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    かけはし2015.年8月31日号

全部を背負い込んでの自殺なのか


国情院のハッキング・プログラマーの死


死に追い込んだ決定的圧迫とは何だったのか


 「パソコンやスマホに侵入し、遠隔操作する監視ソフトを世界各国の政府機関に販売するイタリア企業『ハッキングチーム』(HT)がサイバー攻撃を受け、大量の社内情報が7月にネット上に流出した」(8月4日付「朝日」)。これらの過程の中で韓国国家情報院との契約書も明らかになり、野党などから政府や国家情報院の責任を問う声が高まると、国家情報院は一技術者に全責任をなすりつけ開き直っている。以下は「全責任を背負わされた」技術職員の「死亡」にかかわる記事である。(「かけはし」編集部)
 「イム氏が主導したのであり、イム氏がすべての責任を取ったために、イム氏が死亡することによって(盗聴・監聴プログラムに関連して)相当部分が分かりようがなくなったと国家情報院が何度も報告した」(7月22日、シン・ギョンミン新政治民主連合議員)。
 「イム氏」は盗・監聴ハッキング・プログラムを購買した実務者だったと国情院が説明した人物だ。他の部署から伝達された盗・監聴対象者を相手にハッキング・プログラムを稼働した電算技術者だった。国情院出身のイ・チョルス与党・セヌリ党議員は「イム氏はハッキング・プログラムを運営したチームのメンバーであったが今年4月に大田地域の勤務に移った」と伝えた。けれども国情院の報告のように、今そのチーム・メンバー(イム氏)は盗・監聴ハッキングの事態の「主導的責任者」となった。7月18日、未明4時50分頃、家から出て華山里(京畿道龍仁)の狭い往復2車線道路を過ぎた山中で停まった彼が赤い乗用車(マーティーズ)で、死を通じて語ろうとしていた結論もこのことだったのだろうか。

親孝行と家族愛の人

 「ハンギョレ21」は国情院職員イム某氏の遺族に会い独占インタビューした。マーティーズをイム氏に譲渡した前の所有者にも初めて会った。遺族は乗用車をめぐる世間の「疑惑」は事実上、可能性が薄いと考えた。だがイム氏が死ぬほかないほどに、国情院内部でいかなる心理的圧迫を受けていたのかに関する疑問を解くことができずにいる。
イム氏の親戚K氏は「私も自殺について疑いを持ったので、剖検(解剖して検査すること)の際に遺体を何度も見たけれども傷や打撲症もなく、他殺ではないようだ。(遺書の)筆跡も確認したが問題はなかった。遺書を書いた紙も2番目の娘のノートだった」と語った。ただK氏は「彼がなぜ自ら死を選んだと思うのか」という質問に「私もそれが何よりも気になる」と答えた。K氏は遺族代表としてイム氏の剖検に立ち会った。
1970年生まれのイム氏は2男3女の末っ子だった。上の兄が事故で早死にした。80歳を超えた老父母に対する思いが深かったという。離別を自らに無理強いした息子は遺書で「いつも心はオモニのところにあります」と、すまない思いを抑えて書いた。イム氏は学窓時節、陸軍士官学校の筆記試験に合格したけれども血圧値が高くて身体検査の段階で落ちた。医大への進学も考慮していた長女が今年陸士に入り、次女は高3だった。アッパ(父)である彼が突然、死を選択した今年は「お前は私の希望であり夢」だと言っていた長女がいっぱいの喜びを与えた年であったし、「笑う姿がかわいいわが子(次女)」が重要な時期を通過しつつある時だった。
大田のある開拓教会牧師のS氏にイム氏から連絡が来たのは7月1日だった。中古車サイトに「赤いマーティーズ」売買の文章を載せた次の日のことだった。「忠南大獣医学部の前で会えばと思います」。
自身が決めた場所にイム氏は自転車に乗ってやってきた。手動ギア方式の赤いマーティーズは2005年に生産された。運転席の前のガラスに小さなひびが入り、外部にひっかき傷がいくらかある車だった。イム氏の手に渡るまでの走行距離は21万9149qにもなった。
「教授でいらっしゃいますか」。牧師S氏の質問にイム氏は「違います」とだけ答えた。イム氏は「高速道路の走行、高速走行が可能か」と聞いたという。S氏は「高速では車体が(ちょっと)揺れる」と言い、クラッチペダルがゆとりがなくて最近、修理をしたと教えてやった。試運転をしたイム氏はS氏と別れた翌日、車を買うと連絡した。
S氏は180万ウォンで出した車を160万ウォンに値引きし、イム氏は全額現金で払いつつ「車を手離して寂しいでしょ」と語った。イム氏は「家(龍仁)に行ったり来たりするのに(中古車を)買うことになった」と説明したという。彼は今年4月に4級(公務員の等級)に昇進し、大田地域に発令となった。電算・サイバー保安の専門家であるイム氏が電算システムが供えられた本社を離れ、大田でどんな勤務をしていたのかは分かっていない。牧師S氏はイム氏について「ちょっとやせてメガネをかけていた。おとなしい感じを受けた」と記憶している。イム氏の妻が7月18日、警察に失踪届けをした時に「体型は普通で、角フレームのメガネをかけていた」という外貌と同じだ。
イム氏の親戚K氏は「週末ごとにバスに乗って大田から龍仁に行き来するのが大変で、龍仁で暮らしている(イム氏の)妻が車を1台使っているので、経済的に負担にならないように安い中古車を買ったものと分かる。大田から(全北・益山市)龍安面で暮らしている老父母の家にも行きがてらにと買ったのではないかと思う」と語った。K氏は「家族らは(イム氏が)1年以内にソウル本社に戻ってくるものと思っていた」と付け加えた。
けれどもイム氏がソウルにある国情院に緊急呼び出しされると、「赤いマーティーズ」は彼の最後を見守った疑問の車となった。「(イム氏の死の)報道を見て国情院4級職員がなぜあのようなマーティーズに乗ったのか考えた」と言っていた牧師S氏の妻は、自分たちが売った車でイム氏が亡くなった事実を伝え聞くやいなや「胸が震える」と言って驚いた。

