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    かけはし2015.年9月21日号

われわれの時代の大論争へ


米国

サンダースと「黒人の命も大事」運動

経済的平等と人種的公正の分裂克服を

ダン・ラ・ボッツ


 
 米国民主党の大統領候補者予備選をめぐるサンダース現象についてはこれまでも紹介してきたが、この現象は米国の民衆内部に様々な波及的論争を引き起こしているようだ。以下では、サンダースキャンペーンと「黒人の命も大事」運動の間で起きている論争が取り上げられ、それが米国の今後に大きな意味をもつ可能性がある、と論じられている。(「かけはし」編集部)

始まった論争と
その拡大を歓迎


米国民衆の綱領と優先性に関する大論争が、小さな左翼諸グループの間ではなく、社会を網羅する形でここ何十年間で初めて起きようとしている。サンダースと「黒人の命も大事(BLM)」運動の論争――ソーシャルメディアでの、TVやラジオでの、新聞での、そして街頭における――は、われわれの時代のもっとも重要な討論の一つであり、もしそれが深められるとすれば、それはわれわれすべてが資本主義とレイシズム両者に対決する道を見出す助けとなる可能性をもつと思われる。ある人びとには単なる紛争と見えているものは、新しい分析の構築に導き、新しくより幅広い社会運動にとっての基盤を据え付ける可能性をはらむだろう。われわれすべては、この論争に参入するようにならなければならず、平等、民主主義、連帯からなる社会という共通の目標に向けてそれをさらに進めることを助けなければならない。
左翼の側の多くの人々――サンダースの支持者とBLM活動家の双方――は、この見解の対立を時として対立とのみ見てきたが、それは実のところ、同時に時に苦痛を呼ぶ体験であるとしても、そこから米国における経済的公正と人種的公正双方に向けた必要性についての共通の理解が生まれ得る、そうした発展だ。
この論争は始まりにすぎず、われわれの前には進むべき長い道のりがある。しかしこのもっとも重要な討論をいかに解釈し、またそれにどう取り組むかは、その結果に影響する十分な可能性があるだろう。われわれはこの新たな全国的な討論を肯定的なものとして評価しなければならない。
われわれはサンダースを攻め立てているBLMを支持しなければならない。一方で同時に、経済的不平等に反対しているサンダース支持者を迎え入れなければならない。そして論争は、米国の軍事政策や外交政策またイスラエルに関する彼の政策を変えるようサンダースの支持者がさらに彼への挑戦を決めるまでは、不完全なままとどまる。われわれは論争の中にこの批判を持ち込むために努力しなければならない。

