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と述べ、天皇制の戦争責任を回避し、象徴天皇制に民衆を統合していく任務を貫徹した。
 安倍談話を糾弾し、日本国家と天皇制の侵略戦争責任・植民地支配責任を追及し続け、天皇制解体にむけてスクラムを打ち固めていこう。

右翼の妨害はね
のけ元気にデモ
デモに移る前の集会が、スペースたんぽぽで行われた。
冒頭、主催者は安倍談話を厳しく糾弾し、靖国神社に向けた抗議デモを右翼らの妨害をはねのけて行っていこうと呼びかけた。
続いて、戦時下の現在を考える講座から「敗戦七〇年 一日遅れの八・一五 つくば集会+デモ 反戦・平和は生きているか?」のアピール、自衛隊・米軍参加の東京都・立川市総合防災訓練―九都県市防災訓練に反対する実行委員会が「防災訓練反対プレ集会(八・二一)、九・一訓練当日監視・デモ」への呼びかけ、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から辺野古現地攻防、政府と県との協議などの報告と連帯が訴えられた。
最後に主催者から「反『靖国』行動 アピール」が読み上げられ(別掲)、参加者全体で確認した。その後、靖国神社に向けてデモに移った。炎天下に抗して「靖国・天皇制解体!戦争法案廃案!辺野古新基地作るな!」のシュプレヒコールを神保町・九段下一帯に響かせた。デモに対して天皇主義右翼の暴力妨害、在特会の挑発が繰り返されたが、整然とデモを最後まで貫徹した。     (Y)

