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    かけはし2015.年9月14日号

現代欧州の主権者は誰か


EU

民主主義のためにこそ

資本主義との闘争不可欠

反緊縮抵抗の高まりの中で明るみに

ミシェル・レヴィ


確証されたウェーバーの洞察

 一九〇六年、第一次ロシア革命の敗北後に書かれた、ロシアにおける民主主義に関する一つのエッセイからの引用で始めたい。すなわち「ロシアに現在輸入されたような、そして米国(……)で十分に確立されたような今日の総括的な資本主義と『民主主義』あるいは『自由』(言葉のあり得るあらゆる意味における)との間には格別の親近性がある、などと信じることは大いにばかげている。本当の問題は次のように出されるべきだ。つまり、それらのものごとはたとえ『蓋然的』であってさえ、資本家の支配下で長期的に、どうすれば『ありそう』になるのか? ということだ」と(注一)。
この洞察に富んだコメントを残した者は誰だろうか? レーニンか、トロツキーか、それともおそらくは初期のロシア人マルクス主義者であるプレハーノフだろうか? 事実は、よく知られたブルジョア社会学者であるマックス・ウエーバーからの引用だ。ウエーバーはこの洞察をそれ以上発展させることはまったくなかったとはいえ、彼はここで、資本主義と民主主義の生来的な対立を示唆している。
二〇世紀の歴史は、この見解を確証しているように見える。つまりまったくしばしば、支配階級の支配が民衆によって脅かされたように見えた時には、民主主義は享受することのできないいわばぜいたく物として脇にどけられ、ファシズム――一九二〇年代と一九三〇年代の欧州――あるいは軍事独裁――一九六〇年代と一九七〇年代のラテンアメリカ――で置き換えられたのだ。

民主主義放棄の論理は歴史的

 まったく幸運なことだが、これは今日の欧州には当てはまらない。しかしわれわれの下には、特に新自由主義の勝利を伴ったこの数十年、強さを減じた民主主義、社会的内容を失った民主主義、いわば抜け殻となった民主主義がある。まったく確かなことにわれわれにはまだ選挙がある。しかしそこには、限られた違いしかない二つの変種、右翼の新自由主義的バージョン、そして左翼・中道の社会自由主義的バージョンを備えたただ一つの政党、U・M・P、つまりユナイテッド・マーケット・パーティーしかないように見える。
欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギと元欧州委員会委員(後ベルルスコーニ辞任後のイタリア首相)のマリオ・モンティは両者とも、ゴールドマンサックスの元雇われ者だ。民主主義の低落は特に、EUの寡頭支配的な機能化の中に見ることができる。そこではEU議会の影響力はまったくのところほとんどなく、その一方権力は、EU委員会や欧州中央銀行のような被選出機関の手中にしっかり握られている。フィレンチェの欧州研究所教授の、そしてEUの半公式理論家の一人であるジアンドメニコ・マジョネにしたがえば、EUは「多数派支配にしたがわない諸機関」、つまり、「有権者にも、選出された公職者にも意識的に責任を負わない公的諸機関」、「多数派の専制」からわれわれを防護するただ一つの方法、を必要としている、というわけだ。そのような機関においては、「高度な訓練の上に熟練を積んだ専門的な思慮分別と一貫性といった諸々の品質(……)が、直接民主主義的な責任よりもはるかに重要だ」(注二)。EUの寡頭支配的で反民主主義的な本性に対するこれ以上あけすけな擁護はほとんど想像できない。
現在の経済危機と共に、民主主義はその最低レベルに落ち込むにいたった。フランスの雑誌フィガロはその最新社説で、現在の情勢は例外的なものであり、これこそが民主的な手続きを常のようには尊重できない理由を説明する、と書いた。正常な時が戻れば、われわれは民主的な正統性を再確立できる、というわけだ。
それゆえわれわれの下には、カール・シュミット(ドイツの法学者・政治学者、ワイマール体制下の議会制民主主義と自由主義を批判、ナチスに協力:訳者)の意味における、一種の経済的/政治的「例外状態」がある。しかし、シュミットにしたがい例外状態を宣言する権利をもつ主権者とは誰なのか?