報道後、波紋広がり手にあまる


国情院はイム氏を7月13日からソウルに急に呼んだと説明する。国情院が盗・監聴ハッキング・プログラムを購入して運営したという事実が国内のメディアに報道されるとともに政治的波紋が大きくなり始めた直後だ。イム氏が7月13日直前の週末に妻の実家の生辰(故人の生誕日に営む祭祀)の集まりに出席したのを見ると、彼が受けた有形・無形の強い圧迫は7月13日から集中したものと見られる。イム氏はこの時から亡くなる前日の7月17日まで激務と心的負担が極度に圧縮された5日を送った。
監察室の調査が併行したのもこの時期だ。国情院は「(イム氏が)17日の未明1〜3時の間にハッキング・プログラム関連の記録を削除した」と国会情報委員会で明らかにした。削除権限のないイム氏がどんな理由で、あるいは誰かの指示で原本記録に手を付けたのかついての疑問に、国情院は説得力のある答弁をしてはいない。
「(イム氏の)妻の言葉を聞いてみると、大田からソウルに呼ばれてきて死ぬ直前まで、とてもしんどがっていたという。夜遅く帰ってきて翌朝また早く出かけることの連続だったのだから。ひょっとして辞表を出すなど、良くないことをするのではないかと思って心配になったというのだ。それで(ソウルに呼ばれてから)亡くなるまで妻は夫が会社に出ていけば不安になって何度も連絡をしたりしたと言う」とK氏が伝えた。
土曜日だった7月18日、国情院に行くと言っていたイム氏が乗ったマーティーズが京畿道龍仁のマンションを脱け出したのは未明4時50分頃だった。黒い洋服の中に青い半そでワイシャツを着た出勤スタイルだった。イム氏が出勤しないので国情院側は不安がったものと見られる。彼が敏感な情報(盗・監聴ハッキング・プログラムの購入と運営システム)を知っている人物のうちの1人だからだ。
「夫が出勤していない」という国情院の連絡を受けた妻は午前10時4分頃、夫の位置追跡のために119番に最初の申告をする。次いで妻は10時16分頃、東栢派出所を直接、訪れ、警察にも申告する。目につくのは妻が119番と112番(日本の110番)に最近、夫が受けた業務のストレスを一貫して語った点だ。
妻キム某氏の119申告録取録を見ると、「119でしょ」と聞いた彼女は受話器の向こうで、「はい、そうです」と応じると、直ちに「うちの夫が会社で、このところ良くないことがあったんですが」と話す。不吉さの原因を、夫が最近、国情院から受けていた何らかの圧迫の重さと直感的に結びつけたいのだ。
東栢派出所のイ某警査も派出所に来た妻に代わって10時25分頃、112で夫の位置追跡を要請する申告をしつつ「最近、業務的にストレスをひどく受けていたそうです」と語る。112側が妻に代わってくれと言った後、「夫に(平素)持病や憂鬱症(ヒポコンデリー)があったか」と聞くと、妻は「なかった」と答える。けれども妻は、「最近、会社の仕事のせいで大変だったということはあったんですね」という質問には、すぐに「はい」と語る。
記者はイム氏の妻が派出所を訪れて対面申告をした当時にいたイ警査に会おうとして東栢派出所を訪ねたが、派出所側は「イ警査は人事発令が出て龍仁東部署の他の所に移動した」と語り、今回の事件に関連した質問には一切し対応しなかった。