2015年8・15反「靖国」行動アピール

戦争国家による死者の利用を許さない


敗戦七〇年の夏、私たちは今年も靖国神社に向うデモに出発する。
一九四五年八月一五日は戦争が終わった日ではない。ポツダム宣言受諾は八月一四日であり、降伏文書への調印は九月二日だ。八月一五日は天皇のラジオ放送がなされた日でしかない。これが「終戦記念日」とされるのは、昭和天皇のいわゆる「聖断」によって戦争が終わり、「国民の命が救われた」という歴史意識を、人々の間に刷り込むためにほかならない。
しかし、昭和天皇こそ、アジアの二〇〇〇万人以上の人々を殺し、日本軍軍人軍属二三〇万人を含む三一〇万人以上の死者を生み出したこの戦争の最高責任者だ。昭和天皇は、一九四五年二月、すでに敗戦は必至であったにもかかわらず、重臣による戦争終結の進言を「もう一度戦果を挙げてから」と言って拒否し、その後東京など各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を招いた。東京大空襲・沖縄・広島・長崎だけでも、その死者は四八万六〇〇〇人(行政機関発表の数字)にものぼる。民間人の死者の多くが、この時期に死んでいるのだ。最後まで天皇制国家の維持を最優先にして、戦争終結を引き伸ばし続け、国内外の命を奪い続けてきたのが昭和天皇である。戦後の日本国家が、こうした天皇の戦争責任の否認から始まっていることを、私たちは何度でも確認しよう。
靖国神社は天皇のための神社であり続けている。それは、たんなる一宗教法人などではない。天皇の戦争のための死者を「英霊」として祀り、称え続けている戦争のための施設である。戦前は陸海軍によって祭事が執り行われ、戦後もたびたび天皇や首相が参拝し、厚生省から戦没者名簿の提供を受けるなどの便宜を得るなど、国家と深い結びつきを持ち続けてきた。そこに祭神として祭られている者の圧倒的多数は、アジアへの侵略戦争に狩り出され、加害者にされた結果、「殺し殺された」被害者である。そこには、植民地支配の結果日本軍人とされた、朝鮮人・台湾人の死者も含まれている。これらの被害者を「神」として祭り上げ、国のための死を賛美する道具とすることこそ、一貫したこの神社の役割である。
昨日発表された安倍七〇年談話において、日本が引き起こした侵略戦争と、それにいたる植民地支配が、どのように語られるかが注目された。おそらく安倍が、それにふれないですませたかっただろう「村山談話」のキーワード――「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」という言葉――は、文字のうえではすべて入った。そこには政治的な駆け引きがあったに違いない。だが出てきたそれは、日本がそれらの行為の主体であり責任の主体であることを回避ないし限りなくぼかし、日本の近代史に居直るロジックに満ちた代物である。「侵略」はたった一カ所、「事変」や「戦争」という言葉と並んで、国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならないという一般論として語られているだけだ。「植民地支配」も、朝鮮や台湾の植民地支配にふれないばかりか、一九世紀の国際社会においては一般的にあったことで、日本はむしろ植民地化の危機をはねのけて独立を守り抜いた、朝鮮半島支配をめぐる帝国主義間戦争にほかならない日露戦争における日本の勝利が、植民地支配にあった人々を力づけたとまで言うのだ。満州事変以後、日本が道を誤ったというが、それも世界恐慌や欧米諸国主導のブロック化によって強いられてそうなったというような口ぶりである。こういう手前勝手な歴史観にもとづいて「反省」や「謝罪」など決してできないが、事実、安倍は「反省」も「謝罪」もしていない。ただ、「我が国は繰り返し痛切な反省と心からのお詫びをしてきました」と述べているだけだ。しかし問題は、これまで政治家たちがたんに言葉の上だけで「反省」や「お詫び」を語り、被害当事者たちへの日本国家による謝罪と補償を一貫して拒否し続けてきたことが批判されているということであり、そのことを忘れてはならない。さらに被害を受けた国々の「寛容」を謳い、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのである。これは、すでにさんざん謝罪の意を示してきたのに、いつまで謝れというのかという、右派の論理をソフトに言い換えただけのことだ。
「戦場の陰に、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」とか、「我が国が与えた」苦痛と一方で認めながら、「歴史とは実に取りかえしのつかない、苛烈なもの」「今なお言葉を失い、断腸の念を禁じえない」などと、まるで第三者的な視点で言ってのける態度は許しがたい。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」という。
しかし、こうした論理は、国家による死者の追悼においてはおなじみのものである。本日九段で行なわれた天皇出席の「全国戦没者追悼式」は、靖国のように過去の戦争を公然と賛美することはしないが、戦争の死者が「戦後日本の平和の礎」となったとすることにおいて、「国のための死」を価値づける儀式である。とりわけ、そこに「国民統合の象徴」とされる天皇が出席することによって、それはまさしく「国民的」な儀式となるのである。この「平和のための死」は、過去の戦争の死をそのように解釈してみせるだけではない。安倍政権によって強行的に成立させられようとしている戦争法案は、新たな戦争の新たな死者を生みださざるを得ない。このとき、その死は必ず「平和のための死」として賛美されるだろう。国のための死は尊いということを、毎年国民的に確認するこの国家による追悼儀式に、私たちは反対していく。
なお、今年の全国戦没者追悼式における天皇の「お言葉」には、「さきの大戦に対する深い反省」「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」て戦後の平和が築かれたなどの文言が加えられた。これがおそらく、安倍談話のひどさと対比した天皇の平和主義として、様々な場で肯定的に語られることになるのだろう。しかし、そこで隠されているのは、その戦争を起こした天皇制国家の責任である。天皇の言葉ということで言えば、昭和天皇の「遺徳」を受け継ぐと言って天皇に即位した現天皇という立場を消去した、極めて欺瞞的なものである。
日本国家がなすべきことは、内外に多くの被害を与えた戦争について反省し、戦闘参加者を含むすべての戦争の死者に謝罪し、賠償を行うことだ。だが、戦後日本国家が行ってきたことは、まったく逆である。日本国家が行いつづけてきたことは、国家による戦争が生みだした死者を「尊い犠牲者」として賛美することだ。しかもその死の顕彰は、かつての帝国の序列に従って差別化される。高級軍人の遺族ほど手厚い軍人恩給制度がある一方で、空襲による被害者に対しては「受認論」によってなんの補償もなされないままだ。朝鮮人兵士は軍人恩給からも排除され、「慰安婦」とされた女性や強制労働を強いられた朝鮮人などに対しては、排外主義的な攻撃対象にさえされる。
戦後七〇年、侵略戦争責任・植民地支配責任を一貫してとらず、アメリカの戦争政策につき従ってきたのが戦後日本である。そしていま安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げて、日米同盟の方向性は強化しながら、戦後に含まれていた「民主主義的価値」さえも一掃して、新自由主義と国家主義による戦争国家へと全面的に転換してきている。安倍談話も含めた、この政権の歴史認識総体が批判されなければならない。戦前・戦後の日本国家と天皇制の責任を問い、戦争法案の成立を阻止しよう。安倍政権の戦争政策と対決する闘いに合流し、戦争国家による死者の利用を許さないために、ともに抗議の声を上げよう!