BLM活動家の
異議が問うもの


すでに起きたことはまさに注目に値する。ティーパーティーが政治的言説を支配していた五年前、そしてその支配はオキュパイ・ウォールストリートがその風景を追い払い、われわれの国民的な議論を変えるまで続いたのだが、その時われわれがいたところを考えてみればよい。
次いで、ヴァーモント州出身の何年も無所属かつ自称社会主義者の姿勢を貫いてきたバーニー・サンダースが、経済的不平等とカネによる政治支配と闘うことを目的とした一つの綱領に基づいて、民主党員として大統領に立候補することを決断した。彼はまた、環境的な破局と米国における女性の地位という問題にも取り組んできた。
より高い賃金、無料の公教育、また普遍的な医療ケアを求める彼の要求は、共和党に対する一つの異議突き付けだが、同時に、社会計画をずたずたにし、企業に補助金を出し続け、緊縮を求めてこの二、三〇年間を過ごしてきた民主党に対する異議突き付けでもある。そして国中で何十万人という民衆が、サンダースのキャンペーンに反応し、諸々の集会や屋内会合に大挙して現れ、小額の個人的な寄付を差し出し、彼のキャンペーンに何百万ドルもの資金を出した。
しかし最初のうち彼は、オキュパイと多くの点で似た現象であるBLM運動がほんの二、三カ月前に始まっていたにもかかわらず、アフリカ系米国人に語るべきことをほとんどもっていなかった。BLM運動は、われわれ誰もがおぼえているように、警官によるマイケル・ブラウンとエリック・ガーナーの殺害の後、およそ一年前に始まった。彼らの殺害並びにいくつかの他の警官による殺人に対する怒りと心の痛みが、強力で新しい黒人解放運動に油を注いだ。BLMは米国の制度的なレイシズム、特に法的システム、法廷、警察内のそれに挑戦するために歩み始めた。しかしBLMの活動家たちは同時に、居住、教育、また医療ケアにおける制度的レイシズムにも反対して遠慮せずに声をあげた。
サンダースが彼のキャンペーンを始めた時、BLMは彼に異議を突き付け始めた。彼の政治綱領には事実上、米国社会のレイシズムについて語るものが何もなかったからだ。BLMは二つの事例でサンダースの集会を混乱させ、サンダースと彼の支持者は米国社会のレイシズムの重大さを認め、それについて発言するべきだ、と主張した。
CORE(人種平等会議、一九四二年創立、一九六〇年代の公民権運動でも役割を果たした:訳者)とSNCC(学生非暴力調整委員会、一九六〇年創立、六〇年代の公民権運動の急進的翼の一つを構成、その後学生全国調整委員会に改組:訳者)の一員であった者として、市民権に関してはもっとも進歩的な投票実績をもつ者の一人であったサンダースは、BLMが提起した諸課題について発言している「人種的公正政綱」を公表することで、BLMの異議突き付けに前向きに対応した。

この五〇年間に
不在だった論争


サンダースキャンペーンとBLMは現在、現代米国史における政治運動と社会計画に関するもっとも重要な論争の一つに取りかかっている。全国的広がりあるいは論争の深さという点で、このどちらかに似たものは七〇年代初期以来まったくなかった。われわれはこれまで諸々の社会運動を経験してきた。しかし五〇年以上、われわれの国の将来に関する真に意味のある討論はまったくなかったのだ。
サンダースもBLMも米国民衆にとっての政治的綱領を現在まで作り出していない。しかし今それらの論争――何百万人というあらゆる人種からなる労働者階級の米国人の間で起きつつある――の中で、理念のこの衝突は、われわれすべてにとっての一つの綱領、すなわち、経済的平等、ジェンダー平等、人種的公正を生み出し始める可能性があるように思われる。
衝突は両サイドにとって時に苦痛をもたらすものとなってきた。BLMの活動家たちは、左翼に対してであってさえ、聞き届けられるためには叫ばなければならないと感じた。また何人かのサンダース支持者は、彼らの候補者はこの新しい市民権運動に対処する点での彼の問題を認識しそれに対処するためにもっとすばやく動くべきと感じた者もいる中で、防衛的に振る舞った。その何人かには明らかにサンダースも含まれる。それを示す一例は、サンダースのキャンペーンが、抗議活動家を締め出す新たなスローガンをつくり出したことだ。
ヒラリー・クリントンの警護隊はBLM活動家が彼女の集会をさえぎることをやめさせた。しかしその後彼女は抜け目なく、BLM活動家の一グループを私的な会合の中でなだめようと試みた。論争を止めるあるいは弱めるためのこうした試みは確実に失敗するだろう。これらの論争は、候補者たちや彼らの党ばかりではなく、ほとんどの米国民衆がわれわれの社会のレイシズム的な特性を認めるまで続くだろう。つまりこの論争は、われわれがこのシステムを一掃するまで続くだろう。
この論争には次の事実によって限界がある。その事実とは、米国の企業と資本主義システムを代表する政党、経済的不平等、レイシズム、軍国主義、帝国主義といった課題を決して解決できない政党である民主党内の、サンダースの予備選キャンペーン周辺で起きている、ということだ。われわれはそれをサンダースにも言い、予備選で彼が敗北した場合は、民主党が指名する候補者を、それがもっともありそうなヒラリー・クリントンを支援するという彼の約束を撤回するよう要求しなければならない。結局われわれは、民主党から自由に闘う場合にのみ進歩できるだろう。
それでもこの論争は、米国民衆と社会的公正を求める諸々の運動の全体に、われわれの社会が、特にその勤労民衆、女性、アフリカ系米国人、ラティーノ、さらに差別に苦しめられている他の人々が必要とする綱領を考え抜く、すばらしい機会を差し出している。
興味深いことだが、サンダースは民主党の候補者であるにもかかわらず、この論争は民主党内部では起きておらず(そこに一定のインパクトを与えているとはいえ)、主としてむしろ、左翼内部、社会運動活動家内部、基層の労組組合員内部、そして全体としての米国公衆の中で起きている。
他の民主党候補者たちは、経済的課題や人種の課題両方の取り上げを迫られるだろう。とはいえわれわれは、彼らがそれらの課題に関し実際に多くをやるなどという期待をもっては決してならない。彼らに圧力をかける大衆運動が一つもない中では確実にそういうことはないのだ。われわれの仕事は、われわれの職場に、社会的な会合場所に、学校や大学に、さらに礼拝所に、この議論を持ち込むことでなければならない。われわれはこの論争に全米国人が関わることを求める。