廃車、親戚の自発的選択か


イム氏の位置追跡過程に、国情院も別個に動いた。国情院が職員らの携帯電話に設定した位置追跡装置を活用したのだ。イム氏は山林に車を進めながら、自身の電話機を切ってはいない。国会情報委所属の野党議員は「国情院がイム氏の位置を追跡した後、そこに国情院職員を送り、消防隊員と一緒に探したという」と伝えた。
イム氏は運転席で助手席の方に倒れていた、と警察は発表した。イム氏が発見された山林は彼の家から13qほど離れた所だ。彼が死の空間とし、さまざまな疑惑を生んだ赤いマーティーズは剖検が終わった直後の7月19日、彼の親戚のうちの1人が廃車を要請し、彼の出棺翌日にあたる22日に廃車された。
廃車を要請した親戚は7月30日に記者と会い、「国立科学捜査研究院の剖検以後、警察が今やすべて終わったと言うので知り合いに連絡して廃車を依頼した」と語った。その依頼業者は国情院に納品実績のあるソウルの、あるタイヤ会社だったという報道があった翌日、記者と通話した彼は「これ以上(今回のことと関連して)話したくない」と言って電話を切った。
イム氏はハッキング・プログラムの購入・運営、記録削除についての国情院の解明過程において「イム課長」、または「イム氏」という名前で一切の行為の主体者として登場する。イ・ジョンゴル新政治連合院内代表は「国情院が今回の事態の脱出法として選択したカードは責任のなすりつけ、トカゲのしっぽ切りだ。技術者にすぎないイム課長が一切を主導したという趣旨」だと指摘した。
ハッキングの目標物を定めイム氏に回していた捜査部署、ハッキング・プログラムの購入決定や予算配分の責任者らが「イム氏」の後ろに隠されている。新政治連合は今回の事件に関連して前・現職国情院長を告発したのに続き、ハッキング・プログラムをイム氏と共に運営した疑惑とのかかわりで、国情院第3次長傘下の技術研究開発団の関係者たち、ハッキング・プログラムの最初の購買当時の予算責任者だったモク・ヨンマン前・企画調整室長を追加告発することにした。
イム氏の親戚K氏は「(イム氏の)家庭は仲むつまじかった」と語った。彼は「国情院で具体的に何をしているのかまで(親戚に)語りはしなかったけれども、老父母など家族らは国家公務員である『国情院』にいることを誇らしげに考えていた」と語った。イム氏がすべての荷物を1人で抱え込んで行こうとしたという国情院内部の一部の見方については首をひねった。

「家族が重要だったはずなのに」

 「(国情院のすべての論難を)すべてかついで行こうとして自ら死を選んだのだろうか。自分の家族のことがもっとも重要だったはずなのに。ストレスがどれほど深刻だったのかは分からないが、信仰心のとても深い人だったのだが…」。
彼は龍仁「平穏の森」奉安堂に安置された。彼を死に至らしめた決定的圧迫は何だったのだろうか。十字架と「執事イム某」と記された小さな遺骨函の中でイム氏は言葉なき永眠に就いている。(「ハンギョレ21」第1073号、15年8月10日付、龍仁・京畿道・大田=ソン・ホジン記者)


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