 二〇一五年八月一五日

「戦後レジーム」の70年を問う7・8月行動実行委員会

8.15

戦後70年東アジアの未来へ

加害の歴史に向き合おう

講演・討論集会に600人

 

 【大阪】「戦後七〇年東アジアの未来へ!宣言する市民」主催の集会が八月一五日、エルおおさかシアターで開かれ、六〇〇人の市民が参加した。七月七日の市民宣言発表に続いて、行動提起を含む総括集会として開催されたものである。
 さとう大さん(東アジア青年交流プロジェクト事務局長)の主催者あいさつのあと、文化公演として沖縄エイサー(西成でぃごの会)、サムルノリ(在日青年)の演奏があり、続いて、高里鈴代さん(「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表・「強姦救援センター・沖縄」代表)が講演した(要旨別掲)。

安倍談話に抗議
するアピール
昼食を挟んで、午後の初めは「安倍談話」に抗議するアピールを中北龍太郎さんが行った。談話は、朝鮮植民地化・中国侵略のための日露戦争を、他国に勇気を与えたと賛美している。一五年に及ぶ中国侵略戦争の開始を、日本の経済的な打撃への打開策として正当化している。植民地支配と侵略の責任・「反省」・「おわび」を自らの言葉として一言も語っていない。加害国の首相としてはあり得ない歴史認識である。「慰安婦」という言葉さえ使うのを避け、責任を果たそうとしていない。積極的平和主義を掲げ国際貢献を宣言するが、それは日本を「戦争する国」にすることに他ならない。中北さんは、安倍首相は一日も早く辞めるべきだと述べた。
続いて、高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)が、「戦後七〇年の日本を問う」と題して講演した。初めに安倍談話について、二番目は安保法制について。(別掲)

若者たちのパネル
ディスカッション
続いて、若者たちのパネルディスカッション
熊野さん(大阪大学大学院生):フィリピンの元日本軍「慰安婦」(ロラ)との出合いから、「慰安婦」問題に関心を寄せてきた。「慰安婦」問題が解決できない社会は、サバイバーに心を寄せない社会であり、私にとっても息苦しい社会であると思う。自衛隊が合同演習でフィリピンに出かけ自衛隊基地までつくろうとしている。ロラたちは日本大使館に対して抗議行動を行っている。話題のシールズの運動は歓迎だが、年寄りは彼らに対して批判がなさ過ぎる。運動が充分継承されていない。原発デモで日の丸の旗を持ってくる若者もいる。彼らは戦後の民主主義を過大評価し、日本の戦争協力のことなどは知らないから、ソフトに教えてあげなければいけない。
丁野さん(OL、大学院生):発言するとネットで批判され、その事実が永続的に残る。会社にも迷惑がかかる。自由にものがいえない。そういう理由でペンネームを使っている。靖国神社は戦争を肯定する神社だ。BC級戦犯のことに触れ、靖国問題に近づいていった。九条を軽視する安倍首相が靖国参拝するのはとても恐いと思った。それで、二〇一三年の安倍首相靖国参拝違憲訴訟原告になった。BC級戦犯は加害者でもあり被害者でもある。それで、戦後責任の在り方を考えるようになった。
在日三世の黄さん(留学同大阪地本委員長):幼稚園から大学まで日本の学校で学んだ。同胞を他人としか感じない自分がいた。日本の社会では、朝鮮人が朝鮮人のままで暮らしていくのがとても困難だ。ハラボジ・ハルモニとの交わり、運動を通してアイデンティティを取り戻していった。在日という言葉は、日本に縛り付ける言葉だと思う。日本の支配を感じる。談話は、嫌韓流に似ている。
コーディネーターのさとう大さん:「私たちの子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」、これをありがとうと言う若者が出るかもしれない。この問題をどう運動化していくのかもテーマの一つになりうる。
ディスカッションに対して高里・高橋さんのコメントがあったが、高橋さんの一点だけに触れておく。「自分が生まれる前に日本がやったことの影響が今も及んでいるとき、若者も日本人の一人として責任・謝罪が問われる。応答責任がある。知らないなら知る責任がある。日本国に責任があるなら、法的・政治的・倫理的な責任がある」。
最後に、戦争責任・戦後責任・侵略戦争植民地支配に対する謝罪と補償・北東アジアの非核化・日朝国交正常化・強制連行強制労働・関東大震災時の虐殺・全ての原爆被曝者・靖国参拝・南京大虐殺被害者・遺骨の返還・七三一部隊による被害・サハリン残留被害者・略奪文化財の返還・重慶空襲被害者・日本の空襲や沖縄戦の民間被害者・教科書問題・ヘイトスピーチ・日の丸君が代・ピースおおさか・朝鮮学校差別など、関連する問題に関して日本政府に要求していく二三項目からなる行動綱領が提起されて閉幕した。(T・T)

