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    かけはし2015.年9月28日号

アサド政権の虐殺と迫害


難民問題

百万人を超すシリア難民がEUへ

排外主義が敵対・立ちふさがる

ジョセフ・ダヘル

 ここしばらく日本の報道にも、欧州でのシリア難民のニュースが溢れた。以下は、その難民の問題にどのような背景があり、欧州の今後に、特に民衆に必要な闘いとして何を提起しているかを概説している。(「かけはし」編集部)
 欧州はここ何週間か、世論を揺さぶった二つの連続的悲劇によって動揺させられた。最初は八月二八日、おそらくはシリア人と見られた七一人の遺体が、オーストリアの高速道路上に放置されたトラックの中で発見された。この七一人のうちわけは、男性が五九人、八人が女性、四人が子どもであり、その子どもは、一、二歳の少女一人、八歳、九歳、一〇歳の少年三人だった。その二、三日後、欧州中で巨大な感情に火を点けたのは、三歳になるクルド系シリア人の子ども、アイラン・クルディの遺体のトルコ海岸での映像だった。彼の母親と五歳になる兄、ガリブもまた、小舟の沈没で死亡した。父親一人が生き残った。

アイラン家族が
たどった道のり
アイランの家族の歴史は、シリア民衆の悲劇を映し出している。アイランの父親のアブドゥアラー・クルディは、最初アサド政権の治安機関に逮捕され拷問を受けた。彼は、彼をそこから出させるための賄賂を治安機関に贈るため、ダマスカスにある彼の店を売らなければならなかった。それにはおよそ二万五〇〇〇ドルかかった。その後彼はダマスカスを離れアレッポに向かい、アサド政権の航空機による絶え間ない爆撃のために、短期間のうちにそこを離れた。そして彼は家族と共に、彼の故郷であるコバニに向かった。しかしこれも不幸なことに、イスラム国がこの街に対する攻撃を始めるにつれ、束の間の休息にしかならず、このクルド家族を他の何十万人と共に、今回はトルコへとこの街から押し出した。そこで彼は、トルコ政府からは何の援助も受け取ることがなかった。そしてアブドゥアラー・クルディと彼の兄弟に対する難民認定を、彼らの妹が暮らすカナダが拒否した後、この家族は、ギリシャのコス島を目的地にした当座しのぎのボートでの密航代金として六〇〇〇ドルを払い四枚のチケットを確保することで、この国を出ることを決めた。

アサド政権の
暴虐が始まり
このクルド家族の歴史は、基本的にアサド政権の残虐さの結果として彼らの故国を離れるよう迫られた、シリア内家族の何百万人がもつ歴史だ。そしてアサド政権は今なお、四年前の蜂起の始まり以来ずっとシリアの全地域と都市を爆撃し、殺人を犯し続けている。二〇一五年の最初の六ヵ月、アサド政権のヘリコプターは、国の様々な地域に一万四二三個もの樽爆弾を落とした。その中でこの政権の部隊は、同じ期間を通じて、全市民のほぼ九〇%を殺害したが、その犠牲者数はイスラム国のそれの七倍にもなるのだ。
イスラム国やアルカイダのような反動的イスラム原理主義諸勢力の次第次第の登場もまた、それらの諸行為と権威主義のゆえに、数多くの住民の強制された移住を引き起こすことになった。現在シリア人人口の半数以上が追い出され(国の内外に)、シリア内の住民八〇%以上は貧困ライン以下あるいはその付近で暮らしている。失業率はおよそ五〇%、その中で平均余命は二〇歳も引き下げられた。われわれはこうした反革命勢力すべてを、昔からの政権とイスラム原理主義運動を同じく糾弾しなければならない。それらは、何百万人にも上る人びとの強制移住に対する第一の責任者だ。そしてわれわれは、それらに対決して闘っているこの地域の革命家たちに、われわれの支援を届けなければならない。