新しい運動の
始まりめざし


アラン・グプタ(オキュパイ・ウォールストリート・ジャーナル編集者:訳者)は、サンダースキャンペーンは運動の分裂に導きつつあり、人びとを運動から引き離しエリートの方向に連れ出しつつある、と論じてきた。グプタは明らかに、和解の可能性の、並びにレイシズムに反対する戦闘に優先性を置いてきた者たちと経済的綱領を強調してきた者たちとの間に結果として起こる統一の可能性をまったく見ずに、分裂それだけを見ている。
それでもわれわれは、観点のこれらの違いに関する、またそれらが歴史的に表現してきた運動――基本的には労働運動と黒人およびラティーノの運動――に関する、一つの止揚を目撃しつつあるという可能性があるのだ。
もちろん人は、これについて現実的でなければならない。サンダースとBLM間の論争は、何百年にもわたる制度的レイシズムと広範に広がっているレイシズム的姿勢およびふるまい両者を、数カ月で克服することはできないだろう。米国における長期の搾取的かつ暴力的なレイシズムの歴史の克服には、強力な社会運動、新しい社会諸政策、そして米社会の抜本的で原理的な変革を必要とするだろう。
企業に支配された民主党内部でのサンダースキャンペーンは、この論争では理想的な対話者ではない。そして若いBLM運動はまだ、それ自身の認められた指導部をもつ全国組織、さらにより体系的な分析と綱領を押し進める可能性をふくんだ計画に、しっかり結合しなければならない段階にある。そうであっても、両サイドははっきりした十分な立場を諸々提唱し、われわれの前に現にあるものとしての論争は、米国政治における巨大な一歩を表している。
われわれは当然のことだが、この論争を進めるためにそれへの貢献を続けるべきだろう。多くの左翼が示唆してきたように、これはまだ不十分だ。サンダースは米国の軍国主義と帝国主義に反対する立場をとり、イスラエル支持と決裂する必要がある。もっとも重要なこととして、われわれはこの論争に積極的に取り組まなければならない。
われわれは、より大きな経済的平等性を人種的な公正を求める要求に結合する新たな運動、おそらくはある種の社会主義のための運動、こうした運動を建設する始まりの時点にいるのかもしれない。(八月一三日)

▼筆者は教員、著述家であると共に現在はオキュパイ・シンシナチに関わっている活動家。統一電気労働者組合(UE)と真正労働戦線(FAT)のオンライン出版物である「メキシコ労働者の情報と分析」の編集者、ソリダリティー全国委員会メンバーでもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年八月号)


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