高里鈴代さんの講演から

戦中・戦後を貫く軍隊の女性差別


沖縄戦と日本軍
による「慰安所」
 沖縄は全島要塞化され、陸軍三二軍一一万人は民家に分宿し、その時点で既に強姦事件が起きた。スパイ容疑による住民虐殺・軍命による集団死、強制移住によるマラリア禍が起き、疎開船の撃沈で多くの児童と住民が犠牲になった。男子は鉄血勤皇隊、女子は従軍看護婦として戦争に動員された。
 日本軍の戦力を支える後方施設として、一四五カ所に「慰安所」が設置された。軍は銃剣で脅して直接民家を接収して設置した。母屋は慰安所になり、その家の住民は牛小屋での生活を強要された。朝鮮・台湾・九州の女性たちが軍の輸送船で連れてこられ、現地の辻遊郭の女性たちも軍隊慰安婦に徴用された。慰安所設置を拒否した当時の沖縄県知事は更迭された。慰安所は、軍の移動に伴い焼き払われた。戦後、「慰安婦」は置き去りにされ、源氏名を名乗っていたので、平和の礎に名前は刻まれていない。

米軍支配と
女性への暴力
沖縄戦の時の日本軍は、沖縄の住民を蔑視した。「人糞で豚を飼うなんて、チャンコロと同じだ」と。沖縄占領時に米軍が配布した「沖縄統治ハンドブック」は、日本軍人の沖縄差別を研究し、利用している。この蔑視意識は、オフレコだと前置きして米国国防総省メイア日本部長が研修の大学生たちにいった、「沖縄は米国にとってのプエルトリコのようなもの。沖縄人はずるがしこく……」として、現在も残っている。
地上戦を生き延びた沖縄の住民が安堵するまもなく、米軍人による女性への性暴力が始まった。ベトナム戦期は、米兵相手に働く女性たちが毎年一人〜四人強姦・絞殺された。多くの女性が、「絞め殺されそうになった」と証言している。オリバー・ストーン監督に言った、「(映画プラトーンなどで)表に現れる兵士の実態は描かれているが、兵士が対象とした人間は見えない」と。 イラク、アフガン戦争からの帰還兵のPTSD発症、米軍内の性暴力、女性米兵の三〇%以上が軍隊内でレイプの被害を受けている。被害申告が受け入れられるのは、わずか全体の七%だという。米軍内の見えない戦争がある。性暴力は、家父長制の結果だと思う。
沖縄には抵抗の歴史がある。軍隊は住民を守らない。抑止力を理由にした辺野古基地建設への回避は、新たな琉球処分だ。新たな軍事基地は拒否する。NO!レイプ、NO!オスプレイ、NO!基地だ。一五カ国の女性たちが、二〇一五年五月北朝鮮からDMZ(非武装地帯)を越え韓国へ、そして、平和シンポジュームを開催した。この国際女性DMZウォークは新たな希望だ。日本軍「慰安婦」問題の真の解決には、事実を知る、事実を明らかにしていくことが不可欠だ。(講演要旨、文責編集部)