EUにも同じように
明白な責任がある
戦争と抑圧から逃れる人びとが被ってきた連続的な悲劇における密航業者の責任を否認するわけではないが、しかしそれにもかかわらずこの状況に同時に責任があるものは、移民に関するEUのレイシズム的で治安をもっぱらとする諸政策だ。そうした国境閉鎖諸策が、戦争と悲惨から逃れる何十万という人びとを、欧州諸国に達しようと試みるための違法かつ危険な諸手段の利用に押しやったのだ。
欧州に到達した避難民の少数部分、EU外諸国にとどまっている圧倒的多数は、警察の暴力と向き合わなければならない。すなわち、フランス、カレーの「ジャングル」のようなキャンプ、ハンガリーによる、セルビアとの国境一七五qに対する高さ四メートルの壁の建設、あるいはエーゲ海と地中海におけるフロンテックス(欧州対外国境管理協力機関)率いる海軍作戦がある。そして最後のものは、数千人にも上る溺死という悲劇的な結果を残すことになったのだ。
それにもかかわらず心に留められなければならないことがある。それは、これら避難民の多くは、彼らの困難な状況にもかかわらず、EUの警察と治安機関の諸々の攻撃に対して抵抗し抗議するために、ブダペストの鉄道駅における迫害に対してであろうが、ギリシャやカレーのキャンプの中であろうが、またハンガリーの国境であろうが、自らを組織してきた、ということだ。スイスにおいてもまた難民たちは、彼らの生活条件と身分紹介に対して抗議した。
一方で欧州の極右グループのイスラム嫌悪かつレイシズムの宣伝は、シリア難民すべてや他の人々をイスラム主義テロリストと特徴づけし続けてきた。たとえば、国外へ脱出しているこれらの人々はおそらく、「イスラム国ないしは他のジハーディストグループの過激派」だと警告した、英国独立党指導者のニゲル・ファラージがいる。
こうしたグループは、二、三日前ツイッターに次のように書き込んだ独裁者アサドと、その宣伝の点で変わるところは何もない。つまり「テロリズムはそこで終わることはないだろう。それは欧州への不法移民を通して自らを輸出するだろう」と。
極右は彼らをテロリストと特徴づけることがたとえないとしても、欧州の「キリスト教的」根を脅かしている、と彼らを非難する。ハンガリー首相のヴィクトル・オルバンは、移民の大量流入は欧州の「キリスト教的根」を脅かす、と語った。ファシスト運動の国民戦線党首であるマリーヌ・ルペンは、他はともかく彼女として、国境の完全な閉鎖を要求した。

 

下からの民衆的
連帯が不可欠だ
道路上に、あるいは地中海に積み重ねられた大量の死は、過去には何も変えなかった。今回これは、何ほどか違うものになるのだろうか? EUは今後も自らをある種の要塞として築き続けるのだろうか? EUは、住民追い立ての根源である政治的かつ経済的な諸問題に責任のある、その帝国主義政策を続ける中で、人権に対するその戦争をこれからも続けるのだろうか? 私は、われわれは欧州の指導者に頼るべきではなく、下からの民衆的抵抗を築き上げなければならない、と考える。
これらの悲劇的なできごとによって高められた感情は、欧州中で移民や難民支援という姿の抵抗に帰着することになった。そしてそれは欧州の指導者たちの対応とは並外れて対照的だった。欧州中で数々のデモが行われる中で、オーストリアのウィーンでは、難民を歓迎して二万人以上がデモを行った。ドイツではレイシズムに反対して何千人もが抗議の集会に結集した。英国では、フランスの難民キャンプに届けるために、諸々の職場と多くの共同体で大量の支援物資が集められた。
ギリシャ、マケドニア、セルビアの当該地域の民衆から支援がなければ、シリアの難民はブダペストに到達することができなかったと思われる。しかしそこで彼らは、国境そして鉄道の駅で警察を前にした。
この連帯はありがたいことであり、歓迎されなければならない。しかしそれだけでは不十分だ。われわれは、EUの排外主義、治安諸政策、そして不行跡に反対して自らを組織し、移民たちと並んで、国境の開放、自由な移動、また社会的悲惨や抑圧や戦争から逃れる民衆に対する尊厳を持った歓迎を要求する闘いを行わなければならない。われわれはキャンプを閉鎖し、レイシズム諸政策を止めなければならない。そして何よりも、こうした悲惨に責任のある資本主義システムに異義を突き付けなければならない。
革命的なローザ・ルクセンブルクの次の言葉は今、かつて以上に不朽の審理として鳴り響いている。すなわち「死体は一般に、もの言わぬ、また語る価値のない何ものかだ。しかし、トランペット以上に大きく叫び、またたいまつよりも明るく辺りを照らすものがある。そのようなひどいものを生み出す悪名高い社会システムを打ち倒せ!」と。(シリア・フリーダム・フォーエヴァーより)

▼筆者はシリア革命的左翼のメンバーであり、スイスのローザンヌ大学博士課程大学院生、同大学で助手も務めている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年九月号) 


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