人民主権vs国際金融資本


一七九二年のフランス共和国の宣言以前、また一七八九年後のいくらかの間、王は、生来的な拒否権を確保していた。国民議会の決議がどうあれ、フランス民衆の切望や大望がどうであれ、最後の言葉は彼の至上権に属していた。今日の欧州では、王はブルボンやハプスブルグではなく、金融資本だ。今日の欧州諸政権――ギリシャ政府を除いて!――すべてはこの絶対主義的で不寛容かつ反民主主義的な君主の役人だ。右翼、「極右・中道」、あるいは偽左翼であろうと、保守派、キリスト教民主派、あるいは社会民主主義派であろうと、彼らはつかれたように彼らの君主の拒否権に奉仕している。
それゆえ欧州における今日の絶対的で全面的な主権者は世界的な金融市場だ。金融市場が各国に、賃金や年金、社会的費用の切り下げ、私有化、失業率を指令している。いくらか前彼らは、金融市場の忠実な下僕であるいわゆる「専門家」を拾い上げ、政府の首班を直接に指名した(ギリシャのパパデモス〈二〇〇二年から二〇〇六年までECB副総裁を務めたギリシャの経済学者、パパンドレウ辞任後の半年間ギリシャ首相に着任:訳者〉、イタリアのマリオ・モンティ)。
これらの全面的に強力な「専門家」のある者たちをもっと近づいてみてみよう。彼らはどこから来たのだろうか? 欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギは、ゴールドマンサックスの元経営者だ。元欧州委員のマリオ・モンティもまた、ゴールドマンサックスの元顧問だ。モンティとパパデモスは、政治家と銀行家の次にやるべきことを議論している非常に閉鎖的なクラブである、三者委員会のメンバーだ。欧州三者委員会の委員長はピーター・サザーランド(アイルランド出身のビジネスマン:訳者)だが、彼は元欧州委員であると共に、ゴールドマンサックスの元経営者だ。チェコの元経済相であり同委員会の副委員長であるウラジミール・ドロウィーは現在、ゴールドマンサックスで東欧担当の顧問を務めている。
言葉を換えれば、諸々の危機から欧州を救出する任に着いている「専門家」とは、米国におけるサブプライム危機に直接の責任がある金融機関の一つのために働くことを習いとしていた者たちなのだ。このことで言いたいことは、欧州をゴールドマンサックスに引き渡す共謀がある、ということではない。それは単に、EUを支配する「専門家」の寡頭支配的な本性を描き出しているにすぎない。
欧州の諸政府は、大衆的な抗議、ストライキ、大規模なデモには無頓着であり、住民の感情や意見には気をつかっていない。しかし彼らは、金融市場やその雇われ者、そして格付け機関の感情や意見にだけは気を――しかも極度に――つかう。欧州の偽民主主義の中では、国民投票による民衆への諮問は、いわば危険な異端的な悪、神聖な市場に反逆する犯罪なのだ。ギリシャの国民投票が問題としたのは基本的な経済課題や社会課題だけではなかった。それはまた、中でも民主主義をも問うものだったのだ。
六一・三%にものぼるギリシャのノーは、金融の王権的な拒否権に異議を突き付けようとした試みだった。これは、資本主義の君主制から民主的な共和制への、欧州の転換に向けた最初の一歩となり得るものだった。しかし現在の欧州の寡頭支配的な諸機構は、民主主義に対する寛容さなどはほとんど持ち合わせていない。彼らは、緊縮自殺を拒否しようとただ一人で挑んだという科で、ギリシャ民衆を直ちに罰した。破局をもたらすトロイカは、経済的には逆行的、社会的には不公正、そして人間的には持続不可能な諸方策の残忍な計画を徹底的に強要する形でギリシャに舞い戻っている。ドイツの右翼がこの怪物を作り上げ、ギリシャの偽の友人(オーランド、イタリア首相のレンツィ、その他)と共謀してそれをギリシャ民衆に押しつけた。

希望はもう一つの欧州への熱望

 諸々の危機が悪化を深め、民衆の憤激が成長するにしたがい、多くの諸政府にとっては、公衆の注意を一つのスケープゴート、つまり移民にそらそうとする高まる誘惑がある。こうして不法入国の外国人、共同体に馴染まない移民、ムスリム、ロマ(ジプシー)が今、国にとっての主な脅威として描かれ続けている。これはもちろん、レイシストの、外国人嫌悪の、準ファシストの勢力あるいはむき出しのファシスト政党に大きな好機をつくり出している。それらの勢力は成長を続け、いくつかの国では既に政権の一部となっている。まさに欧州の民主主義に対する非常に深刻な脅威として。
唯一の希望は、もう一つの欧州を求める、残忍な競争、残酷な緊縮諸政策、そして永遠の債務返済を超えた欧州を求める熱望の成長だ。もう一つの欧州、民主的で環境保全の、そして社会的な欧州は可能だ。しかしそれは、民族的な境界を越えた、国民国家という狭い限界を超えた、欧州民衆の共通の闘争なしには達成できないだろう。
つまり未来に向けたわれわれの希望は、いくつかの諸国で、特に若者たちと女性の中で高まりとなってきた民衆的憤り、そして諸々の社会運動だ。諸々の社会運動にとって、民主主義のための闘争は新自由主義に対決する闘争であること、そして結局は、マックス・ウエーバーが一〇〇年前に既に指摘したように、生来的に反民主的なシステムである資本主義それ自身に反対する闘争であること、これはますます明確になりつつある。(二〇一五年八月一五日、『アゲンスト・ザ・カレント』より)

▼筆者はブラジル出身の哲学者、社会学者。フランスの反資本主義新党(NPA)並びに第四インターナショナルのメンバー。アムステルダムのIIREの教授陣の一員であると共に、科学探究フランス全国評議会(CNRS)の元研究調整者。
注一)マックス・ウエーバー、「ロシアにおけるブルジョア民主主義の形勢に寄せて」。 
注二)ペリー・アンダーソン(英国の国際的に著名な左翼論者)による引用。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年八月号)




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