高橋哲哉さんの講演から

安倍談話は加害責任からの逃亡


日清・日露戦争
は何だったのか
 日中戦争は自衛戦争、「慰安婦」はねつ造だという安倍さんは、安倍談話で自らの本音である靖国史観を出せなかったのではないか。敗北感があるかもしれない。櫻井よしこなどは、裏切られたと思っているかもしれない。談話は、誰が誰に対して何をしたのかがあいまいだ。「一〇〇年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていた」とあるが、この中に日本は入っているのか(日本による台湾・朝鮮の植民地化)。「日露戦争は、植民地下にあったアジア・アフリカ諸国を勇気づけた」というが、日露戦争は朝鮮植民地化のための戦争だった。このようにいうことは、加害責任からの逃亡だ。

加害者は誰か
被害者は誰か
この歴史観は、侵略戦争は一九三一年の満州事変からだという司馬史観によるものだ。「経済ブロック化で、力による解決という間違った道を選んだ」とあるが、これは米国などは納得する表現だ。「事変・侵略・戦争といい、二度と武力は用いてはならない」という。ということは、一度はあったということだが、誰がどの国を侵略したのか。「植民地支配から永遠に決別」とあるが、どこの国を誰が植民地支配したのか。「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」云々は、言葉があいまいだ。「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」云々、これは単なる引用であって反省になっていない。村山談話は、「私は」とはっきり言っている。ドイツの大統領・首相は、何代にもわたって繰り返し「許しを請います」といっている。安倍談話は陳腐だ。

「靖国」は戦犯
者の顕彰施設
戦後レジームからの脱却を叫び、辺野古基地建設を強行し、憲法を蹂躙して安保法制を通そうとし、原発再稼働し、「慰安婦」はねつ造だという安倍さんが、戦後の日本は自由・民主主義・法の支配の下にあったという。自分は全く逆のことをやってきたではないか。戦後日本は、憲法九条の下にありながら、米国の戦争に荷担してきた。とても、平和国家日本を誇れる状況ではない。談話は、安保法制を通すために妥協した産物だ。法案が通れば、自衛隊はグローバルに後方支援で米軍の戦争と一体化していく。実は、二〇〇四年安倍さんが自民党幹事長の時の対談で、「日米安保を双務性にし、日米同盟は血の同盟にならねばならない、米国が攻撃されたときは日本の若者が血を流す、具体的には集団的自衛権が行使できるようにする」と言っている。靖国神社は、国家が危険の時命をなげうって国を守ったものの業績を顕彰する施設だ。国が顕彰しないで、誰が血を流すか、と言っている。これは過去のことではなく、これからのことについて言っている。ここに、首相が靖国参拝することの意味が明確に現れている。安倍さんに最も近い稲田朋美も、靖国問題を政教分離に矮小化してはならないといっている。

普天間県外移設
と「本土」の責任
安保法制は、改定された日米ガイドラインに基ずく国内法改定であり、日米安保条約を前提にしている。安保法制に反対は過半数だが、今年五、六月の共同通信世論調査では、日米同盟について、強化すべし二〇%、現状のまま六六%、解消すべし二%、縮小すべし一〇%だった。つまり、日本人の多くにとって、憲法と日米安保は共存している。安保廃棄に向かうべきなのだが、そのためには、沖縄の要求である「普天間県外移設」を本土が引き受ける以外にない。安保賛成の八六%の日本人に、この問いを突きつける必要がある。日米安保条約は日本人・日本政府がむすんだものだ(このとき沖縄は日本に復帰していない)。誰が責任をとるべきなのかを考えた結果、私なりに出した結論だ。対米従属をなくし、東アジアの人々と平和な未来をつくっていきたい。
(以上講演要旨・文責編集部)



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