もどる

    かけはし2015.年9月28日号

戦争法案の強行成立を糾弾する


追い詰められた安倍政権の暴挙だ

安倍打倒へ、新たな闘いの開始

STOP派兵・戦争法廃止・改憲阻止の共同行動へ



切れ目のない
日米戦争協力
 五月一四日に閣議決定され、翌一五日に衆院に上程された「安全保障法制関連法案」(以下、戦争国家法案と記述)は、九五日間も会期延長された通常国会会期ギリギリの九月一七日夕刻に特別委員会で、「無効」「違法」とも評されるほどの強行手段によって「採決」(反対運動の現場では「強行採決もどき」という表現が使われた)された。
 九月一九日未明、自民・公明の両与党と、「准与党」とも言うべき「次世代」、「改革」、「日本を元気にする会」の賛成によって、ついに同法案は成立した。「集団的自衛権」の行使は憲法九条によって禁じられているとしてきた歴代自民党政権の政策は、昨年七月の「集団的自衛権行使容認」の閣議決定と、それに基づくこの法案の成立によって根本的に否定された。日本は名実ともに、地球の裏側にまで自衛隊を派兵し、武力行使が法的に可能となる戦争国家に変質を遂げることになった。
 「戦争法案」は、武力攻撃事態法、周辺事態法、PKO協力法などの改悪法案一〇本を一まとめにした「平和安全法制整備法案」と、テロ特措法、イラク特措法といった地域と期間を区切った個別の法案に代わって自衛隊をいつでもどこでも地球全域に派兵することをもくろむ「国際平和支援法案」だった。戦争法案に反対するコールの中では「戦争法制整備法案」「国際戦争支援法案」という言葉が使われたが、それは的確な規定というべきだ。
 そしてこの戦争法案は、何よりも四月二七日に合意された日米新ガイドラインに沿って、グローバルなレベルで米国の戦争戦略を実戦的にも自衛隊が補完し、肩代わりすることを最大の目標とするものである。すなわち、アフガニスタン・イラク戦争の失敗と泥沼化による米国覇権の弱体化と軍事予算の削減圧力、中国の台頭と東シナ海、南シナ海での領土紛争、ウクライナに示されるロシア・EU間の緊張、アフリカ・中東の情勢に示される「地政学的混乱」と「イスラム国」問題などの事態の中で、日本に応分の負担を求める米国の圧力が、この法案の背景にある。
 二〇一三年の国家安全保障会議(NSC)設置法、秘密保護法なども、こうした米国のグローバルな軍事戦略における日本の役割分担の実質化・強化という点で、今回の戦争法案につながるものだった。
 安倍首相は「日米新ガイドライン」合意の圧力、すなわち自衛隊の「地球の裏側」にまでの派兵と武力行使参加の要求に寄り添いながら、この圧力を「戦後レジーム」の転換、改憲という自らの政治目標の実現に向けて、徹底的に利用したのだ。

新しい運動が
広がっている


安倍政権は、「集団的自衛権」の行使を容認するために、一九七二年一〇月の政府見解「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるをえない」を転換せざるを得なかった。しかし安倍政権は、この「政府見解を引き継ぐ」という建前の上で、それを一八〇度異なったものに転換するという離れ業を行った。その根拠は「わが国を取り巻く安全保障環境の根本的な変容、変化」である。そこで「我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわちわが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合において他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を求める」とした。これをもって「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性は保たれている」と強弁したのである。
一九七二年の政府見解を変えることなく、「集団的自衛権」を限定的に行使したとしても、かつては違憲で、今回は合憲――このご都合主義的解釈に、猛反発したのが小林節のような改憲論者をふくむ憲法学者たちだった。あわてて高村正彦自民党副総裁は、昨年の閣議決定の時と同様に、一九五九年の砂川事件最高裁判決が「集団的・個別的の区別なく自衛権を認めたもの」などという詭弁を弄して正当性を図ったが、それは内閣法制局長官経験者、長官をふくむ元最高裁判事らの専門職としての矜持にもとづく批判を解き放ってしまった。世論の潮目が変わったのはこの頃(六月)からである。
すでに二月には「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、「戦争をさせない1000人委員会」、「戦争する国づくりストップ 憲法を守りいかす共同センター」(憲法共同センター)の三者による「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が結成され、五月三日には旧来別々に行われていた憲法集会が、戦争法案反対を焦点にして横浜で、三万人を超える大結集で開催されていた。
この「総がかり行動実行委」の設定した土台が、その後の運動が拡大していく基礎になったことはもちろんだ。しかしそれがさらに大きな社会的現象として、世論の動向を「法案反対 安倍政権打倒」に大きくシフトさせていった要因は、憲法学者の圧倒的多数による「戦争法案違憲」の立場表明、一万四〇〇〇人以上(九月二〇日現在)の学者・研究者が賛同する「安保関連法制に反対する学者の会」の活動、さらには「ママの会」などの登場、そして何よりもSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の学生・高校生のアピールが、SNSなどを通じて急速に拡大し、「総がかり行動」の現場での提携とバックアップ、メディアの注目などで広く認知されていったことなどによるものである。
SEALDsの行動パターン、主張が「社会現象」として大きなパワーを発揮したことについては、その意味をとらえていく作業があらためて必要となる。しかし、それは「民主主義・立憲主義」を理論的なベースに置きながら、安倍政権の「独裁的・強権的」政治手法に対する批判と反発を行動的に、かつ最も日常意識に即した形で表現するものだった(「民主主義って何だ?」「立憲主義って何だ?」――「これだ」と繰り返されるコールの中にそれが示されている)。

追い詰められた
のは安倍政権だ


八月三〇日の国会包囲行動には、国会正門前を埋め尽くす一二万人が結集した。正門前の道路は「開放」された。全国でも大阪の二万五〇〇〇人参加をふくめて一〇〇〇を超える行動が各地で展開された。九月一四日からは国会前で連日の集会・行動が行われ、一四日には四万五〇〇〇人、一七〜一八日には四万人に及ぶ人びとが熱気に満ちた行動に詰めかけた。この行動に警察が厳しい規制と弾圧・逮捕を行ったが、参加者たちは屈したり、分裂したりすることなく「非暴力」でその意思を貫いた。
おそらくこの行動に参加した人たちに悔しさはあっても「敗北感」が広がっていることはないだろう。成立後の世論調査でも戦争法案反対は五〇%を超え、三〇%台にとどまる賛成・容認を大きく引き離している。安倍政権への支持率も反対が賛成を上回っている(九月二一日の「朝日」では支持三五%、不支持四五%)。
沖縄・辺野古への基地建設反対の闘いに呼応し、安保法制の発動阻止・廃止をめざすとともに、安倍政権の改憲プランへの反対運動を広げよう。そのためにも今回の大きな運動の意味をしっかりと論議していくことが必要だ。(九月二一日 純)


もどる

Back